第22話 幕間『関係者の反応その2』




 ──2020年8月29日、都内某所の雑居ビル。


 時刻はまもなく午後三時……。

 貧相な事務所の待合室で時計の針を確認した少女は、何度目になるのか判らないため息をこぼしながらぼやいた。


「桃華さん、遅いなぁ……もう始まっちゃいますよ」


 まったく、あの偉大なる先輩はいつもこうだ。

 有無を言わさぬ笑顔で自分を巻き込むのは構わないけども、曲がりなりにも社会人なんだから少しは時間厳守でお願いしたい。

 多忙のあまり摂り損ねた昼食はレンジでチンすればいいんだろうが、今や国民的アイドルと化しつつある梨花ちゃんの初配信ソロライブを見逃すのはいただけない。

 冷え切った料理を前に突っ伏した少女──エルミタージュの専属VTuber・寺山たぬきは不意に室外から近づいてくる騒音を耳にするや、弾かれたように立ち上がった。

 ……このダミ声は間違いない。

 声と態度の大きさには定評がある傍迷惑な先輩が、ようやく自分との約束の席に向かってきたのだ。子供っぽい少女の丸い顔が空腹を忘れたようにほころぶ。


「もうっ、何時だと思ってるんですか……って、失礼しました!?」


 だが、開いた扉から現れたのは彼女が先輩と慕う皇桃華すめらぎももかではなかった。

 明らかに不機嫌そうでありながら、どこか諦め切ったように冷めた表情──背後の人影に押されて狭い室内に押し込められたのは、エルミタージュの創立者にして、各種イベントの顔役。同社の舵取りを一手に担う現社長でもある妙齢の女性は、恐縮する少女に「気にするな」と声を掛けて、「君も大変だな」と微笑未満の表情でねぎらった。


「ほら、寺山くんも困ってる。もう逃げないから、いい加減背中を押すのはやめろ」

「いや、ここ狭いからさ、純粋に邪魔なんだよね……悪いけどもっと奥の席に着いてくれる?」


 そうして社長の谷村郷美たにむらさとみの後ろからようやく見知った先輩の笑顔が見えたとき、寺山たぬきの演者たる少女はおおよその事情を察するのだった。


「あ、ごめんタヌちゃん。時間ギリギリになって」

「いえ、どうかお構いなく」


 憮然とした表情で奥のパイプ椅子に腰掛けた谷村社長は、未だに梨花ちゃんとの契約に消極的だと聞かされている。

 おそらく皇桃華の演者たるこの女傑は、VTuber小嵐梨花の初配信にかこつけて所属事務所の社長をあらためて説き伏せようとしているのだろうが……そんな社内政治に巻き込まれては堪ったものではない。よって、何を訊かれても極力中立を維持しよう。

 そう決意した少女は「すぐ料理を温めますね」と見えない火花を散らせる二人から距離を取るのだった。


「なんだよその顔? 会議で正式に決まったっていうのに不満タラタラそうだな」

「彼女と契約するリスクは何度も説明したはずだ。ただでさえ外部の声が大きい業界だというのに、よりにもよって柔道の小嵐梨花を招き入れようとはな……下手をしたら丸ごと乗っ取られるぞ」

「ハッ! そんなんだからトゥルー・ワールドに水を開けらるんだよ!! 向こうは港区の一等地に大きな事務所を構えてるのに、こっちはこんなオンボロの事務所でスーパーの弁当を食うハメになってんのは、慎重な経営判断とやらでチャンスを逃し続けてきたお前の責任なんじゃないのか!?」

「そうかもしれんが会社を潰すよりマシだろうよ」


 そうしてバチバチにやり合い、同時に缶ビールをプシュッとやる二人に「ひぇえええ」と身をすくませた少女は、しかし生来の好奇心を抑えきれなくなるのだった。


「あの、横から恐縮なんですけど……梨花ちゃんと契約するのって、下手をしたら会社を傾けるほどリスクがあるんですか?」

「……ああ」


 エルミタージュの創立からずっとタッグを組んできた二人の議論に割り込んでしまった少女は、言ったあとで明らかに後悔する表情を見せはしたが、そちらにチラリと視線を向けた谷村の表情はそれほど不機嫌ではなかった。


「事前に相談してくれたら話は違ったが、まさか、あんな配信を始めるとはな。あれでは内緒で契約しても誰が誰だかバレバレだろうに……。前代未聞だぞ。素顔や本名はおろか、家族の経歴まで公開してるVTuberなんぞ」


