第八話 走る雷

 もう何度目の起床だろう。

 すっかり忘れてしまった。

 この王国に来てもう10日以上は確実に経っている。

 まだ開けていない窓の外からは、鳥たちが夜明けを告げるように鳴いている。

 正直とてもうるさい。

 自分に倫理観があったら絞め殺しているかもしれないくらいにうっとおしい。

 まあ、それが鳥にとって生きていく上で必要なことなのだから仕方ない。

 生存に全く必要のない殺害行為に身を染めることもある人間よりははるかにましと言えるだろう。


 そんなことを思いながら、リルネフは起床した。

 だが最近は人間の在り方はそれだけではない、と昔の自分の考え方を取り戻しつつあると思うようになった。

 子どもたちと接し、無垢なる彼らの許容性の広さに感化されたからだろうか。

 しかし、彼らもいつかは成長し、大人の持つ醜さに侵されてしまうのだろう。




 ……まあ、この王国の人間に限ってそんな未来は訪れないのだが。




 自分の本質故に、子どもの未来を至極どうでもよいことのように思いながらベッドから起き上がる。


 ―――ああ、そうだ。


 こんなことを思ってしまう時点で、私が人間たちから迫害されるのは当たり前のことなのだろう。




 下の階に降りると、いつものように主人が待っていた。

「おはよう、よく眠れたかね…って、どうしたのかい?元気がなさそうだが…」

 こちらを心配そうに眺めてくる。

 私が本性を現した時、あの顔が再び、初めて町を訪れた時のような怒りを体現した表情に染まってしまうかと思うと、少しやるせなくなる。

「いえ……なんでもありません」

「そうか……体調が悪いならすぐに言いなさい。あと、いつものように向こうのテーブルに朝食を用意してあるからね」

 主人は、只々優しかった。

 それもそのはず、この王国の住人は基本的に善人だ。


“私やリヒトのような異物が来なければ、野蛮な物言いをすることはないのだから”。


 とりあえず、席に着いて朝食をとる。

 テーブルにはいつものごとくパンやベーコン、サラダや水などが置かれていた。

 ……今日はちょっと趣向を変えたい気分だった。

「あの……」

 主人に話しかける。

「ん?どうかしたかね?」

「……前に言った、コーヒーが飲みたいです」

「おお、そうか。ちょっと待っててくれ、すぐに用意するから」

 リルネフの要望を聞くと、主人はすぐにコーヒーの用意にとりかかった。

「豆の種類はどうするかね?」

「?…違いがあるのですか?」

 何せ初めてコーヒーを飲むので使われている豆に違いがあるかどうかすらわからない。

「大いにあるとも。ただ、君は初めて飲むだろうから初心者でも飲みやすい豆を使おうか」

「…ええ、それでお願いします」

 寝起きの気分を紛らわすために、とりあえず苦みを取ろう。





「ここからあとどのくらいだ?」

「距離的には後5㎞程かと」

 フィヨルンの質問にリヒトが答える。

 今日は『土のエレメント』の取得のために、アスガルド王国の南にある“土の神殿”へ向かう日だった。

 メンバーは、リヒト、ソフィー、リルネフ、フィヨルンの四人。

 三人はフィヨルンとのかかわりはあまりないので、とりあえず気になることを質問して、道中の持て余す暇を上手いこと消費しよう。

「フィヨルンさんは何か趣味ってありますか?」

 先陣を切ってソフィーが話しかける。

「趣味か……体を鍛えることだな。魔術に頼れない状況があるかもしれんから、体をしっかり鍛えることはかなり重要だと思うぞ」

 そう言いながら、フィヨルンは力を込めた腕を三人に見せつける。

 その力こぶは、王国でも一番の筋肉の持ち主と言っていいほどにたくましい。

「いざというときには力がモノを言う…ですか」

「そうだな、少なくとも俺はそう思っている。…ただ、エディルみたいな頭脳は俺も持ちたいと思っているんだがね…」

 リヒトに理解を示してもらえて嬉しいようだが、頭脳があればもっといろいろな戦局に対応できるとも思っているようだ。

「まあ、誰にでも得意不得意はありますから!自分がやれることを精一杯やるのが一番ですよ!」

 ソフィーがフィヨルンを元気づける。

 人の気分を高揚させたり、自己肯定感を持たせるのは間違いなく彼女が適任だ。

 戦えないからと言って、彼女がいなくていい理由にはならない。

 持ちつ持たれつの関係を大事にしなければ。


「でも、どうして鍛えているんですか?趣味とはいえ……やっぱり騎士だからですか?」

 ソフィーが再び質問する。

「まあ、それもあるんだが…」

 何か含みのある言い方で返すフィヨルン。

「俺は、皆が笑って楽しく暮らせる国を作りたいって思ってるんだ。まあ、大きな事件も起きないからかなっているかもしれんな。……いやそれ以上に、そういう状況を継続させることが俺の夢かもしれんな。この王国を脅かす何者かが現れた時、そういうやつから国も皆も守ってやりたい」

