小説家、碧木ロキの新世界

ロキ

第一章

1)占星術探偵「恋愛が終わった世界」

1-1)


 それは知らない間に流布していたイメージなのだけど、私は「恋愛が終わったあとの世界」を描く作家として知られている。

 自分で言うのは恥ずかしいし、そのイメージだけで括られるのは心外だ。

 「碧木ロキ」=「恋愛が終わったあとの世界を描く作家」というレッテルを貼られると、「私が描いたのはそれだけじゃないぞ」っていうアピールをしたくなるもの。実際、私の小説には、もっと様々な面があるはずである。


 でも、まあそれに関してはどうでもいい。それで評価されたのだから、そのレッテルを甘んじて受け入れるつもりである。

 恋愛が終わったあとの世界。

 すなわち、ニーチェが神は死んだと宣言して、神なき以後の世界をどうやって生きるかを思索した思想家として評価されているように、あるいはセックス・ピストルズがロックは死んだと宣言して、ロックが終わったあとにどのようなロックを奏でるか追及したのと同じように、私も恋愛が終わったあとの、恋愛なき世界を思索して、それを作品にして描いていると思われているわけである。


 恋愛は死んだ。所詮、それは近代の発明品だったんだから。

 もはや恋愛なんてものは時代遅れで、そんなものにこだわればこだわるほど、苦しむだけ。

 その迷妄から解放されなければいけない。さもなければ我々に本当の幸せはやってこない、私の小説にはこのようなメッセージが描かれていると理解されているのだ。


 もちろん愛は健在だ。それを否定するつもりはない。結婚という制度だって永続するのかもしれない。

 そして性欲。性欲が消えるわけがない。それは昼も夜も関係なく、挙動不審な横顔で激しく暴れ回り、多くの人間を愚かな行動に駆り立てている。

 その原初の欲望が終わるわけがない。

 でも恋愛は終わった。完全終了だ。

 ならば、我々はその恋愛が終わった世界をどのように生きるべきなのか? 

 その解決法がアナルオーガズム! というのが第一作目の「占星術探偵対アルファオーガズム教団」で描いた小説のテーマだったりするのだけど、しかし私はそれを本気で信じているわけでもない。それは恋愛が終わった世界の一つの戯画化。


 もちろん、自分の作品である。その戯画を本気で信じているわけではないにしても、まるで信じていないわけだってない。

 小説作品のメッセージ、テーマというのは、作者にとってそのようなものであろう。

 それを本気で信じているのならば、論文にして学会で発表するかする。小説はその主張を発しながらも、それを相対化する。

 小説家である私に、本気で信じているものなんて何一つないのだ。


 そのテーマを信じているわけではないが、ありがたいことにその小説は私にちょっとした成功と、本当にささやかな富をもたらしてくれた。現代小説の書き手の一人という評価を不動のものにしてくれたのである。

 それなりに新作が注目されたり、私自身に興味を持たれてインタビューが依頼されたりするのも、その小説に起因する。

 この作品のもたらした恩恵を、感謝しないわけにはいかないだろう。




1―2)


 私のその小説、占星術探偵シリーズの主人公は飴野林太郎。彼が例の「恋愛の終わった世界」を往く探偵。

 占星術探偵というくらいだから占い師でもある。手相占いではない。カードやタロット、水晶玉だって使わない。霊感占いなどもってのほかだ。

 彼の専門の占いは西洋占星術。

 それを駆使して犯人や失踪した行方不明人を探すという、ミステリーファンに失笑されそうな手法で事件の謎が明らかにされていくわけであるが、この小説はそもそもミステリーではないのだから、何の問題があるだろうか。

 ただその形式を借りているだけである。


 探偵が鋭敏な知性と不屈な行動力で、奇怪な謎を追いかけ、それを鮮やかに解決する姿、そのようなものを書きたくて、この作品を執筆しているわけではない。私が目指しているものは、少し別のところにあるはず。

