第14話 信じる心を取り戻した脳筋が決意を新たにする話




 ──2020年8月16日、都立本郷中学校の部室内。


 思いもよらぬ商売敵トゥルー・ワールドからの横槍を穏便に処理した翌日には、早くも技術指導を名目とした三名の女性スタッフが派遣される運びとなった。

 しかも三人ともすごく美人で大人の色香も凄いのが……!!


「初めまして梨花さん、そしてぶい⭐︎ちゅう部の皆さま。トゥルー・ワールドより技術指導に参りました、開発主任の田所と申します」

「同じく開発部の緑山よ。今日から梨花さんのLive2Aが完成するまでの数日間、よろしくしてやってね」

「わたしは派遣だけど、SEシステム・エンジニアをやらせてもらってる深川美月だよ。分からないことがあったら何でも聞いてね」


 さすがに当てつけの可能性を考えるほどトチ狂ってないつもりだけど……リンゴか梨と背比べが精々の女子中学生わたしたちに対して、あちらはメロンかスイカと見紛うほどに実り切った果実を二つずつ装備しているのだ。

 思春期真っ盛りの健全な男子中学生──健太郎たちが何を思うか、傍目にも一目瞭然だった。


「杉浦クン。ファイルの共有なんだけど、いま使ってるのはセキュリティーに不安があるから、今度からこっちを使ってもらえるかな?」

「アッハイ!! ところで、その……そうやってこっちの手元を覗き込むのは、あ、あのっ、み、見え……」

「あっちゃん、Live2Aライブ・トゥ・アニメーションには差分を作るのに便利な機能があるから、お姉さんが教えてあげるね」

「う、うん……自分は、その、初めてだから……お手柔らかにお願いしますぉ?」

「自動翻訳の精度を上げるとか、秀治くんは面白いことやってるね! でもそれなら日本語の音声を正しく英訳する精度を上げるより、より正確な日本語として聞き取る精度を上げたほうがいいんじゃない? 翻訳自体は正しく聞き取った日本語のテキストがあれば一発なんだからさ!?」

「なるほどっ!! その発想はありませんでしたが、ところでお姉さん……いえ、なんもでもありません……」


 ……そんな光景を特に仕事のないわたしは、部屋の片隅から黙って見つめている。


「なんか、面白くない」


 ブスッと音がしそうなほど不貞腐れて吐き捨てると、わたしの隣で羊羹を口に運ぶ手を止めたアンジェがクスリと微笑した。


「ふふ、梨花さんらしいですわね。オタサーの姫の沽券に関わると言ったところですか?」

「別にぶい⭐︎ちゅう部はオタサーじゃないし、仮にそうだとしてもそのポジションはわたしじゃなくてなつきさんだよ」

「あら、そうだったんですの?」

「そうだよ。もともとぶい⭐︎ちゅう部の前身のオタ研は健太郎たちとなつきさんの四人でやってて、そこに格闘ゲームにハマったわたしが対戦相手を求めて加入したわけだし……」


 思えばなつきさんも不思議な人だ。わたしは何でも屋を自称するあの人のことを何も知らない。

 いつ、どうやって健太郎たちと知り合ったのか、ときどき意味深なことを言ってくるはなんでなのか……。


「ま、どっちにしろ梨花が不機嫌な理由は似たようなもんだろ? ようはアイツらがデレデレになってんのが気に食わないんだからさ」

「……ちがうよ。今のわたしは風紀委員。ハニトラを警戒してるんだってば」


 わたしやアンジェと同じく、部屋の隅っこでお菓子を食べるのが仕事になってるまどかちゃんの言葉を否定するも、わたし自身この感情が何なのかは理解していない。

 恥を掻くだけなので断定はしないが、健太郎たちがわたしを女子として意識している可能性は……まあ、なくもないだろう。

 それっぽい言動や反応を目にしたことくらいはあるし、わたしもそう見られるのに慣れていたこともあるから当たり前のように受け止めていた。

 ……だからこそこの苛立ちが何なのか判らない。

 こんなことで心を乱されるなんて武道家として未熟だと思うけれども、武道が精神の向上に役立つことなんてない。

 基本的に殺人術である武術を学び、自己の肉体を凶器へと改造する武道家には乱用を避けるため高い精神性が求められるだけで、それ自体が祖母のような人間性を育むことはない。