 土の騎士は自分の夢を語る。

「俺たちがこの国に始めて来たあの時、あなたが怪しんでいたのはそういった理由なんですね」

「ああ。いくら旅人とはいえ、あそこまで怪しい連中を入国させるのは、って思ってたなあの時は」

 リヒトに対してフィヨルンは正直に告げる。

 少々辛辣ではあるが、裏表のない返答なので逆に安心できる。


「けど、今は違うぞ。ファブニール、だっけか。あの竜を退治する時に人命を優先してくれたおかげで、俺はお前のことを信用する気になった。まだまだ聞きたいことはいろいろあるが、とりあえずお前がいい奴だってわかっただけでも上々だ。他の騎士だったり、町の人たちとも仲良くやれてるんなら、まあ心配はいらねえだろ」


 フィヨルンはフレイアと同じかそれ以上に強面だが、気分がいい時の表情はとても明るく元気をもらえるので、そういったギャップが好きな人は親しくなれるだろう。

 いや、気のいい兄貴分なのでもっと多くの人から好かれるか。



「でも、仮にですよ。もし俺たちがヘンダ―王の言う通り、アスガルド王国を滅ぼしに来たと分かったら、その時は、どうしますか?」



「……そん時は叩き潰す。文字通り全てを懸けて」



 先程までとは打って変わって、威圧感のある声でリヒトに忠告する。

「まあ、そんなときが来れば、だけどな。……ただ、見たところお前の戦闘は魔術に頼っているが、剣術は素人だろう。魔術で身体能力を強化して無理やり速く強くぶん回しているってところか」

「…はい、そうです」

 リヒトの戦い方と弱点はしっかり見抜かれていた。

「そうなの?てっきり得意なのかと……あ、でもリヒト君って魔術ばっかり使ってたような記憶が……」

 なんと、まったく戦闘経験のないソフィーにもたった今見抜かれた。

「……そう。グリンブルスティの突進を防げたのも、魔術で身体能力と反射神経を強化していたからで、俺自身が鍛えて身に着けた力じゃない」

 仕方ないとはいえ、事実は事実である。

 ただ、それはそれとして素の筋力で突進を防いだフレイアさんはかなりすごくないか、とも思う。

「剣を使っているのに剣術はからっきしなんて、そんなことがあるのか。大いなる神ってのはなんでお前に剣なんか与えたんだ?」

「剣というのは、昔から神話や伝説などで魔法の力を持つ武器として描かれることが多いですし、武力の象徴としてのシンボルになることもあります。だから、闇の魔術師として世界を滅ぼすために生まれてきた自分にはぴったりだと判断したのでしょう」

 仕方なしという表情で自分の見解を述べるリヒト。

「なるほどな……けど、武力だの闇だの、それがお前を構成しているものの全てっていうわけじゃないだろう」

「…え?」

 フィヨルンの返しに少し拍子抜けする。

「お前という存在の何もかもが、俺たちにとって不都合だったり悪だったりするってわけじゃないだろ。現にこうして剣じゃなく言葉を交わしているんだからな。何もかも力で解決するような奴じゃないってのは俺以外の騎士もわかってるはずだ。だから、もっと自信を持ってもいいと思うぞ」

