第17話 脳筋だって偶には我慢するという話
──2020年8月21日、京都市中京区二条通付近。
無事に両親の同意も取り付け、東京の中野区からタクシーと新幹線乗り継いで遠路はるばるやって参りましたよ。純和風文化の街並みが広がる麗しの京都に。
一応は部活の一環でもあるし、動画のネタにもなるからぶい⭐︎ちゅう部のみんなにも同行を願ったけれども、こんな真夏日に京都の名所巡りに連れ回すのもなんだし、初日はわたしのポケットから軍資金を渡して自由行動にしました。
ま、あまりに無茶振りをしすぎてみんなにパワハラと思われるのもなんだしね。
そんなわけで午前11時の気温38.6度の炎天下を物ともせず、ホテルの外へ飛び出して古都を散策するわたしに付き合う物好きは二人だけ……。
一人はわたしと同様に耐熱セービング・スローに成功した思しきフランス娘・アンジェリーナ。こちらはコスプレじみた和服をキメて、日傘も用意するという徹底ぶりだ。
そしてもう一人はカメラを片手にため息をこぼすマイシスター・沙耶なのだが……何度か気乗りしないんだったら無理に付き合うことないよって言っても、この子ときたらお姉ちゃんを放っとくわけにはいかないでしょと頑として聞かず。
アンジェリーナの差し出した日傘のお世話になりながらも、外気に触れた素肌からはポタポタと汗が滴る始末。
これはいかんということで、昼食がてら涼めるお店を探して右往左往。京都名物・碁盤目迷路をなんとか攻略しつつ、似たような境遇の女性二人と意気投合して今に至るというわけだ。
「お姉ちゃん。気持ちは嬉しいんだけどさ……ホンットにこの店に入る気?」
「うん、もちろん入るよ。お客さんもいるんだし、お昼はゆっくり足を伸ばせる店がいいでしょ?」
そんなこんなで、ようやく発見した『祇園つかもと』という和食屋さんに入ろうとしたところで妹の顔色が真っ青に。
いや、顔色が優れないのは妹だけじゃなく家入さんや御堂寺さんもそうか。
平然としているのは役目を終えた日傘を畳んでいるアンジェリーナくらいだ。
……なるほど。さては高そうなお店だから遠慮してるな?
「もちろん代金はわたしが払うから気にしないでいいからさ」
「そうじゃなくって……お願いだからあたしの話を聞いて!?」
その懸念を払拭しようと胸を逸らして
「梨花さん。沙耶さんが何を
「ううん、さっぱり」
アンジェリーナと二人して首をひねるが、出口のない迷宮の光明は意外なところから発見されるのだった。
「あー、京都のこういうお店って一見さんお断りというか、予約必須みたいなところが多いって聞いたことがあるから、妹さんが気にしてるのはたぶんそれなんじゃ……」
「うん、小春も聞いたことがある。たしか予約を入れるのにも、常連さんの紹介がないとダメだとか……」
「ほほう、さすがは社会人。家入さんも御堂寺さんも博識だね」
なるほど、なるほど……でもそういうことならノープロブレム。お姉ちゃんに任せなさい。
スマホの地図アプリからお店をタップして、まずは登録してある番号に電話を……。
「あ、もしもし。実はお昼ご飯を予約したいんですけど、はい、紹介なら今から言う番号に掛けてもらって、内閣官房長官の小菅さんに……わたしですか? 柔道の小嵐梨花です。あ、オッケーですか。はい、ありがとうございます。すぐに向かいますね」
そうして「すみませーん」と来店すると、お座敷の入り口で受話器を置いたばかりの女将さんらしき女性が仰天するのだった。
「……今回はいきなり突撃しないで電話をかけるところから始めたのは評価するけど、やっぱりお姉ちゃんの単独行動ってホンット論外だね」
「日本のマナーとルールはまだ不勉強なところがありますけども……梨花さんのやり方が正解ではないことだけは解りますわ」
「ほらみんなオッケーだって! 女将さんが涼しい部屋に案内してくれるって言うからおいでおいで!?」
人数とこちらの希望を女将さんに告げて純和風の玄関で靴を脱ぎ、渡り廊下を通過して案内された和室に腰を落ち着けるが、もしや寛いでいるのはわたしだけではあるまいか?
