第16話 京都編序章『とあるVTuberの悲喜交々』




 ──2020年8月20日深夜、都内某所の賃貸マンション。


 VTuberの仕事は多岐に渡り、その実態は多忙を極める。

 個人勢として一人で切り盛りしていたときも大変と言えば大変だったが、当時はまだ公表していない予定に関しては先送りが許されていた。

 やれたらやる。無理そうなら延期する。なんならその気になるまで長期休暇なんてことも許されたが、れっきとしたプロダクションに所属する企業勢ともなるとそうはいかない。日々の配信ひとつをとっても「さぁやるか」では済まないのだ。

 ゲームや楽曲を使用するなら事務所を通して先方に許諾申請をしなければならないし、ひとたびYourTubeの枠を確保したからには最後までやり抜く責任が生じる。

 動画のサムネイルも毎回同じものを使用して手抜きと思われるのもなんだし、外部のイラストレーターに発注することもままにあるが、これとて無料でもなければそれなりの手間も生じる。

 他にもコラボをするなら双方の事務所を通して相手との打ち合わせ。箱内でも当事者だけで済ませるわけにもいかず、お互いのマネージャーから最低限の了解を取り付けなければならない。

 サシのコラボひとつをとってもこれだ。大勢のVTuberが参加する大規模なコラボともなれば事務手続きだけで一日が吹き飛ぶ。

 何をするにも事務所と打ち合わせて、特に専属マネージャーとの連絡は密にして情報を共有し、様々な懸念に対処するのも独断専行は論外で当事者の連携は必須となる。

 さらにはグッズやアルバムの打診をされれば事務所に出向き、会議や収録に参加するなり何なりして……ダンスレッスンやボイトレを怠るわけにもいかないし、税制上は個人事業主に分類されているから税理士さんに相談も……。

 そんなわけでお盆も終わり、夏休みも残すところ10日あまりとなるまで休日の目処すらつけられなかったが、自分は遂にやり遂げた。

 最後の仕事である相棒とのオフコラボ(断じてオフではないが)が終わるなり背伸びをしたその女性は、そのまま背後のベットに倒れ込んで歓喜の声を張り上げるのだった。


「やっと終わったぁ〜! さぁ休むぞぉ〜!!」


 ちなみにそのベッドは自分のものではない。今日のオフコラボは相方の自宅で行われた。よってそのベッドは相方である年下の女性のものだというのに、つい、いつもの調子で枕を抱きしめてゴロゴロしてしまった。

 さすがに気を抜きすぎたかと身体を起こして居住まいを正すも、雑な性格をしている相方は能天気な笑顔を見せるのみだった。


「お疲れ、玲央ちゃん。これでしばらくお休みだね」

「あ、はい。……でも言うてそんな何日も休めませんけどね」


 そしてファンシーなベッドにゴロンっと横たわって、当然の素振りで自分の太ももを枕にしてくる、まだ少女と言っていい幼い面持ちの同僚にはたして何と言うべきか。

 正直なところ親しき仲にも礼儀ありという、両親の教えを大事にしている自分としてはこの無防備な少女に物申したい気分だったけれども……目が合ったというのに逸さなかったという理由だけで懐いてくる生き物に何を言っても無駄である。

 まったく、今日だけだぞ。

 口には出さず姿勢を変えて、お行儀悪くスマホを弄る少女の髪を直してやった女性はこれからどうしようかと、まだ何の予定もない明日からの休日について考えた。


「玲央ちゃん、明日からどうしよっか」

「ホントにどうしよっか? 個人的に本気で疲れが溜まってるから、ずっと寝てたい気分なんですけどね」

「分かるよ玲央ちゃん。莉音もこのまま寝ちゃいたい気分だよ」

「そう、それはそうなんですけども……マネちゃんにお休みのあいだ何してましたって訊かれて、ずっと寝てましたって答えるのもどうかと思うんですよね」


 女の見栄と馬鹿にするなかれ。マネちゃんだけなら最悪それでもいいが、他の仲間たちはお盆休みを使って実家に帰省するなり、旅行するなりして充実した日々を過ごしていることは周知の事実だ。

 だというのにうっかり事務所で鉢合わせたときの土産話が「ずっと寝てました」じゃ格好が付かない。

 どうせなら後の配信で振り返れるような休日にしたい。星海玲央ほしうみれおの演者たる女性は本気でそう思った。


「そうだよねぇ。莉音たちもアバンチュールな休日を過ごしたいよねぇ……」


 ……そんなことを考えながらも手元の髪を撫でてやってるのに、このだらけきった犬みたいな少女はこっちを見上げようともしない。

 流石にそれはどうかと思った彼女は相方のあごに手を伸ばし、そっとその顔を覗き込み、まるでキスをしようとしてるみたいだなと思いつつも尋問するのだった。


「ところで莉緒さんは何を見てるんですか?」

「んー、ぶい⭐︎ちゅう部の動画」

「あ、また新作出たんですね」


 未だにオリンピックの熱気が冷めやらぬ昨今の日本において、最も人々の注目を集めている少女の動画はもちろん自分も毎日チェックしているが、投稿頻度が不定期なのでつい見落としがちだ。

 自分もチェックしようとスマホを探すも、そちらは残念ながら配信用の机の上だ。

 膝枕を中断して立ち上がるのも気が引けたので、失礼して相方のスマホを覗き込みながらそちら途中経過を確認する。


「梨花ちゃんたちはどうなってます? たしか前回の動画だとトゥルー・ワールドから派遣された女性スタッフと楽しくやってましたけど?」

「うん、梨花ちゃんのLive2Aができたってさ。それで明日から京都の任展堂と直接対決だって。温泉だよ温泉」

「なんだその急展開!?」


 京都の任展堂って、ゲームメーカーの任展堂だよね?

