第19話 学びを得たと錯覚した脳筋が盛大に自爆する話
──2020年8月21日、京都市内の観光地。
「スキップまでしちゃって、まぁ……お姉ちゃんってば、ずいぶんと上機嫌だよね」
「そう? 気の所為じゃない?」
「原因は先ほどのレディたちですわね。梨花さんのお知り合いだったんですの?」
「さあ? 少なくとも初対面だったけど?」
そんなふうに追及を
もちろん彼女たちの正体なんてわたしに判るはずがない。でもこの耳が、この皮膚感覚がそう判断したのならばまず間違いはないのだ。
目を瞑って先ほどの会話をリピートしてもそれは明白。自信家で、それでいて傷つきやすく、だからこそ誰よりも優しい歌姫と、そんな彼女の理解者としていつも笑顔で寄り添う女の子──そんな推しの姿とさっきの二人はバッチリ重なるのだから、わたしにとってはそれこそが唯一の正解である。
もしかしたら違うかもしれないけれども、それならそれで構わない。
旅先で推しとよく似た女性と知り合い親切にしてもらった。しがないファンの一人としてはそれだけで天にも昇る気持ちになれる。
むろん、そのことを匂わせるような無粋な真似はしない。推しの幸福こそがファンの願い。わたしとしては知らん顔をして彼女たちの幸福を全力で祈るまでだ。
「まっ、今回は他人の迷惑になるようなことはあんまりしてないからこれぐらいにしておくけど……なんか怪しいんだよね、お姉ちゃんの浮かれっぷりが」
そう言いつつも会話の焦点があの二人から離れているあたり、もしかしたら妹もそれとなく察しているのかもしれない。
VTuberに身バレは御法度。わたしが浮かれているのは何か悪巧みをしているから。そう決めつけてこの話を終わらせようとしているなら、わたしもその流れに乗ろうじゃないか。
「まぁ明日は任展堂の磐田社長とお会いするしね。配信でゲームをしていいか許可を取る以外にもさ、VTuberをどう思うかとか、他にもいろいろ訊きたいから今から作戦を練ってるんだよね」
「やっぱり……。お願いだからあんまり恥ずかしい質問はしないでよね。約束だよ」
「はいはい。約束約束」
そんなわたしたち姉妹を胡乱気に見つめるアンジェだったが、こちらもさっきの話を蒸し返すことなくため息をついて引き下がった。
借りを作ったかなと思わないでもないけど、彼女もVTuberになればいつかは理解してくれるだろう。
「ただいま帰りました」
そんなわけでわたしも不審がられないように気を引き締めて部屋に戻り挨拶したが、こっちはこっちでわたし以上に怪しかった。
「おっ、おう……おかえり梨花。こっちは別に何もなかったぞ?」
「おや、おかえり。三人とも、京都の観光は楽しめたかい?」
子供だけの旅行を認められないお父さんを納得させるため、お母さんの思いつきでわたしたちの旅行に同行することになったお婆ちゃんはともかく、まどかちゃんときたらまるで怪しんでくださいって言わんばかりに挙動不審なのだ。
こんなに焦っている女の子を見かけたのは、いつだったか自分の部屋でパンツをおろしていた妹の恥ずかしい姿を目撃したとき以来である。あのときはノックぐらいしてよとえらい剣幕だったけど……いかん、話が逸れた。
「うん、こっちは楽しかったけど……まどかちゃんたちは何をしてたの?」
「えっ!? い、いや……梨花のお婆ちゃんと温泉に入って、マッサージをしてただけだぞ? 梨花のお母さんにも頼まれたからな。嘘じゃないぞ……?」
「……たしかにそんなことも言われてたよね」
お母さんはお母さんで、ギックリ腰こそ完治したものの、道場の再開に張り切るお婆ちゃんにもう少しのんびりしてほしいのか、今回の旅行にねじ込んできたのはいいんだけど……まどかちゃんがここまで焦ってる理由にはならないんだよね。
これが同行したのがお爺ちゃんで、マッサージ(意味深)だったら問答無用で成敗すりゃいいんだけど……いや、よそうか。
この嘘の吐けない善人の見本のような友達に疑惑の目を向けるのは適切じゃない。
わたし以外の人には容易に明かせない事情こそあれど、清廉潔白を絵に描いたようなまどかちゃんが何もないと言ってるのだ。わたしにできることは彼女がいつか打ち明けてくれることを信じてこの話を終わらせることだけ。