 だから柔道歴10年のわたしも未だに未熟な小娘のわけで……半ば八つ当たりのような気持ちで粗探しに必死というわけだ。

 でも、それもそろそろ限界かもしれない……。


「椎名さんはまたすごいことをやってるわね。3Dモデルの挙動を座標で一元管理するのではなく、人工知能AIに人体の構造を学習させた上でマウスで制御しようとしてるの?」

「うむ、これなら素人でも制作に関与できると判断した」

「……すごいよね、このシステム。画期的だよ。わたしたちに手伝えることがあったら何でも言ってね?」

「沙耶さん。お姉さんのスケジュール管理はこっちのアプリを使ったほうが楽よ。これならお姉さんのスマホと連携できるし、いちいち口頭で伝えなくてもよくなるわよ」

「わっ、助かります。お姉ちゃんに説明しても当日まで覚えているか不安だったんで」


 向こうの社長さんをやり込めた意趣返しからハニトラの可能性に言及したが、彼女たちの仕事ぶりは非常に真面目で、初めての挑戦ゆえに試行錯誤が目立ったわたしのLive2Aは、それから三日後にアッサリと完成するのだった。


「さて、これで私たちはお役御免ね。梨花さん、VTuberとしての初配信、楽しみにしてるわよ。応援してるから頑張ってね」

「はい、みなさん。色々とありがとうございました」


 そしてお任せした仕事を見事にやり遂げて、本社へと帰還しようとする御三方に頭を下げたのは純粋な感謝の気持ちからだけではない。

 口にすると面倒くさくなるのは確実だろうから明言こそしなかったが、彼女たちを疑った自己おのれの不明を恥じて自然とそうしたのだ。

 ……だが、やはり顔に出てしまったのだろう。

 わたしの様子がおかしいことに気がついたのか、リーダーの田所さんさんは友好的な微笑はそのままに思ったことを口にしてきた。


「あら、その顔は何か聞きたいことがありそうね?」

「はい、実はひとつお尋ねしたいことが……」


 今回は事の経緯が経緯だ。上村さんがあくまで好意の範疇に纏めてくれはしたけれども、彼女たちの仕事ぶりはその好意を超えているところがあるように思えた。

 どんなに完璧に仕事をこなしたとしても、得られるものはネットや世間からあるかもしれない好意的な評価だけで、彼女たちのお給料やキャリアアップには繋がらないのである。

 だというのに彼女たちはこちらの想像以上に仕事熱心で、わたしたちに好意的であったように思う。

 それが何故か不思議な気分で訊ねると、田所さんは「ああ、それね」と笑いだした。


「実はね、もう秘密も何もないでしょうから言ってしまうけど、社長には梨花さんの人気を取り込み、あわよくば専属ライバーとして契約したいって意図があったみたいよ」

「だからもう、わたしたち梨花さんにやり込められたと聞いて、もうおかしくておかしくて……」

「社長も悪い人じゃないけど、ちょっと強引で空気の読めないところがあるもんね」

「まっ、そういうワケで私たちは貴女たちのことが大好きなの。これで納得した?」

「はいっ! わたしも田所さんたちのことが大好きです!! またいつかしっかりとお礼させてくださいね!!」


 頭ではトゥルー・ワールドのスタッフと社長は別と区別をつけたつもりになっていたけど、未だに割り切れないところのあったわたしは田所さんたちの笑顔に救われるような気分だった。


