第21話 脳筋だって普通の女の子になりたいという話




『(よく読んでね)任展堂株式会社(次からは弊社と訳しますよ)は、小嵐梨花さんが弊社の家庭用ゲームを動画配信サイト(YourTubeのことだよ)で使用する事を全面的に許可します(良かったね)。もちろん収益の配分は不要です。本契約(今回約束した事だね)は梨花さん単独の配信時ではなく、コラボ時にも有効でありますが、少しでも不安がありましたらいつでもお気軽にご相談ください(電話番号は0120-XXX-XXXXだよ)。任展堂代表取締役社長、磐田肇』


 ……これって完全に子供向けだよね?

 配管工の兄弟や、同シリーズのキャラクターが吹き出し付きでプリントされた契約書を差し出されたとき、その敗北感はわたしの全身を包み込んだ。

 内容自体は満額回答もいいところなのに……さすがは任展堂の磐田社長。甘く見てはいけなかったよ……。


「あははっ! 梨花ちゃん最高ぉ〜!!」

「待って、待って! 苦しい、お腹苦しい!!」


 そんなモノを見られたわけだから、家入さんたちの反応は爆笑と、この一言に尽きた。

 うーん、ここまで縁に恵まれたわけだからと、同じホテルに宿泊する彼女たちの部屋に寄らせてもらったわけだけども、これを見せたのは失敗じゃったかと顔面から放射される熱に悩まされる。

 ……いいもんね。義理は果たせたし、ネタになるならなんでも上等よ。

 いよいよVTuberとしてのデビューを目前に控えたわたしは、自らの煽り耐性を鍛えるような気分で彼女たちが笑い終わるのを待った。


「ああ、おっかしい……ごめんね梨花ちゃん。笑い話にしゃちゃって」

「はぁ、はぁ、もしかして怒ってる? 梨花ちゃん顔真っ赤だよ?」

「……怒ってませんよ。わたしの顔はたぶん、恥ずかしいからこうなってるわけで」


 キレてませんよって笑顔で強調するけども、備え付けのちゃぶ台に突っ伏した家入さんたちはそもそもわたしの顔すら見てはいない。

 またしても空回り……。

 わたしが家入さんたちに醜態を晒したのも、初対面ではしゃいじゃったのと昨夜の全裸公開と健太郎の溺死未遂に続いて、これで早くも三度目かと気分がどん底に向かいかけるが……ここは逆に考えよう。

 彼女たちとは遠からずコラボ配信をすることになるが、どんなに取り繕ってもわたしの人間性などすぐにバレる。

 そのときに支払う代償を先払いしてると思えば、これはむしろ計画的と言えるのではあるまいか?

 そうだよ。配信中にやらかしたら放送事故だけど、今なら家入さんたちに事前情報を提供しただけで済む。

 しかも推しの笑顔まで見れるなんて、すっごくお得──。

 そうやって無理やり自分を納得させたわたしは、磐田社長との交渉を再録したぶい⭐︎ちゅう部の新作動画をAiPadで視聴する家入さんたちを眺めて、ほぅ、と物憂げなため息をこぼした。

 ……やっぱりわたしにはそうとしか映らない。

 一見クールでスタイリッシュな外見ながら、実はユーモラスで冗談や悪ふざけが大好きな性格の家入さんと、おっとりとした性格でドンッと構える御堂寺さんの姿が推しと重なるのだ。


「しかし梨花ちゃんはすごいね。まさか本当に任展堂から配信の許可をもぎ取ってくるなんてさ……」

「そうだよね。急にゲーム配信のガイドラインが厳しくなって、事務所に待ったを掛けられたうちらが困惑してるっていうのに『馬鹿っ!?』」


 と、そんな物思いに耽っていただけに御堂寺さんの失言と、彼女の口をモガッと塞いだ家入さんの反応には驚かされた。

 慌ててこちらの様子を確認してくる家入さんに、わたしはきちんと笑顔を返せただろうか……?