「……」

 なるほど、通りで信頼が厚いと言われているわけだ。

 快活な性格ばかりが目立ちやすいが、悩み事を抱えている人に対しては冷静かつ真剣に話を聞いてくれる。

 まさしく頼れる兄貴分。

「ありがとうございます。どこまでできるかわかりませんが、もうちょっと自信を持ってみます」

「おう!」

 リヒトの感謝に元気よく明るい笑顔で答えるフィヨルン。



 ―――その時。


 ―――目の前で、眩い閃光がはじけ飛んだ。



「「「「!?」」」」


 四人はすぐさま身構えた。

 幸い、光は四人の目の前に落ちたため、直撃は免れた。

 しかし、地面には直径深さ共に3mほどの大きな穴が開いていた。

「何だ、今のは…魔獣か?」

 フィヨルンが推測する。

「ええ、間違いないでしょうね」

 リヒトは鞘からバルムンクを引き抜く。


 恐らく、敵は上空にいる。

 ……と思ったのだが、上を見渡してもただただ青い空が広がっているだけで、ヴィゾフニルのような鳥型の魔獣が飛んでいるわけではなかった。


 ……となると、


「敵は恐らく、地上の何処かからこちらを狙撃しています」

「ええ、間違いありません」

 リヒトの考えにリルネフが言葉を返す。

 周囲を探る四人。

 すると、

「なんだあれ……か?」

 フィヨルンが指示した方向には、確かに馬と思しき動物がこちらに向かって走ってきていた。


 しかし、普通の馬とは明らかに違う。

 まず、普通の馬はあそこまで大きくない。

 体長は精々2,3mが限度だろう。

 しかし、あの馬はそれ以上、最低でも5mはあるだろう、それほどまでに大きい。

 加えて、ただ大きいだけではない。

 足の本数が普通の馬の倍、つまり八本足だ。

 その見るからに動きずらそうな足を器用に操りながら地上を走る姿はとても奇妙だ。

 よく見ると、走ってはいるのだが足が地面に着いていない。

 動きだけを見れば走っていると言えるが、地面スレスレを滑走しているという感じだ。

 そんなこんなで分析をしていると。

 馬の周りに何か、白い光が現れ始める。

 その光は不定形な水のように形を変えていき、次第に細長い槍のようなものが出来上がった。


 すると


 槍が突然こちらの方へ向きを変え、猛スピードで飛んできた。


「!?」

 とっさにフィヨルンが魔術を使い、地面から分厚い土の壁を出現させて、投擲された槍を防いだ。

 ドゴッと体内に響くような、鈍く重い音がする。

 目の前に展開された土壁には円状の大きな穴がぽっかりと開いていた。

 先程こちらに向かってきた光の槍が地面にあけた穴を鑑みるに、一発でもそれを食らったら間違いなくたった一つしかない命が呆気なく散るだろう、それほどの威力があると改めて思い知らされる。

「あんなもの食らったらやばいな。掠っただけでも数週間は動けなくなりそうだ」

 フィヨルンが正直に心情を告げる。

 リヒトは馬の特徴からその正体を導き出す。

 「あれは、滑走神馬グレイプニル。地面を滑走しながら空中に光の槍を展開し、それを生物に向かって投擲してくる魔獣です」

「生物に向かって……って、じゃあそれは」

 ソフィーが言い切る前に、グレイプニルはこちらへ無数の雷を伴った槍を飛ばしてきた。

 

 二本、三本、四本、五本、さらに飛んでくる本数は増大していく。

 フィヨルンとリルネフが魔術で壁を作ってくれるおかげで今のところは全員ノーダメージだが、その状況もいつまで持つか……。

 加えて、グレイプニル本体はこちらに向かって突進のようなフィジカルを伴った攻撃をしてこない。

 慎重な性格なのか、遠くからこちらの様子を窺いつつ、ぐるぐると四人の周りを回ったまま槍の投擲による攻撃を展開している。

 自分より小さいとはいえ、迂闊に近づくと危ないということが分かっているのだろうか。

 だとしたら、随分と知性的だ。

「アレは生物以外の動かないモノ、つまり無生物に対しては攻撃をしない!生物を探知して、執拗に攻撃してくる。……その上、探知するのはグレイプニル本体ではなく、生成された槍の方だ!」

