16・動機

 マジックミラーの横のドアが開いた。高山が林田渡とともに取調室に入る。

 緊迫した空気の中、無言のままで位置の移動がなされた。

 ミラーに背を向けて篠原と高山が座る。向かい合うように尾上紗栄子、榊美幸、林田渉、そして宇佐美が、窮屈そうに並ぶ。彼らの姿は、マジックミラーの奥の小宮山や藤巻にも見えているはずだった。

 林田は目を伏せたまま、美幸をなだめるように軽く手を握っていた。

 篠原が言った。

「先ほども説明したように、まだ何も記録を始めていません。今ここで何を話されても、後々あなた方の不利になるようなことはありません。何度も繰り返させるようで申し訳ありませんが、ご理解をお願いします」

 林田が目を上げた。

「警察はそれでいいのですか?」

「まずは事件の真相の解明が先です。それをどう処理するかは、あなた方全員の意見を聞いた上で考えましょう」

「美幸がわたしの娘であることは、どうして分かったのですか? 悟られないように、充分に注意を払っていたのに……」

 篠原は笑った。

「あなた方を捕らえた担当者が『親子みたいだった』と話していたのでね。まあ警官同士の他愛のない〝世間話〟を、たまたま僕が聞き付けただけなんですが」

「それだけで……ですか?」

「案外そんな何気ない言葉の中に、真実が潜んでいるものなのです。そう聞いてしまったら、確認しないわけにいきません。DNA鑑定など、今時捜査の初歩ですから。親子の情には、演技を超える何かがあるものだと感じ入りました。また1つ、人間の不思議を学ばせていただきました」

 林田は顔を伏せた。

「ここまで計画を練り込んだのに……嘘は、つまらないところで露呈するものですね。曙会は何10年間も騙し通せたというのに……」

「もともと、全ては芝居なのではないかという直感はありました。しかしこれほど複雑な役を演じ続けるには、役者の間に非常に強い絆が必要です。しかも理由はどうあれ、結果として役者たちは犯罪者として裁かれることになるでしょう。利益がどこにあるかも分かりません。ですが例えば親子が手を組んだ〝復讐〟とかなら、それも可能かもしれないと気づいたんです」

「復讐……と言えないことはありませんね……。せめて、贖罪の名に価すればと願っていますが……」

「曙会や教団が辿ってきた経緯、そして彼らを操ってきた組織の正体を話していただけますね?」

「分かりました……。知らないことも多いですが、知っていることは隠しません」

「では、僕に打ち明けてくれたことから、もう1度話していただけますか? できれば、より詳しく。マジックミラーの向こうで聞いている人たちもいますので」

「どこから話しましょうか?」

「あなたの生い立ちから……ですかね」

 林田はうなずき、ゆっくりと語り始めた。

「事の起こりは第二次大戦後の混乱期に遡ります。私を育ててくれた父親……血の繋がりはありませんが、父親だと思っていた人は帝国軍人の生き残りでした。捕虜として捉えられていた父はGHQの要請で通訳として日本に戻ってきました。しかしGHQの一部には悪魔信仰を持った集団が入り込んでいて、当時巷に溢れていた孤児たちを生贄にしていました。中には高位の官僚も多く、日本をハンドリングする方策にも深く関わっていたようです。占領が終わって彼らが去ってからも、孤児たちは密かに米国に送られて生贄にされていたようです。そして日本に残った一部の者が、細々と独自の儀式体系を確立させていきました。孤児を集めて供給したのは三国人を中心にした新興ヤクザで、曙会の源流にあたります。儀式に参加した日本人は欧米裏社会からの支援を受け、国家の中枢を握る政財界の要人や官僚に育っていきました。見方を変えれば、日本を操る〝尖兵〟に作り変えられた……ともいえるでしょうか。儀式を行うのはおおむね新興宗教を名乗る組織で、小規模な集団を作っては潰しながら〝悪魔の儀式〟を繰り返しました。発覚が懸念されるたびに痕跡を消し去り、上辺だけ作り変えてきたのです」

 篠原が言った。

「あなたは彼らとどう関わったのでしょうか?」

「歩けもしない頃に、生贄として曙会に買われたようです。場末の売春婦が捨てた子供だったと聞かされています。記憶も定かではない頃から父に育てられていました。しかし言葉の覚えも早く、知恵の回りも良かったので、いずれは裏家業の〝掃除屋〟を引き継がせる要員に選ばれたようです。そうして育てられる子供は少なくありませんが、期待を裏切れば即座に儀式の生贄とされます。生き残れた私は……そして、ここにいる2人の女は奇跡的な幸運に恵まれました」

 2人の女が息を呑んで、その視線が林田に向かう。しかし、言葉を発することはなかった。

 篠原が先を促す。

「では、曙会での仕事はどんなものでしたか?」

「汚れ仕事一般です。表向きは曙会の組員ではありませんが、儀式の隠蔽、死体処理、裏切り者の処分……ありとあらゆる血生臭い役目を引き受けてきました。それらの手段は幼い頃から父親から叩き込まれました。格闘術、ナイフや銃器の使用法、爆発物の扱い、撹乱工作や偽情報の拡散方法……父親は中野学校で受けた知識だと言っていました。それらを時代に合わせてアレンジしていったようです」

 それは篠原も初めて聞いたようだった。顔色が曇る。

「旧軍の教育を受けながら、GHQの異端信仰に協力していたというのですか?」

「数10人の孤児を犠牲にすることで、数100、数1000の子供を食べさせる交渉を行っていたんです。大を生かすために小を捨てる……それも、日本を存続させるために受けてきた訓練の結果です。そんな冷酷さが必要な時代だったのでしょう。父が苦痛を感じなかったとは思いませんし、他の誰かに父の決断を咎める資格があるとも思えません。父親は死の間際に言いました。『自分は力不足で意に沿わない役目を受け入れるしかなかったが、お前はいつかこのおぞましい仕組みを叩き壊せ』――と。自分でも抵抗するチャンスを常に窺っていたようですが、孤立無縁で決行に踏み切ることが叶わなかったようです。だからこそ、私を厳しく鍛えて遺志を託したのでしょう」

