第3話 オバアの策略
もともとまだらボケだったうちのオバアは、オトンの死後本格的にボケた。
足が悪いのにどうやったのか、オトンを探しに二階へ上がり二階の窓から「た~すけて~」と近所中に響き渡る声で叫んだ。
姉兄私の三人の孫は「母の愛やな」「その割にオトンが生きてた頃は仲悪かったな」「オトンが小さい頃の記憶しかないんちゃうかな今は」と話していた。
毎日「家帰るわ」と言い続けた。
「ここが家やで」と伝えると「ホンマ?!」とその度に目を丸くして驚いた。そして三分後には「お世話になったけど、もう家帰るわ」と言う。「ここが家やって」「ホンマ?!」まあるい目。「ありがとう。家帰るわ」「……帰られへんで、ここがばあちゃんの家やから」「ホンマ?!」まあるい目。「そろそろ家帰ろかな」「だーかーらー」エンドレス……一日中それが続いた。最後には「お願いやからもうちょっとだけここにおって」と懇願した。
ある時は杖をついて知らない間に外へ出て、廃品回収のお兄ちゃんに「○○まで乗せていってくれへん?家帰られへんねん」とお願いし、気の良いお兄ちゃんは「エエよ」と車に乗せてくれようとした。それを近所の風呂屋のおばちゃんが偶然見ていて、慌ててウチへ「えらいこっちゃ、アンタんとこのばあちゃんがぁー」と走って来てくれたこともあった。
その後兄が自分の車にばあちゃんを乗せて○○まで連れて行き、
「もうばあちゃんの家ないやろ?今のウチに引っ越ししたからやで」と説明した。ばあちゃんはそれからもやっぱり帰りたがって、買い物用の手押し車に腰掛けて、杖をオール代わりに地面を漕いで家から脱走を謀ったりした。そのうちどんどん足が悪くなり自分では長い距離は歩けなくなったので、ばあちゃんの逃走劇は幕を閉じた。
更にオカンのことを嫁ではなく、自分のお母さんだと思うようになった。オカンが買い物に行くと「お母ちゃんどこ行ったん?」と不安そうに尋ねる。「買い物行っただけやから、すぐ帰ってくるで」と答えると「ふうん」と寂しそうに呟く。三分後「お母ちゃん遅いな」「もうすぐ帰ってくるで」「ふうん」しょんぼり。一分後「お母ちゃんどこ行ってしもたんやろ」「ちょっとそこまで行ってるだけ」「ふうん」しゅん。オカンが帰るまでこれがエンドレス。
「いつからあんなお母さんっ子になったんやろ?」「もともと嫁姑戦争はなかったけどな」「どっちか言うたらオトンとばあちゃんの仲が悪かったもんな」孫三人は噂し合った。
痴呆により満腹中枢がおかしくなっていたばあちゃんは、放っておくと何でもどんどん食べてしまう。結果お腹を壊すのであまり食べ物は目の前に置かないようにした。
私の旦那さんがまだ恋人だった頃、ウチへ結婚の挨拶に来た時出されたお茶菓子を「ばあちゃんはさっきから5つも食べてるから、もうやめときや」とオカンが言って台所へ引っ込んだその瞬間、ばあちゃんが旦那のお茶菓子をさっと取って食べた。旦那はえっ?とびっくりしたがばあちゃんがオカンに叱られるのではないか?でもお腹壊したらどうしようと悩み、台所に居た私をこっそり呼び出して「おばあちゃんが…大丈夫かな?」と泣きそうな顔で相談してきた。因みにばあちゃんのお腹は全然平気だった。なんだかんだ昔から胃腸が丈夫で健啖家なのだ。今は大食漢になってしまったが…
その日、オカンが旦那のことを「この人誰か知ってる?」とばあちゃんに聞くと、ばあちゃんは漫画みたいにコテっと寝たふりをした。
知らない人だが知らないと言っては失礼だと思ったのだろう。
ばあちゃんはボケてから何だかどんどん可愛くなっていった。
ばあちゃんはボケていない頃はスゴいけちんぼで、誰かに何かをあげようとすると「あ、それ後で食べようと思ってたのに…」とかすぐに言う。言われたお客さんは「あ、良いのよ良いのよ」と気を遣う。私はそれがすごく嫌だった。なんとみみっちいババアだと思っていた。なのに今は、「これおばあちゃんに」と人から貰ったものは全部「お母ちゃんにあげて」と言う。兄がふざけて「ばあちゃん、お金ちょうだい」と言うと「あげたいのに持ってへんねん」と悲しそうに言う。ボケる前は「お金ちょうだい」はばあちゃんの口癖だったのに。
