後編

 初めての魔族との戦い、その惨敗の日から三年の月日が経っていた。


 灯里ともりは戦い続けた。

 普段は利発で頼りになるが、しかし魔法を使えば突如として馬鹿に変貌する、そんな魔法使い達を引き連れて。ならば魔法を使わなければいいと考えるのが自然なのかもしれないが、そういうわけにはいかなかった。

 人間の数に対して、魔族や魔物達のほうが圧倒的に数が多いのだ。

 広範囲の敵に対してダメージを与えられる魔法使い達は、阿呆になるリスクを飲み込んででも活用しなければならなかった。そうでなければ、ただ物量差で押しつぶされるだけだったから。


 この三年間で、灯里ともりはすっかりと成長していた。

 阿呆共のトップとして君臨し、ただひたすらに敵と戦った。素人ながらに必死に考え、捻り出し、説明してもどうせ忘れられる作戦を駆使して。その過程で、騎士や傭兵といった近接戦闘部隊の運用方法は大きく変化した。

 それまでは前線を張り、敵の進行を抑えるのが主な役目であった彼らは、今では専ら運搬係となっていた。戦闘が始まれば敵に突撃し、前線を支え、魔法使いが魔法を放った後はすぐさま反転。雄叫びを上げながら勇ましく突撃を始めるモヤシ共を、必死に抱えて撤退する。彼らは仕事量で言えば戦場でもダントツの、酷く過酷なポジションとなったのだ。


 当然ながら前衛職への給金は跳ね上がったが、彼らの働きが軍の生存率に直結するのだから、金がどうだのと言っている場合ではなかった。それが原因で、予想外にも人気のポジションとなったのは嬉しい誤算である。


 モヤシ運搬用の道具も多数考案された。

 現代のうっすらとしたイメージを灯里ともりが伝え、それをもとに職人たちが作り上げる。細かな仕様やギミックなど、重要な部分がまるっと抜けたイメージだけを元に開発するのだ。職人たちの苦労は相当なものだっただろう。


 戦略もそうだ。

 当初は落とし穴を掘る程度のことしか出来なかった灯里ともりだが、今では勝手に突撃を始めた魔法使い達を、本攻撃の揺動に使う程度の戦略は扱えるようになっていた。魔法を打った後の彼らは無駄に勇ましいため、揺動には丁度良かったのだ。また、ごく単純な突撃しか行わないその様子は、RTSのユニットと良く似ていた。それが灯里ともりにとってはとても扱いやすい状態であると、しばらくしてから気づくことが出来たのだ。これは大きかった。

 再配置や回収に手間がかかるが、それを除けばゲーム内のユニットと然程変わらない。遠距離からの範囲攻撃を一度行い、その後は突撃を行う。謂わば弓兵と騎馬兵のちょうど間のような存在といえるだろうか。強いていえば、そのまま突撃させると確実に敗北するところだけが難点だったが。


 ともあれ、そうして灯里ともりは戦い続けたのだ。様々なトラブルや苦境や勿論のこと、想定外の待ち伏せや、逆に何故か圧勝することもあった。

 そんな様々な経験は彼を変えた。枯れ気味で、何に対しても穿ったような見方しか出来なかった灯里ともりだが、今ではすっかり現実と向き合えている。兵士や魔法使い達にも知り合いが出来たし、仲良く遊びに出かけたことだって何度もある。痴女に言われた様な、夢を見つけることが出来たかどうかは彼自信でも理解らないが、それでも───


 今この世界を救うために全力を尽くしたいと、そう思える程度には成長した。


 そして今、灯里ともり達はついに魔王との戦いに臨んでいた。

 戦闘が始まってから既に数時間経っており、旗色は若干悪い。魔族達も魔力を使った後は間抜けになるのだが、奴らは身体能力が恐ろしく高い。故に、阿呆同士の殴り合いでは確実に負けてしまうのだ。


「くそっ……これはマズい……か?オイそこ!!タイヤに乗って遊ぶな!!聞いてんのか!?やめろ!俺の頬を突つくな!!」


「うぇーい!!」


「ちょ、この人めっちゃ怒ってるんですけど!!こえー!」


 前線から回収されてきた、元気の有り余った魔法使い達を諫める。

 旗色が悪いとはいえ、兵士たちは善戦していた。理性を保っている魔法使いもまだ残っているし、秘密兵器である王女も残してある。ちなみにこの王女が魔法を使ったあとは、非常にガラが悪くなる。上品な所作はナリを顰め、まるで粗野な山賊かチンピラのように服を脱ぎ捨て、鎖を振り回しながら野太い声で周囲を威嚇し、そこらに唾を吐き始めるのだ。そんな姿を見るのは忍びなく、出来れば使いたくない秘密兵器であった。