 そう言ってグビリと缶ビールをあおる社長に、寺山は「ははぁ?」と曖昧にうなずく。


「あのさぁ……ファンが梨花ちゃんの家に押しかけるのが問題になるんだったら、そんなのとっくの昔に事件になってるだろうが」

「そうならないのはよほどファンに恵まれたからか? 違うな。政府高官の覚えもめでたい父親が揉み消してるんだろうよ」


 だが、あくまで慎重論を唱える谷村に皇桃華は噛みつく。

 規約の問題もあって本人の希望はIOCに却下されたものの、男女混合団体の大将を務めて、事実上の無差別級で無双すらしてみせた柔道の小嵐梨花が、今さら厄介オタクの現凸くらいでオタオタするわけがないと皇桃華は力説するが、谷村郷美は冷淡だった。


「祖母は人間国宝。祖父は警視庁の逮捕術師範。母親はオリンピックで三連覇を成し遂げた初代柔ちゃん。父親は警視庁の警備部長。……経営者としてはこっちのほうが問題だ」

「なんでだよ、味方につけたら頼もしいじゃんか?」

「だが、いつ敵になるか分からん味方だぞ? 小嵐梨花がうちのVTuberとして成功するとは限らんというのに、そうなったときに大切なお嬢さまをお預かりしたエルミタージュが世間の叱責を浴びないと思うか? ご家族の不満もうちに向かうのは想像に難くないし、政府もなんと言ってくるか……今から頭が痛いよ」

「ぐっ……」


 なるほど……桃華さんの不満も分かるが、理は社長にある。

 ようするに何もかも未知数すぎて、梨花ちゃんとの契約は慎重にならざるを得ないんだ。

 給仕よろしくテーブル上の料理を次々と温めた少女は感心するが、その顔が直後に狼狽寸前となる。

 忘れていたわけではないが、件のVTuber・小嵐梨花の初配信はもう目前だった。

 もう始まってるとテレビのリモコンを掴んだ少女は、大慌てでチャンネルを操作してYourTubeを表示させる。

 登録チャンネルは『ぶい⭐︎ちゅう部』。

 部室の日常を描いたイラストを背景に、主題歌と思しき軽快な歌声が室内に響く。


「おっ、始まったじゃん」

「ああ。チャネル登録者数37万人に対して、ライブ配信の視聴者は800人と少なめだが……時間帯を考えれば、個人勢としてはむしろ破格の部類だな」


 すると……どうだろうか?

 先ほどまで 喧々諤々けんけんがくがくとやり合っていた二人の顔から険が取れ、自然とその口元が柔和になった。


「いい曲だね。梨花ちゃんも以前の配信とは比べ物にならないぐらい上手になってるよ」

「うむ。この短期間で大したものだが……作詞と作曲はあの大御所に頼んだのか? 伝手も使ったのだろうが、随分と金をかけたものだな……」


 音楽には独自の魔力がある。

 耳にしたモノを引き込みその感情を操作する魅力が……。寺山たぬきの演者たる少女もまた、ただひたすら前向きで元気な歌声に修羅場の心労を癒されるかのような気分だった。


「ほら、やっぱり逸材じゃんか。梨花ちゃんはさ……」

「そうだな。それは認めるが……話は後だ。始まるぞ」


 そして歌声の終了をもって画面が切り替わり、いつもの部室……は表示されず、視聴者のコメント欄とともに二人のVTuberが現れる。

 右手にちょっと背伸びしたSFチックな衣装に身を包んだ黒髪の少女──そちらは判る。以前に任展堂の本社に突撃したときに使われた小嵐梨花の化身アバターである。


『こんにちは。ぶい⭐︎ちゅう部の小嵐梨花です』

『みなさんご機嫌よう。同じくぶい⭐︎ちゅう部のアンジェリーナ・オリオールですわ』


「ほほう、そちらも完成していたか。トゥルー・ワールドの技術指導を受けたそうだが、こちらもこの短期間で大したモノだな……」


 その眼がいかにも経営者らしく、他社の技術を値踏みするものに変わったことにも気づかず、二人のVTuberは暢気な感想を口にする。


「梨花ちゃんもアズ◯ンのボルチモアみたいですっごいエッチだし、アンジェリーナもフォーミダブルみたいじゃん。これ描いたや◯夫のヤツ、ぜったい狙ってんだろこんなの?」

