1.8人の破綻者

晴野幸己

1.僕はみんなの助けでありたい

 僕の名前は佐江流輝。地元から少し離れた小学校で6年生クラスの担任をしている。僕は子供の頃から「誰かの助けでありたい」と強く願っていた。理由はよく覚えていない。


 4月1日。職場の歓声は「黄金の三日間!ガンバロー!」「〇〇小学校、バンザーイ!!」と響き渡っている。職員室のみならず、空虚となっている教室にまで響いていることだろう。僕もみんなに合わせて「バンザーイ!」と両手をあげた。声は出なかった。口パクで雰囲気だけを全身で表した。

 これから入学してくる新一年生。真新しいランドセルを背負って、無償の教科書などが配布される。高いお金を出してくれたお父さんとお母さんに感謝しないとね、ランドセルは大切にしなさい。僕はそんな子ども指導の言葉を思い浮かべて、頭の中で台本を作っていた。

 だけど、僕は今年から6年生の担任になるらしい。中学校にあがる大切な学年だ。きっと、僕はそこそこ仕事ができるのだと認められたのかもしれない。教頭先生には何度もご指導をいただいて、自分に自信をなくしていたが、今年は頑張れそうな気がする。

 絶対に間違ってはいけない。6年生は思春期に入り始める子ども達だ、気を引き締めてがんばろう。

 よく思い出しなさい、お父さんとお母さんが高いお金を出して買ってくれたそのランドセル。今年でそのランドセルは6年目だよ。君たちが6年間頑張ってきた証だよ、偉いね。そんな言葉かけをかけられるんだと密かにわくわくしていた。

 お父さんとお母さんに感謝の心を持つようにね。これから中学校にあがるんだよ、自信を持って中学生になれるように一緒に頑張ろうね。

 早く会いたいなぁ、どんな子ども達だろう。きっとその中には、思春期の早い子が「佐江先生やだ!嫌い!うざい!」とか言い始める子も出てくるだろう。それも初めての体験だろうなぁ、なんだかそれさえも楽しみなような気持ちにもなっていた。


 職員室の歓声は終わり、先輩達が着席した。その後に僕は続いて自分の新しい席に座った。

 6年1組の担任だ。僕の席が初めて管理職の先生方に近くなった。しかも、学年の副主任だ。まだ20代後半の僕にそんなお立場をいただいていいのだろうかと些か不安であったが、やるからには頑張るしかない。子ども達が僕を待っているんだから。


 座ってみると、椅子から異音がした。ギシィと少し耳障りだった。隣の女性の先生がその異音に驚いてこちらを見た。僕は慌てて「すみません、明日には直しますから」と向かって自分の手を合わせて軽く謝った。女性の先生は無表情で会釈をした。

 数分後、新卒の副担任が背後のガラス窓を開けた。春風が一気に吹いてきて、新しいプリントが飛びそうになって、僕はまた慌ててそれをおさえた。副担任の男の子は謝りもせず、そそくさに校長先生の方へ走った。「校長先生!コーヒーをお持ちしましょうか?!」という元気の良い彼の発声に、僕は懐かしい気持ちになった。新卒で6年生の副担任の彼は、きっと優秀なのだろう。


 まだ、子どもは来ていない。今年の入学式と始業式は4日だ。僕はこの課せられた3日間で学級経営の準備をしないといけない。わくわくしている場合ではないことを思い出した。この3日間の下準備を間違えてしまったら、僕のクラスが学級崩壊してしまう可能性だってある。気を引き締めて頑張ろう。子ども達の運命を僕が握っている。人との出会いは人生で一度きりかもしれない、君らとの出会いの奇跡を僕は必ず大切にするからね。そんな綺麗な言葉に心を満たそうとしている自分に少しだけ喜びを感じていた。

 子ども達のため、僕のため。僕は先生になるという子供の頃からの夢を叶えたんだ。なんて幸せなことなんだろう。そう思ったらなんだかやる気が溢れてきた気がする。

 さっそく新しい書類を手に取ろうとすると、教頭先生が「10時になりましたよ、冊子を持って第一回総合職員会議を始めましょう」と大きな声で言った。

 もうそんな時間か、早いなぁ。コーヒーを淹れる暇もなかったな、と、ため息を吐いた。どうせなら、あの副担任の彼が校長先生じゃなくて6年生の担任方に入れてくれればいいのに、喉が渇いた。心の内でそんな文句を垂らしていた。直後、いけないな!まだ黄金の三日間も過ぎていないのに、学級王国の王にでもなろうとしている自分に気がついた。ちょっと恥ずかしい、謙虚でいなきゃ。僕はこれから子ども達の見本にならないといけないんだから。


 第一回総合職員会議が始まった。各主任となった先輩達が順番に今年の目標、昨年の懸念やヒヤリハットから練り出した今年の改善案について順に話し始めた。

 僕は、まずはここからだ!と思って背筋を伸ばして、先輩達に体を向けて話を聞く。大事な話だから、僕もしっかり聞かなきゃ。隣の女性の先生が眠たそうにしている。きっと疲れているのだろう、後で内容を教えてあげようかなとメモを頑張って取ろう。みんなが困らないように頑張ろう。僕は今年から初めての6年生の担任で、学年の副主任なんだと思い、少し微笑んだ。

 開きっぱなしの窓から何度も強風が舞い、会議中に書類が飛んで、若い先生達が争うように拾おうとする様子が、なんだかおかしくて、僕も時々笑ってしまった。窓を閉めればいいのにね。

 

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1.8人の破綻者 晴野幸己 @Karina238396

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