そう思って口を開きかけた直後に奥のふすまが音を立てて開かれた。
「御用改である。者ども、神妙に致せ」
「逆らう者は容赦なく斬り捨てるぉ」
「ですが、おとなしく取調べに応じるなら温情もあります」
「……だ、そうだ」
なるほど、新撰組ごっこがしたいのか。傍目にも自作のコスプレ衣装とは格が違う本物に身を包んだ健太郎たちの姿に、渡したお金はこれに消えたのかとわたしは深く納得した。
「なにっ、無刀取りからの投げだと!! 貴様ッ、何奴……!?」
「別に渡したお金の使い道は自由だけど、なつきさんを巻き込むのはやめてくれないかな? ほら、あの顔を見ればそこはかとなく困ってるって判りそうなものでしょ?」
「あいたたたっ!? 節穴は黙ってろぉ! なっちゃんのあの顔は『私もいいの?』って意味なんだよ!! 自分には判るんだぉ……!!」
「いや、この顔は『もうこれっきりにしてくれ』って意味だったんだが……」
「沖田くん、こうなったら仕方ありません! 君の三段突きを合わせてください。行きますよ、牙突・ゼロスタイル──」
なので宿の人に怒られないように、建造物へ一切のダメージが入らないように遊んで適度に汗をかき、微妙な空気を入れ替えたら温泉に突撃することにした。
わたしとしては湯浴み着もあるっていうし、男どもへのサービスがてら混浴でも良かったんだけど、全会一致で男女別が採択されてはやむなしである。
もっとも、そちらに一票を投じたお婆ちゃんが「私は後で入り直すから、若い子たちだけで入ってきな」と直前で同行を辞退したから、女湯に入るのはわたしたちぶい⭐︎ちゅう部の女子だけになるけど……なんていうか、健太郎たちが露骨に安堵してるのが釈然としないのよね。
いやね、女子なら分かるよ。体を隠すものがあっても男子と一緒に入りたくないっていうのは、むしろ健全な反応よ。でもさ、男子ならもう少し残念がるものじゃないの?
だっていうのにこれ見よがしに安心しちゃってさ……あろうことかわたしが別で良かったな、ってこっそり漏らしたりしてるし。
つまりこれはアレか? 三馬鹿どもは女子の内訳が沙耶とアンジェとまどかちゃんとなつきさんだけなら考えるけど、わたしが居たら台無しだとでも言いたいのだろうか?
そりゃさっきは強めに揉んでやったけどさ、そんなにわたしって魅力がないかなって脱衣所で自分の
「はいこれ、湯浴み着ね。それに着替えるまであたし絶対ここを退かないから」
そう言ってズイッと厚手の布切れを差し出す妹ときたら、まるでわたしだけではなくみんなの視界も塞いでるようだった。
それが何故か、わたしは続くまどかちゃんの反応から知ることになる。
「なんだよ、沙耶は大袈裟だな? 女同士なんだし、別にそんなモンを梨花に着せなくたって──」
妹の後ろからひょっこり顔を覗かせたまどかちゃんの両目が驚きに剥かれ、その顔が一瞬で羞恥に染まる。
「悪かった。たしかにアタシらはともかく、梨花の入浴にはそいつの着用が必要だ。……危なかった。あと一歩で精神抵抗まで抜かれるところだった」
「それほどなんですの?」
そしてまどかちゃんの反応に興味を惹かれたのか、チラリと一瞥したアンジェまでもがラブコメの主人公のように耳まで真っ赤になるのを見て、わたしはようやく妹の言いたいことを理解するのだった。
「これで判ったでしょ? お姉ちゃんのハダカは劇物なの、劇物。……理解したら先輩がたの迷惑にならないようにサッサと隠しちゃって?」
「はい……」
なるほど、劇物か……。
そういうコトなら仕方ないと、作務衣のような構造の湯浴み着で危険物を覆い隠す。
……いや。わたしもね、まるで自覚がなかったわけじゃないのよ。
中学に上がれば山のようなラブレターを送りつけられるし、二年に進級したら下級生の子にキャーキャー言われるようになったしね。
自分でも性別に関わらず人気があるなと若干引き気味だったけど……まさか同姓の友人を一目で赤面させるなんてね。おかげで気分はドン底である。
「つまりそれだけ卑猥ってコトだよね……なんかショックだ」
「いや、梨花が悪いわけじゃないぞ? これはどっちかっていうと精神抵抗を抜かれかけたアタシのほうが悪いのであってさ……」