 先程途切れたソフィーの質問に返答する。

「よくわからんが…!なんか知らないがヤバい予感はするな…!」

 身に蝕む危機感に苛まれるフィヨルン。

 そのヤバさの正体をリルネフが解説する。

「今リヒトが言った通り、照準を定めるのはグレイプニルではなく、生成された槍の方、つまり本体を攻撃しても槍の方は自動的にこちらを狙ってきます」

 なんと槍には自動照準機能が備わっていた。

「探知能力があるのは馬じゃなくて槍の方かよ!…ていうか、なんでお前は魔獣を知ってるんだ!?前にどこかで戦ったことがあるのか!?」

 リヒトの魔獣に対する知識の深さに疑問を持つフィヨルン。

 この間も魔術で槍を防いでいるため、段々と疲弊してきているのが顔から見て取れる。

「俺が使うこの『黒の印』に魔獣のことが書いてあるので、そこから得た知識である程度推測してます!」

 さっきから槍が壁にあたる音がひたすらにうるさいので、大声で答えるしかない。

「そうか!随分便利な魔導書だな!」

「ええ、おかげさまで!」

「誰に向かって言ってんだ!」

 案外愉快なやり取りをしているうちにさらに攻撃が大きくなってきている。

 このまま攻め続けていればいつか防御面に綻びが出ると認識されたのだろうか。

 これではヴィゾフニルの時と同じで袋小路になってしまう。

「仕方ねぇ、俺がデカい一撃を放つから、その隙にどこかに逃げられる場所があるか探すぞ!」

「「「はい!」」」

 三人の返事と共に、フィヨルンは地面を剣で叩き、その衝撃で四人の周囲の地面が噴火のように吹き飛んだ。

 グレイプニルはびっくりしたのか、少しの間だけ槍を放つのを躊躇ったが、すぐに再開した。

 リスクは重々承知している。

 散らばって逃げても光の槍は個別に追いかけてくるだろう。

 こうなったら一斉に同じ方向へ逃げるしかない。

 逃げながら安泰の場所を探すしかない。


 後ろから迫ってくる神馬の槍をどうにか防ぎながら、四人は逃げる。

 当たり前だが、作戦を立てないことにはあんな無法な戦い方をするヤツを倒すなんて無理に決まってる。


 ―――ただ、ひたすら、逃げる。


 ―――逃げて、逃げて、逃げ続ける。


 ソフィーは初めてリヒトと会ったあの時を思い出す。


 ああ、あの時も逃げ続けてたな。


 途中転んでしまったが。


 あの時の反省を生かして、よく周りを観察しよう。

 はっきりと、目を凝らして周囲を見渡す。

 一番後ろではリルネフが魔術障壁で槍から守ってくれているのでひとまず安心だ。

 その前にはリヒト君、次に私、先頭にはフィヨルンさん。

 これが今一番被害の出ない並びだろう。

 とにかく今は、体力が尽きるまでにどこか休める場所を探すまでだ。

 不規則に飛んでくる槍を防ぎ、避けながら逃走する。



 すると、

「あっ、あれ!」

 ソフィーが指差した方向には小さな洞窟があった。

「そうだな!俺たちぐらいの大きさならちょうど入れそうだ!」

 確かに、人間ならたやすく入れるが、体高5mほどのグレイプニルが入れるかは怪しいところだ。

 とにかくそこに向かって四人は走り続ける。




「「ハア…ハア…」」

 フィヨルンとソフィーは疲れ切っている。

 リヒトとリルネフはピンピンしている。

「お前ら……なんでそんなに……疲れないんだよ……」

「フレイアさんにも言いましたけど、死神のおかげで体力はすぐに回復するので」

 フィヨルンの質問にリヒトが答える。

「マジかよ……俺もそんな能力が欲しいぜ……でも、自分で鍛えるから意味があるんだよな……やっぱり……」

「ですね」

 鍛えている人間だからこその意見に落ち着いたところをリヒトは肯定する。

「……それにしても、あいつはやっぱり入ってこなかったな……」

 グレイプニルは予想通り、洞窟の入り口に体を突っ込むような事はしたものの、入れないと判断してすぐさま入り口から離れた。

「…で、どうするよ、アイツ。多分入り口付近で様子を窺ってるだろ」

「そうですね。待ち伏せするくらいの知能はあるとみていいかと」

 とりあえず、リヒトとフィヨルンで作戦を練る。

「待ち伏せ自体は洞窟から高速で出てくればどうにかなりますが、すぐに光の槍を展開するでしょう」

「それに、一人だけ出てくることも怪しまれないか心配だ……ってうおっ!」


 ドォン、と洞窟の内部で爆発が起きた。

 すぐにフィヨルンが魔術で土の障壁を張ったため、怪我はなかった。

 ただ、地面には穴が開いていた。

 あの光の槍でできた穴と同じようだ。

「な、なんなの、今の……」

 ソフィーが怖がっている。

「恐らく、光の槍を入り口目掛けて飛ばしているんでしょう」

「嘘だろ、そんなことまでやってくるのかよ!?」

 洞窟の入り口から槍を入れて、内部で休んでいるこちらに執拗に攻撃してくる。

 逃げ切れてはいなかった。

 この殺意の高い魔獣の猛攻にどこまで耐えられるか分からない。

 

 その上。

「……リルネフちゃん、どうしたの?」

 ソフィーが隣にいるリルネフを心配する。

 いつもよりも顔色が悪い。

 何があったのだろうか。

「体調でも悪いの?もしかして、リヒト君の魔術使ったりした?」

「……いえ、そうではなく……私は……洞窟がニガテなのです」

「え?」

 意外な答えが返ってくる。

「何か、トラウマでもあったりした?」

 こちらに向かって飛んでくる轟音を無理やり無視しながら、引き続き理由を聞く。

「ええ……昔、洞窟の中に閉じこもっていたことがありまして」

「え……何で?」

「私もリヒトと同じで、人間から迫害されてきた存在なので。……迫害されていたころは、ずっと洞窟に閉じこもっていたんです」

 その時、横からフィヨルンが話しかける。


「薄々感づいていたんだが……リルネフ、お前?」


「……………」

「……そうか」

 沈黙を肯定と受け取るフィヨルン。

 ソフィーは気づいていなかったようで、口を開けて目の前のフードを被った少女を見つめている。

「フィヨルンさん……それって……」

「まあ、十中八九人間の姿をしてるだけだろうよ。……そのフードの下に何を隠しているのかは、何となくだがわかる。だがまあ、本人が言いたくなるまで待つのが筋ってもんだ。……それでいいな?」

