第20話 初心に返った脳筋がいいように転がされる話




 ──2020年8月22日、京都市内にある某ホテルの一室。


 眠れば嫌なことも忘れるかと思ったが、むろん現実はそんなに甘くなく……最悪の気分で目覚めたわたしは朝から憂鬱だった。


「あ、お姉ちゃんおはよう……って、今にもくたばりそうなその顔はなに? 今度はなにをやらかしたっていうのよ?」


 そして一目で見抜いて追及してきた妹の言葉に昨夜の悪夢が再浮上する。


『すみません! ちょっと幼馴染と混浴してたんですけど、聞き覚えのある声が聞こえたもんだから、お二人のはだかを見られちゃマズイと咄嗟に……入浴用のバスタオルもそのときに解けちゃったみたいで、決していやらしいことをしてたワケじゃ……』


 そんな苦しい弁明を、女神のようなお二人は苦笑交じりではあったものの受け入れてくれた。


『あ、そうなんだ……こっちこそごめんね。空気の読めない真似をしちゃってさ』

『うん、そうだね。ちょっと驚いたけど、最近の子は進んでるから、これぐらい普通かなって……』


 だが、警察沙汰こそ回避したものの誤解を解くまでには至らず、申し訳なさそうに『とりあえず俺は自分の部屋に戻ってるから、後はよろしくな』と言い残して、その場を後にする健太郎の背中に、わたしは『すまぬ、すまぬ』と視線で謝罪するしかなかった。

 そして妙に照れくさそうな笑顔で、チラチラとこちらを見る推しとのオフコラボを楽しめる心境になかったわたしは、ただひたすらに謝罪を尽くして退散するより他になかったのであった……。


「ま、若さゆえの過ちってところかね? そんな失敗ができるのも若者の特権なんだから、次はもう少し上手くやるんだね」


 さらに狸寝入りを決め込んでいたお婆ちゃんにはわりと筒抜けだった事実も判明して、わたしの自己評価は暴落して留まるところを知らなかった。

 ……良かった。本当に良かった。まどかちゃんたちが寝坊したわたしを放置して朝食に行ってくれて。

 流石にこんな姿は見せられないよ、と身内だけの席で枕を抱えてジタバタするも、わたしのメンタルが劇的に回復することはなく……。


「……おう。おはよう、梨花」

「……うん。おはよう、健太郎」


 二人して不景気な顔を突き合わせれば、それなりに付き合いの長い仲間たちも何があったか察したようで……。


「ちょっと杉浦くん?」

「ツラ貸せぉ。要件は分かってるな?」

「おう……」


 哀れにも朝食が終わるなり連行される健太郎の背中に、わたしは昨夜のように視線で謝ることしかできなかった……。


「はぁ……梨花さんときたら、優雅な朝食の席が台無しですわよ。これからどうなさるお積もり?」

「いや、本当にどうしよっか……?」


 朝っぱらからこんな調子でみんなに迷惑をかけたことは誠に申し訳ないが、正式な謝罪は落ち着いてからにしよう。

 問題は昨日から醜態のかぎりを晒した今のわたしが、どうやって任展堂とのタフな交渉をまとめるかについてだ。


「どうするって、約束の時間になったら任展堂に出向いて、梨花の配信でゲームを使わせてくれって交渉すんだろ?」

「約束の時間は午前11時とのことでしたから、梨花さんたちの朝食が終わるのを待ってから準備しても、十分に間に合うと思いますが……そんなに手強い相手ですの?」

「どうでしょうか? 任展堂っていったら世界中の子供やご家庭で愛されてるゲーム会社ですから、そんなに厳しい条件を出されるとは思えないんですけど……」


 いやいや、そんなワケないじゃんって、ご飯をモリモリ食べながら心のなかで妹の言葉を否定する。

 沙耶は知らないかもしれないけど、任展堂ってエッチな二次創作絶対許さないマンだよ?

 権利関係にもメチャクチャ厳しくて、直近の事例だと任展堂の特許をパクって金儲けをしようとしたゴロプラが裁判でコテンパンにされて、泣く泣く全裸土下座を敢行したほどだよ?

 金銭目当てのイチャモン訴訟の数々を一周し、コピー商品の撲滅やら権利侵害の数々を粉砕してきた最凶の法務部を擁する、家庭用ゲーム業界の盟主・任展堂。

 ネットのうわさでは最近になってゲーム系実況配信が下火になり、エルミタージュのVTuberたちですら自粛を強いられているのは、任展堂から発表されたゲーム使用許諾のガイドラインがそれだけ厳しかったともっぱらの評判である。

 そんな会社に、今のわたしがどこまで太刀打ちできるか……残念ながら無敵なのは肉体だけで、メンタル的には一般人の小娘に過ぎないわたしとしては悲観的な結論しか出てきそうにない。


