46輪 薔薇の純愛革命Ⅱ

「他に、好きな殿方ができたのです」

「なに?」

「まあ」


 ロザリーの告白に、侯爵夫妻は同時にそれぞれ反応を示した。侯爵が当たり前に眉をひそめた一方で、グレッタ夫人の瞳には愉快げな光がちらと躍る。

 椅子から腰を浮かせる勢いで、侯爵は書斎机の上にやや身を乗り出した。


「相手は誰だ」


 ロザリーは上がる口角を指先でさりげなく隠して答えた。


「ケイレブ・シューゲイツ様です」

「シューゲイツ……ユーゴニス伯爵家か」


 侯爵は考え込む顔になって、浮かせた腰をゆっくりと下ろす。グレッタ夫人も同様に記憶を辿るように、ちょっと瞳を上向かせた。


「亡くなられた皇后陛下のご実家ね。ケイレブは現当主のご長男の名前でしてよ。ほら、いつも皇太子殿下に近侍している、とても背の高い。ロージーを助けて怪我をした騎士が、彼でしたわよね」


 グレッタ夫人からの補足情報で、侯爵もすぐに名前と人物が繋がったようだった。それでもまだ吟味するように、俯き加減で低く唸っている。

 やっと多少なりとも考えがまとまったのか、侯爵はおもむろにロザリーと目を合わせた。


「相手は知っているのか。その……お前の気持ちを」


 ロザリーは両手を膝の上で重ね合わせてほほ笑んだ。


「ほんのつい先日、よいお返事をいただきました」


 侯爵の眉間がまた険しくなった。


「つい先日? ということは、新春の宴の時点では、まだなにも関係していなかったと解釈してよいのか」

「それは保証いたします。新春の宴のときには、まだわたくしの片思いでした」


 ロザリーが請け合い、侯爵は嘆息して軽く首を振った。


「なぜすぐに相談をしなかった。相談があれば、もっと穏便なやりようもあったろう。シューゲイツの若者が負傷することもなかった。殿下にはどう説明するつもりでいる」


 侯爵の眉宇びうからわずかに厳しさが抜け、子を案ずる親の声色になった。過去のできごとを責めるよりも、この先どうするかの話題に移ろうとしているのだ。

 しかしロザリーとしては、まだ先の話ができる段階ではなかった。


「お父様。殿下は、始めからすべてご存じでいらっしゃいます」


 不意打ちを受けたように、侯爵が目を剥いた。


「まさか、新春の宴の騒動は二人で示し合わせたとでも?」

「ええ、その通りです」


 ロザリーは即座に肯定して、さらに素早く言い足した。


「わたくしだけでなく、殿下も別の女性を妃に望んでみえましたから、わたくしから進んで協力をいたしました」


 侯爵は息を吸い込むと、懸命に言葉をひねり出すように宙で人差し指を揺すった。


「しかし殿下は、騒動の謝罪後には熱心に連絡を寄越していただろう」

「あれは目眩ましです。殿下は水面下で、本当に望むお相手を妃とするために動いておりました」

「なんということだ」


 ついに侯爵は片手で目を覆ってうなだれた。


「グレッタ……わたしは親として、娘の悪賢さを叱るべきか? それとも、もっとうまくやれとでも言うべきか?」


 侯爵の声は懊悩のあまり覇気を失っていた。意見を求めたられたグレッタ夫人は、少々呆れ気味にため息をついた。


「わたくしは叱れませんわね。叱るとしたら、間接的にせよ反社会的勢力を利用するような危険を冒したことについてだけです」


 侯爵は目を覆った手を少しずらして、グレッタ夫人の方を窺い見た。彼の眉間の皺は、また深くなっていた。


「しかし、色恋沙汰でこれだけ重大なことをしたのだぞ。しかも、皇太子と共謀して」


 親としてなにか言わねば、と言外に主張する侯爵に対し、グレッタ夫人は苦笑して顎に指を当てた。


「色恋沙汰とおっしゃいますけれど――他に婚約者のいたわたくしに二度もプロポーズなさったのは、どなただったかしら」


 侯爵が面食らった顔をして言葉を詰まらせた。


「それはだな……」

「あのときは、ずいぶんな騒動になりましたわね。テオドールったら、先代にどれだけ叱られてもまったく引かなくて。あなたの熱意に当てられて、わたくしも奔走しないわけにはいきませんでしたわ」


 若かりし日に戻ったかのように、グレッタ夫人は瞳を輝かせてうきうきと語った。侯爵はいかにも気まずげに目を逸らせている。その頬は心なしか赤いようだ。


「今そんな古い話はやめたまえ。それとこれとは――」

「違うとおっしゃるの?」


 グレッタ夫人が口を尖らせ、侯爵は言葉に窮して押し黙った。反論がないとみるや、夫人は満面の笑みを浮かべた。


「血は争えませんわね」


 負けを認めるように、侯爵は頬杖をついて長々と息を吐き出した。


「そんなところまで似なくていいものを……よく知恵が回るところは君にそっくりだ」

「頑固でこだわりが強いところは、あなた譲りですわね。心配はよく分かりますけれど、ロージーも責任の持ち方を心得ている大人です。わたくしたちがそうだったように、いつまでも親の手の内に収まるものではありませんわ――ロージーたちの方が、ずっと計算高いようですけれど」


