アラームのそら音ははかるとも

蛙川乃井

一 もどりしもの

 ホログラムの十二単が、木造の廊下を彩る。ナノマシンで200色の黒に波打つ長髪をなびかせて、しずしずと歩く女の名はセイ。ショウナゴンの呼び名を賜った、前妃テイシの家庭教師ガヴァネスである。

 ──正確には”であった”と過去形にするべきだろう。仕えた妃を亡くし、職を辞して早くも五年が経つ。テイシと共に魂をデジタル・アーカイブ化して”カクリヨの旅”に同行したセイが、何故マテリアル・ボディで宮中を闊歩しているのか。

そんなことができる有名人は一人しかいない──死後居住サーバー《地獄》の官吏タカムラだ。タカムラは官吏権限を利用して、生前有能であった魂をウツシヨへ呼び戻しては、人の電脳に取り憑く怨霊の退治ウィルスバスティングを申し付けるのだ。《地獄》での好待遇を報酬として。

セイは不機嫌を扇の下の下唇だけに現して、黙々と歩いた。セイにはタカムラのやり方がまるで気に食わなかったし、この度怨霊ウィルスに取り憑かれているとされる女流作家のことも、正直どうでもよかった。生前組み上げた共感覚シナスタジア能力プログラムが、どぶからスポイトしたいくつかの暗い色だけを伝えてくるような、そんな文を書く女がどうなろうと、そんな文で自分がどうこき下ろされていようと、知ったことではなかった。

しかしセイは、死後もお仕えしたいと願った賢く美しいテイシ様には、《地獄》で少しでも快適に過ごして頂きたかった。タカムラには報酬として、死してなお君主と深い愛で繋がっているテイシのために、《地獄》とウツシヨを繋ぐモニターを導入するよう願った。先払いで搬入されたモニターを愛しげに撫でるテイシの横顔を思い出す。

「セイ・ショウナゴン、参りました」

人間が手ずから削り組み上げた貴重な総木製廊下の、年季の入った艶を見つめている間に、囁き声が聞こえる。

「ねえムラサキ、アレに顔を上げてって言って」

「顔をお上げなさい」

顔を上げたセイはぎょっとした。異様な──異様な光景だった。見覚えのある貴い身分の少女が、記憶にあるままの幼い姿で、四つん這いの女を椅子にして座っているのだ。

「ねえムラサキ、アレにようこそって言って」

「ようこそお彼岸かえりあそばしました、セイさん。ショウシ様のサロンへ共に参加できること、とても喜ばしく思います」

「エエ、はい。これぞ千載一遇は賢智の──」

「ワタクシ──ショウシ様の家庭教師ガヴァネスをしております。

 ムラサキ・シキブと申します」

割り込むような名乗りに、孕んだ嫌味の声音。これから自らの牛耳るサロンへ迎えようという者に尻を向け、背に主たる少女を載せて、少女が身動ぎするたびなにやら打ち震えている女。

これがムラサキ・シキブ。怨霊ウィルスに侵されている、此度のターゲットである。

セイは向けられているシキブの尻に頭を下げて、呆れを滲ませずに一言を返すので精一杯だった。

「……存じております」

よろしくお願い申し上げますとは、言えなかった。

まるでよろしくしたくない。

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