惑いの森 ⑥
* * *
昼休みも半分を過ぎた頃、テオはアブサロンから急に呼び出された。ブルーノも一緒だ。
「ミアを惑いの森から連れ戻してきてくれないかい? ぼくは今手が放せないんでね」
ベッドには、授業で怪我をしたらしい生徒が横たわっている。その傷を縫いながら、やってきたばかりのテオとブルーノにそう指示するアブサロン。テオは唖然とする。
「…………惑いの森!?」
「彼女には追跡魔法を施した種を埋め込んである。いつも昼休みはぼくのところへ来るのに来ないから、少し居場所を探らせてもらった」
テオの片方の口角がひくひくと動いた。
【惑いの森】とは、学内のマップには表示されていないスポットだ。森自体が魔力を持ち、生きている。そのため移動する。見つけようと思っても見つけられないことが多いが、ごくたまに迷い込む生徒もいる。悪いゴーストも沢山住むその森からは、不気味な唸り声が聞こえているはずだ。
本来この学校の生徒は、惑いの森には近付くなと教育される。攻撃的なゴーストや獰猛なユニコーンがいるだけでなく、森に気に入られたり、逆に嫌われたりすると、出られなくなる可能性があるからだ。もし大切な臓器である木に傷でも付けたとなれば、この恐ろしい森は黙っていない。永遠に対象者を内に閉じ込め、死ぬまで飼うことも有り得る――それこそ、入学説明会では注意事項として必ず全員に知らされる危険な森だ。
――ミアはその入学説明会に参加していない。仕方ないとも言えるのだが、
「惑いの森と鉢合わせるとかどんだけ運悪ぃんだよ……。つーかあの雰囲気、近付いちゃいけねぇことくらい見りゃ分かんだろ……」
とテオはツッコミを抑えきれずにいた。
テオも一年生の頃に一度だけ、惑いの森と遭遇したことがある。話には聞いており、どこからどう見ても関わってはいけないオーラを醸していたためすぐに逃げた。普通なら知らなくてもそうするほど不気味な森だ。テオはミアの危機察知能力の低さを嘆いた。
「種に記録されている最後の景色に映っていたのが、惑いの森の中の木々だよ。あの森は外の者に干渉されるのを嫌うから、追跡魔法はそこで妨害されてしまったけれどね」
「妨害されてるならどうしようもないんじゃないっスか? どこにいるかもう分からないでしょ。惑いの森なんて探して見つかるモンじゃありませんよ。学者でも苦労するのに」
「森ごときがぼくの施した魔法に完全に打ち勝てると思うかい?」
そこでようやくテオたちの方を振り向いたアブサロンは、にやりと笑った。
「確かに、動かずにミアの現在地を把握することは不可能になったけれど、探せば見つかりやすいようにはしてあるよ。上空から目視すると種の位置だけ黒く映る。目が悪い魔法使いでも分かるくらい、大きくね。――君たち、三限は空きコマだろう?」
君たちなら授業が一コマ終わるまでに探し出せるだろう? という圧力を、テオは感じた。
「クッソあのガキ、厄介事しか持ってきやがらねぇな……!」
ほうきに跨って空中を高速度で飛び抜けながら、テオは大声で悪態をつく。
フィンゼル魔法学校の敷地がどれほど広いことか。アブサロンのおかげで上空から見れば目立つとはいえ、闇雲に敷地内の端から端まで探すのは時間的にも体力的にも限界がある。
それに加えて、惑いの森は頻繁に移動する。ミアが無事なうちに見つけ出せるかどうかは完全に運次第、である。
テオはブルーノと二手に分かれ、ひたすらに敷地内の上空を飛び回っていた。
探し始めて数十分――テオはブルーノよりも先にどす黒い闇の魔力の塊を見つけた。見つけたのは奇跡に近かった。
「あの悪質な感じのする魔力……アブサロン先生のに間違いないな」
使い魔のフェレットは置いてきたため、たまたま上空を飛んでいたカラスに自分の位置をブルーノに知らせるよう頼み、一気に高度を下げて地上へと向かう。ブルーノの到着など待っていられない。いつ惑いの森が移動するか分からないのだ。
――しかし、地上へ辿り着いても、森は存在しなかった。ただ黒い塊だけが凄い速度で何もないところを移動している。テオはほうきの速度をやや上げてその塊と並走しながら、状況を推測した。
(外からは干渉できねぇのか……?)