「それがあなたの動機だった、ということですね?」

「他にも大きな理由があります」

「岸貴恵さんですね?」

「はい。彼女は孤児獲得のために曙会に取り込まれた女でした。元々は売春婦の勧誘……女衒のようなことをしていたといいます。若い頃は彼女自身が売春婦でもありましたから。日本は高度成長で賑わっていましたが、私らのような日陰の人間が消えたわけではなかったのです。そんな中でもなんとか看護師の資格を取って、一時期千葉の赤ちゃんポストに関わっていたことも事実です。10年ほど前に大病を患って入院したのをきっかけに曙会とも距離を置き、今では人並みにひっそり暮らしていました。生贄となる子供を育てていた頃の彼女と曙会との連絡役を受け持っていたのが、私です。そして……私の子供を身篭ることになりました」

「それが――」篠原の視線が美幸に向かう。「榊さんなのですね?」

「はい。妊娠時はかなりの高齢でしたが、何度目かでしたので正常な子を産むことができたのかと……。しかし当時孤児の減少に頭を悩ましていた曙会は、2歳になった美幸を奪っていきました。私たちはすでに許し難い犯罪に手を染めていましたので、逆らうこともできずに……。しかし美幸は、やはり賢い娘でした。容貌も整っていて、生贄よりも有益な使い道があると認められたのです。ほんの偶然、ですがね。その結果、要人の接待や儀式を取り仕切る巫女役を与えられたのです」

「それなのに、あなたは岸さんを殺害したのですか?」

 林田が目を上げる。明らかに、涙を湛えていた。

「言い訳になりますが、本人の希望でした。彼女は他にも子供を出産しています。皆、曙会に取り上げられ、犠牲にされました。心の底では深い恨みを抱いていたのです。そして数年前……治療不能の脳腫瘍が発見されました。普段は正常に生活できていましたが、発作を起こすと過去を悔やんで自傷を試みました。それは心の底に棲みついた澱のようなものだったのでしょう。そんなことが起きる周期は次第に短くなっていました。本人も死期が近い事を悟っていたようです。『もうこの苦しみから解放されたい。この芝居が終わったら殺して、死体を復讐に役立ててほしい』と懇願されました……」

「東亜曙会から日本刀のレプリカを奪ってきたのはあなたですね?」

「はい。彼らからは信頼を得ていましたから。この日のために、一切の感情を殺して従属してきた成果です。一生を費やして彼らの警戒心を解くことに専念してきたのです。ですので報酬を受け取る際に、金庫の番号を横目でこっそり見ることもできました。本物の刀をレプリカと入れ替えたのも私です。私が岸の死体をあのような形に整えました。それが終わったら共に死ぬ気でしたが……彼女が生き絶える前に『生き残って全てを公表して欲しい』と……懇願されて……。だから、これ以上は隠し事はしません」

「東亜曙会の壊滅が決定的になって、もう隠す必要がなくなったということでしょうか?」

「はい」

 重苦しいため息をついた篠原は、話を変えた。

「子供たちはどうやって集められていたのですか?」

「売春婦たちがこっそり産み落とした子供、シャブや麻薬中毒になった親が捨てた子供、ただ邪魔にされて捨てられた子供……少なくはなりましたが、厄介者扱いされる子供はいなくなりません。東亜曙会やその配下の半グレたちは、そういった情報にも敏感です。売春ネットワークを握っている上に、暴力と薬物という〝飴と鞭〟の使い方にも習熟しています。そこに人を人とも思わない無神経さが加わり、犠牲者の供給が滞ったことはありませんでした。そうやって集められた子供たちを、儀式に備えて美幸たちが面倒を見ていたのです」

 篠原の目が美幸に向かう。

「そうなのですか?」

 美幸は目を伏せたまま答えなかった。

 林田が、美幸の拳を包む手に力を込める。

「もう、終わったんだ。話しても構わんだろう……」

「いいの……?」

「ああ。もう全て終わった。これ以上は望めん。終わらせるしかないんだ……」

 美幸は小さくうなずき、か細い声で話し始めた。

「あたし……物心ついた時から曙会の施設で育てられていました。面倒を見てくれたのは岸さんでした……あたし、岸さんの役目を引き継いだんです……。あそこの暮らしは悲惨でした……学校にも通えず、ヤクザや大人たちにいつも弄ばれて……同じ場所にいた子供たちは知らないうちにいなくなって、その度にまた新しい子供が連れてこられて……いつの間にか赤ん坊の世話なんかをするようになっていました。12歳を過ぎてから、2回、子供を産んだこともあります。でもその子も取り上げられて……大人になってからは外の世界に出ることもできたけど……もう全然馴染めなくて……怖くて、怖くて……自分がしてる事を考えたら……いつ警察に捕まってもおかしくないなって……」

「巫女のようなこともさせられていたんですね?」

「巫女なんて、形だけですけど……ただふさふさした棒を振ってるだけで……最初は悪魔崇拝とか言っていたのに、宗教団体を乗り換えてるうちにいつの間にか神様っぽくなったらしくて……ただ形をまねてるだけなんです……子供たちをいたぶる人たちは、ただそれが楽しいだけで……。でも、子供たちから抉った肉を食べるあの人たちは……本当に幸せそうで……吐き気を堪えるのにいつも必死でした……」

「そして、あなたの隣にいた司祭は、林田さんですね」

 美幸が林田を見る。

 林田は小さくうなずいた。

「それも話した。もう隠さなくていい」

 美幸は篠原に視線を戻す。

「父さんのマスクもあたしが作りました。田中とかいう司祭の顔のデータがあったんで、再現したんです。見慣れた司祭が仕切っていれば参加者も安心するだろうって……。でも、どうして分かったんですか?」

 篠原は言った。

「以前の教会は施設ごと信者も焼死していました。何人の遺体があったも分からない惨状だったと記録されています。そんな中で教祖だけが無傷で生き残るのは、少なからず不自然です。しかも、儀式の場以外に〝田中〟の姿は記録されていませんでした。例外は、わざとらしい出張ミサの防犯カメラ映像だけです。それもまた、不自然です。で、もしかしたら……という気になっただけです。直感ですよ。他人に化けるマスクを作れることは分かっていましたからね」

 林田が自重気味の笑みを漏らす。

「私も引っ掛けられたんだ……『燃え滓の中から田中のマスクが見つかって、付着していた皮脂から変装した人物のDNAも検出された』ってね……。おかげで、隠す気もすっかり失せた。そもそも、最初から処罰は覚悟している。曙会の壊滅を見届けるまで引き延ばせれば、それでいいと思っていた……」