 では、私がどのような小説像を目指しているのかというと、それは簡単に説明出来ることではないので触れないとして。


 いや、本当にそのような探偵小説が書きたくないのかと問われたら、そういうわけでもなく、探偵小説のあの雰囲気に対する強烈な憧れが私の中にもあることは確かだろう。

 探偵小説のあの雰囲気とは、我々が生きるそのままの日常でありながら、一点の謎の存在によって、まるで違う時空間と化す世界。

 そしてその世界を自由に闊歩する探偵、その存在。


 探偵に対する憧れ。というよりも私が抱いているのは探偵の生活に対する憧れだろうか。

 雑居ビルの一室にある探偵事務所に居を構えているのだ。コーヒーを片手にサンドイッチを頬張ったりしている。

 そして美しい女性依頼人と出会うだろう。場末の歓楽街で怪しげな情報提供者と接触して、地下鉄を乗り継ぐ容疑者を尾行して、雨の波止場で銃声が響く中、自らの破滅と引き換えに、世界の謎を明らかにしていく。

 上手く書けている探偵小説を賞賛しないわけにはいかない。物語の中心に謎を設定して、読者をそれに誘い込んで楽しませるのはかなりの高等テクニックだ。


 その形式を借りて書かれている現代小説は数多い。それどころかミステリー形式の現代文学など、もはや手垢がついているくらい有り触れている。

 私の作品だって、そのような現代文学が書かれたがゆえに存在しているのは間違いない。

 私の作品であるところの「占星術探偵シリーズ」が目指すべきところは、つまりそういう作品なわけである。

 ミステリー的でありながらも、生真面目にその形式を順守することはなく、しかしそれでいながらミステリーの面白さは必死に追及もしている、そのような現代文学。


 ところで何となく「現代文学」などという言葉を使ったり、それどころか自らを「現代文学」の作家などと自称したりしているが、果たして「現代文学」とは何なのであろうか? 

 現代に書かれている小説が現代文学ではないことは明らかである。

 現代文学たり得るにはそれなりの条件をクリアーしている必要があるはずだ。


 現代小説と対になる概念、それは近代小説だとすれば、近代小説はフローベールにより始まるらしい。

 フローベール、「ボヴァリー夫人」やらを書いた十九世紀のフランスの作家。重厚なリアリズムで人間と、人間の心理を描いた作家という紹介が可能だろうか。

 だとすると、現代小説はカフカがその始祖かもしれない。

 カフカ、代表作は「変身」やら「城」やら「審判」やら。二十世紀を生きたドイツの小説家。

 カフカの小説はフローベル的な近代小説のリアリズムとは一線を画している。人間を描くことや、人間心理を追求している気配は皆無だ。

 明らかにその作品の誕生で、新しい小説が登場したと言える。

 すなわち、現代文学というのはカフカの達成の果てにあるということ。彼の小説をやり過ごして、現代文学たり得ることは不可能だろう。私のこの作品もきっと、その系列に連なっているはず。


 しかしカフカから百年が経とうとしている。その百年の間、更に小説は革新を遂げているに違いない。

 ポスト現代文学と呼び得る時代で、我々はフローベールやカフカのような斬新な小説家と、それと知らずに出会っていたに違いない。

 いずれ、その作家が名指しされるはずであるが、いまだその革新者が誰なのか共通の見解は得られてはいない状況か。それとも私が無知なだけで、その固有名詞を知らないのか。

 どちらにせよ、この私もカフカ以降、次の革新がどんなものとなるのかを模索しながら同時代の作品に目を通し、そして執筆に勤しんでいるわけである。私の書く作品のそのジャンルは定かではないが、主人公は探偵だ。




1―3)


 太陽と月のオポジション、すなわち満月の日、ある依頼人が飴野の探偵事務所を訪れる。

 探偵小説の事務所の扉を叩く依頼人と言えば美しい女、探偵を破滅の瀬戸際にまで導く悪女であるのが定式である。いわゆるファムファタルという存在。

 今となれば美しい女という形容も、ファムファタルという言葉も時代錯誤な感は否めないが。

 我が小説、「占星術探偵対アルファオーガズム教団」の主人公、飴野の探偵事務所を訪れた依頼人もそのような女であった。


 上下ともに黒い色の服。グラマラスではないが、その洋服の下に肉感的な予感を漂わせている。長い艶やかな黒髪、黒縁眼鏡は地味な印象を与えるのではなくて、その女を魅力的に飾っていた。