 フィヨルンはリルネフに話しかける。

 さっきまで居心地悪そうにしていた顔が、フィヨルンの話を聞いたおかげなのか少し落ち着きを取り戻したようになった。

「……分かってはいましたが、ここの人たちは基本的に善人ばかりですね。心さえ開いてくれれば誰とでも仲良くなれる」

 少し呆気にとられたようなことを言うリルネフ。

「そうか?なんか面映ゆいな」

 ちょっと照れ臭そうにするフィヨルン。

「ええ…もこのくらい物分かりが良かったらいいのに…」

「ん?なんか言ったか?」

「いえ、それより、落ち着いたので改めて作戦を練りましょう」

 すっかり調子を取り戻したのか、いつもの冷たさを感じる彼女に戻っている。

「ああ……だが、アイツの攻略方法がまるで分からん。何か弱点でもあればいいんだが……おいリヒト、お前の魔導書に魔獣の弱点が書いてあったりしないのか?」

 その手があったか、とソフィーが目を見開く。

 しかし、

「すみません、魔獣の外見が絵で描いてあったり、能力が記載されてはいるんですけど……弱点はどうも……。前も言った通り、俺はこの本を与えてもらった立場で、この本の著者は別にいるんですけど……その人物はよほど他人を信頼しない人物のようですね……」

 希望はまだ見つからないようだ。


「あの…ちょっといい?」

 ソフィーが何かを思いついたのか、全員に聞こえるように言う。

「さっき、逃げてる途中に周りを見渡してたんだけど……あの馬、……」

「……確かに、不規則に飛んでくるな、とは思ったな。ずっとこっちを攻撃し続ければいいのに、途中で槍の攻撃が途切れることがあった気が……」

 フィヨルンがソフィーの考えに同意する。

 どうにも、彼女だけが感じた違和感ではなさそうだ。

 グレイプニルはずっと光の槍を飛ばしていたわけではない。

 ソフィーは、今まで以上に思考と記憶を呼び起こして考察する。

「……そういえば、……」

 あの八本足が特徴的だったのでつい目線が向かってしまっていたが、足が地面についている時だけは、確かに光の槍が投擲されることはなかった。

「もしかしてグレイプニルは、地面に足がついている間は槍を生成できないんじゃ……」

 正解かどうかはさておき、とりあえず仮説を立ててみる。

「あり得るかもしれん。俺が槍を防ぐために魔術で地面から障壁を出現させてたろ?あの時地面に魔力を流してたんだが、槍が飛んでこないときだけ、地面に流れる魔力が何らかのエネルギーを感知していた。そん時は気のせいだと思ってたんだが、どうやらソフィーの考えは大体当たりらしいな」

 フィヨルンが自身の体験からソフィーが立てた仮説という骨組みに肉付けをしていく。

「恐らくグレイプニルは、空中を滑走している間は光の槍を生成できるが、体力が尽きてしまう。しかし、体力を回復させるために地面に足をつけていると今度は光の槍を生成できない。そういったジレンマを抱えているのでしょう」

 リヒトが結論を立てる。

「それで、作戦はどうしましょうか?」

 ヤツの弱点はわかったものの、どうやって足を地面につけさせるかが問題だ。

「それに関してなんだが、俺にやらせてくれないか?」

 フィヨルンが挙手する。

「何か考えがあるんですね?」

「ああ……っていうか、お前が忘れてちゃダメだろ、リヒト」

「え?……俺、ですか?何か忘れてましたっけ?」


「お前、ファブニールを倒しに行ったとき、?」

「…!!……すみません、俺としたことが」

 大事なことを見落としていたことをすぐさま謝罪するリヒト。

「いいってことよ。次直せばいいんだからよ」

 誰にでも間違いや忘れることはあるんだから気にすんな、と他人が犯した過ちの衝撃を軽くいなす。

 こういった寛大なところも頼りがいのある人だと思われる所以なんだな、とリヒトは思った。





 グレイプニルは洞窟の様子を窺っている。

 先程から、入り口から槍を挿入して内部の者を殲滅する、という攻撃方法を行っているようだが、防がれているのは間違いないだろう。

 まだまだ様子を見なければ……。


 すると、グレイプニルの背後に黒い空間が出現した。



 まあ、そう来るんじゃねぇかと思ってはいたが。



 そしてその中からガタイの良い男が一人飛び出してきた。

 先程と同じで逃げ回っているようだが、何の作戦も立てずに出てきたわけではあるまい、ここはヤツの戦い方を深く観察するとしよう。


 そう思って、は今まで通り遠くから眺めることにした。



 それにしても、あいつらは“死神”に対して随分と恐れ知らずじゃあ無いか?