 柔らかく諭す言葉の最後に、グレッタ夫人は愉快げにつけ足した。

 楽しげな夫人を見て侯爵も表情を緩め、渋々ながら納得したようすで背中を伸ばした。


 侯爵とグレッタ夫人のやりとりを、ロザリーは傍らから興味深く見ていた。実子から見ても仲のよい両親だと思っていたが、こうして馴れ初めを聞くのは初めてだったのだ。


 察するに、両親もロザリーらに負けず劣らぬ騒ぎを巻き起こしたようだ。ひょっとすると表立った派手さで言えば、両親の方が上回るやもしれない。


 ロザリーにとって、理想の夫婦と言えば両親をおいて他になかった。侯爵は才知の優れたグレッタ夫人を深く愛して尊重しているし、グレッタ夫人も万事に熱心な侯爵をよく支えている。二人が互いを下げるようなことを言うのを、ロザリーは聞いたことがない。


 この両親が、ロザリーの恋愛観や結婚観を決定づけていると言っても過言ではなかった。


 グレッタ夫人が、侯爵へ向ける表情を真摯なものへ改めた。


「皇太子が共謀として絡んでいるとなると、慎重に事を運ばねばなりませんわね」


 侯爵は深く頷き、グレッタ夫人の隣に座るロザリーへと視線を戻す。


「殿下が妃に望んでいるというのは、どちらのご令嬢だ」


 両親にならうように姿勢を正して、ロザリーは答えた。


「ミンディ・グンマイです」

「ミンディだと!」

「あら素敵」


 再び侯爵夫妻の声が重なった。はしゃぐように両手を合わせたグレッタ夫人に、侯爵はまた違った意味で驚きの目を向けたが、先にロザリーを問い質す方を選んだ。


「まさかとは思うが、ミンディが侍女の立場を利用してなどということは――」

「ミンディの侮辱はおやめあそばして、お父様」


 ロザリーはこの日もっとも強い口調で侯爵を遮った。無礼は百も承知だが、こればかりは相手が誰であれ譲るわけにはいかない。


「先に殿下が見初めて、それをわたくしが後押ししたのです。ミンディは真摯にわたくしに尽くしてくれているだけで、なんら落ち度はありませんわ。責任を問われるのでしたら、すべてわたくしに」


 ロザリーのまくし立てに、侯爵が目をみはる。するとさらにグレッタ夫人が、ロザリーの肩を持って畳みかけた。


「そうでしてよ、テオドール。もしミンディを責めるのなら、ロージーを誘惑したシューゲイツの跡とりの責任も追及せねば筋が通りませんわ。そんなことをしても、誰も幸せになりませんわよ。それに、とてもよいお話ではありませんか」

「どこがいいと言うのだ」


 いかにも承服しかねた表情で侯爵は問うたが、グレッタ夫人はかえって上機嫌な調子で饒舌に答えた。


「ミンディはとても見込みのあるですから、グンマイ家で埋もれさせておくには惜しい常々思っておりました。使用人たちからの評判もよいことは、あなたもご存じでしょう。ロージーが動けない間も、家中をよく回してくれましたし。可能なら侯爵家うちでよい縁談を世話してあげられたらと考えていたけれど、殿下が彼女を気に入っていらっしゃるなら、これほど素敵なお話はないと思いませんこと」


 グレッタ夫人による全面的な支持を受け、ロザリーは自身の望みの結実に確かな手応えを感じた。元々そのために、夫人にもラガーフェルドへきて貰えるよう電報を打ったのだ。


 ロザリーに次いでミンディを気に入っていると言えるグレッタ夫人ならば、心強い味方になる可能性が高い。そしてグレッタ夫人を引き込むことができれば、たちまち侯爵説得の目が出る。

 侯爵がうめくように唸った。


「確かにミンディはよくできたであるし、君の言うことも理解できるが……その話を進めた場合、皇太子妃の座を子爵家に奪われたという悪評がロザリーにつくのではないか」


 名声がものを言う社交界に身を置く以上、侯爵が憂慮するのは当然だった。侯爵家としての体面だけでなく、血を分けた我が子に避けられる苦労はできるだけさせたくない、と考えるのは親心としてごく自然なことだ。


 そのあたりを、ロザリーも考えないはずもなかった。むしろここからが、彼女にとっては本題だ。

 総仕上げとばかりに、ロザリーは父侯爵へ笑みを向けた。


「お父様。その点に関しては、わたくしからご提案が――」

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