第三話 『保健室』

 保健室。


「よし。こんな感じでいいかな?」


 兎にも角にも“愛情の戯れ”による実害の為、その腫れた頬に湿布を貼りつける等の応急手当を、顔馴染みのある女性教師の手によって施されていた。


「ウッス……。わざわざありがと。

「んんーっ⁉まだ治ってなーい」

「ん?なにが?」


 奇しくも、今回のこういった保健室利用は、記録上では一切が残らないとはいえ、確かな事実になってしまわれたことは、間違いないだろう。

 大変、不本意ながらではあるが。


「呼び方よ。呼・び・方ぁ!」

「呼び方?『りるっちゃん』のこと?」

「そう!それ!まだ治ってないじゃん!私、昔から“その呼び方だけは辞めてね?”って言い続けてきたのもう忘れた?」


 この時は、本当になにも知らなかったのだ。


「え、でもただの“ニックネーム”じゃん」

「そうだけどさ、なんか嫌なのよ。どこか私の事をバカにしているような気がして――」

「バカにしてるなんてそんな、人聞きの悪い……」


 そんな小さな価値でも当の本人たちの中では勝ち取るべき価値として見出し、密かな盛り上がりをみせている、ということに。

 更にはそれが、伝統的な大会である、ということに。


「でもそういうところ、あるでしょ?私が優しくて怒らなさそうだからって甘えてさ」

「いやあ俺の中では別にそんなつもりはなかったし、なんなら、俺らのたった唯一の“姉”という感覚で昔から思ってたんだけど……」

「ふぅぅん。そうなんだあ。私にはちっとも伝わってきてないけどなー」


 巷では決まって、年度が変わった四月の『新生活』が始まった時に行われるのが多いだそうだ。

 ――否、『新生活』の時しか行われない、と言うべきか……。


「だって伝えてないもん」

「ウソつき」

「ウソじゃない。ほんと」

「言い訳なんて聞きたくなーい」


 その上、そんな限定的なイベントのクセしといて、開会と閉会の合図はあっという間らしい。

 誰かがゴングを鳴らす訳でもなく、気付けば試合開始のゴングが鳴り響き、思い出した頃には試合終了のゴングが鳴り終わっているという……。


「じゃあなにも言わない」

「ふんっだ!もう知らない!」

「なんでそうなる⁈」


 そんな侘しいイベントは、新入生の間では勃発しやすい傾向にあり、二年生・三年生と学年が上がっていくにつれて程度はやや劣るが、毎年のように開催されるの『恒例的行事』のようなのである。


「久しぶりに会って、ちょっとは変わったかなー?と思えばなーんにも変わってないし、私の事をバカするような子なんてもう知りませんっ。早くクラスに行っちゃえばいいんだ」

「あ、でた。もうなにをそんなに拗ねてるんだよ。子供みたいに」

「もう二度と口なんか聞いてやんないもん!」

「あーはいはい。わかりました。おとなしくクラスに行きますよ。んで、俺のクラスってどこか分かる?」


 加えて、このイベントは個人戦でありながら競技性も兼ね揃えているというのもあってか、真の目的である『誰が一番の利用者を勝ち取れるのか』というゲーム性質が、参戦者に謎の奮起を起こすだとか。知らんけど。


「教えません」

「なんでよ⁈」

「だって、教えたくないから」

「子供か!!はぁ……。もうわかったよ!——」


 ただ共通認識として、誰かに教えを乞うことや、下手な探りを入れること、更には、直接確認しに行くことや情報提供をすることの一切を許さない、あくまで個人間だけの――“秘密裏”というのがミソなんだと。


「——俺が悪うございました。ごめんなさい。これでいい?」

「……うぅ。そうやってまた私をバカにする。ふぇええ……」

「めんどくせ……」

「なんか言った?」

「いえ、なんでもありません」


 それのなにが面白くて盛り上がるのか……今となちゃあまるでわからないのだが、それが目的でわざわざ入学してくる新入生も少なからず存在する位、生徒内では有名と化しつつあるゲームである。