「お父さんを騙したんですか⁉」

 篠原は悪びれずに言った。

「嘘はつきましたが、DNAが誰のものかとは言っていません。これも捜査の一環ですから、悪しからず」そして美幸の目を覗き込んだ。「あなたはなぜ生贄にされなかったんでしょう?」

 美幸は少なからず不満そうだったが、答えを渋ることはなかった。

「見た目、でしょうかね……。多分6歳ぐらいの頃だと思うけど……あたしの事をすごく気に入った人がいて……『この娘は殺すな』って……その人が来た時には、必ず個室でいたぶられていました……林田さんが本当の父親だって分かったのも、たまたまです……ただの偶然なんです……こうして生きてこられたのは……」

「あなたはシリコンマスクを使って尾上さんに化けましたね?」

「儀式の時はみんなマスクを被るし、あたしはその上に仮面をしてましたから……こっそり化けても誰も気づきませんでした……マスクを作るのはあたしの役目だったんです……新しい参加者が入るたびに顔のデータが送られてきて、その人専用のマスクを作るんです……データはナンバーで管理していたので、使ってるのが誰かは分からないようになってましたけど……あのマスク、顔にぴったり合わせれば表情も再現できるし……そうしておけば、参加者同士が相手の素性を知ることができないし……参加者の紹介がなければ儀式には加われない仕組みでしたけど、敵対する人同士で脅迫の材料とかに使われないようにマスクで隠すんだ、って……だからいつも儀式の最中は、誰も声を出しませんでした……」

「なぜそこまで手間をかけたんでしょうね? 単に顔を隠すだけなら、お祭りの屋台で売ってるお面だって構わないじゃないんですか? それなら資金も技術も必要ないのに」

「身元を隠すことが絶対的に重要だったのだと思います。みんなそれぞれ違った時間に個室に入って、1人で念入りにマスクを貼り付けていましたから。誰が一緒に儀式に参加しているのか、知られたくないし、知りたくもない――そんな空気が充満していました。悪魔の力は欲しいけど、自分が何者は絶対に知られたくないというか……。安っぽいマスクではいつ剥がれるか分からないし、あの人たちはお金がいくらかかるかなんて全然気にしなかったし……安心感を買うためなら、どれだけお金がかかっても構わなかったんでしょう……」

「なるほどね……。で、マスクはあなたが処分したんですよね?」

「全部一緒に燃やしました……」

「儀式の隠し撮り写真は、どうやって撮影したのですか?」

「カメラはあたしが仕掛けました……でも、まさか車にカサブタが付いていただなんて……」

「あ、申し訳ありません。それも僕が咄嗟に思いついた嘘です。あなたが腕に切り傷をつけていたのが見えたもので。儀式の際にできた傷でしょう? まだ治りきっていませんよね」

 美幸が篠原を見つめる。

「はい? あたしまで騙したの⁉ ……警察なのに、そんなズルいことしていいんですか?」

 篠原はやはり動じていなかった。

「良くはないですよ。でも、テレビドラマの探偵物とかの定番じゃないですか。チャンスがあったらやってみたかったんですよね。僕、欲望には逆らえませんでした。おかげであなたも口を開く気になってくれたようですしね」

「そんな……」

「まあ、記録はされていませんから、僕が咎められることはありません。あなたは何をどう話すか、調書を取る際に決めてもらえればいいです。僕の嘘で騙されたって訴えても、全然構いませんよ」

「え? 構わないんですか?」

「はい。自分がしたことには責任を取らないとね。僕、これでも警官なので」

「変な人ですね……」

「みんなからそう言われます。で、あなたと岸さんとの関係はどんなものでしたか?」

「最初はお母さんだとも知らされていませんでした……時々やってくる、優しいおばさんだとしか……でも向こうは、あたしが実の子供だと分かっていたようで……色々便宜を図ってくれました……」

 林田が言った。

「曙会は本来、美幸を生贄にしたがっていたんです。なまじ親子の情が入り込むと弱みになりかねないと考えていたようで。しかしたまたま力がある上得意に見染められたので、処分できなくなったわけです。ならば逆に利用しようと、親子の情を裏切りを防ぐ道具にも使ってきたのです……。尾上さんも似たような境遇にありました」

 篠原の視線が尾上に向かう。

 尾上はゆっくりと話し始めた。

「わたしが赤ちゃんポストに置いていかれたのは本当です。双子ではないそうですけど。岸さんが曙会に渡した、とも聞いています。ずっと美幸ちゃんと一緒に施設に閉じ込められていました。数少ない友達だったんです。でも8歳になった頃に専属のお客さんがついて、愛人契約を結ばされました。相手の素性も分からないままでしたけど、『お前は尾上を名乗れ』って命じられて……。尾上紗栄子という人の戸籍も用意されていて、これを覚えておけって……。略歴を書いた紙も渡されたんですが、両親は事故で死んだことになっていました。わたしは成長が早い方だったので、13歳になった時には施設を出てマンションを与えられました。わたしを買った人も尾上と言っていましたが、週に2、3回やってきてはわたしを抱いていきました。逃げれば曙会が探し出して処分すると脅かされていましたけれど、逃げる気も起きませんでした。お金には不自由しないし、施設よりずっと自由な暮らしでしたから。怖いヤクザたちとも無縁でいられたし……。そこは脱税で作った現金の隠し場所にもなっていたんです。だから尾上は、自分の素性が分からないように手を尽くしていたんでしょう。わたし、隠し金庫の管理人のような役目もしていたんです。ところが、ニュースで有名な財界人の交通事故死が知らされました。名前は違いましたが、それが尾上だったんです。外国人と組んで商売をしていた人みたいで、ネットじゃ家族共々暗殺されたとか言われてるみたいで……当然、それ以来尾上は来なくなりました。曙会が隠してある現金を取りに来ると思ったんですけど、そのまま1年が過ぎて……たぶん、手を出すなって上から命令されていたんだと思います。でも生活費も底をついてきたので、隠し場所を開けました。お金の出し入れをこっそり覗き見していたことがあって……。そうしたら何億円もの現金が出てきて……使うのは生活費だけにしていたんですけど……そうしたらある日、宇佐美さんが訪ねてきて……」