やんごとなき身の上のアンジェリーナはさておき、根っから庶民である妹は玄関前から恐縮し通しだったけど、女将さんに渡されたメニューらしき物を目にしてからは難しい顔をさらに曇らせる。
家入さんたちも似たような反応をするからわたしも見せてもらったんだけど、なるほどこりゃそうなるか。これも高級店ならではの格式というものかもしれないけど、とにかく判りづらいのである。
やたら達筆な筆文字で料理の名前が書いてあるだけで、料理の写真はおろか値段すら書いてないんだから妹が頭を抱えるのも分かる。
「とりあえず予算は100万以内で、世界よ、これが祇園つかもとだっていうコース料理をお願いできます? 個人的にがっつりカロリーのあるものも食べたいので、お肉と白米もあると助かります」
なので何度かこういうお店に連れてこられたことのあるわたしが助け舟を出すと、予算を口にしたあたりで妹が吹き出した。
「お姉ちゃん、予算100万って……今回の旅行で1000万は使うって話、あれ本気だったの?」
「うん、本気も本気。使わないと根こそぎ持ってかれちゃうお金だもん。とりあえず今年の稼ぎは年内に使い切る勢いでいいからね」
そんな妹に一足早く社会に飛び出した立場から断言すると、家入さんが何かを察したように口元を綻ばせた。
「もしかして梨花ちゃんが気にしてるのは予定納税のこと?」
うんうん、さすがは社会人だね。わたしも税理士さんに指摘されるまで知らなかったのにちゃんと把握してるなんてさすがだよ。
「はい! なんでも会社法の規定を満たせない個人事業主は、来年の税金も来年度早々に要求されるらしいじゃないですか!?」
まだ中学一年の妹にはピンと来ないみたいだけど、日本の税制はわたしのような成金に厳しくできてるらしいのだ。
「あっ、それ小春も聞いたことがあるよ。なんだっけ……たしか来年分の納税時期が5月くらいに来ちゃうとか?」
「そうなんだよね。梨花ちゃんみたいにCMやスポンサー契約で仮に億を稼いじゃうと、今年の所得税でまず40パーセントを持ってかれて、次に住民税で10パー持ってかれたと思ったら、去年の稼ぎを参考にした先行納付を求められるんだよ。日本の個人事業主は」
「えっ!? それじゃあ初年度分の収入は9割がた持ってかれるの……?」
「稼いだ額にもよるけどそうみたいですね。だからもうぶい⭐︎ちゅう部の経費で残らず使い切っちゃおうと思って……ぶっちゃけわたしがぶい⭐︎ちゅう部を作ったのもそのことを考慮して、みたいなところがあるんですよね」
とある漫画家のT氏も、大ヒットに恵まれて喜んでいたら稼ぎの7割を初年度に持っていかれたことを教訓として、自身の創作事業を取り扱うスタジオを立ち上げたという話もある。わたしとしも対策に無関心ではいられなかった。
「まっ、そんなわけだから沙耶もお金のことは本当に気にしないでいいからね? せっかく稼いだのに税金で全部持ってかれるぐらいなら、パーッと使ってファンに還元したほうがいいからさ」
「うーん、梨花ちゃんってば太っ腹。後になって資金不足になることがないなら、たしかに設備投資や経費に使っちゃったほうがいいかもね」
「日本の税制は新規事業者に厳しくできていらっしゃるのね。これも既得権益を守るためかしら……梨花さんが苦労するのも解りますわ」
「苦労、お姉ちゃんが苦労か……ダメだ、やっぱり実感が湧かないや」
「仕方ないよ。日本の学校じゃ税金の話はしてくれないからね。沙耶ちゃんも元気出して?」
そして共通の話題に盛り上がり、前菜の料理が運ばれ出した頃に、わたしは場の雰囲気を大いに盛り上げてくれた二人にお礼を言うのだった。
「説明助かりました。おかげでわたしを見る妹の目も変わってきたように思います」