 このままでも、ある程度のところまではやれないこともない。

 だが、今の状況を続ければそう遠くない内に瓦解するだろう。前線からも脱落者は絶えず報告されているし、魔法使い達も徐々に阿呆になっている。


 余力のある内に勝負に出る必要があると、灯里ともりは瞬時に判断した。乱戦となっている今ならば、少人数で戦場の脇を抜け魔王城へと乗り込むことも可能であろう。


「メリア様!!俺はこれから精鋭を連れて魔王城に乗り込み、魔王を討ちます!!後を頼めますか!?」


「っ……!灯里ともり様……私もッ!!」


「いけません!!指揮を取る者が必要です!」


「っ……わかり……ました……っ!」


 ぎゅっと拳を握りしめ、悔しそうに俯く王女。

 そんな彼女を護るためにも、灯里ともりは行かなければならない。とはいえ彼は戦闘に関してズブの素人である。そこで灯里ともりは前線からとある一団を呼び戻した。『勇者』と呼ばれる男と、その仲間達である。ちなみに魔法使いは在籍しておらず、女性メンバーすらいない。全員残らずガチムチの、近接戦闘男性で構成されていた。むさ苦しいパーティである。


 そんな彼らに導かれ、魔王城への道を馬に乗ってひた走る。遭遇した敵の斥候を勇者が切り捨て、城の警戒に当たっていた魔族の部隊を仲間たちが蹴散らしてゆく。

 場内に入ってからも、戦いは激しかった。多数の罠も仕掛けられており、一人、また一人とメンバーが脱落してゆく。彼らとも何度か遊びに出かけたことがあり、それなりに親しい間柄だ。何も出来ずに、ただ後方から見守ることしか出来ない灯里ともりは、ひどく胸が締め付けられる思いだった。その度に灯里ともりは強く思った。自分を導いてくれた彼らのためにも、必ず魔王を倒さねばならないと。


 そうしていよいよ魔王城の最奥、謁見の間へと足を踏み入れる。そのころには既に、灯里ともりは一人だけとなっていた。


 偉そうに玉座でふんぞり返る魔王は、思っていたよりもずっと線が細い男だった。魔王と言うからには、禍々しく邪悪で、筋骨隆々の大男だと思っていたのだ。そんな、いっそ知的にさえ見える魔王の表情が、灯里ともりを見るなり歪められた。まるで小馬鹿にするかのような、酷く癪に障る態度であった。何かを喋ってはいるものの、灯里ともりには魔族の言葉が理解らない。それでも、舐められていることだけはしっかりと伝わっていた。


 当然といえば当然なのかもしれない。

 自分のような学生など、魔王からすれば取るに足りない存在でしかないだろう。武器も持たず、仲間を犠牲にしながら這々の体でここへやって来た、一発逆転狙いの鉄砲玉。そんな風にしか見えないだろう。


 しかし灯里ともりには奥の手がある。魔王は知る由もない奥の手が。

 それはこの世界に来て以降、ただの一度も使用したことのない特別な力だ。いざという時に魔力不足で使えない、或いは、威力が足りなくなるなどということのないように、使わなかったとっておきの魔法。無論、全裸でそこらを駆け回るような、そんな無様な姿を晒したくないという思いも持っていたが。


 しかしそれでも、灯里ともりに不安はなかった。仮にも神から貰った力だ。まさか効果がないなどということはないだろう。その力は、この世界を救うために与えられた力だ。自分が阿呆になるのを嫌がってなどいられない。魔力は眠れば徐々に回復するし、そもそもの話、魔王を倒せばあちらの世界に戻る事が出来るのだから。事ここに至り、灯里ともりは自らの全てを賭すことに、僅かな躊躇いすらもなかった。


 面倒そうに、鷹揚な態度でゆっくりと玉座から立ち上がる魔王。酷く油断したその姿に、灯里ともりはどこかで聞いた言葉を思い出した。


「一流は獲物で遊ばない……だったかな?」


 玉座へと、そしてその上に立つ魔王へ向かって、灯里ともりは右手を突き出した。不思議な感覚だった。初めて魔法を使うというのに、初めて使う感じがまるでしなかった。身体が使い方を知っているような、ごく当たり前の作業のような動作だった。


「うおおおおおッ!!喰らえ!『知性爆発シャイニング・インテリジェンス』ッ!!」


 柄にもなく声を張り上げ、灯里ともりが行使する魔法の名前を告げる。

 その瞬間に玉座内の全てが輝き、彼の視界は真っ白に染め上げられた。轟音が鳴り響き、そのあまりの破壊力に魔王は一瞬で消え去ってゆく。先程までの舐め腐った顔が一転し、驚愕の表情で灯里ともりを見つめていた。そうして魔王城そのものが大爆発で吹き飛び、その衝撃波によって灯里ともりもまた空高くまで吹き飛ばされてしまう。


 天を舞う灯里ともりから見た星空は、あちらの世界のそれよりもずっと美しかった。彼は当然の様に大怪我を負っており、体中が悲鳴を上げていた。それでも、灯里ともりに後悔はなかった。あの場まで導いてくれた勇者達や、これまで支えてくれた多くの者達。そんな彼らに報いることが出来たのならば、この痛みも、徐々にまとまらなくなってゆく思考も誇らしかった。


 徐々に、自分の身体がこの世界から消えてゆくのを灯里ともりは感じていた。そうして脳内を駆け巡るのはこの三年間での思い出。そして自分の遥か下方、そこにいる女の人可愛いなぁ、などというどうでもいい考えであった。


 薄れゆく意識の中で、その女性をじっと見つめる灯里ともり。そうしてついには意識を保てなくなり、そっと瞳を閉じる。下着姿で、ヤンキーのように大股を開いてその場に座り込み、周囲へと唾を吐きかけている。そんな彼女のやさぐれた表情が、いつまでもまぶたに焼き付いていた。

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