戦場の歌姫は虚空に夢を刻む

つるよしの

あの娘が最後に望んだことは

 ――彼女の歌が聞きたい。


 虚空を進む、宇宙船の仄暗いコックピットの中でのことである。私は、なぜ自分がここにいるかを確認したいという、定期的に湧き上がる衝動に抗えなくなって、左手をそっと顔の前に差し出す。そして人差し指に嵌めた指輪の側面のスイッチを軽く押した。

 すると、指輪から、ふわっ、と一筋のか細い光の帯が迸り、ほどなくして、そのおぼろげな光は、人間の頭部の立体映像へと姿を変えていく。


 やがて、私の手のひらの上に、くりっとした黒い瞳に黒髪をなびかせた、褐色の肌の少女の首が浮かび上がった。

 そして、その唇は滑らかなメロディをつま弾き始める。


「空をゆく鳥の影、青い波飛沫、遥か見交わす、岬の灯台。それはあなた。どうぞ私たちを導いて。豊穣の海へ。永遠の平和へ……」


 知らず知らずのうちに、私の唇もそのメロディに合わせ動き出す。

 私とネリーのハミングがコックピットに当て所なく流れる中、私は、彼女の歌を初めて聞いた時のことを思い出していた。


 ――あれは、もう、遠い昔、いまは遥か彼方の星となった地球での、戦いの最中のこと。



 胸部から血を噴き出しながら、どさり、と敵兵が私の前に崩れ落ちる。

 敵兵の鮮血は、彼を撃ち殺した私の顔をもどす黒く汚したが、私は血の滴る顔のまま、後ろを振り向くと、指揮官に戦果を報告した。


「准佐、当該施設の敵は殲滅しました」

「ご苦労だった、ユーリヤ。相変わらず、手際が良いな」


 私の上官である、カターエフ准佐が感心したように言葉を放ってくる。私はその言葉の中に、解析できなかった単語が含まれていたので、直ちに彼に問い返した。


「手際が良い、とは、どういう意味でしょうか。准佐」

「上出来ってことだよ。ユーリヤ。アンドロイドのお前には、少し難しい言葉だったな」


 カターエフ准佐はそう苦笑し、草原に連なる敵兵の死体の山を跨ぎながら、私の元へ歩み寄る。そのときのことだ。彼の足が地面に伏せた敵兵の指に触れた、次の瞬間、そこに白いドレスを着た褐色の肌の少女が突如出現したのだ。


 手を伸ばせば届くような距離だったというのに、私のセンサーは少女を捕捉していなかったので、脳の指揮系統は多少混乱して、私の手足はしばし動きを止めてしまった。

 そんな私の耳に、くりっとした黒い瞳の少女の唇から流れるノイズ混じりの歌声が、高らかに響き出す。


「ああ、ユーリヤ、驚くことはない。こいつは立体映像だ」

「立体映像?」

「ああ、ほら、見てみろ。この小娘には、なんの実体もない」


 そう言うや、准佐はその少女の身体に腕を伸ばした。すると、なるほど、彼の手は少女の白いドレスを、すっ、とすり抜けた。


「理解しました。では、これは無害なものなのですね」

「まあな。だが、無害ってわけじゃないけどな。こいつは、敵の奴らの士気を鼓舞する、どんな特殊兵器よりも厄介な小娘だ」

「厄介。危険ということですか?」

「その通り。この小娘は、奴らの祖国じゃ圧倒的な人気を誇る歌姫さま、だそうだ。もう敗戦も近いっていうのに、奴らを力づける歌を、この期に及んでも、戦場に送り続けてきやがる。ほら、こいつが嵌めている指輪があるだろう? それが小娘の歌の受信機であり、再生装置でもあるんだ」


 准佐は忌々しげにそう言いながら、足元の死体の指から銀色の指輪を抜き取った。そしてその指輪の突起を操作する。すると、瞬時の内に少女の姿と歌は消え去った。


「私には、分かりかねます。そんな実体も持たない姿の、ましてや歌などが、我々にとって危険性があるなど」

「まあ、そうかも知れないな、ユーリヤ、お前には」


 カターエフ准佐は頭を掻きながら、死体の上で、なぜかまた困ったように笑う。

 それから、私になにかを放って寄こした。私はそれを受け取り、しげしげとそれを見やる。それは、彼がいま死体から奪い取ったばかりの指輪だった。


「ユーリヤ、戦利品だ。お前が持っておけ」

「よろしいのですか? 准佐」

「ああ。俺よりも、その小娘の歌の価値も分かりようがないお前がそれを持っている方が、なにかと皮肉で、面白かろう」


 そう言うと准佐は、撤退だとばかりにその場から身を翻した。私は彼から受け取った指輪を一瞥し、そして、それを血濡れた左手の人差し指に無造作に嵌めると、草いきれを蹴って、カターエフ准佐の後を追った。