「たしかに似てますけど、別にいいんじゃないですか? どっちも可愛いし、パクったって言われるほどソックリってわけでもないんだから……」


 まったくよく動き、そのアニメーションはプロから見ても秀逸である。

 デザインの類似性こそ指摘されるが、そちらもあくまでリスペクトの範囲。これなら彼女の希望通りに買い取ることも検討できるし、なんなら今後のデザインを発注しても構うまい。

 エルミタージュの社長である谷村郷美は、小嵐梨花とアンジェリーナに割り当てられたLive2Aの出来を高く評価するのだった。


『さて、今回はわたしたちがVTuberとして活動するにあたって記念すべき初配信ということで、何をするのかだいぶ迷ったんですけど……以前からなんでVTuber? そもそもVTuberって何って意見をよく目にしたんですよね。なので今回はみんなの疑問に答えていこうと思いまして』

『ええ、ワタクシもそれでよろしくってよ。……でも梨花さん、視聴者リスナーのコメントを拾うとなると、それなりの混乱が予想されますわよ?』

『うん。だから今回はね、匿名のメッセージをSNSに届けてくれるこちらのサービスを使わせてもらうよ。今回は余裕をもって一週間前から設置したけど今からでも有効だから、わたしたちに訊きたいことがある人は使ってみてね』


「なるほど、初配信でましゅまろを使うのか」


 通常、VTuberの初配信と言えば自己紹介の名を借りた設定開示に終始するものだが、この二人が何者かなどオリンピックに熱狂した視聴者には今さらすぎる話題だろう。

 そんな退屈な話を初配信にするくらいならば、ましゅまろを使った質疑応答で足りない情報を補完するか……。


「悪くない判断だな。これなら自分たちの方向性をより深く知ってもらえる可能性が高い。……だが、ぶっつけ本番でましゅまろを使うのはどうなんだろうな」

「自分たちも使ったことがありますけど、何が問題なんですか?」

「それはアレだよタヌちゃん。ましゅまろは罵声とかが含まれてるとオートで削除してくれるけどさ、礼儀正しくエッチなことを訊いてきたらうっかり許可しがちじゃない? だから事前に確認ぐらいはするけど、今から質問オーケーだとそっちのチェクがおざなりになりそうじゃん……どれ、お姉さんも梨花ちゃんたちに付き合った男の子の数を訊いてみるわ」

「いや、訊くなよ」


 下手をしたら炎上の危険もあるが、逆に言えば、その手の意識をチェックする機会でもある。

 視聴者のコメントを管理するモデレーターがどんなに頑張ろうとも、心無い一言が演者の心を抉ることはままある。

 そういうときに何食わぬ顔でコメントを捌くのもVTuberの演者には求められるが、はたして彼女たちはどうか?

 酒と料理を口に運んだ谷村郷美は画面を注視するが、そちらから聞こえてきたのはなんとも反応に困るものだった……。


『まずはこちらのましゅまろを読ませてもらいますね。えーと、梨花さん、金メダルおめでとうございます。ところで質問なんですが、ぶい⭐︎ちゅう部の初動画で壁や天井を歩いてるしか思えない梨花さんの影が画面に映り込んでるんですが、これってどういうコトかお答えいただけますでしょうか?』


 その質問に唖然とする谷村郷美の前で、寺山たぬきが先輩の皇桃華と二人で見る予定だったAiPadを猛烈な勢いで操作し──後輩の意図を悟った女傑が画面を覗き込み、そして叫んだ。


「あっ、本当だ!! 今の、ここ、ここ……梨花ちゃんが天井を歩いてる!?」


 気の所為だと思いたかったが、寺山たぬきが停止させたぶい⭐︎ちゅう部の動画には、確かにそうとしか思えないような影がチラついており、この指摘はニコニコと微笑む小嵐梨花本人はともかく、彼女の相方を務めるアンジェリーナ・オリオールにとっては予想外だったのだろう。

 器用に冷や汗を浮かべたフランス娘の声は微かに震えていた。


『……視聴者のコメントにもよくぞ質問してくれたってありますけど、こちらの怪奇現象を梨花さんはどう説明なさるおつもり?』

『うん。壁を歩いてるのはリオ&レオのポスターを貼ってるときで、天井を歩いてるのはどっかから紛れ込んだGを捕まえてるときだね。ボルタリングの要領で壁や天井を足の指で掴んで歩いたんだよ。……ほら、わたし背が低いからポスターを貼るときに苦労しちゃってさ』


「いや、そんなコトは訊いてないぞ」


 だというのに、あっけらかんと答える女子中学生の神経はどうなっているのだろうか……?

