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20:00 田浦、下山が1階食堂でチェスを始める

20:10 相川、包下、英が2階にある相川の居室でトランプを始める

20:50 雨沢が食堂に氷を取りに来る

21:00 包下が1階の浴場に向かう

21:00〜21:30 この間に雨沢殺害か

21:40 氷上が食堂に氷を取りに来る

21:45 千堂がペンション・イザクに来訪

21:50 英が1階にある雨沢の部屋で死体を発見する


「どうですか先生! 犯人はわかりましたか?」


 千堂さんがまっすぐに私を見つめる。

 あまりにも眩しい。私は思わず視線を下に逸らす。


「ああ! 氷上先生が頷かれた!」

「なんということだ!? もう犯人がわかったというのか!?」

「ダイイング・メッセージも、凶器も、誰も雨沢くんの部屋を出入りしてるところを見ていない謎も全部解いたというの!?」

「氷上先生! 雨沢くんを殺した犯人は誰ですか!?」


 強い視線が私の全身を次々と貫く。

 どうしてこうなっちゃったのだろう。

 頷いてもいないし、もちろん犯人が誰かなんてわかっていない。


「さあ先生! 犯人を指差してください!」


 涙が、目頭に溜まってきた。トリックも犯人も全然わからない。わからないものに答えなど出しようがない。

 私は硬直する。全員がまんじりともせずこちらを見ている。左手に持ったアイスペールの中で氷がからりと鳴る。このまま黙ってたら帰してはくれないだろうか……駄目そうだ。全員の目が血走っていた。

 もうどうにかなれ!

 私は目を瞑って適当な方角を指差した。

 視線が、一斉に私の指の先に誘導される。


「え? 私?」


 そこには、包下陽菜がいた。


「ちょっと待ってよ! なんで私なのよ! 大体警察でもなんでもない奴になんで犯罪者呼ばわりされなきゃいけないの!」


 包下は激昂した。当然だ。素人に犯罪者と決めつけられたら怒るに決まっている。謝らなきゃ。そう思ってはいるが、あまりの剣幕に後退りしてしまう。


 パキッ


 何かを踏む感触があった。

 足元を見る。そこにはポケットに隠していたはずの王冠があった……粉々になって。いつの間に落としていたのか。


「ああ!? それはアーサーにつけてた王冠!?」


 下山が顔面蒼白になっていた。心臓がきゅっとなる。そうか、あの人形はアーサーというのか。ごめんねアーサー。


「王冠……粉々……ああそういうことか!」


 相川が急に叫び出す。


「雨沢が死ぬ間際に残した『▲』は天気記号だったんだ!

 黒い三角は『雹』を表す天気記号。氷上先生の指摘の通り王冠を壊す。つまりを消すと残るのは……」


「『包』か!」


「そうだ田浦! このダイイングメッセージは『包下』のことを示していたんだ! そうですよね先生!」


 え、そうなの?

 なんかあんまりピンと来なかったけど、とりあえず意味ありげに頷いておこう。


「ふざっけんじゃないわよ!」


 金切り声が響く。包下が顔を真っ赤にしていた。尋常ではない激怒っぷりである。

 ……ひょ、ひょっとして犯人じゃないのでは?


