第15話 幕間『小嵐沙耶は脳筋の姉にかく悩まされし』




 ──2020年8月20日夜、東京中野区の自宅。


 あたしのお姉ちゃんはそこはかとなく脳筋である。

 とにかく思い立ったら考え無しに行動する人で、進むべき方角が見えたら真っ直ぐに突き進むタイプだ。

 むろん事前にルートを調べて危なそうなところを回避したりもしないので、崖があろうがヒグマの巣穴があろうが構わず突貫する。そんな姉に付き合わされるこっちは堪ったものではない。

 身の安全こそ姉に保証されてるからって、一般人のメンタルしか持ちえないあたしの心臓は毎日揺さぶられっぱなしだ。

 ……まぁいいけどね。

 あんな姉でもあたしのことは大事にしてくれるし、あたしの言うことに耳を傾ける姿勢ぐらいは見せるし、やらかしたと思ったら素直に反省らしき態度も見せる殊勝なところもある。

 だからまぁ、下調べや場合によっては後始末を全部こっちに丸投げされても特に不満はない。

 姉がやるより確実だし、お姉ちゃんはああ言ってるけどホンットに大丈夫かなって確認作業に追われた挙げ句、結局こっちにお鉢が回ってくるぐらいならサッサと済ませたほうがマシだからだ。

 そんなワケであるからして、今回お姉ちゃんの思い付きで始まったぶい⭐︎ちゅう部の旅行も当然のようにノープランであり、そのシワ寄せはこれまた当然のように幹事を押し付けれら、潤沢すぎる予算(部員8名の観光旅行で1000万の予算は必要ないよ!)を与えられたあたしの双肩にのしかかることとなった。


「……これでホテルの予約は良し、っと」


 ま、そうは言ってもネットが普及してる今のご時世ではそこまで手間でもない。

 秋の行楽シーズンを外していることから現地の宿泊施設には空きがあったし、より利便性の高いホテルを探して予約するのもスマホがあれば困ることはない。

 あとは新幹線を予約して、お姉ちゃん被害者の会であるぶい⭐︎ちゅう部の先輩たちに集まる場所と時間をLINKに流せば……と、スマホを操作しながら自宅の階段を降りていたら、ちょうどお風呂から出たばかりのお父さんと目が合った。


「ん、沙耶はどうした? 自宅だからといって階段を降りてるときに歩きスマホとは感心せんが……」

「あ、お父さんごめんなさい」

「いや、それはいい。むしろ小言っぽくなってスマン。ただお前が歩きスマホとは珍しいと思ってな。お友達にメールの返信か?」

「あれ、お父さんお姉ちゃんから聞いてない?」


 そう答えながらも頭のなかで急速に『正解』が組み上がっていくこの感覚、やっぱり嫌だな。お父さんの反応から今後の展開まで全部読めちゃったよ。

 うん、お姉ちゃんってばやっぱりお父さんに一言もなく今回の京都旅行を決めちゃってて、それを知ったお父さんはもちろん大激怒。


「子供だけの旅行など何を考えてるんだお前はッ!? そんなことを認める親がいると思ったかッッ!!」


 リビングで幼児向けのアニメに夢中だったお姉ちゃんは突然の怒号に目を何度か瞬かせたけども、あの表情を見るに黙って引き下がるつもりはないみたい。


「旅行ならわたし一人で何度もしてるよ? お父さんが強引にねじ込んだ日本代表の強化合宿や海外遠征でね」

「いやっ、あれは代表監督がお前の保護監督責任者を兼ねていたから実現したものだ! 一般常識に照らし合わせてもぶい⭐︎ちゅう部とやらを監督する先生の同行しない修学旅行など許可する親はおらん!!」

「大丈夫。監督ならわたしが兼任してるよ」

「そんな話はしておらん! そもそも子供だけの旅行など、現地の警察に身柄を保護されて終わるだけだと言ってるんだ」


 だんだんとヒートアップしていく二人の言い争いを見守りながら、これはどっちの言い分が正しいんだろうとソワソワする飼い犬たちを落ち着かせる。

 一般常識としては完全にお父さんだけど、お姉ちゃんにそんなものを求めるだけ無駄だと思うんだ。

 そりゃ学生服も着ていない中学生の集団が京都で観光旅行をしていたら、現地の警察も声掛けくらいはするだろうし、場合によっては保護することもあり得るけど……そうする相手はお姉ちゃんだよ?

