アキルド系A星第4惑星


「ちょうどよかった。ザーラから回答があったよ」

 貯水池で発見された身元不明の男性を診察してから三日後。管理棟で出会った駐在がそう告げた。

「良かったですね」

 他に答えも思い浮かばず、適当に言ってみた。


「主に私と、たぶん当人にとってね。回答は『該当者なし』の一言。所長と相談して、今日の列車で扶桑市まで送って本部……失礼、警察本部で対応してもらうことにした。本人にも通告済みだ」

「……何かわかりましたか」

 面倒がありそうな予感がしたが、逃れる方法を思いつかない。私も今日の列車で帰るのだ。


「自分の名前も出身地も覚えていないようだ」

 基本的な知識の欠落があるとは聞いていたが、やはりケガ人だったのか。

「ここがアキルドA/4だと教えた途端に目を回したと言うことですが、そのせいでしょうか?」

 駐在は手を振って答えた。


「そんな医学上の判断を求められても、田舎駐在には答えようがない。それはさておき、駐在所の若いのを付けますが扶桑市までご迷惑をかけます。誰であれケガ人を一人きりで長旅させるわけには行かない。道中の話し相手があれば記憶が回復しやすいかもしれない」

「余計な知恵がついて尋問……失礼、聞き取り調査が面倒になるかもしれませんよ?」

「事件性があるとは思えないな。本部も同意見だ」


 自室に戻り、管理棟で貰ってきた座席表を確認してみる。同室ではないが、身元不明者と同車両ということになっていた。

 同室の機械技師も英会話が出来るはず。


 五ヶ月の出張を終えて扶桑市に帰るわけだが、いつもどおり手荷物をまとめると部屋の掃除だけして、駅に向かった。

 そのうち、半期休暇を利用して扶桑市に帰るのではなく、扶桑市に遊びに行くと考えるようになるのだろうか。

 認識が変わる頃にはこの乾いた拠点に雨が降るようになっているだろう。その頃には、駅にも待合室その他いろんな設備が出来て立派になっているのだろうか?

 そんなことを考えながら温室群の間を通り過ぎ、駅に着いた。列車も着いたばかりのようで早すぎたかと思ったが、吹きさらしで長く待たされることは免れた。

 最後尾の客車に乗り込んでからしばらくして、同行者が揃った。

 身元不明者は列車を見て驚いた様子で、あちこちを指差して同行する若い巡査に質問している。


 巡査の様子を見るに、居住棟からここまでの短い道のりの間にも質問と回答を繰り返してきたのだろう。

 まるで知識だけが子供のような、そんな状態にあるらしい。

 巡査は彼らしく順序を追って説明している。

 二本のレール上を車輪で走行することにより、小さなエネルギーで大量の荷物を運べる装置である。列の一番北に停車している車両がエネルギーを供給する装置であり、一般に機関車と呼ばれる。

