五 ひとつめの花

セイ・ショウナゴンの不可視の扇《海月の骨いみじきほね》がムラサキ・シキブの黒髪の斬撃を受け流した。風のない庭にひとりでに広がって逆立ち、刃の形を成す髪は、シキブの思念を受けて超速で振動している。

チーズのようにやわらかく斬り飛ばされた《骨》の破片が弾け、不可視エフェクトが解けると、いくつかの半透明な球体になり、うねうねと蠢いて触手を伸ばし、海月くらげ幼体ポリプめいて空中に漂った。

「いいナノマシン積んでるじゃない。どこも弄ってませんって顔して」

高性能スペックをひけらかすような、下品な真似をしないだけです──貴女のように」

忌々しげに言って、シキブはケーブルの残骸を投げ捨てる。セイのコネクタから引き千切られたものだ。業務にかこつけけた有線接続で現妃ショウシへ抗怨霊剤ウィルスプログラムを注入しようとしたところを勘付かれ、縺れ合って庭へと追いやられたセイは、意外にも戦闘能力とバトルセンスに溢れるムラサキ・シキブに驚いていた。メインウェポンはセイも導入している頭髪生体ナノマシン「シキタエ」だろう。200色の黒を表現できるのは機能の一部分でしかない。思念だけで自分の頭髪を自在に操ることができる代物だ。その上、セイにひけを取らない数のオプションを積んでいるらしい。高周波の刃など、思念だけでどうにかできるものではない。

辺りを浮遊している《骨》の破片を自動追尾しているのか、シキブの眼球は避役カメレオンのように忙しなく動いている。これらのナノマシンやアプリケーションの運用を並列処理できているのなら相当な高性能スペックだ。

「培った知識や持って生まれた才能を隠すことが美徳だなんて、私は思わない」

「そんなことだから、後世にあれこれとボロを見つけられて、ケチをつけられて、恥をかくのだと思いませんか? 誤字脱字が酷いですよ、貴女の草子ブログ

「恥をかくことや中傷を恐れても仕方のないことでしょう。というか、そんなの言いたがる人って最初からケチつけてやろうって姿勢で見てるんだから、ケチがついて当たり前だし」

「……ッ何故、そんなにも慎みがないの。だから貴女って、貴女って──嫌いだわ」

シキブは飛び退って距離を取ると、強化された脚力でセイ目掛けて突進した。黒髪を超速振動するランスに変成させながら突っ込んでくるシキブを上手くいなして、セイの

「自分が自分らしくあろうとするのを慎みと呼ぶのは、あなたの本心なの?」

セイの操作を受け付けて、予め庭の玉砂利の中に仕込んでおいた《骨》の無線式端末が浮かび上がる。幼体ポリプと無線式端末をフックにして一瞬で編み上げられた糸の檻は、セイの黒髪で出来ていた。

本心そうじゃないから、あなた、あらゆる知識と和歌をたっぷり盛り込んだ物語を書いていたんじゃないの?」

「知った、ような、口を、ッッ」

生体ナノマシンによって強化ワイヤー並みの強度で締め上げられているというのに、ムラサキ・シキブは止まろうとしない。少しでも加減すればセイの命がないだろう。セイは檻を狭めて一気に地面に抑え込むと、シキブの首の後ろにあるコネクタに予備のケーブルを接続した。防壁ファイアウォールを突破して抗怨霊剤ウィルスプログラムを投与しようとするセイの電脳に、むき出しのシキブの思考が飛び込んでくる。

下品な公達のこと。口さがない女房のこと。

好きに書いた物語が政治に利用されていること。

草子ブログの内容にまで上司に圧をかけられること。

まるで違うタイプの創作者セイ・ショウナゴンと比べられること。

「ワタシは感性が鋭いからお見通しなんです、みたいな顔してる貴女も。ワタシたちがスタンダードです、みたいに陰口叩く、物知らずの女房たちも。漢詩も和歌も政治もテクノロジーも、素晴らしいものはぜんぶ自分たちだけのものですって顔してる男たちも。みんな嫌いよ。嫌い。溢れて止まらない。止まらない……」

「そうして、止めらない理由を怨霊ウィルスに求めたのね。怨霊ウィルスのせいにしてしまえば楽だから」

怒りっぽいのも、誰も許せないのも、ショウシ様が成長なさらないのも、すべて怨霊ウィルスのせい。物語の続きを書けないのも、上司の命で書いたセイ・ショウナゴンの批判記事の筆がのったのも、すべて怨霊ウィルスのせい。

実際に言葉にしているのか、思念が脳に直接響いているのかも、もう分からない。

「……ああもう、あなたの思考って本当に後ろ向きで陰湿。それだけ賢いんだから開き直ってやればいいのに。友達になれないタイプ。嫌い」

吐き捨てるセイもまた、それはシキブが賢いからこそ来る怯えだと、本当はわかっている。だからこそ歯痒い。

「…………ワタクシだって、こんなワタクシが、一番嫌い」

あなたはこんなにも教養ある女性なのに馬鹿な真似をと、セイのその思念もまた、有線接続したシキブに届いている。

諦めて脱力したシキブの体が、びくん!と大きく跳ねた。どうやら、抗怨霊剤ウィルスプログラムが脳幹に咲いたウィルスを焼いたらしい。白目を剥いたシキブの瞼を下ろしてやると、セイ・ショウナゴンは屋内へ視線をやった。

大きく開いた格子戸、セイとシキブが縺れ合って庭に飛び出したときに破れた御簾みすの向こうに、ぼうっとした顔で座っている、貴い幼子。怯えるどころか、まるで動じていないのが気になった。

「ショウシ様、失礼いたします。今、御身の怨霊ウィルスの退治を──」

ショウシに近付こうとするセイはしかし、間に割って入る人影に阻まれた。青白く輝く剣を構えたその御姿は、決してここにあっていいものではなかった。

「ねえ主上、セイにやめてって言って」

「セイ・ショウナゴン。怨霊退治ウィルスバスティングは諦めよ。他ならぬ我の命である」

「──そうは参りません。《地獄》へ移って早五年、今や私の主人はただ一人」

傷のひとつも、乱れもない黒髪が200色に波打ち、投影に適した上衣うわぎが菖蒲襲を鮮やかに映し出す。《海月の骨いみじきほね》を開くと、セイは主上──帝をねめつけて大見栄を切った。

「私に命令できるのは、テイシ様か私だけです」

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アラームのそら音ははかるとも 蛙川乃井 @no_el_t

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