45輪 薔薇の純愛革命Ⅰ

 ロザリーがヘルツアス侯爵テオドール・フレディーコから呼び出しを受けたのは、ソーンによる拉致事件とそれに不随する事案の捜査や聴取が一段落したあとのことだった。


 その頃にはロザリーの体もおおむね回復していた。体力的な不安から遠出はまだ難しいが、ラガーフェルド内で済む程度の距離であれば外出もほぼ支障ない。


 父侯爵の呼び出しの用件は分かっている。もとより、父がラガーフェルドに向かっているとの情報を受けてロザリーが行動を起こし、その最中で事件に巻き込まれたのだから。


 拉致事件の翌日には道中で報告を受けた父が蒼白な顔で到着し、その次の日には電報を握り締めた母グレッタ・フレディーコもラガーフェルドに到着していた。


 もちろん二人とも、なにより先にロザリーの無事を確かめるべく寝室を訪れている。ロザリーが怪我の治療や事件に関する聴取で慌ただしくしている間、両親の口から出るのは娘を案じる言葉ばかりだった。


 娘の災難によって、侯爵はラガーフェルドへやってきた本来の目的をすっかり忘れたかに見えていた――が、やはりそう都合よくはいかない。ロザリーの身辺が落ち着くまで待ったのは、親としての思いやりだろう。


 書斎へロザリーが足を踏み入れると、ヘルツアス侯爵は難しい顔で机に向かって待っていた。高い位置の採光窓から差す陽光で、金褐色の髪に走る白い筋が光って見える。短期間でまた白髪しらがが少し増えたようだ。


 書斎机の前には、隣の執務室から運んできたのだろう長椅子が机と向かい合う形で置かれていた。そこに、バターブロンドを後れ毛なく結い上げたグレッタ夫人が座っている。一見して穏やかな母の姿に、ロザリーはかえって気を引き締めた。


 革の背表紙がびっしりと並ぶ本棚に囲まれた書斎をロザリーは静々と進む。書斎机と長椅子の間で立ち止まって、軽く膝を曲げる礼をした。


「お父様とお母様にご挨拶を申し上げます」

「かけなさい」


 侯爵が即座に長椅子の方を示し、ロザリーは逆らわずグレッタ夫人の隣へと身を収める。夫人に気づかわれながら姿勢を正す娘を見やり、侯爵は表情の厳しさをややなごませた。


「体の方は、もう大丈夫か」


 背筋を伸ばして、ロザリーはほのかな微笑を返した。


「少々の外出なら支障がない程度に回復しております。たいへんご心配をおかけいたしました」


 ロザリーが礼の代わりに軽く目を伏せれば、侯爵が肺の中身をすべて吐き出すほど深々とため息をついた。


「まったくだ。本当に寿命が縮んだぞ。命があったからよかったものを」

「そうよ。もし体が辛くなるようなら、ちゃんとおっしゃい。我慢しては駄目よ」


 侯爵のぼやきに便乗するように、グレッタ夫人はロザリーの肩をさする。

 さすがのロザリーも、両親へ過去にない心労を与えてしまった自覚があるので、今は苦言も心づかいも粛々と受け止めた。


「ありがとうございます。本当にご心配をおかけいたしました」


 娘の素直なさまに、グレッタ夫人は軽く笑んでから侯爵へと視線を移した。


「病み上がりのロージーを疲れさせないよう、手短にお願いいたしますわね」

「そうだな。では、さっそく本題に入るとしよう」


 先ほどよりも浅く息を吐き、侯爵は机の上で指を組んだ。


「賢いお前なら、すでに勘づいているだろう。わたしが時季外れにラガーフェルドへきたのは、新春の宴での一件についてお前に確かめるためだ」


 侯爵がそう切り出したことで、ロザリーは期待通りに事が運んでいるのを確信した。


 拉致事件というとんでもない横槍は入ったが、むしろ時間的な猶予が生まれてロザリーの望む方向へ大きく前進している。手放しかけた望みの一つも、つかむことができた。

 残る課題は、目の前の両親だ。ここでしくじるわけにはいかない。


 そんなロザリーの思惑も知るべくもなく、侯爵は重々しい口調で続ける。


「問う前に言っておくが、お前から調査依頼を受けたという探偵局の代表と担当局員とは、わたしが直接、話をしている。その意味は分かるな?」


 ロザリーが神妙に首肯し、侯爵は「よろしい」と頷き返した。


「今回、お前は十分に痛い目を見た。この上また親をたばかることさえしなければ、さらに罰を与えようとは考えてはいない。それは約束しよう。しかし、なぜこのようなことになったかは明瞭にせねばならない」


