踏切で猫が鳴くと

 社会人になった私は、またこの踏切のことを忘れるようになっていった。

 実家を出て一人暮らしを始めるようになった、ということもある。土地から離れると、踏切に纏わる出来事は私の中から急速に薄れていくのを感じる。

 だが、あることをきっかけにして、この踏切が話題に昇ってきたのだ。それは私の職場に同年代で地元が同じ人物がいたことだった。異動でやってきた彼と私は色々なことが近しいこともあってよく会話をするようになり、帰りに二人で飲みに行くような機会も増えた。

「……猫鳴踏切って知ってる?」

 そう聞いたのはある程度親しくなり趣味の話とか学校の当たり障りの無い話などをひとしきりして、気安くなっていた頃だった。

 彼とは学年は一緒だったが学校は被っていない。ただ小中は差ほど離れていない場所に通っていた。彼と話していると当時の記憶が喚起されていき……もしかするとこの怪談について何か知っているのではないか、と思ったからだった。

「ああ、はい。もちろんですよ。『踏切で猫が鳴くと』ってやつですよね」

 以前彼に趣味の話をしたとき、怪談とか都市伝説とかそういったものに興味がある、というようなことを言っていたから、もしかするとと思っていた。どうやら間違っていなかったらしい。

「そうそう、それ!」

「元小の方では七不思議のひとつでしたよ」

 彼の返しにふと、マスターの言葉がダブる。あの時はそういう空気でも無くなったから追及しなかったが……

「七不思議?踏切で猫が鳴くってだけの話が?」

「ええ。えっと……もしかしてそちらの方では違ったのですか?」

「少なくとも私が聞いたのは踏切を通ると猫が鳴くってだけの話で……七不思議とかでは無かったかな」

「へぇ……興味深いですね。校風の違いか伝達されていく中で伝言ゲームが起きたのか……」

「その、七不思議ってどういうことなの?」

「そうだな……順を追って説明します。これは七不思議の最後のひとつ、七番目の噂なんです。元小の他の例を上げてみましょうか。『夜になると音楽室の滝廉太郎の絵が歌い出す』『三階の教職員トイレを使うと血祭先生に殺される』『夜のPC室でパソコンを使うとコンピューターババァが飛び出す』あとは『ペンギン池の地下はペンギン帝国と繋がっていて夜な夜なペンギンが這い出てくる』……あと二つあったはずなんですが。どうも思い出せなくて……そこは省略してもいいか。それで、その最後の一つが『踏切で猫が鳴くと』なんですが。これの噂にはある言葉が続くようになっているんです。『踏切で猫が鳴くと』……」

「鳴くと?」

「……何かが起きる」

「は?」

「いや、別に冗談を言ってるんで無く。『何かが起こる。起こるけれど、何が起こるかは知ってはいけないし言ってはいけない』。ここまでが七不思議なんですよ。まぁ、ティピカルと言えばティピカルですね。最後の七不思議は、それを知ってしまうこと自体が禍に繋がる……ホラーの定番ではあります。小説だと小松左京の『牛の首』とか怪談とか都市伝説だと掲示板で流行した鮫島事件とか。あとは『ムラサキカガミ』なんかも近いですかね。

「そういうわけなので、様々なバリエーションというか外伝的なエピソードが作りやすい七不思議ともなっていて……色々な生徒がその答えを知っている、と言って語るわけです。踏切で猫が鳴くと『大切な物が無くなる『身内に不幸が出る』『学校で無視されるようになる』とまぁ、色々あるわけですが、特に好きなのはこれですね」

 そうして語り出したのは次のようなエピソードだった。

 曰く、『踏切で猫が鳴くと』どうなるかは誰でも想像できる、なんなら真っ先に思いつく物である。だが、だからこそそれを語ってはいけないし、知ってもいけない。

「……今から思えば、ですが子供というのは残酷なものです。倫理とか配慮に関して未熟と言いますか。だから子供は簡単にある言葉を口にする。でも、ことこの噂に関して言えば、そう言えば誰も『踏切で猫が鳴くと』の続きに”ある言葉”を繋げていなかったな、と思うんです。さて、そういう意味で言えば実は教師が流した噂なんじゃ無いかとも思うんですが」

 その後も彼はこの七不思議について色々語っていたが、私は良く聞いていなかった。頭の中には色々な情報が渦巻いている。野村さんのこと、マスターのこと。マスターも言っていた「七不思議だった」ということ。言ってはいけないある言葉。ある言葉とは?それは……


「踏切で猫が鳴くと、死んでしまう」

 自らの声ではっと眼が醒めた。

 周囲を見回す。私がいるのは、大学生の頃まで住んでいた地元の最寄り駅のホームだった。どうやってここまでたどり着いたのか、全く解らない。時計を見れば午前1時を回っていた。頭がズキズキとする。終電はとっくに過ぎていた。始発まであと4時間はある。ホームはうだるような暑さだった。体中がじっとりと汗で湿っていて、とてもじゃないが4時間もここで時間を潰せそうも無い。

 ……帰ろうと思えば帰れる。ただし都内にあるアパートでは無く、両親の住む実家の方に、だが。

 帰るのか。帰れるのか。帰るとしたら……

「猫鳴踏切を通らなきゃ帰れない」

 あの場所にあった二つの事件。野村さんとマスターの失踪。両方とも私は見ているだけだった。なぜか、見ているだけで済んだ。

 だが、それは知らなかったからでは無いか。『踏切で猫が鳴くと』とどうなるのかを私は知らなかった。

 おそらくマスターは知っていた。野村さんも……知っていたのだろう。怪談とか七不思議について何か喋っていた気がしてくる。私は彼女の言葉をきちんと聞いていなかった。私は彼女の言葉を遮らなかっただけで、興味を抱いていなかった。私はそれを、ずっと悔やんでいる。

 でももう知ってしまった。知ってしまったら、もう無事ではいられないかも知れない。

 帰るべきでは無い。ここにとどまらなければならない。あの場所には二度と近づいてはいけない……

 そう思いながら、私は改札を抜けていく。思考と身体が分裂したよう。駅を出た私は線路沿いに歩いて行く。実家に向けて歩いている……はずなのだが、そういう気分は希薄だった。むしろ、猫鳴踏切へと向かっているような気分になる。

 駅の周辺の店舗は流石に光が消えていた。微かな街灯の光を頼りに、暗い夜道を歩いて行く。私の実家の方へ向かうにつれ店も街灯も少なくなっていくので、まるで闇に向かって歩いているよう。

 そうして、例の踏切にたどり着いた。深夜だけあって開きっぱなしになっている。

 私はそれを渡ろうとして……

 不意に甲高い、警笛の音が鳴り響いた。点滅する赤い光が自分を照らした。

 終電は過ぎていたはずだ。これ以上電車が来たりはしない。来ていたら私はそれに乗って帰っていた。

 なんで、と呟いた声は通過する車両に掻き消された。風圧が自分を包み込む。

 車両が通り過ぎる。警笛が止まりすべてが終わる。

”あー……!あー……!あー……!”

 そうして最後に私を呼ぶように、何かが鳴くのが聞こえた。

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『猫鳴踏切』あるいは『踏切で猫が鳴くと』 佐倉真理 @who-will-watch-the-watchmen

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