 それまで黙って成り行きを見守っていた宇佐美が、話を引き取る。

「事故死した家族は在日系のパチンコ屋の元締めでね……北から刺客を送られて商売を乗っ取られたらしいって噂があって、関係者を追ってたんです。そしたら大金の行き先が分からないっていう内輪の噂が耳に入りました。恥ずかしい話ですが、消えた金が見つかれば、少しは脅し取れるかと……。新聞社時代の情報網も使って尾上さんを探し出したのはいいんですが……逆に泣きつかれました。『自分は罪を償うから、子供たちを助けて欲しい』ってね」

「緊張が続いて、毎晩気が狂いそうだったんです。ここ何年も、ぐっすり眠った記憶なんてないし……いつ曙会が襲ってくるか分からないし……もう終わりにしたかったんです。だからといって、どうすればいいなんて分からないし、助けてくれる人もいないし……。林田さんとだって、自由に会えるわけじゃないし……。新聞記者さんなら、何かツテがあるんじゃないかって……」

「だから計画だけは考えてみることにして、林田さんとも1度だけ会いました。直接会うのは危険でもあったんですけど……詳しい話を聞いたら後戻りできなくなったんです。まあ、現金はいくらか工面してもらいましたがね」

「預かっていたお金は、今度のお芝居に全部注ぎ込む気でしたから……」

 林田が言った。

「車や機材はその金で揃えました。計画は、宇佐美さんのアイデアをもとに、私が細部を調整しました。さすが新聞記者、マスコミをここまで炎上させられるとは望んでもいませんでした。世間から注目されることが、何よりも重要だったのです」

 篠原がうなずく。

「なるほど……ですが、将門伝説がらみの仕掛けをどうやって曙会に納得させたのですか?」

「すめらぎ正教会はここ数年は儀式の中心になっていました。儀式そのものは私が差配していたので幹部にすら関わらせていませんが、いつでも切り捨てられるスケープゴートとして不可欠とされていたんです。ですが各種の施設を彼らの名義で整える以上、完全に隠し切ることも困難です。怪しい動きがあると感づかれて、曙会との関係を探るものも現れていました。一方の曙会は、常に乗り換えるための教団を物色しています。ですので、すめらぎ正教会を潰す計画が水面下で進行していました。ちょうどその時に宇佐美さんの調査が重なったので、『オカルトがらみの理屈をつけて曙会から目を逸らした方がいい』と、私から提案したのです。曙会はうまく話に乗って、上の方も教団を潰すことを決断しました。宇佐美さんにお渡しした儀式の写真も、上の許可を取っていました」

「なるほど……反社の目論みを反社潰しに逆用したわけですか。なかなかやるじゃないですか」そして宇佐美に目をやった。「宇佐美さんは、なぜこれほどの危険を冒してまで関わろうと考えたのですか? もしも芝居が破綻すれば、曙会に処分されるか、犯罪者として投獄されるとは考えなかったのですか?」

「俺ももう、隠し事は必要ないようですね……。尾上さんから助けてほしいと懇願されたとき……ジャーナリストを志した頃の熱が戻ってきたんです。腹の底から怒りが湧き上がってきました。どん底まで落ち切って鬱屈していた反動かもしれません……。それでも、相手はデカすぎる。俺ごときが立ち向かえる〝敵〟じゃないって分かりますよ。その程度の常識がなければ、底辺の仕事さえ続けられませんから。なのに、なんとかしたいって気持ちになって……俺の中にも、まだそんな魂が残っていたんだって、妙に嬉しくてね……。曙会を壊滅させる計画を練ることがやめられなくなりました」

 林田が付け加える。

「岸を含めて私たち4人は、あくまでも加害者です。子供たちの命を奪ってきたんです。だから単に教団や曙会を告発したところで一緒に捕らえられて、復讐を完結させる力などはありません。下手をすればカスリ傷すら残せないまま処分されて、悪魔信者たちの結束を強める結末になりかねません。彼らの影響力は国の中枢にまで入り込んでいるんですから。しかし逆に、マスコミや警察との関係が深い宇佐美さんが加われば、中と外から同時に攻撃できるかもしれないと気づいたのです。まずは、オカルト的な猟奇事件を頻発させて、国民の耳目を惹きつける……その後になされる告発であれば、隠蔽することなどできないでしょうから。宇佐美さんは、私たちにとっては救世主だったのです」

 宇佐美が首をうなだれる。

「救世主は勘弁だな……。たかだか場末の三流記者だ」

「少なくとも、救出された子供たちにとっては恩人です。あなたがいなければ、計画を始めることすら夢でしたから。もちろん、我々にとっても……」

「ここまでできたのは、偶然だよ。俺だってこんな計画、うまく進むとは信じられなかった」そして篠原を見る。「あなたという才人が警察にいなければ……そしてたまたまこの事件に関わることがなければ、違った結果になっていたかもしれません」

 篠原がはにかむ。

「それこそ買い被りです。警官としての職務を遂行したまでですから。あ、そうだ。あなたにはいろいろ伺いたいことがあったんです。尾上さんを保護しようとしたホテルの部屋は、どうやって特定したんですか? あの時はまだ、通信機器は持っていなかったはずですが?」

「蔵前署に張り付いて、ずっと見張っていたんです。で、得意の尾行です」

「いつ署を出るかも分からないのに? 僕も一応プロですが、全く気づきませんでしたよ?」

「探偵まがいの取材をするのが、フリーランスなので。引き出しにはそれなりの技術を取り揃えてあります。宿泊ホテルはすぐに絞れましたしね。同時に、目をつけてあった家出娘の父親に連絡しました。警察が使う部屋は大体決まってますから、特定するのも難しくはありませんでした。跳ね返りの記者がやりそうなことをやっていれば、疑われることはないと思っていたんですが……あなたには通用しませんでしたね。ですから、あの件だけは警察内からのリークではありません」

「あなたが拉致されたお芝居は、誰とどう行ったのですか?」

「それも林田さんと榊さんです。拉致現場を記者仲間に見せた後、2人はすぐに車を乗り換えて岸さんの拉致に向かいました。一方の俺はタイミングを見計らってあなたに電話を入れて、スマホを捨てました。その後1人で島へ行ってSATを迎える準備をしました。爆発物自体は、先に林田さんが仕掛けていました」

「〝田中〟が出張ミサを行なっていた公民館の映像は、どうやって入手を?」

「林田さんがマスクをかぶって撮ったフェイク動画です。すめらぎ正教会の内輪のイベントとして『レクリエーションと外部司教による特別ミサ』と称して、信者をいくらか動員しました。田中という存在を映像に残すための手段でした」