 黒い髪、黒い眼鏡の縁、頬のホクロの黒、それが星座のように連結して、エロティックな気配を形成しているという印象。

 その女性は言う。婚約していた恋人が失踪したと。失踪人届を出したけど、警察は当てになりそうにない。あの人を探して下さい。彼女は飴野に仕事を依頼をするのである。


 その捜査が本格的に始まる前に、我が占星術探偵シリーズの主人公の探偵の紹介をしておこう。

 飴野林太郎という名前は紹介済みだ。年齢は三十代。

 性格から語るとすると、彼はどちらかと言えば神経質なタイプであろう。

 飴野の事務所は病院の待合室よりも清潔である。彼が毎朝サボることなく掃除に勤しんでいるのである。

 とはいえ、恋人の使った歯ブラシでも平気で使える男である。知らない人が口のつけたコップだって厭うことはないだろう。

 神経質であるが潔癖症とは程遠い。死体を見ても、その夜、うなさることはない。

 いつでも冷静で穏やかなように見えて、その実、ちょっとした癇癪持ちである。何の前触れもなく怒り出して周りを困惑させることもある。

 せっかちなタイプであろう。普通は一分間ほど費やすべき必要があるアクションを、何でも四十五秒以下でこなしたいのである。

 当然、信号などは見ない。歩くスピードも早い。行列に並ぶことは絶対にない。

 酒は飲まないわけではないが、それほど好きではない。探偵ではあるが煙草も吸わない。

 コーヒーとスマートフォンがあれば、退屈を持て余すことはない。至って現代的なタイプだ。


 痩せ型中背、髭は伸ばしていない、髪も短髪だ。容姿は端麗なほう。そこは女性読者にも配慮している。

 切れ長の瞳に、薄い唇。高い鼻が彼の狷介な性格を象徴している。とはいえ、浮世離れした特別な美貌の持ち主などでもない。

 黒いスーツに白いシャツ、無地のネクタイ。仕事のときはいつも同じスタイルであるが、充分に手入れはしてある。


 好きな食べ物はサンドウィッチ。得意料理でもある。自分でパンを買ってきて、バターを塗り、カツや卵やレタスを挟んでいる。

 その手つきは馴れたものであり、探偵助手や、この事務所を訪れる知人たちに、その手作りサンドウィッチを振舞ったりもしている。

 シンプルな板チョコも彼の好物だ。苦めのミルクコーヒーと共にそれを食べている姿を、作者である私は何度も描写したはず。

 読書も嫌いではないようだが、飴野はどちらかというと同じ作品ばかりを繰り返し読むタイプということにしておこう。


 彼の愛読書は何か、どのような作品を好んでいるという情報で、飴野という登場人物の性格を伝えることが出来るに違いない。

 裏を返せば、その設定はかなり重要なものということになる。


 まず、それはミステリーではないだろう。

 飴野自身は探偵小説マニアなどではないのである。

 マニアがそれを職業としているという、そのような格好悪さをむしろ嫌悪する側の人間だ。というわけで、そんなものは読まない。


 SFでもないだろう。

 飴野は占星術師でもあるわけであるから星とは親しんでいるが、占星術の扱う星は科学に根差しているというよりも、もっと別の何かであることは言うまでもない。

 確かにSFだって科学に根差しているわけではないだろうが、とにかく飴野は科学や近未来の世界に親しみを感じたりしない。


 そもそも人間ドラマにも興味はないようだ。彼はそんなものを学ぶために、フィクションを頼りにはしない。

 だから、いはゆる近代の純文学を愛読しないだろう。

 ましてやフィクションの構成や文体に凝ってる難解な現代文学の作品など、探偵を職業としている者がいったいどのようなモチベーションで読むというのか。ありえない。


 探偵なのだから社会派ジャーナリズム作品に親しんでいるべきかもしれない。何ならば世界中の新聞だけを購読していたりとか。

 しかし彼はそのようなタイプの探偵でもない。残念ながら社会やその仕組みにさして通じていない。何せ彼は占星術探偵であるから。


 ファンタジーはどうだろうか。具体的に言えば「指輪物語」など。