惑いの森に関してはまだはっきり分かっていない点が多い。あくまでも仮説にはなるが、惑いの森をなかなか見つけられない理由として、〝同じ位置に存在しながら目視できず、干渉もできない状態〟の時間が多分にあるのではないかとテオは考えた。ミアが今ここにいるはずであるのに接触できないこの状況が、惑いの森がそこにありながら姿をひそめている可能性を濃くした。外からはいつも通りの景色に見えるのに、そこには確かに森がある。
(どうすりゃいいんだよ)
しかし、この仮説が正しければ、惑いの森とミアの位置が分かったところでどうしようもない。どうしたら外部の人間にも姿を現してくれるのか、森の中へ入れるのか、干渉できるのか――発動条件が分からないことにはどうしようもない。アブサロンの黒い魔力の塊に手を伸ばすが、魔力に触れることができただけで、何も変化はない。
さきほどから黒の塊が凄いスピードで移動していることが、テオをさらに焦らせた。ミアが何かを追っているか、何かから逃げている。シンプルに思考すれば後者。森の中の状況はよろしくないようだ。
ミアの身に何かあったら、あのオーナーの命令に背いたことになる。
「っあー! クソ!」
頭をがしがし掻いたテオは、ほうきの上に仁王立ちした。バランス感覚のいる乗り方だが、テオはこれをよくする。
――ここに惑いの森があるなら、呼び出してしまえばいい。
大きく息を吐いて集中した。内ポケットから銀色の指輪を取り出し、左手の薬指へとはめる。杖でどうにかできるような局所的な魔法ではこの事態に対応できない。この辺り一帯に、魔法をかける。
召喚魔法。召喚する物やその物との距離によって難易度が大幅に変わる、場合によっては転移魔法と並ぶほど巨大な魔力やリスクを要する術だ。成功するかは魔法使いの技量による、実力が現れやすい類の魔法。
――テオは、惑いの森を召喚しようとしていた。
距離は問題がないはずだ。しかし惑いの森の広さや反発を考えると、テオの肉体が無事でいられるかは怪しい。
だが。
「舐めんじゃねーよ」
テオは指輪にキスをして、空間に指を差す。轟音がとどろき、熱を発して周囲を溶かしながら、その場になかったものが闇の力と共に現れ始める。吹き飛ばされそうになるほどの熱風を浴びながら、笑ってみせる。
フィンゼル魔法学校。闇の魔法の国・レヒト最高峰の魔法学校。
「俺を誰だと思ってんの? その気になれば森くらいすぐ引きずり出せるっつーの」
――その頂点に君臨する〝オペラ〟の幹部になった実力は伊達ではない。
テオは、内に秘められた膨大な魔力を使い、惑いの森の召喚を無傷で行いきった。
そして、すう、と息を大きく吸った後、
「ミアぁぁあああ! こっち来い!!」
深い森に向かって叫ぶ。中に入ってしまえば自分も出られなくなる恐れがあるため、一旦は外から仕掛けることにしたのだ。
声が届いていることを祈りながら、森の様子を窺っていたテオの元に、ヒュオッと風を切るような音がしたかと思うと、ブルーノが降り立った。
「どういう状況だ?」
「さっすがブルーノ、早いな。今召喚魔法で森を召喚したとこだぜ」
「この規模の森をか? ……馬鹿なことをする。どうなっても知らないからな」
「ほぼゼロ距離だったからできたんだよ。二度目はねぇな」
そう――召喚した森がまたどこかへ行く前に、ミアを回収しなければならない。
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