 警察全体で小嵐警視監のご令嬢を応援しようってやってたのはあたしだって知ってるんだから、仮に向こうのお巡りさんに見つかっても笑顔で応援されて終わりじゃないかな?

 そして京都にいるかどうかは不明だけども、仮に地元の暴走族や不良少年に絡まれても……うん、この手の想像はやめておこう。ハッキリと相手が可哀想だ。

 つまりお姉ちゃんが同行する時点で、あたしたちの身の安全はこれ以上ないほどに保証されてるわけだ。

 あたしですら仲のいい友達だけでディスティニーランドに行ったことがあるくらいだから、お父さんの言い分はあたしでも過保護だと思うし……そもそも経済的にいつでも自立できるお姉ちゃんを子供扱いするのもそろそろ苦しいと思うんだ。


「それに女子だけならまだしも、男子まで同行するなど親御さんに申し訳ないと思わんのか! 何か間違いがあったらどうする気だ!!」

「はぁ……?」


 と思ってたらお父さんがお姉ちゃんの地雷を踏み抜いたよ。


「……なに? 健太郎たちがわたしたちにエッチなことをするとでも言いたいワケ?」


 基本的に怠惰なボス猿のお姉ちゃんも、群れの仲間が攻撃されたときは本気で応戦する。

 この場合、健太郎さんたちが、あたしたちに、その……みたいなことをするって決めつけられたわけだから、お姉ちゃんが怒るのも分からないわけじゃない。


「い、いや……お父さんも健太郎くんがそんなことをするとは思っとらんが、しかし彼らも健康的な男子中学生だ。魔が差すことあろうし、若さゆえの過ちというものもあるやもしれんだろう……」

「んー、仮にそうなってもお姉ちゃんがコキッとやって終わりじゃないかな?」

「沙耶は黙ってなさい! 父さんは梨花と話してるんだ!!」


 あらら、軟着陸を誘導しようとしたのに拒否されちゃったよ。

 そういうことを言うんだったら知らないよと、飼い犬ともども安全圏まで避難する。

 そもそもあたしだって怒ってるんだ。

 たしかに健太郎さんたちは男子だけでつるんでるときは典型的なバカ男子だし、新島さんなんて単品でもかなりの問題児だと思うけど……あの人もトゥルー・ワールドから派遣された女性スタッフに鼻の下を伸ばしはしても、あたしはそういう目で見られたことはないし、それどころか随分と親切にしてもらったからどっちの肩を持つかなんて決まりきってる。