「なるほどね……僕たちもあっさり出し抜かれてしまったわけですね」

「とんでもない。俺たちこそ、あなたの手のひらで踊らされていたような気がします。でも……ここまで裏が読めていて、なぜわざわざ聴取にこんな手間をかけたんですか?」

「証言というものは、他方向から確かめないとなりませんからね。あなた方が本当は何を考え、何を願ったのか……その真実を知りたかったんですよ。いや、知らなければならなかった。いきなり『全部バレてます』なんて言ったって、正直に認めてくれるかどうか分からないじゃないですか。僕の関心事は、罰を与えることじゃありません。事実を正確に観測することなんです」

「観測、って……。本当に変わった人ですね……しかし、これで俺の役目も終わりました。悔しいですが……限界でもある……これ以上は、壁が厚過ぎて……手が届かない……」

 林田もうなずく。

「私たちの頂点に君臨しているのは、悪魔の力さえ借りるという権力者たちの〝極秘サークル〟です。これは何10年かけても正体が掴めません……というか、下手に絡むとこっちが消されると分かっていますので、近づきすぎないように用心してきました。日本を牛耳る人々の中に深く根を張っているのは確かなようですが、誰がメンバーなのかすら、今だに1人も分かりません。〝サークル〟が警察幹部に入り込んでいないという保証すらありません」

 篠原が言った。

「彼らを〝サークル〟と呼んでいたのですね。まるで大学の同好会のような軽い呼び名に思えますが?」

 林田が補足する。

「私たちの間の符牒です。実際、儀式の最中はみんな楽しそうにしていましたよ。会話は禁じられていましたから、そう感じたというだけですがね。聞き咎められても誤魔化しやすい、ありふれた名称を選んでいたのです。生贄を供給する東亜曙会と儀式を実行する教団は、そのサークルの下にあります。ですが彼らも、上部団体の名を呼ぶことすらありませんでした。あえていう時は、〝彼ら〟とか〝上の奴ら〟とかでした……」

「それほど、近づき難い存在だったということですか」

「〝サークル〟の方からも仲介役を通じて連絡してくるだけで、接点は他にありませんでしたから。この仕組み全体は、サークルが厳しく監視しています。私も仲介役から渡された特殊な通信機で指示を受けるだけでした」

「その通信機は、今どこに?」

「曙会が管理していましたが、逃走時に破壊していった機材に混じっていたようです。そもそも指紋認証が必要なので、操作は私以外はできません。今度のことでサークルはシステム自体を追跡ができないように破壊したはずです。私が逮捕された場合の対策だと教えられましたから」

「仲介役を見ましたか?」

「直接話をしたのは最初の1回だけで、しかも目隠しをされていました。声も機械で変換していたようです。なので、何者かは全く分かりません……。東亜曙会と教団も、事実上お互いに繋がりを持っていません。曙会は仲介役の指示で教団を作ったり潰したりの荒事は受け持ちますが、どこでどんな儀式を行なっているかまでは知らされていません。私も仲介役から『教えるな』と厳しく命じられていますし、曙会も聞こうとはしません。教団も子供がどこから供給されるのか教えられていません。そしてどちらにも、サークルの存在やそのメンバーを特定するような情報は残されていません。鉄壁の安全対策です。双方の橋渡しをしているのは、私と子供の管理をしている美幸だけです。子供たちの動揺を抑えながら儀式を進めるには、母親代わりの美幸が付き添うことが不可欠でしたから……岸が受け持っていた仕事を、美幸が引き継いだのです。儀式にはサークルの管理者が何人か混じっているはずですが、それが誰かも分かったことはありません。それも、彼らが同じマスクで素顔を隠している理由です」

 宇佐美がうなずく。

「役割を分散させて横のつながりを断つことで、システムを守ろうとしていたんでしょう。共産国のスパイ組織の常套手段です。それでも最も重要なのは生贄獲得のルートで、一朝一夕には構築できません。ですからサークルは、曙会の保護を重要視していたようです。万が一にも儀式が暴かれそうになった場合、教団を切り捨てて東亜曙会を守ろうとします。今回は俺が〝怪しげな儀式の会場〟を嗅ぎ回り始めたので、教団の解体を決断したのです。……というか、そう仕向けることが計画の一部だったんですがね」

「計画の実行開始ですね?」

「作戦がおおむね固まったところで、俺はあえて目に付くような取材を始めました。林田さんが曙会に『三文記者が教団を嗅ぎ回っている』と報告して、早めに処分する許可を得ました。同時に林田さんから、『教団も処分するのなら異常性をマスコミに印象付けて東亜曙会から目を逸らすべきだ』と進言してもらいました。思惑通り、教団の乗り換え決行が承認されました。すめらぎ正教会の異常性を際立たせるギミックが、児童の異常な死体と将門伝説でした。俺は拉致されたふりをしながら島の教団施設に向かい、そこでSATを迎える準備をしたのです。大げさな爆発も教団に世間の関心を集中させるための〝つかみ〟で、俺が提案したものです。林田さんは曙会に『記者も爆発で殺す』と説明していたので、幸いサークルからも異論は出なかったようです。で、ライブ中継で俺が東亜曙会を告発するという爆弾発言を放り込んだのです。とどめに岸さんの死体を加工したんですが……あの写真ですが……警察のどこから漏れたか分かりましたか?」

 篠原もそれを聞かされてはいない。

「いいえ。内部調査は進めているようですが、解明できるかどうかは不明です」

「俺の推論ですが、多分サークルからの指示を受けた警察幹部の誰かがリークしたんだと思います。世間の関心を教団に集中させるには格好の燃料になりますから。死体をグロテスクに加工することは、炎上を狙って俺が提案したことですしね。日本刀を加えることで教団と東亜曙会を結び付ける必要もありましたから。とはいいながら、〝狂気の教団〟を告発するだけで、バックに潜んでいるサークルの存在は一切示唆していません。あえてサークルには触れないことで、逆にサークルは疑心暗鬼にとらわれたと思います。本来なら政財界の力を総動員してでも曙会を守りたかったでしょうが、ここまで来ると炎上した世論が収まらない。下手をすれば、マスコミからもサークルの正体まで暴こうというお調子者が出かねない。もはや東亜曙会を切り捨てる以外にサークルを隠し通す術がなくなったのです。だからこそ、子供たちが生き残る道が開けたのです」