 アイツらが元々そういう奴らなのか……それとも誰かが親睦を深めるきっかけを作っているのか……。





 『黒い箱』によって洞窟から瞬間移動してきたフィヨルンは突っ走る。

 当然のように神馬は後を追ってくる。

 だが、己の体には、リヒトにかけてもらった魔術がある。


 何やら後日体調が悪くなるらしいが、そんなことは気にしていられない。

 いまはコイツを倒すことに集中しなければ。


 そう思いながら、グレイプニルを自身の体と接触するギリギリまで引き付ける。


 そして、作戦に移行する。


「オラッ!」

 地面に魔力を与えて、突出させる。

 唐突に地面が盛り上がったことにグレイプニルは驚きながら、それでも獲物を追うことをやめようとしない。





「要は、アイツの足を地面につけさせればいいんだろ?」

「ええ。ですが、どのようにしてつけさせましょう?」

「そこで俺から提案なんだが…」

 リヒトの疑問を解くようにフィヨルンは作戦を告げる。

「地面をいきなり突出させて無理やり地面に足をつけさせるってのはどうだ?」

 自信満々に言い放つフィヨルンにリルネフが釘を刺す。

「いくら地面を突き出したところで、地面に足が着くのが一瞬なのは変わらないでしょう。さすがに単純すぎます」

「う~ん、そうかぁ。……じゃあ、こういうのはどうだ?」




 フィヨルンは地面を突き出しながら逃げる。

 直線的に逃げると飛んでくる光の槍を避けられないため、曲線を描いくように逃げる。

 すぐ真横を、殺人級の雷が何度も掠めて地面に激突し、穴をボコボコと開けていく。

 

 ―――だが、そんな雑な墓穴に入るつもりは毛頭ない。

 

 足を着けさせようとしていることを理解したのか、グレイプニルは次第に突出するタイミングを見計らって地面から足を放し、滑走に移行するようになった。

 


 “さっきよりも移動速度が速くなっているような気がするが、何度も魔術を行使している以上、体力が底をつくのは時間の問題だ”。

 

 “このままじっくり追い詰めていけば、盾役の一人は確実に仕留められるだろう”。

 

 “タイミングは見極めたので、足を着けることはもうできない”。



「お前、今そんなことを思ってるんじゃないのか?」

 以外にも、どう見ても疲弊している騎士は余裕そうに笑って、自分を追いかける神馬を見た。


「何か気づかないか?」

 コイツは何を言っているのだろう?

 人間の言葉を理解できるわけではないが、高い知能を持っているグレイプニルは、今の自分の状況に違和感を抱かざるを得なかった。

 追いかけている人間の表情から自分の見落としを推測するしかなかった。


 やっと気づいた。

 追い詰めていたつもりが、追い詰められていたのは自分の方だった。


 突き出した地柱が、グレイプニルを取り囲むようにしてそびえ立っていた。

 しかも、先ほど避けた時よりも高くなっている。

 通り過ぎた後も地面を通じて魔力が送られて成長していたのだ。

 無生物の地面が、まるで生き物のように。


 ようやく自分の状況を理解して、グレイプニルは取り囲む柱で構成された壁よりも高く、駆け上がろうとする。


「そうはさせねえよ!」

 フィヨルンが仕上げと言わんばかりに、空に向かって手をかざす。

 魔術により上空から巨大な岩が出現し、上に逃げようとするグレイプニルにのしかかり、強制的に地面と接触させる。


 ドォンという衝撃と共に落下する。

 見た目通り、馬の悲鳴を上げてグレイプニルは助けを乞う子どものように悶絶する。


「フィヨルンさん!」

 後ろから三人が地柱の隙間から壁の中に入ってくる。

「上手くいったぜ!」

「いえ、まだです。ヤツを倒すまで気は抜けません!」

 忠告をするリヒトに、“ああ、そうだな”、と返答するフィヨルン。


 すると、

 グレイプニルが何やら踏ん張っている。


 まさか…このまま力ずくで逃げようというのか!


