第18話 幕間『空白の記録』
至近での観測を始めて二年ほどになるが、
とにかく彼女に関してはこちらの常識──それも二万年に及ぶ地球人類を観測することで得られた──が、当てにならないのである。
だが、それも無理はあるまい。直近の観測情報を鑑みても、あの少女を理解するのは同じ地球人類、同じ日本人をもってしても不可能だと言わざるを得まい。
暴論との誹りは少し待ってほしい。例えとして適切がどうかはさておき、彼女の常識が同胞たる日本人のそれとかけ離れている件に関してはこんな事例もある。
小嵐梨花は地球人類の基準に照らし合わせれば大変な美少女である。その人気は凄まじく、梨花の溌剌とした笑顔によって多くの日本人男性が骨抜きにされているのは、日ごろから彼女の美貌を意識しないように心がける健太郎たちの反応からしても間違いはない。小嵐梨花は同じ種族の雄ならば、誰もが自分の子供を産ませたいと思わせる容姿に優れた雌である。
……しかし繁殖に適した年齢になってもそうはなっていない。それは何故か。
梨花が自身を屈服させる形での交尾しか望んでいない(と、本人は言っている)のもあるが、彼女の内面をそれとなく察した男たちが、以後、彼女を忌避するようになる事実も見逃せないと思う。
彼らは類稀な容姿と、柔道という日本の国技を背負うアスリートという出自から、梨花本人に清らかなスポーツ少女然としたキャラクターを期待する。
だが、オリンピックの前日にマスメディアに露出し、報道陣に意気込みを尋ねられた少女の口から飛び出したのは「誰であれ全員ぶっ殺して金メダルを持ち帰ります」だった。これにはマイクを突きつけた女子アナも返す言葉を見つけられず、多くの男性諸氏が幻想を破壊されたことだろう。
その後も第二の人生と
ネットの反応はファンの嘆きが3割、草7割。哀れだと思うが、要はそれだけ外見に騙された男がいるということだ。
このように、同胞たる日本人をもってしても理解しがたい地球人類……それが小嵐梨花という少女であることは念頭においてほしい。
ああ、もちろん言いたいことは解っているとも。そんな現地調査をするために私を派遣したのではないと言いたいのだろう?
むろん監視は怠っていないとも。本人は木炭を握りしめてダイヤモンドにするだけで満足したが、その気になればブラックホールすら生成し得る梨花の力が何処に向かうか。宇宙意思の代弁者たる貴方たちとしては正気ではいられないのだろうさ。
私自身も彼女の超光速活動を複数回観測している。物理法則を平然と超越する彼女に強い危惧を持つのも解るが、その前にこちらの事情も聞いてほしい。
現在、この星は異界からの侵略を受けている。
貴方たちもこの三次元宇宙が無限に併存していることは承知しているだろう。
そうだ。
幸いにもその標的は梨花本人ではなく、異界を追われた女神の代行者たる少女だが、こちらも無視できる問題ではない。何しろ私自身、この星に漂着した直後のタイミングで、創造主の権能を簒奪しようとするソレとの戦闘に巻き込まれている。
……まったくあのときは監視対象の梨花とも鉢合わせるし、最悪だったよ。
ああ、もちろん私は無事だとも。だが、そのときにやむなく共闘した《私》は安全圏からの観測は不可能になった。
なに、首尾よく
貴方は私の話を聞いていなかったのか……?
こちらは監視対象に懐かれて友人認定された挙句、彼女の協力者として苦労しているというのに……まぁいい。いや、実はあまりよくないが、それよりも問題は異界の簒奪者のことだ。
グランドーザと名乗ったソレは二年前の侵攻で暴力の化身である梨花に完敗し、原初の塵へと還ったが……未だに滅んでいないことからそのとき撃退したのは威力偵察用の端末、もしくは分霊のようなものだと推測される。
そして《私》はいま、日本の京都という地方都市に居るが、この街はかなりマズイと思うのだ。
惑星の表層に降り積もった人々の想念──一千年不滅の信仰により形成されたテクスチャーという判りやすい目印に、よりにもよって異界の簒奪者が狙う創世神の依代たる少女がいるのだ。
もちろん私も入念に擬態は施したとも……。だが、厄介なのはこの地を形成する人々の想念が邪魔となって、侵攻の予兆が掴めないことなのだ。
頼みの梨花も、どういうダイスの引きをしているのか旅先で推しと邂逅して楽しく会食している。
あのだらしない笑顔を鑑みるに、相手が推しの中身であることに確証は得られずとも確信ぐらいはしているかもしれない。
つまりそちらに夢中の彼女は、もとから眼中にもない異界の簒奪者が襲撃の機会を伺っているなど想像すらしていまい。
そして問題の少女──こちらの世界に久里山まどかとして転生した少女もまた、危機感ゼロで知人の老婆にマッサージを施している。
つまりできるだけ早く宿に帰りたい。そんな状況だというのに……目の前で土下座する三人の中学男子たちがそれを許さないのだ。
「頼む椎名! この通りだ!!」
「こんなことなっちゃんにしか頼めないんだぉ!!」
