飴が降った日

麦野 夕陽

1話完結

 飴が降るらしい。


「なにそれ」

「だから、飴が降るんだって。今日の夕方、空が桃色に染まって飴が降るんだよ」

 そう言う彼女は誰なのか、霧がかかったようによく思い出せない。彼女はつづける。

「雨が降っちゃうと困るけど、飴ならいいと思わない?」

「ふーん」


 夢でも見ているのだろうか。ヘンテコリンな会話だ。飴が降ってくるなんてそんな現実離れした話、メルヘンすぎるだろう。

 しかし、周りをたゆたう空気も、空間を震わす唇も、桃色に染まる空も、現実のような感触だった。


 今はいつなんだろう。ここはどこだろう。おもいだせない。


 僕は桃色に染まる空の下、確かに彼女と会っていた。

「ねえ」

 僕が何かを言いかけたところで、彼女のほうが先に口を開いた。

「この飴って食べられると思う?」

 ちいさくしゃがんでいる彼女。手の中の飴を陽に透かすようにして見つめながら呟く。その瞳に光が反射する。

「さぁ」

「食べてみようかな」

「え」

 止めるより先に、彼女は口にポイっと飴を放り込んだ。

 カラコロと飴を転がす音がわずかに聞こえる。

「……おいしい?」

「うーん」

「まずいの?」

「まずくはない」

「うん?」

「甘いし、酸っぱいし、ひどく苦い」

「なにそれ」

 二人でぼんやりと桃色の空を眺める。彼女と過ごす時間は、ひどくゆったりと流れた。

 

 ずっと降り続けていた飴は、彼女が食べ終わる頃にピタリとやんだ。


「さてと、もうかえらなきゃ」

 

 桃色の世界がオレンジ色に変わりかけるなか、隣の彼女が立ち上がる。

 

「──どこに?」

 

 自分でもなぜその言葉がこぼれたのか、わからない。決して家ではない、どこか。


 まだ座っている僕に、この世の優しさをつめこんだような顔を向ける。


「じゃあね、元気で」

 

 誰なのかわからない、靄がかかっているはずなのに、心地よくて、幸せで、ひどく寂しかった。


 一歩あるきだす彼女を呼びとめようとして意識が浮上した。気づけば自宅の布団の上。

 

 夢をみた。いままでにない不思議な夢。ぼんやりと身を起こし、すぐそばのカーテンをあける。朝日がのぼりかけていた。夜のあいだに雨がふったようで、水たまりには陽の光が反射している。


 なぜ思い出せなかったんだろう。


 窓から陽がさしこみ、机に飾る写真を照らす。彼女と僕が楽しそうに笑っていた。おそろいの指輪をして。

 彼女は遠くへ行ってしまった。僕をおいて。悲しみにくれる僕の感情をパクリと食べて。

 雨のような涙はもう出ない。

 

 甘くて、酸っぱくて、ひどく苦い。

 僕もいずれ彼女と同じ場所へ還るだろう。

 その時まで。



 了

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飴が降った日 麦野 夕陽 @mugino

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