 梨花ちゃんのLive2Aが完成したっていうのは分かるが、それがどうしてあの世界的な企業とやり合うことに繋がるのか、これが分からない。

 だがその点を尋ねようにも目の前の少女の関心は他のことに移ってしまった。こうなったら処置なしだ。


「ねぇ、いいよね温泉。温泉だよ温泉。のんびりリラックスできるし振り返り配信のネタにもなるから、玲央ちゃんも一緒に行こうよ」

「温泉かぁ……」


 正直なところ観光旅行をするような気力は今の自分にはないが、温泉旅行なら、まあ……。


「……うん。悪くないかもしれませんね」

「決まりだね。宿の予約は莉音がするから、玲央ちゃん今日は泊まってってよ。今お風呂の準備もするから一緒に入ろうね」


 あまり誤解されたくないので配信などでは口にしないものの、今日のように相方の自宅で仕事するも帰るのが億劫になるのは稀によくある。

 よってそのときのために、着替えや歯ブラシ、その他化粧品など女性の生活必需品はこの家にも置いてある。

 なので今夜はこのままのんびり過ごしても、明日になって旅行の準備に苦労することはないが……あんまり乗り気だと安い女と見られる。

 この少女とはこの半年あまりで随分と親しくなったが、何でもかんでも思い通りになると誤解されるのはよくない。

 そう考えた女性は意志の力で顔面の筋肉を操作すると、物憂げな表情を作り出して面倒くさそうに応じるのだった。


「でもなんか疲れちゃったし、今日はお風呂をパスしたい気分なんだけど」

「ダメだよ玲央ちゃん女子力が下がるよ! 莉緒が頭を洗ってあげるから……ね?」

「んー、今からお風呂に入って髪を乾かすのめんどいなぁ……」

「大丈夫! 莉音が乾かしてあげるからさ!?」

「まあ、そこまで言うんだったら……」

「やったぁ! すぐ準備するから待っててね!!」


 こんなものかなと妥協すると飛び上がって万歳する少女の姿を目にすることになり、苦労して作り上げた表情が崩れそうになる。

 これまた誤解のないように断言するが、自分は決して乗り気ではない。

 だが、自分はどうにもこの手の生き物が苦手だ。

 自分のことが好きだと公言して全力で甘えてくる年下の少女たちを嫌いになるのは、なかなかに難しいのである。

 木漏れ日莉音こもれびりおん然り、小嵐梨花こがらしりかも然りだ。


「あぁ〜、丸くなっちゃったなぁ。あたしも……」


 思えば個人勢のVTuberだった頃の自分はもっと尖っていた。

 馴れ合いなど論外であり、理解者さえも不要であると自己完結していた自分がここまで変わったのは、まず間違いなく皇桃華すめらぎももかを筆頭とするエルミタージュの所為だ。

 競合相手ではなく、共に支え合い高みを目指す仲間たち……そんなお題目を真に受けることこそなかったが、楽しいと、そう思ってしまった自分の負けであることは考えないようにした。


「ま、このあたしをここまで堕落させてくれた責任は取ってもらわないとね」


 自分たちのファンを公言してエルミタージュ入りを熱望するくだんの少女も、遠からずその望みを叶えることになるだろう。

 事務所は未だに彼女の受け入れを表明していないが、エルミタージュのお局さまである皇桃華の猛アピールで社内の意見も纏まりつつある。

 よって、よほどの事がないかぎり彼女の加入は既定路線。その時期は彼女がぶい⭐︎ちゅう部での初配信を終えてからになるだろう。


「そうなったら莉音と一緒にコラボして、聞きたい話がいっぱいあるんだよね」


 柔道のこと。VTuberのこと。そしてどうしてこんな自分を好きになってくれたのか──とても数回程度のコラボでは聞ききれないことがいっぱいある。


「玲央ちゃ〜ん、お風呂掃除してお湯入れたよ! 着替えを用意するから先に入ってて!!」


 そう遠くない将来を夢想し、端正な美貌に楽しげな笑みを浮かべた星海玲央は、浴室から自分を呼ぶ相方の声を耳にすると、その笑みを優しげなものに変えて踵を返した。


「あ、わたしの分も用意してくれてるんだ。ありがとうね」

「いいよ、大した手間でもないから。……それより玲央ちゃん、今日も綺麗だね」

「ん、ありがと……」


 そして脱衣所で着替えを用意する少女の前で下着を脱ぎ、入浴後に髪を乾かしてからは同じベッドで手を繋いで眠りに就いたが……その『よほどの事』がまさか現実に起こり得るとはこのときは夢にも思わなかった。