天使のようになったばあちゃんは我が家だけでなく、デイサービスでも人気者でスタッフのみなさんにすごく良くしていただいた。ただ車椅子で施設内を暴走するのでタイヤの空気は抜かれていたが……
ばあちゃんが寂しがるのであまり外に出られないオカンのために、姉が韓国ドラマを大量に持ってきた。オカンはばあちゃんと一緒に毎日韓国ドラマを見てすっかりハマってしまった。
ばあちゃんはドラマの画面を見ながら「これ、アンタの兄さん?」と私に聞いた。画面にはイ・ビョンホンが映っていた。因みに兄はビョン様には似ても似つかない。ヨン様を見ている時にも言っていたので顔は関係なかったのかも知れない。
ばあちゃんが腕の骨を折って手術することになった時も大変だった。ボルトを入れるため麻酔をするという。高齢なのでもしかするとそのまま意識が戻らない可能性もあるとお医者さんに言われた。手術の日は親戚や知り合いが押し寄せて待合室に入れなかった。夕方手術が終わるとみんなで病室に駆けつけた。ばあちゃんは手を動かさないように固定するために置かれた重たい四角い枕を看護婦さんに投げつけて、鼻に差された酸素の管を鼻息で吹き飛ばそうとフンフン言っている。「こんなん要らんっ!」と悪魔に身体を乗っ取っられたかのような狂乱ぶりだ。
「興奮しているようですのでみなさん部屋から出て行って下さい」と追い出され、「あの様子なら大丈夫じゃね?!」とウチの家族以外は病院から引き上げてもらった。
しばらく待ってからもう一度病室へ行くと看護師さんに「すいませんねぇ お世話になります」とにこにこしている。天使のばあちゃんに戻っていた。
「誰や、目覚まさへんかもとか言うたん」「そういうこともあるから最悪の場合を想定してああやって言いはんねん」「大暴れやったな」孫三人でなんやかんや言いながらも、ばあちゃんが元気でほっとしていた。
ばあちゃんは90歳近くで乳がんと診断されたが、高齢のため進行も遅く、抗がん剤治療も手術も体力的に無理だったので特に何も治療しなかった。ある日ばあちゃんの胸からピューと血が噴き出した。ばあちゃんの顔がみるみる青ざめて行く。「救急車!!!」オカンが叫ぶ。
乳がんのしこりが大きくなりそこからの出血だった。家族全員ばあちゃんと同じくらい青ざめたが、ばあちゃんはケロっとしていた。
ばあちゃんは最期まで家にいた。もう長くはないと在宅医の先生に言われ「何時でも良いから電話して下さい。立ち会わんと不審死扱いになって警察に言わんとアカンようになるから」と先生は携帯の番号を教えてくれた。様子がおかしいと言うと、朝からたくさんの人がウチへ来てくれて看護師さんの知り合いが、息が止まったばあちゃんの胸を押して在宅医の先生が来るまで蘇生術と人工呼吸を続けてくれた。在宅医の先生はもう晩酌していたようで顔が真っ赤だったが、電話するとすぐに駆けつけてくれた。
96歳。明治43年生まれのばあちゃんは、明治・大正・昭和&平成ファイヤーと駆け抜けた。
オカンは「私ほど幸せな介護者はおらん。ばあちゃんのお陰や」と葬式で言った。オカンの手は腱鞘炎になっていたが、それでもばあちゃんの人柄、特にボケてからの人柄のお陰で大勢の人が手を貸してくれた。優しくしてくれた。
ばあちゃんのお陰でたくさん笑った。
天使になったばあちゃん。
「小さい頃より今の方が好きってどうよ」「前のまんまの方が悲しくなかったのに」「さすがばあちゃん、やっぱ意地悪やな」
孫三人は文句を言いながら、ばあちゃんにありがとうとさよならを言った。
うっとこの話 大和成生 @yamatonaruo
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