第11話 マッサージー1

 目を覚ましたわたしは、見知らぬ部屋とベッドに一瞬混乱した。慌てて身体を動かそうとしたが、全身に凄まじい痛みが走り、身体を動かすことができなかった。そのままベッドに寝たまま深呼吸して落ち着く。

 ああそうか。わたしは昨日のことを思い出した。

 年甲斐もなく全力疾走し、美奈子に言われるままに住んでいたアパートを出て、G県のS市へとやってきたのだった。そして、久瀬という男に出会い、この隠れ家的なマンションにやってきたのだ。

 まさかわたしがこんな非日常を送ることになろうとは。

 会社にはどう言おうか。

 考えるのは後にして、わたしは這いずってベッドからどうにか降りた。ここまでの筋肉痛は、三十代の時の社員旅行でスノーボードに行って、無理やり一日滑らされた翌日の時以来だ。あの時もひどかったが、今回はもっとひどかった。

 腹から搾り出すようなうめき声を出しつつ、わたしはドアノブに捕まり膝をプルプルさせながら立ち上がった。キッチンに入り、どうにかこうにか棚からグラスを取り出して、水道の蛇口から水を汲んで飲んだ。こんな情けない姿は、とても美奈子には見せられないと思った。

 ふと、自分の体臭が鼻についた。汗も流さず寝たのだから当たり前だ。

 トランクから着替えを取り出し、バスルームに壁伝いに向かう。気を抜けば、足から崩れ落ちそうだ。

 服を脱ぐのも一苦労だった。

 シャワーを浴びて汗を流すだけに留めた。湯船に浸かると、そのまま身体のどこかをつって溺れてしまう可能性を考えた。

 脱衣所で身体を拭いて、腰にバスタオルを巻いて一息ついていると、玄関のチャイムが鳴った。

 まさか美奈子がもう来たのか。

 そう思ってそのままの格好で玄関に向かう。

 こちらが開ける間もなく、ドアが開いた。昨日、鍵を閉め忘れていたようだ。自分の不用心さに腹が立った。

「すいませーん。大丈夫ですかー?」

 間延びした声で、若い女が顔を覗かせた。

 美奈子ではない。

「だ、誰だアンタは! 勝手に入ってくるな──あ」

 バスタオルがズレて、取れてしまいそうになった。慌てて直そうとすると、今度は足が攣った。

「あら」女が目を丸くする。

 結局バスタオルが外れ、わたしは女に全裸を見られてしまったが、脚を攣った痛みでそれどころではなかった。

「あ、脚を攣ったんですね。失礼します」

 女性は素早く中に入ってきて、わたしを無理やり座らせて、すぐに左手を攣っている足の膝に押し当て、右手でわたしのつま先を掴んで身体側に引っ張った。

 だんだんと痛みが遠のいていってホッとして、女性を見た。丸みを帯びた顔、目尻がやや垂れている穏やかそうな美人だった。胸元が開いた黒いシャツを着ていて、脚も太ももが顕になっている短パン姿だ。

 と、分析している場合ではなかった。わたしは今素っ裸なのだ。

 慌てて動こうとしたが、筋肉痛でまともに動けずに呻いた。美人の前で、堂々と裸でいられるほどの精神力はわたしにはない。

「あ、無理に動かないでくださいねー。そのままで大丈夫ですよ。どうせ脱いでもらうつもりでしたから」

 その言葉に耳を疑った。

「な、何を言っているんだあなたは! というか、いったい誰なんだ!」

 女性は佇まいを直して、正座をして床に三つ指揃えて頭を下げた。

「申し遅れました。わたし、こういうものです」

 言って、名刺を渡してくる。そこには、メンズエステ『Guhuhu』宝生貴澄ほうしょうきすみとあった。

「久瀬様からのご依頼で、佐渡様のお身体をマッサージさせていただきにきました」

「久瀬の依頼?」

「はい。佐渡様がおそらく動くこともお辛い状態だろうから、身体をほぐしてやって欲しいと承りました」

 確かに全身筋肉痛で、動くのはかなり辛い。マッサージしてマシになるのならそれに越したことはない。

 メンズエステといえば、全身マッサージと、オイルを使ったリンパ流しが主である。鼠蹊部なども念入りにマッサージしてくれ、性器を触るか触らないかのそのギリギリの責めにハマる男が続出するらしい。店によっては、違法行為と知りつつも、追加料金で性処理を行う店もある。

 それにしても、初対面の久瀬がそんなことをしてくれるとは思わなかった。よほど、美奈子に対して頭があがらないのだろう。

 わたしはありがたくその好意に甘えることにした。

 ……やましい気持ちはない。純粋にマッサージをして欲しいだけだ。

「では、ベッドに行きましょう」

 宝生はわたしの手を取り立たせると、バスタオルを渡してくれた。それを腰に巻いて、言われるままベッドに向かった。

 本来は紙パンツをはくそうだが、足がまだ筋肉痛で辛いのを伝えるとそのままでいいと言ってくれた。

「ではまずはうつ伏せになってください」

 うつ伏せになると、宝生の温かい手がわたしの脚に触れ、マッサージが始まった。

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