「ジャーナリストの本分を逸脱しているように思えますが?」

「榊さんから事実を教えられた時、俺はジャーナリストであることをやめました……というより、命に替えてでもサークルを潰したいと願いました。ただ……怒りを掻き立てられはしましたが、正義感などという綺麗事とは違います。記者として場末まで追いやられて、自暴自棄になっていたのでしょう。新聞社を追い出されてからは墜ちる一方で、離婚して家族も離れています。扱えるネタも覗き趣味の芸能スキャンダルばかりで……。しかも新聞や雑誌自体が衰退していくし、パンデミックが拍車をかけるし、で……。この事件に関わらなければ、早晩自殺を考えていたでしょう。いっそ自滅覚悟でサークルを暴こうかとも思い詰めました……自暴自棄の破滅衝動にブレーキをかけてくれたのは、林田さんでした。サークルにまで手を出せば、別れた家族や仕事で関わりを持った全ての関係者が被害を受ける。最悪命まで奪われる……と説得されたんです。この国の中枢を握るサークルには、それだけの意志と能力があるようです。『私たちが望めるのは、せめて子供たちが殺されないように東亜曙会を潰すことだけだ……そこまでなら、サークルの安全対策を逆手にとって警察力を行使させることができるかもしれない』……と。長く曙会の近くからサークルを観察していた林田さんは、そこまで腹案を温めていたのです。だから俺は、持てる能力とコネクションの全てを使って林田さんに協力しました。世論を引きつけるために考えたドッペルゲンガーを実現するために、まずは尾上さんのマンションの近くの交番へ頻繁に出入りするようにしました。その結果、自然な形で死体遺棄事件に尾上さんを絡ませることができたと思います。半年以上の時間をかけて進めてきた計画でした……」

「なるほど……そんなに前から準備を……」

 尾上が口を開く。

「篠原さんはいつからこのカラクリに気づいていたんですか?」

「かなり初期からですね。なにしろ、遺棄されたお子さんに異常な点が多すぎましたから。路上に放置していくという雑な扱いをしているのに、痕跡を消すことには不必要に神経を使っている。なのに口腔や傷口に髪の毛が残っている。よほどの理由がなければこんなチグハグな事象は起きません。その上、いきなりドッペルゲンガーですからね。異常性が際立っているほどメディアは喜ぶでしょうが、警察官としては作意を感じないわけにはいきません。決め手は宇佐美さんを通じての儀式の写真でした」

「どういうことですか?」

「20枚の連続写真は疑惑を抱かせるには充分でしたが、儀式の肝心な部分は写していませんでした。まるで、映画の予告編のように。『気になるなら、観にきてね』……ってことです。『ここを掘れ』と警察を煽っていると気づけば、芝居以外の可能性は極めて低いと分かります」

「なんでもお見通しだったんですね……」

「なんでも分かっていたわけではありません。例えば、時系列では最初に犠牲になった2名には特徴的な傷は少なく、虐待を演出していましたね。どうして過激化したのでしょう?」

 答えたのは林田だった。

「将門伝説を信じ込ませるためには3、4体の遺体が必要だと、サークルの仲介役の了解を得ました。最初から異常性を嗅ぎ取られてしまうと、その先が続けにくくなります。なので、2体は『可能な限りDVの傷に見えるようにしてほしい』とお願いしました。連続写真は、最初の儀式の際に参加者にも極秘で撮影しました。しかし評判が悪く、より過激な虐待を求められたと言います。ですので3体目からは自由に任せました。ただし4体目は、死後硬直が始まる前に処分できるように依頼しました。塩素での洗浄も、万一遺体に〝ゲスト〟を特定する証拠が残っていた場合に備えたと説明しました」

「偽装工作を任されていた本人が、指示に従っているフリをしながら犯罪行為を暴く証拠を残してきたわけですね。ご遺体の傷が過激化した理由がようやく分かりました」

「ご遺体を汚したことはすまないと思っていますが……条件が揃った時に大胆に進めないと、サークルに気づかれてしまいますから……」

「ですが、儀式の会場が〝北極星〟の位置に当たっていたのはなぜなんでしょう?」

「それはほんの偶然です。それに気づいた時は、私自身が将門伝説を信じたくなったぐらい驚きました。とはいっても、半径数キロメートルの誤差があっても不自然ではありません。その範囲に儀式ができる施設がいくつかあってもおかしくはないでしょうから」

 篠原は真顔で言った。

「神々の采配……なのかもしれませんね」

「悪魔に抗うために、神が力を貸してくださった……と?」

「この世に悪魔がいるのなら、神にはぜひとも味方になって欲しいですから。で、この好条件に4体の死体が加われば将門伝説が成り立つすると判断したわけですね」

「その通りですが、簡単なことではありませんでした。サークルの力は強大ですから、いつ処分されても仕方ないと覚悟していました。なんとか合理的な理由をこじつけて説得はできましたが、薄氷を踏む思いが続いていました」

「それでも抵抗するしかなかったと?」

「もう、疲れたのです。岸も私も、いえ、みんな限界でした……」

 篠原がうなずく。

「多分サークルも、4体目で教団を切り捨てる予定だったのでしょう。警察内部のことですから皆さんは気づかなかったでしょうが、僕にも妙な圧力がかかってきました。滅多に連絡してこない上司から頻繁に詳細な報告を求められていたのです。僕の考えを知りたくて焦っているという感じでした。高級官僚たちの間に何か探られたくない事情がある――そう勘繰るしかない展開でした」

「サークルなら、簡単にできることだと思います。でも、たったそれだけで疑いを持ったのですか?」

「外に異常な死体、中からは異常な圧力――2つの異常が重なれば、警戒心は研ぎ澄まされます。ですので、あえて管理官の立場を先輩に代わってもらったのです。異例のことですが、それがすんなり了承されたのも、異端児扱いの僕を外したいという上の方針に合致したからでしょう。逆に僕は、誰にも邪魔されずにアームチェアー・ディテクティブを決め込むことができました。真の捜査本部は、警察病院の中にあったのです」