「そんな曖昧なことで殺人犯にされたらたまったもんじゃないわよ! そんなに言うなら証拠を出しなさいよ!」


 物凄い勢いでこちらに向かってくる。右腕。私の肩に伸びてきた。


「ぎゃあああああ!」


 聞くに堪えない声が部屋に響く。


 やってしまった。


 私は咄嗟に包下の肩を外してしまっていた。身体が、勝手に動いていた。昔習わされていた古武術のせいだ。私は悪くない。強いて言えば私の身体が悪い。


「出た! 氷上先生の必殺奥義『無空波』です!」


「おお……あれが噂の……」


「数々の凶悪犯を血祭りにあげてきた……」


 千堂さんがよくわからない煽りを入れるから誤解が深まった気がする。ただの正当防衛なのに、また話に尾ひれはひれがくっつくのだろう。

 とりあえず包下の肩を入れる。あまり力を入れてないのにあっさり嵌った。やはり女性だから柔らかいのだろう。


「はぁ……はぁ……よくもやってくれたわねこの暴力女……」


 包下は息も絶え絶えに言う。いや先に暴力を振るってきたのはそちらですが……


「肩を外して入れる……そうか! 陽菜は肩を外して風呂の窓から出て、外から雨沢くんの部屋に行ったんだわ!」


 英がそう言うと、おおー、と歓声が上がった。包下は苦虫を潰すような顔をしている。


「おおーじゃないわよ! そこまで言うなら証拠はあるんでしょうね! もうアンタら全員訴えて路頭に迷わせてやる!」


 包下は肉食獣のような目をしていた。とりあえず距離を置くために一歩後ろに退く。そのとき、何かが足に当たって倒れた。アイスペールだ。咄嗟に下に置いていたのを忘れていた。氷が、床に散乱する。


「氷……なるほどね……全部お見通しってわけだ」


 包下は一転して微笑をこちらに向けた。何がお見通しなのだろうか。包下はベッドに腰掛ける。


「そう、私が凶器に使ったのは氷。風呂場の窓を肩の関節を外して外に出て、この部屋に入って、ビニール袋に氷を入れて雨沢の後頭部を殴ったの。一回殴ったあと例のダイイングメッセージを残してたから、次は何回も何回も殴ってトドメを刺してやったわ。殺したあとすぐに氷とビニール袋を処分しようと思ったんだけど、そのタイミングで探偵さんが降りてくる音が聞こえてきたから慌てて窓から放り投げたの。探偵さんの見立て通り、窓付近を調べたら私の指紋がついたビニール袋が出てくるはずよ。憎かったの、私の書いた小説を丸ごと盗作して賞まで掠め取った雨沢が……」


 え、なにこれ。結局この子が犯人で当たってたってことなの?


「さすが先生、まさか現場を見てすぐ全てを理解していたとは……」


 千堂さんが驚嘆の顔で言う。いやいや結局どういうことなのか。私が教えて欲しい。


 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。いや警察普通に来れるのかい。


「完璧な計画だと思ったんだけどな……さすが名探偵は1枚も2枚も上手だったってことね」


 包下陽菜はやけに清々しい顔をこちらに向けた。人を殺しておいて、しかも隠蔽に失敗して、なんでそんなに満足げなのだろうか。


 程なくして包下は警察に連れて行かれた。

 私は30分ほど事情聴取をされて解放された。

 時刻は12時を少し回っていた。そう言えばまだウイスキーを飲んでいないことを思い出したので、アイスペールを持って食堂に行こうとした。


 そこで、肩を掴まれた。あまりに大きな圧力が、全身にのしかかる。


「先生?」


 千堂さんが、背後に立っていた。


「インターネット環境が不具合を起こしてるって聞いたので直接原稿データを取りに来たんですよ。もう完成してますよね?」


 周りには誰もいなかった。千堂さんとふたりきりだ。それでも、声は出なかった。


「ひょっとして完成してないんですか?」


 かろうじて、首を縦に振った。

「締切が伸びたと思ってペンション生活をエンジョイしてました」とは言えなかった。


「まあ、良いです。そのための編集者です」


千堂さんはカバンから次々と物を取り出した。

エナジードリンク、ブラックガム、カフェインタブレット、激辛スナック……


「20000字。残りは9時間。数々の試練を乗り越えてきた氷上先生なら大丈夫です。私がサポートしますので!」


 そう言うと千堂さんは鉢巻をした。「必殺」と書いてある。いったい何を殺すのか。


「それでは行きましょう!」


 私は首根っこを掴まれて部屋まで連れて行かれる。


「ひいい、助けてぇ……」


 声は出た。しかし、誰も聞いてはいなかった。千堂さんでさえも。


 暴風雪はいまだにその威力を保っている。闇は一層深くなっていた。逃げ場は、何処にも無い。


 締切まで、9時間。原稿は真っ白。

 暗く、永い夜は始まったばかりだ。

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"静寂探偵"氷上海子の一言も発さないままに終わる事件簿〜ペンション・イザク殺人事件〜 北 流亡 @gauge71almi

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