 突然の沈黙は長くなく、自らの失言に気がついてビッシリの汗をかく御堂寺さんを解放した家入さんは、バツが悪そうにわたしの顔色を窺ってきた。


「もしかして、なんだけど」

「はい?」

「だいぶ前から気づいてた感じ?」

「何のことですか?」


 そんな家入さんに知らんぷりをするのは、なんか冷たくしているみたいで堪えたんだけど……これは必要なことだ。


「わたしは家入さんと御堂寺さんの素性を詮索しませんし、誰に訊かれても知りませんと答えます。……だって、それが当然のことなんですから」


 彼女たちが誰だか知らないけども、VTuberに身バレは御法度である。

 たとえ、将来的には仲間になるわたしだろうとも、現時点ではただの部外者。

 旅先で素性を悟られたことを知られたら、事務所から軽率だと、何かしらの注意を受けることもあり得るだろう。

 よってこの話は墓場まで持っていくと、能天気に微笑わらって見せる。


「まあ、もしかしたら家入さんたちもVTuber界隈の関係者かもしれませんけど、わたしくらいのものですよね? 堂々と素顔を晒してVTuberになろうとしているのは」

「それなんだけど、梨花ちゃんは怖くない? 自宅を特定したファンが押しかけて来たらどうしようって……?」


 意図して道化を演じたわたしを気遣ったのか、心配そうに確認する御堂寺さんに答える。


「全然! そこまでする根性があるなら、柔道八段の祖父も大喜びで警視庁の道場に連れて行きますよ。わたしに相応しい交際相手にするために鍛え直すって名目で」

「……強い!!」

「あと内緒ですけど、たまにわたしを倒して最強を証明しようっていう、ボクシングの世界チャンピオンや格闘技の経験者が通学路で待ち伏せしてますからね。今さら厄介なファンくらいでオタオタしないっていうか……あ、もちろん全員返り討ちにしましたよ?」

「『……強いッ!!』」


 二人して驚愕する家入さんたちの前で、人数分のお茶を淹れ直しながら馬鹿話を続ける。


「ま、そんなわけでわたしの野望ユメもわりと順調っていうか、もうほとんど叶ってるみたいなもんですけど」

「そうみたいね。ぶい⭐︎ちゅう部の新作も見させてもらったけど、梨花ちゃんのLive2Aもほとんど完成してるっていうか……磐田社長との会見も手慣れすぎじゃない?」

「そっちは柔道のスポンサーとの交渉で、社会的な地位の高い人との交渉に慣れているのもありますけど……だいたいニコニコしてれば丸く収まりますよ」

「うーん、やっぱり強すぎる……」


 そんな馬鹿話に花を咲かせてひと通り笑ったあと、目尻の涙を拭った家入さんが吹っ切れたような笑顔になる。


「本当はね、梨花ちゃんに忠告しようと思ってたんだ。この業界に夢を見るなってね」

「れ……あさちゃん」

「VTuberの界隈ってね、外部の声が大きいのよ。……勝手な理想を押し付けてくる厄介なファンだけじゃなく、所属する事務所からもあれはダメ、これはやるなといろんな声が聞こえてくるの」


 家入さんは心配そうな顔をする御堂寺さんに笑顔を向けると、自らの置かれた環境をそう評したが……不思議と愚痴ってるという印象はなかった。


「そんなワケで一時はだいぶ参ってたんだけど、運のいいことに私は人の縁に恵まれてね。小春この子にも支えられて、まぁなんとか……あとウチらの場合は皇桃華すめらぎももかっていう御局様に恵まれてたのもあるかな?」


 でもそこまで明かしちゃうかな、と胸の奥で心臓が跳ね上がる。


「あ、別に直接の知り合いじゃないよ? でも最初期の企業製VTuberって、わりとゴリゴリのアイドル路線だったでしょ?」

「まあ、わりとそんな感じでしたよね……」

「そう、どこもかしこも『僕の考えた最強のアイドル』っていう制作サイドの上からの目線。……そんな時代に『今どきアイドルなんて流行るワケねぇだろ』って反旗を翻して、現在のお笑い芸人っていうか、エンタメ路線の礎を築いた御局様がこの界隈に風穴を開けてくれたからさ。ウチらもだいぶやりやすかったって話なのよ」