 戦争は、始まった時と同じく、唐突に終わった。

 私たちの圧倒的勝利で戦いが終わると、私のような戦闘用アンドロイドは、またたく間にその役目を終える。私の数多くの仲間が、廃棄されたり、また、配置転換されて後方に回されたりしていたが、私は、占領地の管理任務を任されたカターエフ准佐の元で、変わりなく雑用をこなしていた。

 そして、ある日、私は彼女と再会することになる。



「ユーリヤ、あの指輪をまだ、身に着けているか?」


 カターエフ准佐が、執務室に唐突に私を呼んだのは、終戦から三カ月と十二日経過した日のことだった。部屋に入った私に、准佐は開口一番そう尋ねてきたので、私は即座に答えた。


「はい」


 私は答えると同時に、左手を准佐の目の前に差し出した。彼は、私の人差し指にあの銀の指輪が未だ嵌まっているのを見て、満足そうに頷くと、私に用件を切り出した。


「実はな。ネリー・オリベイラが捕まった。いやあ、なかなかにしぶとい小娘だったよ。敗戦後、ずっと行方をくらましていたんだが、昨晩、リスボンはアルファマ地区の下水溝のなかに、仲間とともに這いつくばっていたところを、ようやく捕縛した。敗戦国の国民的歌姫なんて肩書きにはそりゃあ似つかわしい、汚く醜い姿でな」

「ネリー・オリベイラ。それはこの娘のことですか?」


 私は差し出したままの左手に嵌めた指輪のスイッチを押した。すると、白いドレスの少女が途端に宙に浮かび上がり、歌を歌い出す。


「その通りだ。ああ、その映像はもう止めてくれ。こいつの歌は、俺の耳にはなにかと五月蝿くて敵わん」

「はい」

「よし、いい子だ、ユーリヤ。それでだ。ネリー・オリベイラは戦争犯罪人として裁かれることになる」

「ネリー・オリベイラは民間人で、戦争犯罪は民間人には問わないと現国際法では定義されているはずですが」


 私は准佐の言に、脳内に内蔵された知識から疑問を抱き、そう口にした。するとカターエフ准佐は私が見慣れた、あの困ったような笑みを顔に閃かせる。


「そうなんだが、本国から彼女は別格だとの通達があってな。大衆煽動罪で起訴するべきとのお偉方の意向だ」

「そうでしたか。了解です」


 私はこれが、准佐らのよく言う、デリケートな問題であることに文脈から気がつき、ひとまず了承の意を唱える。すると准佐は、どこか安堵したような表情になった。


「もの分かりが良くて助かるよ、ユーリヤ。そこで、だ。お前に新しい任務を与えよう。お前にネリーの世話係を任ずる。まあ、簡単に言えば、警護を主とした監視役を頼みたいということだ」

「了解です。特に、留意点はございますか」

「死んでも、逃がすな。それと……、絶対に、自害させるな。これは厳命だ。分かるな、ユーリヤ。分かったら、これからすぐに、ネリーの牢へ赴け。番号は四〇一」

「承知しました。カターエフ准佐」


 私は引き受けたとばかりに、踵を返し、准佐の部屋を後にする。背後で准佐が、なにやら複雑な顔持ちをしているのを私のセンサーが感知したが、それは確認に値することではないと脳が解析したので、私はただ黙って、ネリーの牢へと歩を進めた。

 


 ネリーの牢は、すぐに分かった。部屋番号を目で追うまでもなかった。その独房に近づくほどに、歌声が流れてきたからである。四〇一号室の前で、看守が歌を止めるように怒鳴る声が聞こえる。私はその間を割って入るように、扉に歩み寄り、虹彩認証でロックを解除すると、陽の光が届かない薄暗い独房にて歌うネリーの前に立ちはだかった。


「空をゆく鳥の影、青い波飛沫、遥か見交わす、岬の灯台、それはあなた」

「……どうぞ私たちを導いて。豊穣の海へ。永遠の平和へ」


 私が歌の続きを諳んじてみせたので、ネリーは驚いたように歌うのを止めて、私の顔をまじまじと見た。立体映像そのままの彼女がそこに立っていた。いや、服装は白いドレスではなく青い囚人服、長い黒髪は短く刈られて、それに頬はだいぶ痩せこけて見える。だが、くりっとした黒い瞳はあの映像の姿と、完全に合致していた。