 いや、説明されなくても想像はつく。たしかに自重の軽い昆虫ならば、独自の形状をした脚で壁や天井に自身を引っ掛けて移動できるだろうが……その原理を人間に適応しようとする観点、これが分からない。

 ひとことで言ってしまえば、なぜ試そうと思った……そしてなぜ出来る?

 小嵐梨花の回答に困惑していないのは、見たところ自信満々の表情を見せる皇桃華くらいのものであった。


「ハッ、これだからにわかはよぉ……梨花ちゃんは足の指で壁や天井を掴んでボルタリングをしたって言ってんだろ? 余計なことを考えるな。ただあるがままの梨花ちゃんを信じろや」


 その言葉にひどく居心地の悪い思いをした二人は互いに目配せして、ホッと安堵の息を漏らした。

 よかった、自分たちは正常だ。だが、皇桃華……こいつは大丈夫かなと二人の視線が言っている。

 願わくは知ったかぶりの冗談であってほしい。長年の盟友である谷村郷美は祈るような視線を皇桃華に向けるのだった。


『次の質問はワタクシが読ませてもらいますわ。……ンンッ。梨花さん初めまして。梨花さんオリンピックの余興で空手の瓦割りに参加したときは痺れました。明らかに舐め腐った態度で、どうせお前には無理だろうがなってせせら笑いが聞こえてきただけに、梨花さんが瓦を粉々に粉砕したときは胸が空く思いでした。ところで質問なのですが、そのとき発生した茶色い蒸気みたいななのはなんなのでしょうか……と、ありますが?』

『ああ、それはお察しの通りわたしもムッとしちゃってね、必要以上の力を出しちゃって着弾点の瓦が蒸発しちゃったんだ。途中で気付いて力をセーブしたから良かったんだけど、下手をしたら大量の岩石蒸気が発生したところだったから、わたしも武道家として反省しなきゃね』


「『…………』」


 岩石蒸気なら知っている。巨大な隕石が地表に激突したとき、とてつもない衝突のエネルギーで隕石本体が残らず蒸発して周囲を焼き尽くすというアレだな?

 つまり梨花ちゃんの本気の拳には、それと同等の威力があると……ごめん、やっぱり分からないやと頭を抱える少女を痛ましく見やった女性は、厭なことを確認するような顔を反対側に向けたが、そこにあったのはやはり先ほどと同様に高みの見物をする盟友だった。


「うーん、反省ねぇ……やっぱり柔道をやってるだけあって、梨花ちゃんの意識って高いのな。あんなヤツら残らず救急車で運ばれりゃよかったのによ」


 出てくる感想がそれとは、もう本格的にダメかもしれん……。

 皇桃華がいつからこうだったかは定かではないが、彼女は熱心に追いかけた小嵐梨花に毒されてしまったようだ。

 ……もはや身内としては見れない。

 ここからは敵として警戒が必要だろうと、谷村郷美は二本目のビールを飲み乾した。


『次の質問は……あ、地元の方だね。拝啓。梨花さんの活躍を毎日楽しく拝見している地元民です。梨花さんがチンピラや不良少年を一網打尽にしてくれたことで子供たちも安心して暮らせるようになりました。ところで以前、梨花さんが素手でコンクリートを撃ち抜くの目にして以来、子供たちが発泡スチロールで真似して苦笑していますが、あれって柔道をしていれば自然とできるようになるものなのでしょうか?』

『……出来ませんからね。少なくともワタクシは出来ませんわ。ハイ、論破完了。次からもう少し、せめてVTuberらしい質問をお願いできません!?』


 まったくもってその通りだと、谷村美里は錯乱寸前のアンジェリーナ・オリオールに心から同情した。

 どうか心安らかに……常識の向こう側に落ちないように踏みとどまってほしいと。


「はぁ……。小嵐梨花が規格外なのはよく分かった。断じて当社に招き入れていい劇物ではないとよく分かったぞ」

「なんでだよ!? 素手でコンクリを撃ち抜くんだぞ! チンピラを一掃するんだぞ!! それなのに梨花ちゃん最高以外の感想が出でくるなんておかしいだろうが!?」

「ええと、すみません桃華先輩。あえて配信中のノリで言わせてもらいますね? おかしいのはお前だ!!」


 こうして小嵐梨花の初配信はぶい⭐︎ちゅう部の技術力が高く評価される一方で、中の人である梨花本人の人間性が危険視され、エルミタージュの経営者からより一層警戒される運びとなるのだったが、はたしてこれは自業自得であろうか?