「……フン。君のクラスは一組ですう。早く行っちゃってくださーい」

「うぃーす。んじゃ、ありゃっとあざしたー。まったねー」

「ったく。この、ばーか!」


 それらを踏まえて、ゲームの名を生徒達はこう言う――『1stファースト ナースルーム』

 その名の通り、学年の中で誰が一番最初の保健室利用者になれるのか、を競い合うゲームのことを指す。

 ……素直に言おう。、と。

 そして少年は、保健室を後にして、教えられた自分のクラスへと目指すのだった。


 ガラガラガラガラ……


 一変して、先程まで騒々しかった『1ー1』と表札が付いている教室内が、一気に静まり返った。

 同時に、驚愕のような――それでいて、後から入ってきたが一体誰なのかという疑心の視線が全方位から向けられる。

 今日から生活を共にする、今はまだ名前の知らないクラスメイト達であった。

 あまりにも痛すぎる視線のせいで思わず引き返したくなるような気持ちを芽生えさせていると、後方の窓際に座るある男子生徒から煽りの声が聞こえた。


「おやおや?今日は入学式という大事な式があるっちゅうのに、初日からバックレた奴が今頃来やがったじゃないか」


 第一印象は最悪な様子だった。

 ただ遅刻してしまって、保健室で手当てを受けていただけなのに。

 少年はそんな声がした方向をしっかりと見やり、反発する反応を見せる。


「うるせぇよ。バックレたくてバックレた訳じゃねーんだ。ちょっと色々あって遅れただけなんだよ。黙っとけ」

「……あぁ?」


 教室内は、張り詰めたような謎の緊張感で包まれた。

 話し方によっては致し方ないのだが、煽り口調で物を言われると反発した口調で返してしまうのが少年の性分なのである。

 そんな血気溢れる会話が、教室の端と端で続けられていた。


「てかお前よ、いきなりなんなんだ?喧嘩でも売る気なんか?」

「いーや?式をバックレるようなイキがってる奴がどんななのか、試したかっただけだ」

「ならさっきも言った通り、色々あって遅れてしまっただけなんだ。別にイキがってる訳じゃない」

「そうか。だとしても頬の貼りもんはなんだ?こっから見るに、喧嘩をしてきたようにしか見えないんだが⁈」

「あ、いや、これは……——」


 惜しむように頬を右手で擦り始めた。

 ……言える訳がない。“今朝、妹に殴られた”なんて――。

 例え言ったのだとしたら、どうなるんだろうか。

 多分、顔を隠して声を殺したような薄い笑いが飛んでくることだろう。


「(恥ずかしすぎて言えねぇ……)」


 正直なところ、それ以外の何物でもない。

 だが、一方の男子生徒には気がかりがあった。

 本校の恒例的行事イベントのことだ。

 密かにゴングが鳴って試合が始まっているという、一番乗りゲーム。

 それを確かめようと言葉より先に身体が動いて、少年の傍まで駆け寄る。


「……まさかとは思うが、今日ここに来る前、保健室に行ったか?」

「?、あぁ、まぁ行ったけど……?」


 途端に愕然とし出す数十名のクラスメイト。

 力という力が抜けて机に横たわり、聞こえるような声でため息まで吐く者もいた。

 そんな様子に戸惑いながら教室内を見渡すのだが、数名のクラスメイトも同じように愕然とする生徒らを見て困惑している様子が見て取れる。

 参戦している者としてない者がくっきりと二分されて具現化された瞬間であった。

 それよりも眼前の男子生徒は血相を変えていて、胸ぐらを掴んで激しく揺らしながら耳が痛くなるほどに怒号を鳴らす。


「てんめぇぇええええっっっ!!なんてことをしてくれたんだコノヤロォオオオ!!」

「いや、え?ど、どうしたの⁉何か俺、悪いことでもした?」


 先程まで愕然としていたクラスメイトらも、怒り交じりの睨みを効かせている。


「しかもよりによって初日に行きやがったな⁉貴様ぁあああっっっ!!!」

「だからなんだよ⁈なんも知らねぇって俺……」

「絶対にてめぇを許さねぇからなぁあああ⁉」


 廊下まで響いていた怒号は、騒ぎを聞きつけた他クラスの生徒らまでをも呼び寄せていた。

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