金縛り

@yadokari088

第1話 起きる。

起。

男は目が醒めた。まだ夜だ。この感覚は尿意だ。久しぶりに呑んだ酒のせいだ。じゃないと夜中に目なんて覚めない。そもそも僕は大学生だ。頻尿になるほど老いぼれてはいない。行かないという選択肢もあるが、神経質の僕は気になると眠れない。出るか。面倒くさすぎる。僕はトイレまでの過程を頭の中でシミュレーションしてみることにした。ここは二階のロフト。トイレはもちろん一階。ロフトの低い天井に腰を折り曲げながら段差のあるはしごを下りなければならない。前に寝ぼけ眼ではしごを下りて、滑り落ちた記憶があった。そのときの隣人への騒音の申し訳なさと踵の感覚は今でも覚えている。毎回、はしごを下るときは細心の注意を払うため、眠さも吹き飛ぶ。故に降りるハードルが高い。

「はあ」

僕はため息をついた。トイレという一つの行いに対して、やることが多すぎる。このまま暖かい布団で眠っていよう。頭は僕にそう命令する。しかし、身体、特に下半身がそれを拒絶する。気持ち悪い。それらを牛耳るぼくという存在は頭と身体の意見の相違にさらに不快感を憶えた。仕方ない、このままじゃどうせ寝れやしない。分かっていることだ。体を起こそう。あおむけで寝ている僕は一旦、うつぶせの姿勢をとる。いきなり上体起こしのような動きでは起きられない。そのまま、肩の横に両手を置いて上半身を起こす。右足の膝を立て、立ち上がると同時に腰から羽毛布団がずり落ちる。「行くか」そう思った次の瞬間、僕はあおむけになっていた。

「あれ」

羽毛布団もちゃんと肩まで掛かっている。起き上がる前の自分だ。もう一度、同じようにして起き上がってみる。膝を立てた瞬間、またあおむけに戻る。ああ、これあれだ。僕は高校の時の寒い早朝を思い出す。実家暮らしの時は両親よりも早く起きて部活に行かなければならなかった。冬と早朝という起床と全くかけ離れた要素は時に夢を見させる。朝起きて支度する夢だ。準備が終わったかと思うと、暖かい布団で目が醒める。なんだよ。夢かよ。せっかく暖かい布団から出られたと思ったのに。こういう夢を見ることがたまにあった。

「それだ」

僕はメタった。自分の脳に僕は分かっていると吹き込む。これでもう繰り返すことはあるまい。自分に勝利した気になった僕は、あらためて身体を起こす。ダメだった。今度は起き上がることすらできない。体中が痺れている。

「なんだこれ」

脳はとっくに起きている。感覚だけは研ぎ澄まされている。ロフトの下、つまり一階のリビングのベランダの窓、そこから吹き込む風の音と呑みの帰りであろう大学生らの声すらはっきり聞こえる。その時、網戸が開いた気がした。一気に身の毛がよだつ。僕は一人暮らしだ。友人が居ることもあるが、今日は居ないはず。僕はたいてい窓を開けて寝る。籠った空気が大嫌いだからだ。寒さもあるがロフトは暖かい。逆に夏は暑いが。この辺り、大学周辺は治安がいい。鍵を開けっ放しで講義に向かうこともあった。

落ち着こう。

網戸の音は隣人のものかもしれない。でもはっきり聞こえた。いや、多分。というかそもそもロフトから自分の家の網戸を開ける音を聞いたことがない。だからどれくらいの音量なのか分からない。頭が回っている。眠気などどこかに行った。寝起きとは思えないくらい冴えている。身体だけが言う事をきかない。尿意どころではなくなっていた。

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