 まあ、それにしておこう。そのジャンルこそが占星術の近隣ジャンル。あまりにそのまま過ぎるとも言えるが、そこを捻る必要はないだろう。

 占星術の世界観は神話に基づいている。光と影が戦う世界。

 それはファンタジー小説の世界観とも近接している。飴野は少年時代からその種の作品を読んできた。そして、とりわけ愛しているのが「指輪物語」。

 とはいえ、私は別に「指輪物語」が絡むような挿話を作品の中に上手く織り込んだりしたことはないのだけど。

 そうではあったとしても、彼の本棚にはそのような本が並んでいる。




1―4)


 探偵飴野の紹介はそれくらいにして、満月のその日に戻ることにしよう。この作品の主人公の探偵は今、事務所を訪れた依頼人を前にしている。


 飴野はその仕事を受ける気でいた。

 とはいえ、そもそも彼は仕事を選り好みするタイプでもない。時間が許す限りどんな仕事でも引き受ける探偵だ。

 というよりも彼の事務所を訪れる依頼人が少ないというのが現実。彼がこの世界で唯一の占星術探偵であることを世間は知らない。

 彼もそんなことを宣伝してはいない。もちろん、その事実が知れ渡ったからといって、彼の事務所を訪れる依頼人の数が増えるわけもないだろうが。


 飴野は、事務所のソファに腰をかけている依頼人に、10インチのタブレットを手渡す。

 ここのフォームにあなたの電話番号、住所、生まれた場所、そして生年月日、生まれた時間も正確に記入して下さいと頼む。


 「生まれた時間ですか?」


 「ええ、それからあなたの御両親の誕生日と生まれた時間も。失踪した婚約者さんの生年月日、いずれは彼の両親や友人、思いつく限り全ての御知り合いの情報を頂きたい。しかしまずはあなたの情報を」


 依頼人の女性は首を傾げている。不安げな表情だ。困惑している。

 この探偵事務所を訪れるべきではなかったなどと思い始めているのかもしれない。

 契約を交わし、捜査を始めて、それなりに信頼関係を深めてから、生年月日などの特別な個人情報が欲しいことを申し出るべきかもしれない、飴野だってそう考えないわけでもない。


 いや、占星術探偵飴野も、あらゆる依頼人から生年月日を尋ねたりしない。その捜査が長引き、手こずるのではないかという直感を感じたときだけである。

 占星術の助けを借りなければ、捜査が上手く運びはしないという予感に打たれたときのみ、そのときにだけ、彼は占星術を駆使することを決意するのだ。まあ、その勘は決して的中してばかりではないのであるが。


 飴野がのっけから生年月日を教えてくれと言ったせいで、帰ってしまった依頼人は数多い。

 しかしそれなのに過去の失敗を教訓として戒めるわけでなく、彼は愚直にそのスタイルを貫き通している。

 それもこれも結局のところ、飴野がとても面倒臭がり屋な性格で、依頼人に対して微妙な駆け引きをして、無駄に神経を費やすのを厭うからだ、という言い訳を作中で書いてはいるが、実際のところそんなものは後付けの説明であろう。

 ただ単にそれは物語のインパクトを狙っての演出だ。

 彼がここで依頼人の生年月日を聞き出そうとしたのは、飴野が占星術を使って捜査する不思議な探偵であることを、最初のシーンで印象づけるため。


 正確な生年月日はいつかという質問を前にして、依頼人の女性が困惑しているというのは先程も言及した。

 しかし物語の重力は二人を引き寄せるだろう。その女性は探偵飴野に仕事を依頼する。

 だいたいのところ最初のシーンで意味ありげに出会った男女が、その後すぐに別れる小説など存在するだろうか。

 いや、いくつか存在することは事実のようだ。例えば夏目漱石の「三四郎」とか。

 主人公の三四郎は汽車の中で女性と出会い、同じ宿に泊まりもするが、その女性はそれ以降出現することはない。

 しかしあの小説のシーンが様々な人々にしきりに言及されるのは、それが滅多に起きない特別なことだからであり、やはり最初に出会った男女は物語の中心に存在し続けるはず。




1―5)