「いいわね。梨花さんがウチのライバーだったら温泉旅行に誘ってたわよ」

「いいよね、それ……わたしも最近腰が痛くってさ」

「仕事だから仕方ないけど、毎日椅子に座ってモニターと睨めっこだものね。腰をいわさないようにお互い気をつけましょう。……それじゃ、私たちはこれで」

「はい、本当に色々とありがとうございました……!!」


 こうして爽やかな女性エンジニアたちは、わたしたちに華やかな記憶を残してぶい⭐︎ちゅう部を後にしたのだった。

 また一つ偏見から自由になったわたしは御三方を見送り、最後まで手を振り続けた。

 だが、田所さんたちはわたしの心を確かに救う一方で、その心を魔性の沼に沈められた犠牲者もまた存在したのだった……。


「……ふぅ。最初はどんな人が来るのか不安だったが、みんなえらい美人で色々と凄かったよな?」

「まあ、あの肉感といい匂いは二次元にはないものだからね。ちょっといいかなって思っちまったぉ」

「そうですよね! 夏だったからみなさん薄着で、下着の線と胸の谷間がものすごく刺激的でしたよね!?」


 未だに鼻の下が戻り切らぬ健太郎たちに言葉をかける女子はいない。

 ……まったく。これだから男子は。

 多少なりとも三馬鹿どもの人間性に理解のあるわたしたちだからこの程度で済んでるけど、他の女子だったらゴミを見るような目を向けられてるって自覚しようね。


「ま、彼らのことは放っておこう。……それよりLive2Aは完成したが、梨花はどうする? さっそく初配信に取り掛かるなら用意するが?」


 そんな気の抜けた部室の一階でなつきさんに訊かれたが、これに関する限りわたしの結論はすでに出ている。


「ううん、中途半端な状態で発表しちゃうとインパクトが薄れちゃうし、まだ用意するものもあるからそっちは様子見かな」

「なんだぉ、中途半端って……? 自分アツシの仕事ぶりが不満ってか?」


 そう言ってぶい⭐︎ちゅう部の動画投稿は続けるが、VTuber小嵐梨花わたしの初配信はまだ先だと説明すると、わたしの言葉に腹を立てた淳司がいち早く現実に帰還して抗議してきたので、まずはそっちからどうにかする。


「ちがうよ。でも最近のVTuberって言ったら主題歌とMVミュージック・ビデオは必須でしょ? だからそっちも用意しなきゃね」

「おい、まさか俺たちにそれも作れと……?」


 すると淳司に続いて桃色の夢から覚めた健太郎が青ざめたので、今度はそっちの早とちりを訂正する。まったく忙しいね。


「だから最後まで聞いてよ。主題歌のほうはね、オリンピックの楽曲を担当した人に会う機会があったからそっちに依頼してて、MVもそっちが完成したら専門のスタジオに持ち込むつもりだよ」

「ああ、吃驚びっくりした。流石にそっちは僕らの手に負える範囲を超えてますからね……」


 わたしの言葉に三度目の帰還者となった秀治くんに微笑みつつ、今後の展望を口にする。


「うん、それで主題歌を頼んだのはオリンピックの開会前で、完成まで一月を見てほしいって言われてるから、そろそろ進捗を確認するつもりなんだけど、MVはそれから淳司の原画と合わせて持ち込まないといけなくてね。……興味があって調べてみたんだけど、本格的なアニメ調のMVとなると、制作期間がウンヶ月とかザラにあるみたいだから、さすがにこっちは待ってられないかなって」


 正直に言えば初配信のオープニングには専用のMVを用意し、ついでとばかりにアイドル衣装の3Dモデルも用意して視聴者のド肝を抜きたかったけど、贅沢ばかり言っていても仕方ない。

 もっと早くから動きだしていたらまだしも、今から何ヶ月も待てないので、この辺りは後の楽しみということにしておこう。


「そうなると梨花さんの初配信は、最低でも依頼した主題歌が完成してからになりますわね?」

「うん! その頃にはアンジェのLive2Aも完成しているだろから、わたしたちのデビューはそれからとして……実はまだ解決しなきゃいけない問題があるんだ。それが今日の本題ね」

「……梨花。それはゲーム配信の許諾問題か?」


 みんなわたしが何を言うつもりなのか想像もつかないようだったが、さすがなつきさん、その通り。


「そうなの。みんなも知ってるだろうけど、一部の人が過去にやりたい放題やった関係で、どこも厳しくなっっちゃってね。勝手に使ったら一発アウト……だから許可をもらう必要があるんだよね」


 この辺りは長くなるので省略するが家庭用ゲームの実況ライブ配信は、基本的にどのメーカーも無断配信を厳しく取り締まる一方で、配信者向けに一応のガイドラインは用意している。