「なるほど、さすがは現在のVTuberの祖にして最高傑作。強い……」


 まさか身内からこんな評価を聞かされるとは思わなかったが、やっぱりモモちゃんって後輩から慕われてたんだ。


「桃華さんって男性Vとのコラボや、他業界とのコラボ……下ネタや刺激的な発言センシティブワードの連発など、わりと業界の禁忌に挑むのが趣味みたいなところもありますけど……結果として間口を広げてくれた面もあるんですよね」

「……そうなんだよね。視聴者リスナーに媚びるんじゃなく、殴り合いプロレスを始めたのもあの人でしょ? VTuber、イコールアイドルがやってはいけないことをほとんど潰してくれて、ウチらもかなり息がしやすくなったからさ……あのおばさんには頭が上がらんっちゅうワケですわ」


 おばさんという言い草に思わず吹き出す。

 日本で唯一のチャンネル登録者数100万人オーバーの大人気VTuber。女帝こと皇桃華の数少ない弱点がその年齢であることは、彼女のファンはもちろんこの界隈の関係者なら羞恥、もとい周知の事実である。

 ……何しろ以前の配信で昭和生まれだって口を滑らせちゃったからね。

 本人の好きなゲームやアニメに90年代がやたらと多いことから、以前からファンの間ではネタにされてたんだけど……うっかりカミングアウトしてからは17歳という公式設定を持ち出すようになったから、わたしもモモちゃんとコラボしたときはネタにさせてもらおうっと。


「そんなわけでここだけの話になるんだけど、あのおばさんがエルミタージュの事務所で暴れた結果、梨花ちゃんの受け入れ態勢は整いつつあるみたいよ」

「──本当ですか!?」

「うん、私も又聞きになるんだけど……本人の意向は明白だし、以前は得られなかったご両親の同意もあるし、ぶい⭐︎ちゅう部の活動で配信者として実績も十分と、オーディション通過の条件は満たしてるから、遠からず社長から連絡があるって話よ」


 ……わたしと家入さんの間にちゃぶ台があってよかった。

 なかったら抱きしめてたところだよ、と、あまりの朗報に暴れる呼吸と脈拍を意識して抑えつける。


「それなら、もし機会がありましたら社長さんにこうお伝えください。企業間の話し合いだからわたしほど簡単にいかないかもしれませんが、任展堂の磐田社長は許諾申請に前向きなどころか、むしろエルミタージュに期待してるって……みなさんもきっと、そう遠くないうちに以前のような活動ができるって」

「うん。必ずする……」


 そう言って差し出された手を握るのは少しだけ勇気が必要とされた。

 華奢で柔らかく、ちょっとだけひんやりとする手のひらを間違っても傷つけないように包み込むと、御堂寺さんも手を重ねてきた。

 ……これは、別れを惜しむ行為になるのだろうか?

 わたしは明日の便で東京に帰ってしまうし、そうなってしまえばわたしがエルミタージュに加入するまでは、たまたま旅行先で鉢合わせた今回のようにあからさまには会えない。

 切なく高まる鼓動と上昇する体温。わたしの肉体は明らかな異変を訴えて、気持ちまでそちらに振り切れそうになる。だってわたしは本当に大好きな人たちの素肌に触れているのだから……。


「家入さん。御堂寺さん。わたしは……ずっと普通の女の子になりたかったんです」


 これは誰にも話したことのないわたしの秘密だ。


「生まれた場所は、国内外で有名な柔道家の家。わたし自身の異常な適性もあって、中学に上がる頃には『柔道の小嵐梨花』って、ずっとそう呼ばれてきました」


 どこに行ってもそうした記号として扱われることにウンザリしつつも、今さら変えようがないって諦めていたある日、わたしは偶然それを見たのだ。


「だから、玲央ちゃんたちの配信は衝撃的でした。アニメ調のキャラクターを演じつつも、中の人たちが伸び伸びと活動している姿が……あれならわたしにもできる。柔道の小嵐梨花じゃなくって、もっと普通の女の子になれるって……」