 やがて、しばしの間を置いて、ネリーが言った。


「あなた、私の歌が歌えるの」

「私は、一度聞いた言葉は完璧に記憶できます。だけど、歌というものは、よく分かりません」

「あら、あなた、アンドロイドなのね」


 私の答えを聞いて、瞬時に理解したとばかりにネリーが頷く。


「その通りです。ネリー。私はユーリヤ。今日からあなたの世話係を命じられました。よって、今日からあなたのそばで、あなたを警護します」

「世話でも警護でもなく、監視でしょ。ご苦労さまなことだわ。それに、私に残された時間なんて、たかが知れているのに」

「そうはさせません。あなたが自害することは、この私が、絶対に許しません」


 ネリーの諦観に満ちた呟きに、私は語気を強めに調整して、自らの任務を述べる。するとネリーも、あの、人間がよくする、困ったような笑いをあどけない褐色の顔に浮かべた。


「ユーリヤ。心配しないで、私は自分から死んだりしないわよ。それでも、あなたの任務は、ほどなく終わるの」

「なぜですか」

「ああ、ユーリヤ。あなたはほんとうに機械なのね。こんなに透き通るような青い瞳に白い肌、きれいな黄金色の髪なのに。不思議で仕方ないわ」

「ネリー。あなたは私の質問に答えていません」


 私は自分の問いとは外れた回答をしたネリーに、制裁を与えるべきか考えながら、ひとまず抗議の意志を伝えた。そんな私の顔を、ネリーが見上げる。そして、そのくりっとした黒い瞳に強い光を湛えると、彼女は私に向かって言い放った。


「それはね、ユーリヤ。私は近いうちに、戦争犯罪人として処刑されるからよ」

 


 その日から、ネリーと私の共同生活が始まった。

 私の任務は、カターエフ准佐が命じた通り、彼女の監視を怠らぬことであったが、それは、それまでの戦場での掃討作戦に比べれば、たいして困難な任務では無かった。彼女はカターエフ准佐が心配したように自害する様子はまったく見せなかったし、私が命じることに、たいてい、彼女はおとなしく従った。


 それでも私が彼女に制裁を与えなければいけないことは、あった。それは、彼女が独房のなか、もしくは法廷において、突如、歌を歌い出すことがあったからである。その歌は、立体映像から流れたあの彼女の歌であったり、彼女の祖国の国歌であったり、または、私の知識にはまったく内蔵されていない歌であったりと様々だった。彼女は、その高く伸びやかなソプラノを、一旦、その場に響き出させると、容易にやめようとはしなかった。法廷であれば裁判長の、独房であれば看守の、それぞれの制止の声が鋭く飛んだが、彼女はまったくそれを意に介そうとしなかったのだ。


 そうなると、私の出番だった。私は、そのたびに、腕を帯電させては、彼女を殴打しなければいけなかった。私は、彼女が意識を無くすまで殴り続けた。その唇がメロディを漏らすのをやめるまで、彼女の顔が赤く腫れようと、口から砕けた歯を吐こうと、殴らなければならなかった。

 これは、なかなかに骨の折れる仕事であった。



 だから、彼女の裁判がまれに見る速さで結審し、判決が下り、その処刑が決まったとき、私は思わずカターエフ准佐に尋ねた。


「准佐。ネリー・オリベイラが銃殺刑に処されるのは、彼女が歌うことをやめなかったからですか?」

「違うんだ。ユーリヤ。彼女は、大衆煽動罪で死罪になった」


 苦虫をかみつぶしたような、と、よく人間が表現する顔で私を見ながら、准佐が答える。だが、その准佐の言葉は、私の内蔵知識とはまたしても齟齬を生じさせるものであった。


「我が国における大衆煽動罪の最高刑は終身刑だったと、私は記憶しています。准佐」

「ああ、そうだ。そうだよ。だが、今回の判決は、超法規措置なんだ、ユーリヤ。彼女を長々と生かしておけば、占領民どもが大人しくしていない。お偉方はそれを恐れているんだ。いわば、彼女の処刑は、見せしめだ」


 カターエフ准佐の返答からは、その内容の厳しさとは裏腹に、なにかしら苦し紛れな様子が見受けられ、私の言語中枢の判断を鈍らせる。仕方なく私は、彼の最後の言葉を復唱した。