「マジかよ!アイツ上に乗った岩を無理やりどかしてまた上がる気か!」

「させません!」

 すかさずリルネフが弓を使い、氷の矢をグレイプニルの足元に向かって放つ。

 放たれた矢が地面に着弾した瞬間、神馬の足を地面を氷によって空気ごと接続していた。

 空気が止まる音と共に、グレイプニルの足も地面から離れなくなっていた。

 しかし、その氷すらグレイプニルの脚力には及ばず、引き剥がそうと藻掻く度に氷に亀裂が入る。

「無理に引き剥がそうとしている……。あのような状態では近づくのは危険です。それに……」

 リルネフが言い終わる前にグレイプニルの周りに雷を伴った光の槍が生成され、こちらに飛んでくる。

 これまでのようにフィヨルンとリルネフが壁を作り、槍を防ぐ。

 

 胴体で体の上にのしかかった大岩を押し退け、足は千切れるほどに強い力で氷とのつながりを断ち切ろうとする。

 光の槍は自動で生物に照準を合わせ飛んでいく。

 地面を破壊したのは標的にされた生物が避けたからだ。

 “無生物の破壊”は、『生物の打倒』という目的の失敗によって生まれた結果に過ぎない。

 それは、逆に考えれば“無生物に向かって飛んでいくことはない”、ということでもある。

 光の槍を氷や岩に向かって飛ばせば、すぐに脱出できただろう。

 だが、あの槍は無生物をターゲットにすることはなく、グレイプニル本体の意志で操ることもできない。

 槍関連で本体にできるのは、“槍を生み出すこと”だけである。

 何もできない今がチャンスだ。


「ここで終わらせなければ!」

 リヒトは『黒の印』を開き、今使うべき魔術、その呪文を口にする。


「『燃ゆる怨恨ブレネンダー・グロール』!」


 呪文を唱えた瞬間、リヒトの体が黒い炎に包まれ、燃え上がる。


燃ゆる怨恨ブレネンダー・グロール』。

 闇の魔術の一つであり、闇の魔術の中でもかなり危険な部類に入る。

 この魔術を使用した際、体全体に黒炎を纏う。

 炎による爆発力を利用して高速で空中を飛ぶことも可能だ。

 ―――そして、この魔術の最大の特徴は……。



「えっ!?リヒト君、体が!?どうしたの!?」

 ソフィーが心配そうに声をかけてくる。

 ソフィーじゃなくても、近くの人間の体から急に炎が上がったら誰だって心配するし驚愕するだろう。

「大丈夫。俺の魔術だから」

 そんな心配をよそにリヒトはいつものテンションで返事をする。

「いや傍から見たら大丈夫なようには見えねぇけど」

 フィヨルンが真面目に返す。

 口ではこう言っているが、体が燃えても普通にしている様子のリヒトを見て大丈夫だと判断したような声色だ。

 ……それはそれでツッコミどころがあるが。

 そんなことはともかく。

「今ここでグレイプニルを仕留めます!」

「あ、ああ。できるんだな!」

「はい!では、行きます!これまでのように、障壁を貼ってください!」

「え?」

 フィヨルンがぽかんとした返事をした瞬間、リヒトは纏った炎の爆発力でグレイプニルに向かって突っ込んだ。


 紛れもない『特攻』だ。



 奴は藻掻いている。

 もうそれだけしかできなくなってしまったとしても。

 

 最期の抵抗、ではない。

 とにかくこの場を切り抜けようとする、生物として当然の意志。

 それはまさしく『生きたい』という願望の表れだった。

 魔獣は人間が永い生活の中で作り出した空想である。

 例え偶像だとしても、そんな彼等にも自らの存在意義を示す権利はあるだろう。


 それでも。

 人間の価値を証明するために、リヒトはここにいる。

 

 だからこそ。

 人間でない彼等には、犠牲になってもらう他ない。



 リヒトは、目の前で逃げようと暴れる、文字通りの暴れ馬に爆速の体当たりを仕掛けた。

 

 衝突したその瞬間。


 とてつもない衝撃が、辺り一面に広がった。


 建物が軽く吹き飛んでしまうような、そんな爆風。



 リヒトは自らの体を燃やしてグレイプニルに体当たりを仕掛け、その体に触れた瞬間、自分の体ごと爆発させた。

 あの黒い炎は爆弾につけられた火のようなものだったのだろう。

 大爆発によって起こった空気の波濤はとうが、残っていたソフィー達三人を襲う。

「クッ!」

「!」

 フィヨルンとリルネフが二人そろって障壁を展開する。

 これまでで最も強く張ったにもかかわらず、バリアが軋み、「もう耐えられない」と悲鳴を上げている。

 バリバリ、ギシギシ、と壁にひびが入る。

 それほどまでに強い衝撃が辺りに広がった。



 爆発音の残響が収まり始めた時、同時に爆発によって発生した煙が晴れ始めた。

 ケホッ、ケホッ、と体内に侵入してきた黒煙を吐き出す三人。

 目の前にはもう、巨大な神馬の姿も、飛んでくる雷の槍も見えなかった。

 


 ―――そして、リヒトの姿も、どこにもなかった。

 