 依頼人、彼女の名前は佐倉彩というらしい。佐倉は酷く困惑しながらも、飴野から手渡されたタブレットに自分の生年月日を書き込んでゆく。

 そこに書き込まれた情報は、すぐに彼のPCのディスプレイにも映し出されていく。


 佐倉は飴野にこの仕事を依頼することを決意したようである。

 このような怪しげな探偵に、なぜ彼女は仕事を依頼することにしたのか疑問だ。

 しかし、そのもっともらしい理由を、いくらでも列挙出来るのが小説というものであろう。

 佐倉は既にいくつかの探偵事務所を回り、何度か断れた末、最後の最後にこの事務所に辿り着いたのかもしれない。

 あるいは婚約者の失踪というショッキングな事実を前にして、佐倉は精神的に疲れ果て、消耗し、もう他の選択肢を試すだけの気力がなかったという説明も説得力はあろう。

 それとも佐倉は第一印象で、飴野の佇まいに何か感じるところがあったのかもしれない。

 その出会いに運命を見出したというのは大仰であるが、それに似た現象が心の中で起きていた。


 いや、佐倉は自分の生年月日をそのタブレットに記入し始めたが、まだこの時点においては迷いの中にいることは事実だった。

 こんな探偵を信頼していいのかと不安を感じている。


 「すいません、このような情報はいったい、どのように使われるのでしょうか?」


 佐倉は自分の誕生日と、失踪した婚約者の誕生日を記入したあと、手を止めて、探偵にその疑問をぶつけた。


 飴野が佐倉に書くように求めたのは、彼女の生年月日だけではない。彼女の両親の誕生日と生まれた時間、失踪した婚約者の生年月日と生まれた時間。

 その他、彼の両親と友人の生まれた日と時間、思いつく限り全ての友人の情報も欲しいと言い渡していた。

 個人的な情報は出来るだけ秘密にするのが現代の常識だろう。たとえ、その個人的情報などに大した価値がなくても。彼女が躊躇するのも当たり前のことである。


 飴野はデスクの上のディスプレイを見ながらも、自分のことを正直に打ち合けた。そこには彼女のホロスコープが映っている。


 「僕は占い師でもあるんです。捜査の途中、占いを活用することもあるのですよ。もちろん、基本的な捜査手法は普通の探偵と同じです。占いだけで何かの判断を下すわけではありません。それは心配のないように」


 彼女を安心させるため、飴野は出来得る限りの誠実な笑みも浮かべる。


 「ベテランの探偵や警官がときに第六感に頼るように、あるいは過去の経験を参考にするのと同じように、僕は占いに頼り、参考にする。ただそれだけです」


 佐倉が困惑しているのが、飴野には手に取るようにわかる。

 むしろ、このような話しを受けて困惑しない依頼人を信用することは出来ないだろう。佐倉の反応こそ真っ当で飴野は安心した。


 「では佐倉さん、試しにあなたのホロスコープを読み解いてみましょうか。それが的外れだったならば、あなたは他の探偵を探せばいい。その読みがもし、あなたの胸をドキリとさせたのならば、僕を信用して下さい」


 「私のことを占うということですか?」


 「はい、そういうことです」


 この小説の主人公は占星術師でもある。彼はその占いの知識を駆使して、難事件を解決に導いていくわけだ。

 しかしこの小説の作者である私が、占星術の信奉者であるかと尋ねられれば、それは違うとしか答えられない。

 確かに好きではある。興味もあるだろう。占星術師たちが長年に渡って構築してきた知をリスペクトはしている。

 しかし惑星の配列と角度が、人間の世界、人生に何かの影響を及ぼしていて、それが未来を正しく予言したり、一人一人の人間の性格を言い当てたりすることが出来るなんて信じてはいない。

 少なくとも、信じていると公然と宣言するつもりはない。


 当然のこと、私自身は占星術師でもなんでもない。ただこの作品のためにそれを勉強しただけ。生半可な知識しか持たない。

 しかし占星術という知の体系を都合良く抜き出したり、自分勝手な解釈をしたりはしていないはずだ。

 出来るだけその教則本に忠実であろうと努力はしているつもりである。それに反しているものがあるとすれば、ただ単に私の誤解か残念な間違いというだけで。




1―6)