 それが現実のものとなるのは翌日の京都にて──。


「ねぇ、玲央ちゃん? 向こうにいるの梨花ちゃんだよね……」

「そうだよね。……ごめん、目が合っちゃった」

「だからかな? なんかこっちに近づいてくるけど、どうしたらいい……?」


 逃げられない距離で野生の熊と遭遇したら、きっとこんな気分になるに違いない。

 本当にどうしてこうなったのか。推測できる要因はいくつもあるが、温泉旅行というから近場の熱海だと思ったら、前日の動画で草津温泉というワードが頭にこびりついた相方が京都の宿を予約したのもあるし、どうせ京都に来たんだったら観光をしなくちゃ損だと外に出たのもある。

 そしてお昼時に食事のできるお店を探して、似たような街並みを延々と行き来していたのも遭遇率を上げた要因であるに違いない。

 むべなるかな。なるべくしてなった遭遇事故を回避しようにも、可愛らしい学生服姿の妹さんと金髪ドリルと晴れ着を装着したフランス娘を引き連れたあちらさんは、それしか持っていないのかと不安になるぐらい見慣れたいつもの運動服ジャージ姿で、「すみませーん」と笑顔で手を振りながらこちらに突貫してくる。回避は間に合わないと覚悟せざるを得なかった。


「とりあえず今からあっちの名前で呼ぶのは禁止ね。あたしのことは家入さん、もしくはあさちゃん。莉音のことは御堂寺みどうじさん、もしくはこはるって本名で呼び合おう?」

「わかった、身バレ回避だね。間違えないように気をつけるよ」


 VTuberの身バレは御法度。本名はおろか愛くるしい素顔をさらして堂々としてるあちらさんと異なり、こちらは正体が露見したらどうなるか判らない。

 小声で最低限の相談を済ませた二人は、不幸にもエンカウントした小嵐梨花モンスターをプロの笑顔で迎え撃った。


「もしかしてなんですけど」


 だが、見た目だけは愛くるしい怪物の第一声に二人の鉄面皮が引き攣る。

 もしかして? まだ一言も喋ってないのになぜバレた?

 そんな思考が脳内を占領するが、目の前の少女が推察したのはまた別のことだった。


「さっきも向こうの通りでお二人の姿を見かけたんですけど、もしかしてお昼を食べられるお店を探したりしてます?」


 あ、そっちか……。

 安堵のあまり弛緩しようとする気を引き締め、瞬時に内心の動揺を鎮めた星海玲央こと本名・家入いえいりあさぎは即座に対応した。


「実はそうなんですけど、京都って似たような街並みだし、地図アプリの位置情報にも誤差があるから迷っちゃって……」


 声も配信用に多少作ったものではなく地声だ。これならバレまいと相方に目を向けると、ポンコツ具合に定評のある木漏れ日莉音の演者・御堂寺小春みどうじこはるも危機感を共有したのか無言でうなずいてくれた。


「やっぱり。コンビニも純和風だから迷っちゃいますよね」

「そうなんですよ。道路も碁盤目だし、おかげでもうお腹ぺこぺこで……」

「分かります。わたしも迷っちゃって……それで地元の人に聞いてみたら、二つ上の通りにいろんなお店があるみたいなんですよ。それで良かったらどうかなって声を掛けさせてもらって」


 どうかなっていうのは、もしかしなくてもご一緒にって意味だよね?

 彼女の口ぶりからこっちの迷ってるところも見られてるから、向こうで人を待たせてるって口実もそう簡単には使えない。

 つまり、これは避けられない流れだ。

 そう判断した家入あさぎは話を合わせる選択をした。


「……いいですね。もちろんお連れさんの迷惑じゃなきゃですけど」


 ここで救いの女神が少しでも難色を示してくれたら、それを口実に遠慮するって手も使えたのに、目の前の少女ときたら最低限の確認をすることもなく「決まりッ」と喝采を叫びやがった。

 無視される形となった妹さんとフランス娘もため息こそこぼしたものの、この少女に振り回されることに慣れているのか特に反対はしなかった。


「分かりました。それではお言葉に甘えて……。私は東京で音楽関係の仕事に就いてる家入あさぎと言います。このは同僚の御堂寺小春で……ほら、小春も挨拶して?」

「あっ、はい。家入さんの同僚の御堂寺小春です。……あの、柔道の小嵐梨花さんですよね? 金メダルおめでとうございます……」

「ありがとう! ここで会ったのも何かの縁だよね? お代はわたしが持つから家入さんも御堂寺さんも好きなものを頼んでね!?」


 はい、と笑顔で返した二人の心境は、こんな筈じゃなかったんだけどなと散々たるものだ。

 ドナドナで唄われる牛たちの気分はきっとこんな感じだったに違いない。

 哀れにも人の話を聞かない脳筋に捕まった二人のVTuberは、身バレにともなう騒動だけは避けようと突然の綱渡りを余儀なくされるのだった……。



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