 ———最初から何もなかったかのように、跡形もなくすべてが消し飛んだ。


 ———地面にできた大きなクレーターが、そこに“何かがあった”ことを示していたのみだった。



「……リヒト、君?」

 ここにいない人間に向かって呼びかけるソフィー。

「……どこ、に、行った、の?」



「彼の体はあの爆発で跡形もなく消し飛びました」

 


 リルネフが追い打ちをかけるように事実を突きつける。

「……嘘……ねえ、噓でしょ。“使命”がまだ、果たせてないじゃない。……リヒト君は、簡単に諦めるような人じゃない、そうでしょ。きっとまだ、どこかに…」

 フィヨルンが優しくその肩に手を置く。

 「あいつ、大丈夫だって言ってたのにな。〈勇気を胸に〉燃え尽きた、ってところか……ありがとうな」

 肉体が塵一つ残っていない以上、もう彼には会えない。

 それが本能的に分かっているのに、彼女はその事実を受け入れられないでいた。

 きっとどこかで五体満足で生きているんじゃないかと一縷の望みを抱いていた。

 


「ええ、いますよ」


「「え?」」

 

 二人そろって鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして間抜けな声を出す。

 いともたやすく、その望みが叶ってしまった。

「そのうち復活するでしょう。……ほら、あそこに」

 リルネフが指し示した方向を見ると、何やら黒い光のようなものが、一つの場所に集束している。

 その光が集まって、次第に人のカタチを形成し始める。

 数十秒後、完全な人型になると、光が霧散し、その中からよく知る人物が現れた。


 ソフィーの望み通り、彼は五体満足で生きていた。


 こちらを振り向き、微笑むリヒト。

 その笑顔を見た瞬間、ソフィーは耐えきれずに飛び出した。

 そして、思いっきり抱き着いた。

「うおっ!……ちょっ、いきなり飛びついてこないでよ、バランスが崩れるから」

 彼女の肉感的な身体に若干の恥ずかしさを感じてしまうも、極力顔に出ないように努める。


「飛びつくに決まってるでしょ!

 

 ……ホントに……死んじゃったかと……思って。


 ……でも……生きてて、良かった」

 

 泣きながら無事を喜んでいる。

 まさか、彼女が泣くなんて思わなかった。

 それも、自分の無事を心配してのことだったから。

 女の子を泣かせてしまった原因が自分の行動にあることに罪悪感を抱く。

 

 ……それでも、心配してくれるくらい自分のことを思ってくれていることが、リヒトにとって何よりも嬉しかった。


「……ごめんね……あと、心配してくれてありがとう」

 謝罪と感謝を同時に告げる。

「……うん……おかえり……」

 止まらない涙を流したまま、こちらに向かって精一杯の笑顔を投げかける。

 その懸命さがなんとも可愛らしく、いたずらをしてしまいたいと思うほどだった。

 ……何を考えているのだろう、自分は。

「とにかく、無事で何よりだ」

 フィヨルンがこちらにきて話しかけてくる。

「ええ、おかげさまで」

「あの技、さすがに危険じゃないか?」

「そうですね。あなたがいなかったら完全に防ぐことはできなかったでしょう。リルネフの氷だけでは耐久力に難がありますから」

 リヒトの特攻はフィヨルンの魔術の耐久力を信じてのことだった。

 実際、岩と氷のどちらが頑丈かと言われたら間違いなく岩だろう。

「ええ……私だけでは防げなかったでしょう。……なので……ありがとうございます」

 フードを深く被って顔が見えないようにしながらリルネフはフィヨルンを労う。

 他人に面と向かって感謝するのが恥ずかしいのだろう。

「そうか、俺が役に立ったんなら何よりだ。けど、リヒト。お前の使命とやらはまだ終わってないだろ」

 リルネフの言葉を受け取りつつリヒトに話しかける。

「はい。“土の神殿”に行かなくては」



 神殿の内部はいつも通りだった。

 中央に台座があり、その上にエレメントが置かれているという簡素な造り。

「これを」

 リヒトはバルムンクをフィヨルンに手渡す。

「おう……こうか?」

 フィヨルンがかざすと、『土のエレメント』はバルムンクに吸い込まれるように消えていった。

「これで『土のエレメント』は取得完了です、ありがとうございました」

「おう、俺の力が必要になったらまたいつでも頼ってくれよ。それに、よく言うだろ。帰るまでが遠足だってな」

 トントン、と拳で自分の胸をたたくフィヨルン。

「フフッ、そうですね」

 リヒトにとってこの旅は遠足と呼べるようなものではないのだが、軽いジョークとして受け取っておこう。

 

 …。

 

 ………。

 

 ……………。


 俯瞰してみれば遠足に見えなくもないかもしれないが。

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「未来なき世界」の中で… 七瀬 零 @nanase-rei

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