「沙耶たちはこう言ってるけど、お前はどう思ってるんだよなつき?」

「……そうだな。まだ時間はある。この機会にこれまでの経緯を説明しよう」


 そしてメガネの縁をクイッと押し上げたなつきさんも概ねわたしと同意見で、やはり一筋縄ではいかないと見ているようだった。


「そもそもの遠因は、動画投稿のプラットフォームがNicoichi動画しかなかった時代に、著作権を無視した配信者たちが無法の限りを尽くしたことにある。新作映画のDVDを発売日当日に公開するなど序の口で、著作権者が抗議しても転載に次ぐ転載のトカゲの尻尾切り。この状況はGlobal.LLCが第二のプラットフォームであるYourTubeを公開しても変わらず。配信界隈は無法者の集まりであるとの認識が世界的に定着して、エルミタージュのようなまともな会社ですらビジネスの話をしにくくなったという背景がある」

「そうなんだよねぇ……任展堂はファンの人が個人でやる分にはご自由にって言ってるけど、VTuberとか金銭が絡む人は原則禁止って立場なんだから困っちゃうよね」


 わたしたちぶい⭐︎ちゅう部のチャンネルも収益化を達成したばかりだし、わたしも将来的にはVTuberの活動を通してご飯を食べていくつもりだから、なんとか強面の任展堂にウンと言わせなきゃいけないワケだ。

 ……つまりこれも闘争の一種。ならば闘士であるわたしとしては過去のやらかしをいつまでも悔やんでいてはいけない。

 今の腑抜けたわたしに何の価値がある。闘え、小嵐梨花。お前に出来るのはそれぐらいのものだろうに……!!


「よしっ、少しだけやる気が出てきた。お婆ちゃん、宿の人に組み手のできる場所をお願いしてくるからリハビリに付き合って?」

「応ともさ。この婆ぁが腑抜けたお前を叩きのめしてやるよ」


 そうと決まったら話は早い。善は急げとばかりに話を通して柔道着に着替える。そして屋上で本物の達人の胸を借りて自分を見つめ直すのだ。


「なにやってんだい、梨花! 痛いことや苦しいことを有り難がるなんて馬鹿みたいじゃないか!? だけどそれが人間、生きるってことさね……忘れるんじゃないよ。強さは体の大きさじゃない。心の力さ。もっと魂を熱く燃やしな!! 気合いと根性ですべてを乗り越えるんだよ……!!」

「はいっ!!」


 そうだ、精神は容易く肉体を超越する。不可能など初めから存在しない……それを生み出すのは負けてもいいから楽になりたいという弱っちい心なのだ。


「見な! 我が魂は──」

「──熱く燃え盛る!!」


 弱かったわたしよ、さらば……。


「……理解不能」

「まあ気合と根性であんなコトをされちまったらな。物理法則は仕事しろって話だよな」

「さすがは師範……ワタクシは生涯この光景を忘れなくってよ」

「二人とも、あたし恥ずかしよ……」


 こうして常在戦場の心を取り戻したわたしはただ前だけを見据えるのであった。

 腑抜けた肉体に気力を充填したわたしは、まさに心身ともに万全。

 よって任展堂との交渉には、あまり大勢で押しかけても迷惑なのもあるし、選び抜かれた少数精鋭で挑むことにした。

 まずはわたし、そしてアンジェ。この両名が前衛を担当して、後衛には参謀のなつきさんに出陣を要請。

 ……なんかゲームのようなノリで決めちゃったけど、相手は家庭用ゲーム企業である任展堂なんだから何も間違ってないな!!

 さて、そんな経緯でいざ出陣と相成りましたが、脳内に決戦用BGMが流れていい気分だったのは任展堂の本社に乗り込むまで。


「いやぁ、お会いできて光栄です。まずは梨花さん、金メダルおめでとうございます。ささ、どうぞこちらへ」


 わたしの想像する敵の姿からかけ離れた気のいいおじさん。実際にお会いした任展堂の磐田社長はどこまでも友好的な雰囲気で、妙なテンションに酔っていたわたしは人知れず赤面するのだった。


「ご用件は弊社のゲームをYourTubeの配信で使用したいと? どうぞどうぞ。どうかご自由にお使いください」


 そして実際に要件を切り出してみたらこの返答なのだから、どこまでも倒し甲斐のないラスボスである。


「あの、ワタクシはそちらの権利関係にさほど詳しくありませんが、そんなに簡単に決めてしまって構わないんですの……?」

「ええ。配信許諾のガイドラインはあくまで無許可の配信を禁じるものであって、正式に許諾申請された方には原則許可を出す方針ですから」

「なるほど……しかし昨今の動画配信にはどうしても収益化の問題がつきまとう。そちらとしても自社の製品が金儲けの道具として使われたら愉快な気はしないだろう。そちらの問題に関しても話し合う必要があると思うが?」