「精神抵抗とやらが何なのかは分かりませんが、まぁそうなりますわね……。ワタクシはこれでも自分の容姿に自信がありましたのよ? 母国の貴族社会でも持て囃されましたし、ワタクシ自身も美男美女を見慣れていて、目が肥えていると思ったのに悩殺されかけましたもの。梨花さんの生まれたままの姿にここまで心を乱されるなんて、ワタクシも修行が足りませんわ」
「私も概ね同じ意見だ。梨花は悪くない。だが、無自覚に見せびらかしていいものでもないのは間違いない。どうか女性としての節度に目覚めてくれ。私からはそれだけだ」
「だって……。ようするに女の子同士なんだからって甘えずに行動すれば問題ないんだから、そんなに落ち込まないでよ、馬鹿」
湯舟でいつもの妹のように顔まで沈み込んだわたしのぼやきに反応して、みんなは必死に慰めてくれたけれども……それが逆に堪えたというか。
そうか、わたしはまどかちゃんたちのように同性の友人や、妹である沙耶の目から見てもエロかったわけか。
そうとも知らず毎回のように風呂へ連れ込み、猥褻物を陳列してしまった妹にはかける言葉も見つからない。
……いや、本当に今のうちに判明してよかったと思うよ。
これがそうとも知らずリオ&レオとのオフコラボを企画して、無邪気に女の子同士でお風呂場から配信なんてやっていたら、どんな放送事故を起こしていたか今の自分には想像もつかない。
とりあえずそのことは理解した。理解したが、同時に別の疑問が湧き上がる。
沙耶たちがわたしのはだかを忌避するのは解った。性別を問わずに魅了する力がわたしの肉体にはある。そう思えば納得できる。
だが、だからこそ健太郎たちが率先して男女別に投票したことが気にかかる。
あいつらはわたしの裸体を見たくないのか?
普通逆だろう。こういうときに仲間はずれはよくないとか屁理屈を捏ねて、なんとしても混浴を勝ち取ろうとするのが男子中学生という生き物ではないのか?
それともわたしが居なければ混浴に票を投じたが、まかり間違ってもわたしのはだかだけは目にしたくないと男女別を選んだとでも言うのだろうか。
わたしの自信の根源は、この黄金にして無敵の肉体だというのに……はたして健太郎たちは後の報復を恐れて興味のないフリをしただけなのか。それとも心底願い下げだと反対票を投じたのか。
前者だと思いたいが、後者かもしれないという疑念は確実にわたしの根底を揺るがせた。
……だからこそわたしは傷ついた自尊心を回復するのに手段を選ばなかった。
妹が知ったら「何をしてるんだか」と呆れたかもしれないが、これは必要なことだった。
夜半に、みんなが寝静まった頃に目を覚ます。
お婆ちゃんが居たために気取られないように注意したが、幸運にも隠密判定には成功したようで……お婆ちゃんの呼吸、脈拍ともに一切の変化はなかった。
それからあらゆる気配を封殺したまま起き出して女子の大部屋も抜け出す。
こちらも成功判定を勝ち取り、わたしは廊下で誰にも判らないように安堵の息をついたが、本番はこれからだ。
男子の大部屋には当然のように鍵が掛かっていたが、こちらも何の道具も使わずに解錠……成功。
そこから中に入り、暢気にいびきを掻く淳司たちを起こさず、健太郎にだけ聞こえるように声を掛ける。
「健太郎。起きてよ、健太郎」
「んっ……梨花か? どうしたこんな夜中に……?」
こちらも成功……。
揺らいでいた自信を取り戻し、わたしは笑顔で要件を伝えた。
「ちょっと目が醒めちゃってさ。独りというのもなんだし、ちょっと付き合いなさいよ。みんなを起こさないように」
「いいけど、なんだよ……まさかトイレの場所が判らないっていうんじゃないだろうな?」
ふわぁ、とあくびをする健太郎に隠密系の技能がないために、こちらを巻き込んだ成功判定はかなりの難関となったが、わたしの見立ては間違っておらず、わたしの
健太郎の荷物から着替えを拝借して、何処に行くんだと尋ねる幼馴染に内緒と微笑みつつ、深夜の時間帯も開放されているその場所を目指す。
「おい、ここはまさか……」
まあ、まさかも何も目の前で止まったら気がつくよねって話だ。さっきは部屋ごとに専用のお風呂で済ませたが、こちらは一般開放の露天風呂……脱衣所と洗い場こそ男女別になっているものの、れっきとした混浴である。生真面目な健太郎はわたしの意図に気づいて戦慄し、こっそり持ち出した着替えを渡されるに至って泡を喰ったように慌てふためいた。