 部屋の隅で飼い犬を抱えてため息をついたあたしは、いよいよ退っ引きならない言い争いにため息をついたが、破局的な結末までは想像していなかった。

 何故ならこの家には二人のケンカなど歯牙にも掛けない実力者が帰還したから……って楽観したら、さっそくドスドスとやってきたよ。


「どっちもいい加減にしなッ!! くだらない事でいつまでも言い争ってんじゃないよッッ!!」


 それとなく察して耳を塞いでおいて正解だったという衝撃がリビングに吹き荒れる。

 その威力たるやお姉ちゃんでさえタジタジなんだから、お父さんは形無しだ。

 モデルのような長身を包み込むは重厚な筋肉。体重は自己申告によると88キロみたいだけど、太ってるだとか外見がゴリラみたいだとかそんな事実はまったく無い。

 むしろ多少は厳ついものの美人で、ただ迫力だけは尋常じゃないお母さんは一喝して黙らせた二人をジロリと睨んだ。


「アンタもあんな言い方をしたら梨花でなくとも引っ込みがつかないだろ。梨花もいちいち言葉尻を捕まえて噛み付くんじゃないよ。ケンカするなら外でしなッ」

「……ごめんなさい」


 さすがのお姉ちゃんもお母さんには逆らわない。20年以上前に一世を風靡した初代『柔ちゃん』の異名は伊達ではないのだ。


「し、しかし光江さん……やはり子供たちの旅行には責任者の同行が不可欠だと思うんだが……」


 もちろんお父さんも基本的にはお母さんの言いなりだが、お姉ちゃんが責任者になる暴挙だけは食い止めようと、冷や汗を拭きながらも必死の抵抗を試みた。


「それならアンタが同行すりゃいいだろ。今年は家族旅行も流れちまったんだし、埋め合わせにちょうどいいよ」

「い、いや私は明日も外せない仕事が……」

「だったらアタシが頼んどくよ。……これでこの話は終わりだ。さあ、食事にするから並べるのを手伝っとくれ」


 そんなお父さんを一蹴してドスドスと台所に消えるお母さんの姿たるや、まさに母は強しだ。

 さて、あたしもお母さんの雷が落ちる前に配膳を手伝わなきゃ……。


「……みんなもお母さんにだけは逆らっちゃダメだよ?」


 揃って怯える大型犬の毛皮を撫でたあたしは、珍しく被害者の枠におさまった姉の憮然とした表情にちょっとだけ愉快な気分になるのだった。




 そして夕食後に旅行の手配を終えたあたしはまたしても姉に捕まり、お風呂場へと連行された。

 もちろんお姉ちゃんと一緒だなんて嫌に決まってるけど、どうせ言っても聞かないからもう諦めたよ。

 ……何がそんなに嫌なんだって?

 そりゃあね。お姉ちゃんは異様に他人ひととの距離が近いけど、そんなにベタベタする性格じゃないから鬱陶うっとおしくて困ってるってわけじゃない。

 でもね。一緒のお風呂となるとどうしても目にしちゃじゃない。お姉ちゃんの肢体からだを……それが嫌なの。

 …………もうハッキリと言っちゃおうか?

 お姉ちゃんの身長は149センチとそこまで高くないから目立たないけど、脱ぐとすごいんだ。

 夏でも気にせず愛用している運動服ジャージを脱ぎ捨てたお姉ちゃんの素肌は、隠れてワックスで磨いてるんじゃないかってくらいのスベスベのツヤツヤだ。

 しかもスタイルもすごい。現役のアスリートだというのに強張った筋肉が目立つこともなく、脂肪の付き方も理想的で、年頃の女の子らしいモチモチとした肉感は艶かしいと言ってもいいほどだ。

 もちろん膨らむところは膨らみ、引っ込むところは引っ込んだ体型には嫉妬する気にすらなれない。

 ここまで完璧な女子の肉体を見せられるあたしの気にもなってほしい。なんだって同じ姉妹だというのにこんなとこまで差をつけられないといけないのか……これ以上は目の毒だ。

 最後の一枚から足を抜こうとする姉の背中から顔を背けて、こっそりとため息をつく。


「お姉ちゃんってホンット反則だよね」

「ん? 何の話?」

「いいから独り言にまで反応しないでよ」


 間違っても聞き咎められないように声未満の音量で吐き出したのに、まったくこの姉ときたら耳まで反則級の性能なんだから。うっかり愚痴もこぼせないじゃない、とこちらも脱いだ服をまとめて洗濯かごに叩き込む。

 ま、そんなわけで存在自体が反則級の姉だけども……脳筋なりにぶい⭐︎ちゅう部の先輩たちを慰安旅行に誘ったり、こうしてあたしとの時間を大切にしてくれたり、いいお姉ちゃんだとも思うのだ。

 お父さんのように自慢する気にはなれないけど、なんだかんだ振り回されても一緒にいて楽しいし、あれだけアクの強い先輩たちも楽しそうにしてるあたり、お姉ちゃんには人を惹きつける魅力のようなものがあるんだと思う。

 そうじゃなきゃ金メダルを二つも取ったアスリートだからってあんなにファンは付かないし、あたしもお姉ちゃんのマネージャーとしてスポンサー企業の依頼にてんてこ舞いにはならないよね。

 ……そのお姉ちゃんがVTuberになる。これはハッキリと凄いことだと思う。

 SNSの個人アカウントのフォロワーは100万超え。ぶい⭐︎ちゅう部のチャンネル登録者数も30万人を突破した。これを超える数字は業界最大手のエルミタージュの上位陣しか持っていない。