 だから、わたしはあの女性ひとたちに憧れたのだ。

 だから、これは恋ではない……恋を知らないわたしは暴走する気持ち自分を必死に引き止めようとするも、好きという感情がこんなにも始末に負えないとは知らなかった。

 ……もっと触れ合いたい。

 その一言に集約される衝動を捩じ伏せるのは生半可なことではなかったが、わたしはそれをなんとか成し遂げた。

 あまりにも切ない握手を終えて微笑み、荷物をまとめて立ち上がり一礼する。


「家入さん、御堂寺さん……またいつかお会いしましょう」


 自らの素性を明かせぬ彼女たちに、わたしはそう言うのがやっとだった。


「『うん、また会おうね』」


 異口同音にそう口にした家入さんたちの部屋から辞去して、わたしは廊下に座り込んだ。


「……またやっちゃったよ」


 なんて見栄っ張りなんだろうか、と自分でも呆れる。

 さっきの雰囲気なら、同じ女の子同士、お風呂で洗いっこぐらいは許されただろうし、彼女たちも箱内のスキンシップに慣れているのか、明らかにもう少し踏み込むことを期待していというのに……不自然なほど強引に退去してしまった。

 まさに後悔は先に立たずだったが、今はこうして良かったとも思うのだ。

 今の彼女たちは業界関係者のOLコンビ・家入あさぎさんと御堂寺小春さんであり、わたしもぶい⭐︎ちゅう部の代表にして柔道の小嵐梨花である。

 よって、お互いに責任のある立場なのだから、旅の恥は掻き捨てとばかりにハメを外すなど論外だろう。

 そう思いつつも、せめて温泉くらいはって未練たらたらなわたしはしばらく廊下に座り込んで、たまたま通りかかった従業員のお姉さんに心配されるというさらなる醜態を晒してしまうだった。




 ……それからの日々はあっという間に過ぎていった。

 翌日の新幹線で帰宅したわたしはその足で約束の楽曲を受け取り、苦手の歌に専念。

 いちいちカラオケに通っていられないから機材一式を購入して、毎日部室でアンジェともども特訓を積み、五日目にしてなんとか審査員一同から合格点をもぎ取り。

 その間も懲りずに出現するチンピラや挑戦者を返り討ちにしつつ、新学期が始まる3日前にわたしは高らかと宣言するのだった。


「さぁ、やるよ。今日がわたしたちぶい⭐︎ちゅう部の関ヶ原なんだよ」


 そうだ。MVと3Dモデルの制作はまだこれからだけど、わたしの代表作となる主題歌の収録はとうに済ませて、アンジェのLive2Aも淳司たちが完璧な出来に仕上げた。

 そして秀治くんがわたしたちの発音をAIに学習させ、より正確な英訳の字幕を表示させるシステムも試運転の段階にある。

 もはや、やらない理由は何もない……わたしはぶい⭐︎ちゅう部の一室で気力を漲らせて力説するが、みんなの返答はわたしの空回りを自覚させるものばかりだった。


「なんだよ、関ヶ原って……別にLive2Aを使う配信は今回が初めてってわけじゃないんだから、もっと気楽に行けよ」

「まぁね。Live2Aソッチの操作も自分たちがやるから、梨花は気楽に喋ってりゃいいんだぉ」

「自動翻訳のテストも良好ですが、あんまり『やる』とかいう曖昧な言葉は使わないでくださいね。いつFワードに変換されるか判りませんから……」

「とりあえず、配信中の梨花の手綱はアンジェ、貴女に任せる。会話の先導役として、梨花があまり危険な道に進まないように頼む」

「え、ええっ……あまり自信はありませんが、なんとか成し遂げて見せますわよ」

「ま、そんなに肩肘を張るなよ。別にお前ら二人だけの配信じゃないし、苦しそうなら助け舟を出してやるからさ」

「だって……。お姉ちゃん、頑張りすぎない程度に頑張ってね」


 ……なんとも頼もしい部員たちである。

 絶対に失敗できない。そんな気負いを残らず消し去られたわたしは、最高のコンディションでVTuber・小嵐梨花としての記念すべき初配信に挑むのであった。



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