「いいえ。弊社も梨花さんたちがぶい⭐︎ちゅう部を立ち上げたことは存じ上げていますが、そちらの活動で得られた収益は梨花さんたちのものです。弊社と致しましては仮に収益の一部を還元したいと申し込まれても、受け取るつもりはまったく御座いません。何故ならそちらの収益は、配信者ストリーマーとして活動なされている梨花さんたちが受け取るべき正当な対価ですから」


 なんだろう……ここまで大人の対応に徹されると、勝手に盛り上がっていたわたしが馬鹿みたいで頭を抱えたくなる。

 今のわたしなら顔面から熱線を照射できそうだと視線の向け先にも困り果てるが、そんなわたしの醜態が目に留まったのだろうか。磐田社長は結論を急ぎすぎたこと恥じるように「失礼しました」と頭を掻くのだった。


「少し話を急ぎすぎましたね。まずはこちらの事情から説明しましょうか」


 そうして秘書のお姉さん(たぶん)が置いていったお茶とお菓子をわたしたちに勧めた磐田社長は、任展堂という会社が何故そのようなガイドラインを設定するようになったのかを教えてくれた。


「もともと弊社は過去に中古市場が新作ゲームの販売を抑制していると問題提起されたときも、中古に売られるようなゲームを作るほうが悪いという立場だったんですよ。ですので動画投稿サイトでゲーム系実況配信が始まったときも、内容が公開された程度で売れなくなるようなゲームを作るほうが悪いという判断だったんですが、さすがに企業勢の配信者が登場するようになるとそうも言っておれなくなりまして」

「まぁ確かに……仮にも法令遵守を求められる企業に所属するなら、最低限の配慮はしてほしいところですわね」

「はい。弊社は個別の問題は個別に対処すべきという立場ですから、一概に皆さまの動画配信を規制する立場にありません。しかし実際に著作権の侵害が起きているとなると、家庭用ゲーム業界のプラットフォーマーとしてまったく対処しないわけにもいきません。そこで専業の配信者におかれましては原則許諾制のガイドラインを制定させて頂いた次第です」


 なるほど……任展堂はきちんと許可を取ってくれたら自由にやっていいよっていう方針だけども、過去に後ろ暗いことをやった人は勝手に深読みして尻込みしちゃうわけか。

 そうすることで自然と生み出される自浄作用に期待していると……。


「そうなると例えばエルミタージュみたいな企業勢にも許可を出してるってことですか?」

「はい。そちらは企業間の話し合いになりますのであまり迂闊なことは言えませんが、少なくとも梨花さんをガッカリさせるようにはしないと約束しますよ」


 わたしが訊ねると、磐田社長はそう答えて片目を瞑ってみせた。

 なんていうかお茶目なおじさんだな、この人……。


「それにVTuberという枠組みには個人的に期待しているところもありますからね。些細なことで目くじらを立ててつぶしあうのではなく、お互いに協力しあって相乗効果でさらなる発展を目指せたらと思っていますよ」


 はたしてそれはVTuberを夢見るわたしへのリップサービスのつもりだったのか。

 後になつきさんが「見え見えの釣り針」と評したものにわたしは大喜びで喰らいつくのだった。


「磐田社長もVTuberに期待してるんですか?」

「はい、個人的に。……これは完全にこちらの事情になってしまうのですが、実はですね、弊社がインターネットでの広告の窓口としている『社長に訊く』という番組なんですが、メインターゲットとしている子供たちからの評判がイマイチなんですよ。ですので社内でもアニメ調のキャラクターを使った、もっと子供たちに親しみを持たれやすい後継番組の議論が行われたんですけど……どうもね、私が演じたら台無しだという意見が主流になって、断念した経緯があるんですよ」

「うーん、磐田社長ならアニメ調のキャラクターも演じられると思うんだけどなぁ」

「そう言ってくださるのは嬉しいんですが、私が演じるとガワだけ取り繕ったことになりますからね。ですのでそれをやるなら、せめて外部から信用のおけるVTuberの方を質問役としてお招きできないかと愚考しまして……」

「わぁ……それなら試しにわたしがやってみてもいいですか? 善は急げということで、配信用の機材もバッグに詰め込んでありますから、わたしが磐田社長に挨拶してゲームの使用許諾を申請するところから撮影するってことで?」

「構いませんよ。それでは試しに撮影してみましょうか」


 まったく、口は災いの元とはよく言ったものだ。

 なつきさんのため息にも気づかず撮影された動画は、磐田社長の許可を得てぶい⭐︎ちゅう部のチャンネルに投稿するや大変な評判となり……その日の夜には任展堂の社内で正式な公式番組として認可され、わたしに大役を任せることが決定されたというのだから笑うしかない。

 別に使用許諾の交換条件に出されたわけじゃないないにしても、ノリノリで食らいついた手前いまさらお断りするのも気恥ずかしく……まんまと大人の手のひらで転がされたわたしは後日に猛省を強いられるのだった。



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