「ご馳走になるんだしお安い御用よ。他にも何かあったらどんどん聞いてきてね。今なら先輩として何でも教えちゃうから」
そう言って微笑む家入さんは如何にもデキる女という感じがして、わたしはこんなすごい女性と知り合えたこと幸運を噛み締めて有頂天になった。
「ありがとうございます! 家入さんは会社勤のOLって話だったのに個人事業主にも詳しいんですね!?」
「あっ……うん。私たちはほら、会社から仕事をもらってる事業委託って形式だし、まぁそれなりにね……」
「うん、そうなの! 小春もあさちゃんと同じで個人商店みたいなものだから、それなりに知ってるんだよ!!」
途中で妙な空気になりもしたが口にした料理は美味しく、わたしの疑問は食べた物と一緒にお腹のなかに落ちるのだった。
その後も楽しい会食は盛り上がり、フグのしゃぶしゃぶという滅多に食べられないご馳走で舌鼓を打っていたときに、家入さんが少しだけ物憂げにあることを訊いてきた。
「ところで梨花ちゃんはVTuberになりたいんだっけ?」
「はいっ!! 家入さんはVTuberにも詳しいんですか!?」
「詳しいってほどでもないけど、仕事がら接点もあるし、そっちもそれなりに知ってるけど……実はVTuberになりたいって子を見かけたのは梨花ちゃんが初めてなのよ」
不思議な女性──家入あさぎさんは苦味のある笑みを浮かべ、どこか遠くを眺めるようにわたしの顔を見つめてきた。
「私の知ってる子はみんな他の何かに成ろうとして、成れなかったから仕方なく妥協してる子たちがほとんどだった」
「あさちゃん……」
そんな家入さんが心配だったのか、御堂寺さんがそっと手を重ねてきても、微かに
「だから、梨花ちゃんが初めてなの。アイドルや芸能人になれなくて仕方なくじゃなく、最初っからVTuberになりたいって子は」
……そんなものなのだろうか?
エルミタージュのオークションの倍率が数百倍と聞いて、あまりの難関ぶりに立ったまま気絶しそうにわたしからしてみれば、いまいちピンとこない話なんだけど……確信に満ちた口ぶりから、おそらくはあの業界を内側から見たであろう生の意見だ。重く受け止めたい。
「だから、良かったら聞かせてくれないかな? 梨花ちゃんのように世界的な名声を手にした子がどうしてそれを
言われて気づいたけどそうだったわ。オリンピックで勝利後のインタビューのときにVTuberになるから柔道を辞めるって言ってたわ。
そのときのインタビューは公共の電波にこそ乗らなかったが、大勢の観客がSNSで拡散しちゃったからね。家入さんが知っててもおかしくはないか。
「……憧れちゃったからですかね」
なんて、食事の手も止めて腕組みしちゃったけど、わたしがVTuberを目指した理由なら話は簡単だ。
「今は珍しいかもしれませんが、そのうち推しに憧れたって理由でVTuberになりましたって子がいっぱい出てくると思いますよ。だってそれぐらい魅力的なんですから」
憧れとは最も分かりやすいモチベーションだとわたしは思う。
「最初はどんなにマイナーなジャンルでも、その世界を代表するような人物が出てくると話が変わってくると思うんですよね。例えばキャプテン翼に憧れてサッカーを始めたっていうプロの選手もいますし、スラムダンクのおかげでバスケ人口が急増したり……」
「お姉ちゃん、例えるなら巨人の王選手とか長嶋選手とかにしてよ。オタク知識を持ち出されても一般人には伝わらないよ?」
「うるさいな。とにかくわたしの推しはリオ&レオなの。わたしはあの二人のように優しい女の子になるって誓った身なの。もちろんまどかちゃんを通して異世界の女神にね」
たしかコール・ゴッドの奇跡だったかな?
