エピローグ

 見慣れているはずなのに懐かしい。

 目を覚ました灯里ともりが最初にみたのは、そんな天井だった。枕元に置かれた時計を見れば、時刻は朝の6時30分。日付は彼にとっての三年前、つまりは夢の中であの痴女に出会った、あの日の翌日だった。


「……そうか。俺、帰ってきたのか……」


 身体を起こし、三年前とまるで変わらない自室の姿に安心する灯里ともり。姿は三年前と何も変わっておらず、当然ながら髪も伸びてはいない。しかし不思議と、胸の奥にぽっかりと穴が空いたかのような、そんな感覚があった。なんとなく顔に手を当てれば、瞳からは知らずの内に涙が溢れていた。どうやら思っていた以上に、灯里ともりはあちらの世界を気に入っていたらしい。


 夢だったのか、それとも夢ではなかったのか。

 灯里ともりにはどちらとも判断が出来なかった。ひとつ確かな事は、酷くリアルで長い三年間だったこと。彼ら、彼女らとのやりとりが、灯里ともりにとっては紛れもない現実であったこと。そして───


「……いい経験になったな」


 寂しいという気持ちは勿論あったが、それでも残ったものがあった。母の用意してくれていた朝食を摂り、バスと電車を乗り継いで学校へ向かう。いつもの時間、いつもの通学路。しかし灯里ともりにとって、それらはまるで見たことのない、新しい景色のように映っていた。


 教室に入ってからも、それは続いた。

 いつもと何も変わらぬ日常であるはずなのに、見るもの全てが輝いてみえる。以前は全てが色褪せ、下らないもののように見えていたのに。灯里ともりの顔を不思議そうに覗き込んでいる、普段は馬鹿なことばかりしている悪友達。頬をつついたり、灯里ともりの頭を叩いたりと好き放題だ。しかしそれが、本当は得難く大切なものであると気づく。


 あちらの世界での経験は、彼の世界を色鮮やかに変えていた。当初は恨みもしたものだが、成程、例の痴女には礼の一つも言わなければならないかもしれない。夢が見つかったかどうかといえば、そういうわけではないけれど。それでも、これから先の人生ではもっと色々な視点で夢を探せそうだと、そう思えたから。


 ともあれ、まずは今日から始まる試験を乗り越えなければならない。物の見方が変わったからといって、試験がなくなるわけではないのだから。


「……?」


 ふと、灯里ともりは何か違和感を感じた。

 試験に対する準備も万全だった筈だし、違和感の正体はまるで理解らない。なにかあちらの世界でやりのこしたことがあり、それが心のどこかで引っかかっているのだろうか?しかしそうはいっても、思い当たることなど何一つなかった。

 暫く頭を悩ませたところで、彼は考えたところで理解らない疑問に蓋をした。いつも通りにこなせば何も問題はないだろう。灯里ともりはそう考え、いつもの日常へと戻っていったのだった。


 そうして灯里ともりがこの世界に戻り、一週間が過ぎた。


 そうして返却されてきた試験の答案用紙を見つめ、灯里ともりは愕然とすることになる。それもその筈、普段であれば全教科で90点以上を取る灯里ともりであったが、そこには赤点どころか一桁の数字が乱舞していたのだから。

 答案用紙を握りしめ、逃げるように校舎の裏へと向かう灯里ともり。そしてそこで、空へ向かって大声を張り上げた。感謝しなければなどと、一瞬でも思ってしまった自分を殴りたかった。


「……俺の知能下がったままじゃねーかよ!!」


 結局あの痴女は、一体何がしたかったのだろうか。

 いくら考えても、答えは出なかった。

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MPの代わりにIQを消費する世界で しけもく @shikeshike

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