 その後ろに並んでいる車両は荷物運搬用であり、ただし最後尾の車両は仕様が異なり我々人間を運搬する。


 説明を聞いて身元不明者が次の質問を発し、私と同室の生物学者が嬉しそうな表情を浮かべた。

 危惧を感じて咳払いし、延々と続くはずだった「列車の説明」を打ち切らせたのは私だけではなかった。


 3000キロメートル弱の距離をこれから越える。夜は停車するから、扶桑市に着くまで3日掛かる。

 列車が走り出してからしばらくして、談話室に腰を落ち着けた生物学者がそう説明した。


 身元不明者は続けざまに質問を発した。

 その間に居住区はあるのか。


 それほどの距離を、船を使わずにガイドレール上の車両で移動する理由は何か。

 この自走車両列を引く機関車と言う車両は、それほどの距離を走るエネルギーをどこにどうやって持っているのか。

 移動中に天気が崩れたらどうするのか。


 ひょっとしたら、本当に記憶が無いのだろうか。

 私も疑うのは止めようと思った。単なるケガ人なのだろう。

 同行者たちは疑問さえ持たなかったようで、機械技師が同情の眼差しでひとつひとつ答えてゆく。

 いくつかの質問はひとつの答えで済むものだったが、機械技師は省略せずにひとつずつ答える。


 扶桑市まで人が定住している場所は無いが、夜間に列車を止めて宿泊できる場所はある。


 道中、ずっと陸地なので船は使えない。


 レール上を鋼の車輪で走る鉄道と言うシステムは非常に効率が良く、あの機関車に充填された核融合燃料だけでエネルギー量は十分である。


 この惑星ではあまり大きな気象現象は起きない。赤道の南北地帯は砂漠で、何十億年も雨が降っていない。


 私も機械技師も、生物学者も、そして巡査も。


 その時談話室に居た誰一人として、新たな問いを一度では聞き取れなかった。

 海は遠いのか。

 何回か聞きなおして、そう聞かれていることが判った。

 雨が降らない理由、船を使わない理由として身元不明者はそれを思いついたらしい。


 大洋、海。ocean、sea。


 英会話の授業の例文以外で聞いたのは初めてのことだ。

 アキルドA/4には海は無い。赤道砂漠地帯と極冠に挟まれた地域には塩水の湖が点在しているが、誰もそれらを海とは呼ばない。


 では彼は、本当に海のある惑星の出身者なのか。

 では彼は単一の太陽を持つ星系の出身者で、英語圏の出身なのか?

 どちらもあり得ない。

 アキルドのような田舎であっても恒星間通信設備はあって、ソル系との情報交換は行っている。

 ソル系から来る情報の方が遥かに多いが、それでも一九.四光年を隔ててNHKその他、一九年遅れのあらゆる放送を受信できる。

 人類が住んでいる海洋惑星は地球とターンブル(カーラ/4)、そして火星の三つだけだと言うことは田舎者の私でも知っている。

 けれど、ソル系からアキルドへ船が来たのは2年前の「ヒュベルボレイオス」が最後だ。


 最初に訪れたのは探査船「ファン・セバスティアン・エルカーノ」。

今から80年も前のことで、一年間の滞在と探査の後に全員がこの星系を離れた。

 その報告を読んだ日本政府が送り出した船が「ひよう」で、私達の祖父母が乗ってきた船だ。今でも軌道上にその威容を誇っている。

 そしてこの星系を訪れた三隻目の船、星間船「タイガー・ストライプス」が運んできたイタリア人が南半球に入植してからは三五年が過ぎている。

 どれも私が生まれるより前のことだ。

 2年前の「ヒュベルボレイオス」は主に貨物を運んできた。


 そしてターンブルから船が来たことは一度も無い。どれも小学校の社会科で習うことだ。

 だから、白色系の若者に見える身元不明者が海洋惑星の出身者だと言うことはありえない。しかし一方で、英語を母語とする入植者はこれまで一人も居ないはず。

 ザーラ出身者が心と記憶にケガをしたものとして、英語を話すようになるものだろうか?

 では、身元不明者がなんらかの理由で演技をしているのだと考えてみる。そんなことをする意味が思いつかない。

 個人ではなくザーラの意図に沿っての行動だと仮定してみると、さらに意味不明だ。

 我に帰ると、生物学者がアキルドの歴史を語り始めるところだった。ごく基本的なことから説明する必要を感じたらしい。


                   *


 私は惑星天文学の専門家では無いことをお断りしておく。

 さて、ずっと昔。

 たぶん数十億年の昔、ソル系や他の星系と同じようにアキルドAとBはガス雲から生まれた。

 二つの恒星が形成された後にもそれぞれを取り巻くガスの円盤が残っていた。直径が何十天文単位もある、たっぷりと塵を含んだ不透明なガスの円盤だ。


 円盤状のガス雲が回転するうちに塵が互いの重力で引き付けあって塊になった。

 そうしてアキルドAの周りには一二個の惑星と無数の小天体が出来た。

 アキルドBの周りにも惑星は形成されたが、住めるような惑星はない。


 とりあえずアキルドAに絞った話をしよう。

 おおかたの星系と同じように陽当りの良い軌道には小さな岩石惑星が形成され、より遠い寒い軌道に形成された惑星は周囲のガスを吸い寄せてガス惑星になった。


 それぞれの惑星のサイズと配置もごく平凡で、岩石惑星のうち二つは大気を纏うことが出来た。


 ハビタブルゾーン、あるいはグリーンベルトと言う言葉は判るかね?