「お願いします! 沖田役はぜひ椎名さんに!!」
人目も憚らず土下座して、必死に懇願する彼らが差し出しているのは、いわゆる新撰組の
新撰組が『あの
「代金は俺たちが持つから、頼むよ椎名。頼むよ」
「後生だぉ。着替えはぜったい覗かないから……」
「ほら、向こうの外人さんたちもぜひ一枚って……」
それぞれ近藤役、土方役、斉藤役に扮した男子どもは既に料金を支払っているものの、店内で土下座する姿に店員らの顔色も優れず……喜んでいるのはサムライ名物のハラキリが見れるかもしれない、と興奮する海外の観光客だけだ。
「……わかった。私も着替える。だから店内で迷惑行為は控えろ」
ここで断っても誰も幸せにならない。そんな後ろ向きの義務感から沖田総司の隊首羽織りを受け取ったものの、内心は気が気でなかった。
とにかくマズイ。自分も観測者だから断定できるが、確実に
“──クックック。不用心よな。我が無限眼の詳らかとする領域でこうまで致命的な隙を晒すとは”
その声に驚きながらも戦闘形態に移行する久里山まどか。偽装を解き、光り輝く杖を手にした少女の顔はしかし、申し訳なさそうに
おそらくは彼女は知人を巻き込んだこと……そして何より正体を偽っていたことを知られるのが後ろめたいのだろうが、躊躇わなかったのは流石だった。
今回も異界の簒奪者本体の顕現ではない。観測情報によれば、三ランクは下の中級端末。この程度ならば自分が援護すれば十分に撃退できる。
直ちに京都周辺時間を停止し、次元跳躍によって前衛を担当する──そうしようと思った瞬間には、具現した闇の爪牙はあっさりとねじ伏せられていた。
“京都にこの手の化生が多いことは知っていたが、まさか堂々と婦女子を拐おうとするとは、まったく困ったもんさね”
“あ、ちょっ……何のつもりだ、この婆ぁ……強っ!?”
軽々と魔人の手を捻りあげるのは梨花の祖母だった。武道の達人であることは承知していたが、まさか理外の住人まで屈服させるとは思わなかった。
“まどかさんや。この手の化生はコキッとやるに限る。貴女との関わりは知らんが、ここはこの老ぼれに任せてくれるかね?”
“アッハイ”
“や、やめ──!?”
それで戦闘と呼べるものは終わりだ。侵食された境界の修復という後始末もあるにはあるが、それはもう少し落ち着いてからでも構うまい。
「……ふむ。ようは、血の成せる業、というものか」
不明だった梨花のルーツもだいぶ判明した。かつては健太郎が本気で恐れる梨花の母にあると思っていたが、まさかあの小柄な老婆がそれを伝えていたとは……。
「ともあれ、危地は脱したか」
まどかの危機を救った老婆は穏やかな表情で彼女を座らせてお茶を淹れている。きれいに正座したまどかはだいぶ居心地が悪そうだったが、それが老婆の「言いにくいことは言わなくてもいいんだよ」という発言によるものならば微笑ましい限りだ。
梨花もまどかたちの危機を勝手に察して暴れ出す様子もなく、暢気に会食を続けている。
つまり平和だ。よって自分は事前のプロセスを遂行すべしと、着慣れぬ和服と格闘する。
最後に模造刀を腰帯に噛ませて姿見を確認した私は、眼鏡を外してから更衣室を後にした。
「これでいいのか?」
そして外に出た途端に振り向く三馬鹿どもに尋ねはしたが、あの表情から返ってくる反応は判りきっている。
「おおっ、似合ってるぞ椎名……じゃないな。待ったぞ、総司。会計を済ませたら御用改に出かけるぞ」
「そうですね。僕の牙突が火を吹かなければいいんですが」
「うーん、似合ってるけどちょっと表情が固いような……。あのね、なっちゃん。沖田総司は天才剣士なんだから、もっと余裕の笑みを浮かべてもらわないと」
そしてさっそく
「ん、了解した。……ところで今後の予定は?」
「うむ。実はな総司、この京の街に現れた
「これは京の治安を預かる新撰組としては無心ではいられねぇお。よって、今から現場を押さえ……」
「その所業を明らかにして、この斎藤が斬る。……二言はありません」
「おい斉藤、それ俺の台詞な」
なるほど……よく分からないが、彼らは梨花も巻き込んで新撰組ごっこをしたいようだ。
ならば、付き合うのにやぶさかではないと言いたいところだが、実のところそんな義理はまったく無い筈なのだ。
たしかに彼らとはオタク研究会時代からの仲間ではある。
だが、それは梨花を近くから監視するための方便に過ぎない筈である。
だというのに自分は何故……こんなにも積極的に彼らの戯れに加担するのか。
母星の上位存在によって観測者として製造された自分はどうして、こんなにも心を乱されているのか。
望めばいつでも答えをくれるはずの《神》がこの件に沈黙を続けるのは、自分より地球人類の理解度が低い彼らには答えられないのか、それとも《私》がそれを望んでいないのか……。
何一つとして正解が出せない思索の海で、なぜか私の心は笑い出したくなる衝動しか生み出さなかった。
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