『はぁ、はぁ、次の質問は……あら、こちらは梨花さんのお好きなリオ&レオのファンの方ですわね?』

『えっ!? なになに、なんて書いてあるの? 早く読んでよアンジェリーナ!!』

『そんなに急かさないでくださいまし……ええと、梨花さん初めまして。自分も玲央ちゃんのファンですが、少し前のメン限で玲央ちゃんたちが梨花さんと裸の付き合いをする機会があったってニヤニヤしてました。そこで質問なのですが、具体的にナニをされましたか? 百合好き、もといどちらのファンとしては気になります。アルファベットでお答えください……って何ですのこの質問は!?』

『あ! それはもちろん──』

『梨花さんも嬉々として答えようとしないでくださる!?』


 しかも、なんだこの付帯情報は……?


「おい、私は承知していないぞ。たぶん、あの二人が遅れて取った盆休みのことだろうが、内緒で小嵐梨花と会ったことも、メン限でその話を漏らしたこともな……。というか、どうして一番危険な質問がこっちの身内から出てくる?」


 おそらくこれこそが、この日に被った被害の最たるものだろう。

 所属ライバーが、いかに同性とは言えども未成年と裸の付き合いをした挙句に、軽率にもそのことを外部に漏らしていたとは……冗談かファンサービスの類であってほしいが、仮に事実であれば座視することは許されない。

 あまりの衝撃にふらつく脚で強引に立ち上がった谷村は無言で事実確認に向かうが、気遣わしげな視線を向けた少女はともかく、愉快げに3本目のビールを開けた女傑はどこまでも暢気だった。


「今の話、桃華さんは何か聞いてます?」

「うん、それっぽい話は聞いてるよ。なんでも温泉で鉢合わせになってそれっぽい雰囲気になったんだって莉音ちゃんも言ってた」

「うわっ……だとしたらメン限でその話をした玲央ちゃんはもう、完全にメロメロじゃないですか」


 半年前に外から入ってきた星海玲央ほしうみれおは新参者としての遠慮があるのか、自分たちに壁を作る一方で、その障壁を物ともせず近寄ってきた木漏れ日莉音こもれびりおんには依存しがちな傾向がある。

 そんな後輩だから、ぶい⭐︎ちゅう部の初動画から一貫して二人の大ファンを公言する少女に、おそらくは絆されてしまったのだろうと推測するが……実際にがあったとなると笑ってばかりはいられない。

 年頃の女性ばかりの箱ということもあって、エルミタージュのVTuberはしばしば箱内の刺激的なエピソードを披露することもあるが、今は部外者の未成年が相手となると迂闊な発言だと言わざるを得ない。

 あらためてため息をつく後輩に、しかしエルミタージュの重役にして看板タレントであるはずの女傑は、法令遵守やインターネット・リテラシーの存在を十分に承知した上でよしと笑うのだった。


「タヌちゃんもそんなに気にしないの。女の子同士でセックスの真似事をするぐらい女子校じゃ日常茶飯事なんだから、うらやまけしからんなんて野郎どもの僻みは無視しなさいな」

「いや、まあ……言ってることは分かりますけど、梨花ちゃんの親御さんや女子校の実態を知らない世間が桃華さんみたいに太い神経をしているワケじゃありませんからね。とりあえず寺山は降って湧いたこの騒動に忙殺される社長に同情しときますよ」


 そのときは先輩にやり返しただけだったが、まさか現実のものになるとは。

 翌日に事務所を訪れた少女は、おそらくは事実確認やら再発防止のために奔走して、不幸にもこの部屋で寝泊まりすることになった女性のすっかり憔悴しきった寝顔と、「梨花が、小嵐梨花が私を逃してくれない」という悲痛な寝言に、余計なことを言うんじゃなかったと心底後悔するハメになるのだった……。




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脳筋だってVTuberになりたい! 蘇芳ありさ @arius_extella

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