「彼女の処刑は、見せしめ」

「そうだ、ユーリヤ。ネリーの銃殺刑は、見せしめだ」


 准佐の声音からは、異議を認めぬ厳しさが窺い取れ、私は、気がつけば、反射的にこう答えていた。


「承知しました。カターエフ准佐」

「それでいい。ユーリヤ。もう彼女が歌おうとしても、止めずとも良い。あと、お前の出来ることであれば、なるべく彼女の望みは叶えてやるように」


 そう言うと、カターエフ准佐はいきなり椅子から立ち上がり、足早に執務室を出て行ってしまった。

 唐突にひとり部屋に残された私は判断に困り、自分がなにか間違ったことを准佐に言ってしまったかどうか、しばらくの間、夏の午後の白いひかりの中、自問自答しながらそこに佇むしか、術がなかった。



 ネリーの処刑の日は、それから十一日と十時間後にやってきた。

 彼女は、その日が近づくにつれて、以前にも増して歌を歌うことが多くなった。だが、私は、准佐からの伝達に従い、以前のように彼女を殴打して黙らせることはしなかった。そうなると、その日が訪れるまで私がすることと言えば、ただ彼女が、笑い、笑ったと思ったら泣き、泣きながら歌を歌い、そしてまた笑う、その繰り返しを黙って見つめているくらいだった。そしてそんな私に、ネリーは泣きながら、時に微笑みながら、こう言うのだ。


「ユーリヤ。心細いときに、そばに人がいてくれるって良いものね。それがたとえ、理解し合えない相手でも」

「ネリー。私は、人間ではありません」

「それでもいいのよ。私、あなたが最後まで、そばにいて、歌を聞いていてくれていたこと、忘れないわ」


 蒸し暑い、暗く閉ざされた空間の中、ネリーの痩せ細った褐色の手が私の冷たい手に差し伸べられる。その感触は、人間ならではの体温を宿していた。熱を帯びた指が、私の手のひらを、すうっ、と弧を描くように、なぞる。


「私、あなたと、もっと平和な時代に出会っていたかったわ。ユーリヤ」

「私には、平和というのが、どんな状況であるのか、分かりません。ネリー」


 ネリーの言に、私の言語中枢は、何と応じるべきか判断を示すことができず、ひとまず簡潔にそう答えざるをえなかった。だが、彼女は失望するふうでもなく、その指先を私の指輪に、ぴたり、と寄せる。そして、しばらくの沈黙の後、静かな声で、こう囁いた。


「ねえ、ユーリヤ、お願い。いつか、平和な時代があなたの目の前に訪れたとしたら、この装置をそこで、また動かして。そして、その空の下に私の歌を響かせて」


 ネリーの黒いくりっとした瞳は潤んでおり、そして、その声は消え入らんばかりに小さなものであった。だが、そこには確固たる意志がこめられていることを私の脳は的確に察知したので、私はその時、こう答えたのだ。


「承知しました。ネリー・オリベイラ」



 その会話を交わした日、太陽が赤く西に傾くころ、ネリーは独房を出て行った。そして彼女がふたたび帰ってくることは、なかった。



 それから、どれほどの時が経過したのだろうか。



 私とネリーが最後に会話を交わしてからの時間を正確に数えれば、二百七年五ヶ月三日もの月日を、私の記憶装置はカウントしている。

 その間にも、私はたくさんの人間の命を受け、そのたびに私はたくさんの人間を殺した。


 そして、私の主人であった人類が死に絶えてしまって、ひとりぼっちで世界を彷徨うようになった今でも、私は、ネリーの望んだ「平和」というものを探し当てられていない。どこを巡っても、争いの痕跡は必ず深く刻まれているのだ。


 だけれど、私はネリーの最後の望みを、今もって、記憶から削除できずにいる。よって、その望みを叶えるために、地平から地平を渡り、そしてここ四十年の間は、宇宙を旅している。


 私の指輪の再生装置は、最近、とみに調子が悪い。

 もう数十年前から、ネリーの全身像を映し出すのは難しくなっており、今では微かな光がネリーの頭部のみを、ぼんやりと投射するだけの装置と成り果てているのが現状だ。

 だが、首だけになった姿でも、ネリーは、長い黒髪を風になびかせ、褐色の顔を誇らしげに上気させながら、あの高く伸びやかなソプラノで、朗朗と歌ってみせる。そう、今日も、くりっとした黒い瞳を、遠い宇宙の彼方に見開き、私の手のひらの上で、彼女は歌い続ける。


「……どうぞ私たちを導いて……豊穣の海へ……永遠の平和へ……」


 いまや、私の身体は、ネリーの頭部が奏でる歌声に背中を押されるように、銀河の深淵に向けて、一秒、また一秒と、そのスピードを加速させるのみだ。


 ネリーの言う平和というものがどのようなものなのか、果たしてそれが、ほんとうに存在するのか、今もって分からぬままに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦場の歌姫は虚空に夢を刻む つるよしの @tsuru_yoshino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