 その範囲内に惑星があった場合に、表面に液状の水が存在できるエリアをハビタブルゾーン、またはグリーンベルトと呼ぶ。当然恒星の光の強さによって範囲は変わる。

 ここアキルドA系ではグリーンベルトの幅は六千万キロメートルくらいあって、今我々がいる第四惑星はその外縁に近い軌道を巡っている。

 しかしグリーンベルトのごく一部、ごく細い幅のいわゆるブルーベルト。そこに惑星があれば広大な海を保持できるエリアよりは外に外れている。


 たとえば地球--いわゆるソル/3だ--はソル系のブルーベルトを巡っていて、その軌道はまさにブルーベルトと言う細い帯を二等分する絶妙の位置にある。


 が、このアキルドA/4はブルーベルトのずっと外だ。だから、海は無いわけだ。もし海があったら氷原になってしまう。

 思い出してきたかね?


 身元不明者は何度か頷いただけで無言で聞いている。その様子を観察している巡査の表情は動かない。


 今の説明は、移民を志願した時点で知っていて当然のことだ。



 君も経験したとおりこの惑星は太陽から遠く、その分だけ寒い。

 赤道直下の砂漠に降り注ぐ陽光の強さは地球で言えば緯度三五度あたり、東京やアデレードで受ける陽の光と同じくらいだ。

 もし、この惑星と同じ軌道に地球を配置したら南北の極冠が見る見る拡大するだろう。

 そして氷は太陽の光を反射する。もちろん、赤外線も。

 つまり気温が下がって氷が拡大し、拡大した氷はさらなる気温低下を招き氷の拡大を加速する。

 この軌道に置かれた地球は、ほんの数万年で赤道地帯まで氷に閉ざされることになるだろう。

 このアキルドA/4はそうではなかった。

 赤道直下の湖が乾ききり、南北の極冠へと降り注ぎ終わった時点で何もかもが終わった。

 軌道上から見れば南北の氷冠、南北の中緯度湖沼地帯、そして赤道砂漠地帯と言う五つの帯状の地域に塗り分けられて安定した。

 まぁ湖沼地帯の縁近くは季節と共に白くなったり乾いたりするがね。


 同じように水が少なかったおかげで永遠の冬を免れた惑星は他にもあるが、入植地になっているのはここアキルドA/4くらいだ。


 貯水池で泳ぐことが罪に当たる理由が理解できたかな?

 この惑星とは逆に水が少なかったおかげで金星化を免れた惑星もあって、やはりいくつかには人類が入植している。

 今のところ、ここアキルドA/4みたいに乾いた寒い惑星か、逆に乾いた暑い惑星が多数派で、君が生まれたと言う海洋惑星は少数派だ。

 10パーセク圏には四つ、火星を数に入れても五つしかないし、そのうち二つは陸地が無く居住に適さない。

 さて。塗り分けが終わってからは生物の誕生と光合成の開始、数億年に一度の噴火活動以外に何のイベントも無く数十億年が過ぎた。

 そう、何もなしだ。

 多細胞生物はもちろん、真核生物や古細菌の誕生には至らなかった。地球の真正細菌に良く似た単細胞生物だけが住んでいた。

 地球で言うところの先カンブリア時代の、始生代がずっと続いていたわけだな。

 まぁこれは珍しいことでは無い。

 地球に多細胞生物が現れたのは単細胞生物しか住んでいない時代が四十億年ほど続いてからのこと、ここ四億年ほどのことでしか無い。

 地球とそっくり同じで年齢の違う惑星があったとしても、多細胞生物が見つかる確率は十パーセントを切る可能性が高いわけだね。

 このアキルドA/4に限らず、今のところ人類が探査した惑星で真正細菌よりも複雑な生物が発見された例は無い。ターンブルで真核生物が発見されたと言う報があったが、どうやら誤認だったらしいな。

 いずれはどこかの星系で原生代相当の状況にある惑星や、さらに古生代以降の段階に進んだ惑星が見つかるだろうと思う。また脱線してしまったな。

 ともあれ、真正細菌相当の生物の中からやがてシアノバクテリア相当の生物が現れて光合成が始まった。

 今我々が呼吸している酸素のほとんどは彼らが作ったものだ。



 そのまま話を引き取って続けようかと思ったが、身元不明者が呆然としていることと、日が傾いていることに気づいた。

 停車までさほど時間は無いだろうから、続きは明日にしようと提案してみると全員が賛同してくれた。


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恒星船乗りたちの話 @TFR_BIGMOSA

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