 現在のファンがVTuberとしてのお姉ちゃんにどこまで期待してるのか未知数だし、お姉ちゃんがライブ配信とか不安しかないけれども……少なくとも大コケはすまい。

 しかも妙なところで悪知恵の働く姉は、家庭用ゲーム業界の盟主であるあの会社まで味方に付けようとしている。

 経済の専門家じゃないあたしにはその相乗効果を想像することもできないけど、凄いことになるという予感は、熱めのお湯に浸かったあたしの胸を訳もなくたかぶらせるのだった。


「なによ、そんなに考え込んじゃって? もしかして心配事?」


 なんてやってたら洗い場のほうから声を掛けられたので顔を上げたら、お姉ちゃんってばよりにもよって目の前で湯舟を跨ぎやがった!!

 馬鹿ッ、まともに見ちゃったじゃない……どうしてそんなところの造形や色付きまで完璧なのよ!?


「……なんでもない」


 とりあえず否定して顔の下半分をお湯の中に沈める。これは赤くなった顔を誤魔化すための自己防衛だ。断じてこの姉に悟られてはならない。

 いや、そっちも確かに重要だけれど、今は脳裏に焼きついたこの映像を消去するのが急務だ。

 ホンットに信じられない。このまま記憶に焼き付いたらどうしてくれるんだか……。


「そっか……でも何があったらお姉ちゃんに言ってね。沙耶に意地悪するヤツはお姉ちゃんがとっちめてあげるから」


 だったら女の子の慎みぐらい身に付けてよ、と顔を上げるタイミングに困る。

 何を思ったのかこの姉は大胆に跨いだバスタブの縁に腰掛けて、優雅に足湯を決め込んだのだから最悪である。

 上機嫌に鼻歌をキメながら足をバシャバシャするもんだから、揺れるものがまあ揺れること揺れること……ダメだ。さっきの映像を脳内から消去するのには役だったけど、こっちもこっちで刺激が強すぎる。


「ねぇ、お姉ちゃん……そういうコトをするんだったら前くらい隠してよ。あたし恥ずかしい……」


 なので口だけ出して抗議してみても、危機感の欠片もない姉は「なんで?」とまるで理解していない。

 ……こうなってくるとさっきのお父さんは正しかったなってあたしでさえ思うよ。

 お姉ちゃんは混浴がいいとかほざいてたけど、これは男子じゃなくてもマズイと心臓の鼓動がどんどん乱れてくる。

 これは見せられない。そっちの気は絶対に無いと断言できるあたしですらこの始末だ。内心の読めない椎名先輩と大雑把なまどか先輩だけならまだしも、今のぶい⭐︎ちゅう部にはあらゆる意味でお姉ちゃんを意識してるアンジェリーナさんも居るのだ。

 せめて女の子の部分だけでも見せない習慣を身に付けさせないと、こんな生き物温泉街で放し飼いにできない……!!


「いいからタオルで隠すの。それと足をバタバタさせない。そうじゃなきゃお姉ちゃんなんて公衆浴場から出禁だよ、出禁」

「出禁は困るな……。よし分かった。普通に入るよ」


 ジロリと軽蔑寸前の視線を向けたらわりと素直に聞いてくれたけど……お姉ちゃんがいまの話を当日まで覚えているわけがない。あたしも先輩たちの前であまりガミガミ言いたくないから、そのときもこんな調子だったらお姉ちゃんだけ湯浴み着が必須となる混浴に放り込んでやろうか。


「まったくさぁ……お姉ちゃんってばホンット恥じらいがないよね」

「うーん、わたしに関しては微妙だけど、沙耶は逆に恥ずかしがりすぎじゃない? 男の子じゃないんだからそんなに体を隠さなくてもいいと思うんだけどな……」


 そんなことまで言い出して拗ねたフリをする姉をどうやってとっちめてやろうか?

 旅行前日のバスタイムに思わぬ課題に直面したあたしは、ようやく冷却のきざしを見せ始めた頭で反撃のプランを練るのだった。



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