 そこで一度言葉を区切り、侯爵は呼吸を整えるような間を置いた。


「前置きが長くなった――さて、まず確認をするが、お前は例の首飾りを盗品と知りながら入手、所有していた。その点について齟齬はないな」

「ええ、ございません。皇后陛下の遺品であることにも気づいておりました」


 ロザリーはよどみなく答えた。もはや首飾りの件を隠すことに、なんの意味もない。

 ふちの濃い侯爵の瞳が、娘の内心を見出そうとするように細められる。


「なぜそれを新春の宴で着けようと考えた。お前ならば、見咎められて騒ぎになる可能性を考えなかったはずもあるまい」

「もちろんです。騒ぎを起こすために、着けていたのですもの」


 侯爵が小さく息をのんだ。怪訝と言うよりも困惑げに、凜々しい眉がひそめられる。


「一体、なんのために」


 もったいぶるように、ロザリーはひと呼吸を置いた。


「ジェイデン殿下と、結婚したくなかったからです」


 沈黙が落ちた。ロザリーを見る侯爵の顔が、驚きで強張っている。

 口にこぶしを添えて侯爵が咳払いをした。一時止まっていた時間が、それで動き出したようだった。


「結婚したくなかっただと? 本気で言っているのか」


 鸚鵡返しの問いは動揺の表れだ。それでも侯爵の表情からは、冷静であろうとする動きが見てとれる。

 ロザリーは自分まで焦ることがないようゆっくりと、言葉を変えて言い直した。


「嘘は言っておりません。わたくしは殿下との婚約を確実に破談にするために、あの首飾りを着けて宴に出席いたしました」

「本当に、それだけの理由でか……まったく信じがたいことだ」


 頭痛がするように、侯爵は眉間を揉んだ。それくらいで表情の険しさはとれなかったが、侯爵は改めて正面からロザリーを見据えた。


「分かっているか、ロザリー。その自己中心的で勝手な行動によって、結果的に自分の身を危険にさらしただけでなく、一人の命が失われているのだぞ。それほどの――」

「テオドール」


 これまで父娘のやりとりを静観していたグレッタ夫人が、侯爵の名前を呼んで割り込んだ。彼女は伴侶たる侯爵を、この場の誰よりも落ち着いた眼差しで見ていた。


「その線から責めるのは公正ではありませんわ。ロザリーは被害に遭った側ですのよ。責めるべきは犯人です」


 「とはいえ」とグレッタ夫人は続け、隣に座るロザリーへと顔を向けた。


「ロザリーの不祥事に御者を巻き込んだのは事実です。まったく責任を問わない、というわけにはいきません。彼はとても勤勉に尽くしてくれていましたから、ご遺族にはわたくしから申し出て侯爵家うちで葬儀を出しました。これからご遺族には補償金もお渡しする予定ですが、そちらはあなたの資産からも一部負担をして貰います。よろしいわね、ロージー?」


 最後は普段通りの愛称でロザリーを呼び、グレッタ夫人は唇にごく淡い笑みを刷く。


 ロザリーが動けぬ間に、御者とその遺族に対してグレッタ夫人がすべてとり計らってくれていたことは、ベッドで治療を受けながら伝え聞いていた。そのためロザリーが実際に動いたのはベッドから起きられるようになったあと、怪我で葬儀に出られなかった代わりに遺族を弔問しただけなのだ。


 当然、グレッタ夫人からの今後についての指示を、ロザリーは謹んで聞き入れた。


「心得ております、お母様。わたくしも、そのように考えておりました」


 ロザリーの返事に満足げにほほ笑んだグレッタ夫人は、侯爵の方へと顔を戻した。


「この件はこれでよろしいですわね。本題を続けてください」


 やや毒気を抜かれたようすで、侯爵は軽く唸って頷いた。机の上で指を組み直してから、いくぶん言葉を選びつつ話を再開する。


「なぜ、殿下との結婚が嫌になったのだ。新春の宴までは、変わらず懇意にしていただろう」


 ロザリーは恥じらって見えるよう口元に手を添え、顎を引きながら声量を落として答えた。

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