 林田が声をもらす。

「そんなに前から見抜いていたんですか……。しかも、サークルの妨害を逆手にとったとは……」

「あ、それはこれから取る調書には入れないでくださいね。僕だっておっかないサークルに逆らいたくないから、こんな回りくどい手を使ったんですから」

 紗栄子が篠原を見つめる。

「でも、そんなに前から変だと分かっていたなら、どうして今までとぼけていたんですか……?」

 篠原は屈託なく笑った。

「だって、面白いじゃないですか。目的は分かりませんでしたが、ドッペルゲンガーとかわざとらしい拉致とか、それこそハリウッド映画みたいで。最後まで身見届けないと寝覚めが悪いですよね。もちろん、何かしらの確信があった訳ではありませんけどね」

「それも直感……ですか?」

「というより、好奇心です。しかも状況はどんどんオカルト的に荒唐無稽になっていきました。僕の脳は理屈が通らないと、なんとかして通そうとしてしまうんです。可能な解釈は、何者かが不可思議な世界観を演出しようとしている――という一点に絞られていきました。しかも尾上さんが白昼堂々、しかも僕の目前で殺されてしまった。ここに至って、〝演出家〟の目的はメディアを巻き込んで騒ぎを大きくすることだとはっきりしました。だとしたら次の疑問は、〝なぜ〟です。それを見極めたかったんです」

「わたしが殺されていないことも分かっていたんですか?」

「半々、ですかね。本当に殺したのなら、ナイフを刺している姿を目撃させるべきです。わざわざ襲撃者の背中で隠したようにしか思えませんでしたから。そうまでして死んだと信じ込ませたいのなら、本当は死んでいないという帰結になります」

「そこまで見通していたんですか……」

「疑いは抱いていましたが確信はないし、理由も皆目見当がつかない。だからオカルトに便乗して情報を集め、その裏にある理由を考え続けていたんです。とはいえ、児童連続殺人は解決しなくちゃならない。その背後関係を追求するのは警官として当然の職務です。とはいっても……こうして事件の根源は……サークルの存在は野放しのまま終わってしまいましたけれどね」

「いいんです、そこまでは期待してませんでしたから」

「悪い奴らは、これからもぐっすり眠りますよ」

 紗栄子は悔しそうに目を伏せた。

「そこまでは……期待……できないんです……」

 篠原はあえて明るい口調で言った。

「凶暴な猛獣を倒すには、猛獣使いは見逃すしかなかったということですね」

 林田がうなずく。

「次の獣は、まだ生まれていません。少なくとも、それが育つまでは平和に過ごせます」

 篠原も納得したように語り始めた。

「さっき林田さんと話して分かりました。罪を告白する間もずっと微笑んでいましたから。あなた方は満足している。と言うより、解放されることを――裁かれることを望んでいる。願いは叶えられたということです。あなた方は1つチームだ。互いに犯行を犯し、証人となり、支えあって一点に向かっていました。そして得られた結果は……東亜曙会の壊滅です。僕は、なぜ一卵性双生児などというややこしいギミックを持ち出さなければならなかったのかがずっと疑問でした。そして、東亜曙会の背後にあるものを考えて、1つの結論に辿り着きました。あなた方が言ったように〝つかみ〟が必要だったのだ、と。メディアが喰いつく犯罪が起きれば、警察も動かない訳にはいかない。だかららまずは児童連続殺人を起こして日本中の母親たちに恐怖を与える。そして犯人にまつわる双生児の存在、オカルトがらみの憶測、関係者の拉致や白昼の殺人、将門伝説、SATまで動員する大掛かりな突入事案を加えていく……まさに焚き木をくべるように放り込んでいったわけです。どれもが、好奇心を燃え上がらせるものばかりです。よくもまあ、これほど賑やかな仕掛けを思いついたものです。普段はニュースに関心を示さない若年層も、日常生活にオカルトが飛び込んでくれば話題にもするでしょう。ネットニュースにとっても美味しいイベントです。テレビのワイドショーにももってこいの素材で、まさに国民的関心事になるはずです。老人ホームから小学校まで、この事件で持ちきりになることは容易に想像できます。そしてどれだけ火消しに走っても、次々に起こされた火種はどこかから漏れ出ていく。漏れなければ、記者を通じて漏らせばいい。防戦に回る警察は、うやむやなまま鎮火させることなど不可能です。とはいえ、儀式を主導した政財界の重鎮たちを守り通さなければ、国が滅びかねない。事件の根源にあるサークルまで暴き出すことは絶対に許せない。二律背反です。妥協点は、教団と東亜曙会を〝生贄〟として差し出す以外にないでしょう。あなた方はそれを知っていた。いえ、狙っていた。サークル自身が尻尾を切り捨てる決断を下すことを願っていた。宇佐美さんの経験上、そうなるだろうという予測して計画を練ってきたのではありませんか? 結果は予測通り……東亜曙会は壊滅しました。だから満足した笑みを浮かべることができたのでしょう。そして最後の疑問です。あなた方は、これまで曙会の庇護のもとにあった。なのにどうして、そこまでして東亜曙会を叩き潰したかったのですか?」

 紗栄子は顔を伏せてつぶやいた。

「それはもう、皆さんがお話ししました。子供たちをこれ以上犠牲にすることに耐えられなかったんです……。罪が1つだけなら、『不運だった』とか自分を誤魔化して、目を逸らせられるかもしれません。でもそれが何度も続けば、心が削られていきます。そうして、岸さんはストレスを溜め込んで壊れていきました。美幸も林田さんも、子供たちの死が積み重なるたびに押しつぶされていきました。運良く現場から離れられたわたしでさえ、普通の暮らしはできないと思い知りました。子供たちの恐怖のうめき声は、毎晩夢に出ます。その度に金縛りにあったようになります。わたし……ずるいんです。もう我慢ができなくて……裁かれて、楽になりたいんです。悪夢から解放して欲しいんです……」

 紗栄子の言葉を否定する者は誰もいなかった。

 篠原が念を押す。

「では、皆さんの願いは成就したと判断して構いませんね?」

 紗栄子がうなずく。

「目的は、新たな生贄が生まれるのを防ぐことでしたから。わたしと同じ誰かは、もう作らせません。東亜曙会がこの世から消えさえすれば、それで充分なんです」

「サークルはまた別の仕組みを作るかもしれませんよ?」

「それでもきっと、何年間かは平穏になります。あんなおぞましい仕組みは、簡単に作れるようなものじゃありませんから。その間はサークルの連中は、儀式ができずに悶々と苦しむに違いありません。……ざまあみろ、です」