「だから独りっていうのもなんだしって言ったでしょ? ちゃんと見えないように気をつけるから、これぐらい付き合いなさいよ」
「湯浴み着を身につけるんだったら、まあ、俺としても目くじらを立てるほどじゃないが……頼むから誤解されるようなことだけは慎んでくれよ? 俺は師範に顔向けできないことをする気はないからな?」
「うん、ありがとう。……それじゃ、中で会おうね」
付き合いのいい幼馴染に感謝してから、わたしは女子更衣室に足を踏み入れた。
もちろんこの感謝は夜中にワケの分からないまま温泉に付き合ってくれたことだけではない。
健太郎はわたしが湯浴み着を使うものと早合点したけども、わたしまでそれに付き合う義理はない。湯浴み着の着用は奨励こそされているが義務ではない。
よって、多少の横着は許されると、入浴用のバスタオルを巻いたままの姿で浴場に突撃すると、ひと足先にお湯に浸かっていた健太郎は顔から火が出るほど驚いたものだ。
「梨花、お前……その格好は……」
「なによ、そんなに驚いちゃって? 約束通りちゃんと隠してるでしょ?」
とりあえず掛け湯をするために膝を突くと、健太郎は慌ててわたしから目を逸らした。
この反応は異性の幼馴染に気を遣っただけなのか、それとも見えてはいけないものが見えてしまったら我慢できないからなのか……。
それを知りたいと思ったわたしは上品な大理石に腰掛けて、健太郎の真正面に居座った。
「んー、いいお湯だね。健太郎……」
「お、おう……。この宿の温泉は筋肉、もしくは関節の慢性的な痛みと強張りに効果があるみたいだから、師範の同行を願ったのはグッジョブだったと思うぞ? 他にも色んな効能があるみたいだが、なんだったかなぁ……」
頑なに顔を背けたままではあるものの、健太郎の呼吸と脈拍は乱れきっている。この男がわたしとの混浴に何も感じていないわけではないことは明らかだが……それがわたしの肢体が気になって仕方ないのかどうかまでは定かではない。
「健太郎はさ」
「うん?」
どのみちわたしには腹の探り合いなんて器用なことはできない。ここは直球勝負で行かせてもらうと全力でボールを投げ込む。
「健太郎はわたしのはだかを見たくないの?」
「ブホッ!?」
この反応は脈アリかな……?
はらり、とバスタオルの結び目をほどいたわたしはジッと見つめて懇願した。
「わたしは健太郎ならいいよ? 何をされてもぜったい怒らないからさ……わたしのことが嫌いじゃなかったら、もっときちんとわたしを見てよ……」
そしてバスタオルの前を開こうとした、ちょうどそのときだった。
「あ、玲央ちゃん。やっぱり他の人がいるよ」
「うん、いるよね。こんな時間帯なのに珍しく……?」
「見るなッ!?」
聞き覚えのある声に反応して、こちらを向きかけた健太郎の頭部を湯の中に沈める。
「あれ、梨花ちゃん?」
こんな偶然あるぅ?
あちらはきちんと湯浴み着を身につけているからノーダメージかもしれないけど、こっちは大惨事もいいところだった。
まず咄嗟のことでそちらまでフォローできなかったバスタオルは、すでにわたしの手が届かないところまで流れていた。
つまりわたしは真っ裸もいいところで、そのうえ大股を開いて異性の幼馴染を湯の中に沈めている。この惨状でどうしたら誤解されずに済むのか、わたしには分からない。
「あっ……家入さんと御堂寺さんも温泉ですか? 同じ宿だったなんて奇遇ですね?」
間違ってもさっきのように芸名で呼び合わないように釘を刺してから、わたしは必死に考えた。はたして彼女たちが赤面しているのは常識的な反応なのか、それともこの肉体の持つ特性が悪さをしているからなのか……。
(……どっちにしろわたしの人生終わったわ)
いずれにしろ、この状況で誤解されずに済む方法なんてあるわけがなかった。
真っ裸で馬鹿みたいに立ち尽くしたわたしは、遠くからサイレンの音が聞こえる幻聴に苦しめられるのだった……。
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