二 鶏か卵か

シキブの電脳を冒している怨霊ウィルスは、授業のため管理権限まで深く接続した現妃ショウシにまで取り憑いていると、タカムラから事前に聞いてはいたものの、まさかマテリアル・ボディの成長にまで影響を及ぼしているとは思いもよらなかった。先程まみえたショウシは、セイが最後に見た十二歳の姿そのままだったのだ。否が応でも、同時期に、難産で身罷った主・テイシを思い出す。

胸の悪くなる記憶の関連検索にロックをかけると、セイは仕事に取り掛かった。へやを与えられた女官、即ち女房の主立った仕事は仕える姫君の身辺の世話である。

「わたくしたちではどうにも手に負えずに困っていたのです」

と手渡された仕事は、妃へのメールに断わりの返信をすることだった。セイがウツシヨを去って五年経てども、身につけた教養──アーカイブを閲覧検索しない漢文の知識や和歌の創造性──を盛り込んだ文章への返答は、同じく教養深さとウィットに富んだ言葉で返すことが求められるらしい。

君主への不敬を恐れぬ幼女趣味ロリコンたちからの浮気の誘いを読むと、セイの電脳に目眩のようなノイズが走る。たまに、ああこれは上手いと思うメールもあったが、上手いと思うほどに負けん気が生じて、セイの返答はきりりと冴えて、一刀両断にばっさりと断っていった。メール管理AIが電子和紙を折り畳んでムクゲの枝──貴族のメール送信に雅を添えるアクセサリだ──に結びながら、ありきたりな言葉でおだててくる。

「流石はショウナゴン様、仕事の手が早うございますね。

 ですが上衣は着た方がよろしゅうございますよぉ。折角のホロが崩れておいでです」

「いいでしょ、この房にはAIのあなたしかいないんだし。

 ……ところで主上しゅじょうは、ここ五年で、随分とナメられておいでのようですね」

「はて、ワタシのようなAIにはなんとも。

 しかし恋文を不敬と取られないほどに、主上はショウシ様から遠くあらせられますねぇ」

それもそうだろう。一回りも歳の違う姫だ。成長するならばまだしも、五年間も子供の姿のまま。ガヴァネスを椅子にして、新入りの女房と話すにもシキブを介する幼さは、「うつくしかわいらしい」とは感じても、為政者の支えにはならない。

「……いや、ちゃんと成長したとて、どうだったか……」

セイのペンタブが止まった。

はたして、どちらが先だったのだろう。

主上のお渡りがないからショウシの成長が止まったのか、ショウシが成長しないからお渡りがないのか。

そもそも、どんな怨霊ウィルスが、シキブとショウシの何にどう作用して、それが作用したことでウツシヨの何がどう悪影響を受けると言うのだ?

まさか、主上の身になにか起きるのではないか。

タカムラは事情を知っているのかいないのか、ただ抗怨霊剤ウィルスプログラムのデータと、万が一のための注射銃インジェクション・ガンを渡してきただけだった。

『余計な詮索はしなくていい。ある程度仕事をして、信用されて近付けたなら、二人にこれを注入しさえすればいい』と。

そのタカムラの物言いがはなから気に入らなかったセイは、少し考えたのち、やはりすべてを知ってから解決しようと決めた。そうでなければすっきりとカクリヨへ戻れない。なによりも、《地獄》へあっても主上を愛し続け、心配しているテイシ様のために、事を明かそうと。

決意したセイは、適当に脱ぎ散らかしていた化繊の上衣に袖を通した。彼女の腕や足に投影されていた薔薇襲そうびかさねのホログラムが布地に沿って投影されなおし、調度の少ない房の彩度を上げる。うるわしきを纏って気分を高揚させたセイは、より一層の言葉の切れ味を持って、貴公子たちの誘惑メールに対応するべく、筆を持ち直した。

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