「そう言ってもらえれば気が軽くなります。本来なら、社会の腐敗の根源を退治してこその警察です。ですが警察も、行政機関の一部でしかありません。その頂上に悪魔の巣窟が隠されているなら、手を伸ばしても届く前に切り落とされてしまいます。僕たちにも限界があるんです。いつかはその限界を超えたいというのが、見果てぬ夢なんですがね……」

「あなたはそれでいいんですか?」

「事件の全容は解明できましたから……表向きは、ですが」

「将来有望なキャリアさんなのに……?」

「警察組織としては敗北の一種なのかもしれませんね。でも、警察といえ、お役所に過ぎませんから。今に始まったことでもありませんし――」篠原は不意に、屈託のない爽やかな笑顔を浮かべた。「僕的には完璧な結末です。事件の構造は余すところなく観測できました」

 尾上は篠原を見つめる。

「でも、この事件……世間にはどう発表するんですか?」

 篠原はあっさり答えた。

「これから一緒に考えましょう。警察にも大きな圧力がかかっていて、公にできない事柄があります。アンタッチャブル、っていうやつです。こればかりは一警官にどうこうできることではありません。できるのは、被害者を減らすことだけです。メディアにはそれなりの情報を与えないと、事件を収束させることができません。テレパシーや悪魔の儀式なんていうオカルトで世間の目を撹乱し続けるのも有効かもしれません。尾上さんが望むなら、あなたは死んだことにしたままでも構いません。ただし、ドッペルとして処罰されますが。あなたが納得がいくように、情報は選択していいと考えています」

「わたしの――いいえ、わたしたちの気持ちは、お芝居を始める前に決まっています」

 そして紗栄子は、顔を上げて晴れやかに笑った。

 そして篠原はマジックミラーを振り返って言った。

「僕たちはしばらく席を外します。その間に、皆さんで話を擦り合わせていください」そして紗栄子に向かう。「終わったら、声をかけてください。係の者を同席させて、そこから記録を開始します」


     ✳︎


 マジックミラーの裏側に入った篠原に、全てを観察していたシナバーが言った。

「あたし、警察に入ってもいいよ」

 篠原が微笑む。

「こんなエキサイティングな事件が常に起きるとでも思いましたか?」

「それでも、たまにはありそうだし」

「何か条件はありますか?」

「必ず篠原さんの下で、ね。それだったら、面白い事件の方から寄ってきそうだもの。それぐらいのわがままは許してくれるでしょう?」

 と、席を立った尾上紗栄子がマジックミラーの前に来る。

 スピーカーを通じて言った。

『わたしたちみんな、裁かれる覚悟はできています。何も隠しません。ですから、何でも聞いてください』

 篠原がマイクの前に出てスイッチを押す。

「早かったですね。後悔しませんか?」

『始める前から覚悟は決まってましたから。その上で犯罪に手を染めたことは裁かれなければなりません』

「でしたら、僕たちの質問に答える形にしてください。内容の大筋はこちらで考えます。記録に残すと国に迷惑をかける内容も含まれますので、まずは筋立てを固めないとなりません。万一〝サークル〟について触れなければならない時は、『何も知らない』で通して頂きたい」

『承知しました』

 篠原は高山を見た。

「仕事、ですよ。所轄の力量、見せつけてあげてください」

「なんで俺に?」

「相手は本庁の手練れを手玉に取った強者たちです。証言を引き出せれば一躍英雄じゃないですか。あなたはその程度の褒章を得て当然だと思いますよ」

 高山は篠原をにらんだ。

「ロートルの花道のつもりですか……。だが……あなたは、本当にそれでいいんですか? 首謀者はのうのうと生き残るんですよ?」

「いいも何も、サークルには関われませんから……今はまだ、ですけど」

「今は?」

「実際、儀式の参加者の名前は1つも上がってこないじゃないですか。それ、圧力のせいですか?」

「いいや、現場はそれなりに必死です。なのに、証拠がまるで掴めないらしい」

「サークルの機密保持はそれだけ万全だということです。暴きたくたって、無理じゃないですか。それに、エプスタイン事件でも名前が上がった人物はたくさんいますが、大半は今も平然と権力を振るっています。暴いたところで腐敗を止められる保証はありません。それでもこれだけの大事件が発覚したわけですから、ネットにはさまざまな憶測が溢れるでしょう。サークルとて、迂闊に隙を見せられないはずです。それがこの先の暴挙に対する抑止効果を発揮することを期待しましょう」

「それはそうですが……ここで手を引くということですか?」

「どうでしょうね……ただの直感ですが、彼らの相手は、たぶん僕のライフワークになると思いますよ」

 高山は小宮山管理官を見る。

「いいんですか、こんなで?」

「ま、こいつのやることだからな。階級は私より下だが、能力じゃ到底勝負にならない。君は私が出世狙いで管理官の座を奪ったと思っていたようだが、見た通り逆だったんだよ。こいつに自由に動いてほしいから、補佐役に変わってもらったんだ。こいつじゃないと片付けられない事件だという気がしてね」

 高山の視線が篠原に向かう。

「それほどの人が、なぜ現場に……?」

「いずれは警察庁のお偉方になると目されていたが……警視庁の方が面白いそうだ。今回のような事件も起きるしな。たぶんだが……辞令が出てもなんだかんだ断り続けるだろう。こいつは、そういう奴だ」

 篠原はただ穏やかに微笑んでいる。

「いいじゃないですか。全ては警察幹部の手柄になるんですから」

 小宮山がうなずく。

「お前も小賢しい技に馴染んできたな。手柄を提供すれば、処分もされない。新聞社やマスコミにも餌を与えれやれば、サークルへの追及も起こらない。当然、政権へのダメージは最小に抑えられる。腐敗の根本は温存されてしまうがね。だがそれで、お前自身は何を得る? それって、量子物理学より面白いのか?」

 篠原から笑顔が消えた。

「警察官としての満足が得られます。少なくとも腐敗の一部を切除して、何人かの子供は守れましたから。飛車を取った……程度の意味はあるでしょう。王手をかけるのは何手先になるかは、まだ分かりませんけどね。それでも、〝王将〟の正体はぼんやり見えてきたようです。人生を賭けるに足る詰将棋――なのかもしれませんね」

 そう言った篠原の目には、鬼気迫る覚悟がにじんでいた。




                                   ――――了

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【理系警視1】 わたしと同じ、誰か。 岡 辰郎 @cathands

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