 飴野はマウスのカーソルを動かしながら、佐倉彩のホロスコープに形成されるアスペクトや、惑星がどの星座に入っているのか、それらを子細に読んでゆく。


 「あなたのホロスコープの特徴は蟹座の金星、蠍座の海王星、魚座の月が織りなすグランドトラインですね。オーブは少し緩くもありますが、この特別な星の並びが様々なものをもたらしているに違いない。つまり、あなたの魅力の全ての源がこの星の並びから発している。しかし水星や土星が弱くて、何かを結果や形として現わすことは不得手かもしれない。あなたの近くにいる人は皆、あなたの魅力に引き寄せられる。しかしそれは遠くにまで伝播していくものではなく、例えばあなたに莫大な富をもたらしたりもしない」


 飴野は更に続ける。彼女の性格の特徴、学校の成績、好きな音楽の種類、初恋の時期、両親との関係などなど、ホロスコープから読み取れたいくつかの情報を。

 しかし、彼の占いによる性格分析を聞いても、彼女の表情は晴れるどころか、さらに曇り始めた。


 「確かに当たっているかもしれません。だけどそれって占い師のテクニックなんでしょ? どっちつかずのことを話しながら、上手く回答を引き出して、あたかも当たっているかのように見せかけるって」


 佐倉は度なしの眼鏡の角度を変えながら言った。


 「違いますよ。確かに多少は喋りが上手くないと、相手を納得させることは出来ませんが。しかし僕は別に相手の顔色を伺いながら話してはいない。本を朗読するように、星から読み取ったことをただ話しているだけです」


 飴野は丁寧に言い返した。


 「占星術は完全なる統計学なんですよ。コンピューターが進歩したので、占星術も進化したのです。これもいわば科学の一種。あと十数年も経てば、占星術は天気予報よりも信頼出来る未来を予測出来るはずで」


 「天気予報より?」

 

 「いえ、それは言い過ぎかもしれませんが」


 この小説はミステリーにしてハードボイルド探偵小説にして、そしてSF小説の一種でもある、というわけではないが、それらのジャンルから多くを借りて出来上がっている。

 SF小説というのは、物語の中で起きた何らかの障壁や問題を、小説内に設定された厳格なルールの範囲内の中で、乗り越えたり解決したりする小説であると定義出来るとすれば、これもれっきとしたSFのはずだ。

 その厳格なルールというのは、普通のSF小説の場合、科学的な知識に基づいていることが多いわけであるが、中には似非科学、非科学的な設定を基に描かれたSF小説の傑作だって無数にある。

 だとすれば、占星術のルールをバックボーンにして書かれたこの小説だって、SFのカテゴリーに分類しても許されるはずである。とはいえ、それを別に望みはしないが。


 「わかりました。その占いの力で彼の行方を捜して下さるのならば、信用したいと思います。あなたにこの捜索を依頼します」


 特に彼の占いに感心した様子を示すことはなかったが、佐倉彩は飴野を雇うことを決意する。

 やはり彼女はもう他の探偵事務所を訪ね歩くことに疲れているのだろう。


 「全力で捜査に尽力しましょう。しかし先程も言いましたが、まず出来るだけ多くの方々の生年月日が必要です。まるでこの事件と関係のない御友人であっても、遠い親戚であっても」


 「それも提供いたします。捜査に役立つということですね?」


 「はい、いずれどこかで必ず」


 細かい報酬などの取り決めにも同意を取り付け、探偵は依頼者と契約を結んだ。

 これまでまるで無関係だった二人の間に、ある関係性が産まれたわけである。


 「それともう一つ、その失踪者さんの部屋を調査したいのですが。明日にでも入ることは?」


 「かまいません」


 「では明日のお昼過ぎに伺います」


 飴野は佐倉が事務所から出ていく後ろ姿を見送る。飴野が初めて彼女の後ろ姿を見た瞬間だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小説家、碧木ロキの新世界 ロキ @lokig2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