異界の魔王がこの世界に侵攻してきたときに必殺のアトミック・バスターナックルで撃退したら、直々に感謝の言葉を伝えたいっていうからお願いしたんだよね。
そのときに負った傷の影響でグランなんちゃらかはかなり弱体化したらしく、向こうの戦況もだいぶ好転したらしいんだけど……時間が取れたらまどかちゃんの故郷も平和にしたいものだ。
「さしずめ企業製VTuberが主流だった黎明期を第一世代、その後にライブ配信に転換した現在主流の配信形式を第二世代とするなら、わたしはそうした人たちに憧れて業界入りを希望する第3世代の先駆けですね。それもこれもリオ&レオや他のみんなが夢を諦めずに頑張ってくれたおかげですよ」
最後にわたしが自信をもって断言すると、周りから暗いものが消え去って華やかな笑い声が唱和するのだった。
「あのね。一応その業界の一員として言わせてもらいたいんだけど……何これ恥ずかしい! 穴があったら入りたい気分!!」
「あら、妙にお詳しいと思ったらやっぱり関係者の方でしたのね?」
「あ、うん。一応ね。……ところでアンジェちゃんはどうしてVTuberに? 梨花ちゃんに誘われたから?」
「それもありますけど、ワタクシも観ているうちに好きになりましたわ。もちろん梨花さんの推しの星海玲央様と木漏れ日莉音様も素晴らしいVTuberですけど、ワタクシの推しは、そう……業界のご意見番である皇桃華様ですわ!!」
「あれ? アンジェってばモモちゃん推しなの?」
「ええ、イグザクトリーですわ! あのおおらかで包容力のある人間性に加えて、歯に絹を着せぬ赤裸々なトーク! ワタクシ一目であの方の虜になってしまいましてよ!!」
「あっ……やっぱり外からはそう見えるんだね、り……あさちゃん」
「……うん。まあ、なんていうか……夢は壊さないでやろうや、小春」
「ところでお姉ちゃん、カードが使えるなら現金を持ち歩くのは辞めない? 額が額だから、あたし生きた心地がしないんだけど……」
生まれた年が異なれば、生きてきた世界も異なるわたしたち五人が、まるで十年来の友人であるかのように語り合う。
楽しい楽しいひと時は、女将さんが最後の締めにお茶漬けを持ってきて、わたしが「あっ、これってそろそろ帰れって意味ですよね」と確認してやんわりと否定されるまで続くのだった。
「梨花ちゃんご馳走さま。また会おうね」
「ダメだよあさちゃん。会えるかどうかも分からないのにそんなこと言っちゃ」
「ううん、また会えると信じてって意味だよ。それぐらい察しなよ」
「はい。また、いつか……」
まるで漫才のようなやり取りに笑みをこぼし、ひとりひとり手を握って別れを惜しむ。
踏ん切りをつけるように踵を返すと、日傘を差したアンジェリーナと妹が微笑んでいるのが判った。
「気持ちのいい方々でしたわね。日本人はとても親切という話を母から教わりましたが、こんな素敵な出会いに恵まれるとは日本に移住した甲斐がありましたわ」
「でもなんか引っかかるんですよね。自分でもどこが引っ掛かってるのか分からないんですけど、なんていうか、こう……ああっ、もどかしいな」
「考えちゃダメだよ沙耶。こういうのは考えるんじゃなくて感じ取るものなの」
……まっ、妹が首を捻るのも無理はないのだ。
わたしだってうっかり成功判定を突破したときは、直後の精神判定に失敗していたらSAN値直葬でどうなっていたか分からない。
「焦らなくてもそのうち判るよ。今度はもっと別の舞台で、お互いに別の姿でね」
そこまで言うのは野暮かと思ったけれども、妹の振ったダイスは今度こそ達成値を上回ったようだ。
「なるほどね……。でも意外だったな。お姉ちゃんがそんなに冷静なのって、にわかには信じらんないんだけど……?」
「そこはアレよ。取り乱しそうになる心臓と脳みそを、周囲の筋肉が取り押さえったって解釈で正解じゃないかな」
「あら、何の話ですの?」
「……そうだね。たぶん神さまは実在するって話だと思うよ」
わたしの知る神さまは異世界の女神さまだけど、彼女ならこんな素敵な出会いをご褒美に用意することもあるだろう。
無性にまどかちゃんの底抜けに明るい声が聞きたくなったわたしは、京都の観光をそこそこで切り上げて彼女の待つホテルへと帰還するのだった。
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