第12話 マッサージー2

 うつ伏せになると、宝生の温かい手がわたしの脚に触れ、マッサージが始まった。

 絶妙な力加減だった。触れられるのも辛い筋肉痛のはずだったが、煮凝りが溶けていくように、筋繊維が優しく解されていくようだった。さらに脚を持って、いろいろな角度に曲げられ、腰のバスタオルが捲れ上がり尻が丸見えになりそうだったが、あまりの気持ちよさにどうでもよくなっていた。

「痛くないですかー?」

「……めちゃくちゃうまいですね。こんなマッサージは初めてだ」

「それは良かったです」

 脚を丁寧にマッサージしてもらった後は、背中から首にかけてのマッサージになった。これも文句なしだった。

「では、オイルリンパいきますね」

 宝生は言うと、手にオイルをつけるとわたしの背中全体に塗りつけた。じっくりと丁寧に、皮膚下に浸透させていくように塗りこんでいく。

 オイルマッサージとはこんなに気持ちいいものだったのか。

 あまりの気持ちよさに、わたしは眠ってしまいそうだった。が、手の動きが腰へと移行したことで、わたしの意識は覚醒した。

 やましい気持ちはない。ないのだが、どうしても気にしてしまうのだから仕方ない。……鼠蹊部を念入りにマッサージされ、睾丸と肛門のすぐ近くを指が這っていくのを気にするなと言うのが無理というものだろう。

 身体はほぐされリラックス状態だ。そこに、このマッサージでアレが元気になるのは自然なことではないか。

 なるほど。ハマる男が出るのも納得だ。下手な風俗よりもいいかもしれない。

 彼女はわたしのそれを見ているはずだが、何も言わなかった。見慣れているだろうし、いちいち言うことではないのかもしれない。

「では、仰向けになってください」

 わたしは仰向けになった。ベッドで圧迫されていたわたしのアレが解放されたかのように、バスタオルを持ち上げていた。

 さすがにこのまま続きというわけにはいかない。暴発したらまずい。

「……ちょっとトイレ行ってきていいですか?」

「あ、はい。どうぞ」

 わたしはベッドから降りて立って、驚いた。あれほど痛かった脚がかなりマシになっている。それはともかく、わたしはトイレに入って自分のモノを鎮めるために手で処理した。

 戻ってきて、続きをお願いする。

「すいません。お願いします」

 宝生は、鎮まったわたしの股間を見て、温和な笑みを浮かべた。

「おにーさん、真面目ですね。こういうマッサージしてると、最後は手でしてくれとか、追加料金で口でしてとか、ひどい人は本番しようとしてくる人がいるんですよ。グフフっていう店なんだからそういうこともあるんだろって。グフフじゃなくて、グーフーフーって読むんですけどね。まったく、それなら風俗行けよ、って話です」

 完全におじさんなのに、おにーさんと言われて、わたしはむず痒くなった。

「大変ですね」

「でも、おにーさんみたいな人もいて、気持ちよかったって言ってもらえるとやっぱり嬉しいです」

 宝生は温和な笑みでそう言った。

 内心でわたしは自嘲した。わたしみたいな人、か。一年前のわたしならその言葉を素直に受け取らずに、皮肉の言葉と取っていただろう。こんなくたびれたオッサンがこんなマッサージを受けて喜んで、気持ち悪い男だと思っているんだろう、とネガティブな考えを抱いていた。

「ご結婚はされているんですか?」

 宝生が話題をふってきた。

 今のわたしは気持ちの良いマッサージで身体と、心も少しほぐされていた。アロマオイルの匂いでリラックスしていたから、口も少し軽くなっていた。

「まだです。実は昨日プロポーズしまして……」

 言ってから、余計なことをしゃべったと思った。他人に何を話しているのだろうか。

「そうなんですか! 素敵!」

「けど、いろいろありましてね……」

 その言葉で宝生は何かを察したのか、「……そうですか」と言葉を濁した。

 少しの間、黙ったまま宝生は仰向けのわたしを施術した。わたしも黙って身を委ねた。

「久瀬さまは」不意に宝生が口を開いた。「わたしの命の恩人なんですよ」

 わたしは目を開けて宝生を見た。

「……おにーさんは、あの人が裏の世界の住人だとご存知ですか?」

 わたしは頷いた。

「本人が隠すことなく言ってました」

「おにーさんはどう思いました? 怖い人だと思いましたか?」

「……いや、そういえば、別に怖い人だとは思わなかったかな。実際どうかは知らないけど」

 そう言うと、宝生は少し憂いを帯びた笑みを浮かべた。

「あのかたはとても優しい人です。訳アリの人間に、とてもよくしてくださって。それから、人を見る目も確かです。久瀬さまがこのマンションを使わせる人間に、悪い人はいません」

 訳ありの人間。宝生もそうなのだろうか。聞くのも野暮だと思い、わたしは何も言わなかった。

「はい。コレで施術完了です」

 身体全体を揉みほぐされ、わたしはベッドを降りた。

 驚くほど身体が軽い。

「凄い。こんなマッサージは初めて受けました」

「喜んでもらえてなによりです。それでは、次のお客様がお待ちしておりますので、失礼させていただきます」

「ありがとう。とても楽になったよ」

「またのご利用をお待ちしております」

 宝生は笑顔で一礼して部屋を出て行った。

 絶対にまた利用しよう。もちろん、美奈子の許可を得てからだが。

 なんなら、美奈子にも施術してもらおうか。あ、いや、メンズエステだった。でも一応女性もいけるか聞いてみるか。店舗だと、他の男性客もいるだろうから、今回みたいに出張で……。

 そんなことを考えていた時、部屋の固定電話が鳴り響いた。

 この部屋にかかってくるということは──。

「もしもし?」

「久瀬だ」やはりそうだった。「エステはどうだった? 気持ちよかったろ」

「ああ。身体が軽くなった。感謝する」

「いいってことよ。じゃあな」

「あ、ちょっと待ってくれ」

「なんだ?」

「ニ階がトレーニングルームだったな? わたしも使わせてもらっていいか?」

「別にいいぜ。だけど、ほどほどにしとけよ?」

「わかってる」

 わたしは通話を切って、ジャージ姿に着替え、ニ階へと向かった。

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ミッドライフリサージェンス 巧 裕 @urutramikeinu

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