 だがガイドラインの遵守と引き換えに許可しているメーカーもその条件はやはり厳しく、収益化を禁止するものがあれば物語の核心を配信することを禁じるものがあったり、酷いものになると特定のキャラクターが登場するシーンはすべて禁止だったりと、同じメーカーでもゲームごとに異なるガイドラインが併存するのが現状だ。

 そのため、それでは思うような配信ができないと感じた場合は個別にメーカーと交渉して、特別な許可を勝ち取らなくてはならないのだ。


「まあ、その通りなんだが……俺はいま梨花にそんな発想があったことに一番驚いてるよ」

「おいおい、それが幼馴染の言葉かよ? 梨花は頭も悪くないし、色々考えてるんだぜ」

「そうなんですよね……だいたい途中で面倒くさくなって脳筋戦法に頼っちゃうけど、基本的にスタートラインは間違えてないんですよね」


 わたしが今後の方針を述べると、わたしをよく知る三人がそれぞれの所感を漏らしたが、まあ、反対意見は出なかったのでヨシとしよう。


「というワケで明日から2泊3日の京都旅行だから、みんな準備しといてね」

「『なにそれ聞いてない!?』」

「うん、いま言ったからね」


 これでこちらの用は済んだので帰宅の準備をしようとしたら、血相を変えた健太郎が回り込んできた。


「おいっ、過程をすっ飛ばさずに説明しろよ! そんなんだからお前は脳筋だって言われるんだぞ!?」

「……それ、わたしのことを脳筋だって言いだした健太郎が言うかな?」


 帰宅の邪魔をした健太郎にそう言ってジト目向けたらたじろいだが、他のみんなもわたしの話を聞きたそうにしていたので仕方ない。わたしがリードを手にしたので興奮した愛犬たちにはもう少し待ってもらって、以前から温めいたプランを解説する。


「だから大手の事務所ならマネちゃんに許可を取っておいてねって言ったら、分かりましたで済むかもしんないけど、わたしのマネちゃんは沙耶なんだからそんなことで酷使したら可哀想でしょ?」

「お、おう……そりゃ連絡先を調べるところから始めなきゃいけないわけだから大変だよな?」

「うん、可愛い妹に無理はさせられないし、いちいち許可を取るのは面倒。ならどうするか……って、ここまで言えばもう分かるよね?」

「……すまん。まったく分からんからもう少し説明してくれ」

「だからさぁ、許可が必要ならまとめて取っちゃえばいいのよ。今回の京都旅行は頑張ってくれたみんなの慰安目的も半分くらいあるけど、もう半分はそれが目的なんだよね」

「おい、まさかもう半分って……京都にあるあの会社と交渉するのが目的か?」


 わたしの説明を聞くごとに変えを曇らせていった健太郎が、最後に馬鹿みたいに大口を開く。


「お前その顔っ、京都の任展堂に直接乗り込んで交渉する気かよ!?」

「うん、こういうのは一番偉い人と直接話をつけないとね」


 正解ッ、と片目を瞑って答えた健太郎が頭を抱える向こうで、淳司を筆頭にみんなも騒がしくなる。


「なっちゃん……これも予想外かぉ?」

「そうだ。梨花に関する予想はほぼ不可能だと諦めてくれ」

「まぁどうしてそうなるのか意味不明なだけで、許可をもらうという発想はまともですよ? ただ向こうは取り合ってくれますかね……?」

「あっ、面会の許可はもちろん取ってあるよ。窓口に電話して社長さんに会いたいって言ったら、最終的に本人が出てきていつでもどうぞって」

「だから最終的にって略すな! 面倒でも何があったか説明してくれ……!!」

「マジかよ磐っち! うっかり忘れてたけどあの人も梨花に負けず劣らず自由人だったぉ!!」

「うん、NDSの発売日に東北大の某教授を口説きにいったエピソードはわたしも知ってたから、いけるかなって電話してみたけどわりと一発だったね」

「お姉ちゃん、お願いだからそういう話をするときは今度からあたしを通して? あたしお姉ちゃんのために働くのぜんっぜん嫌じゃないから……どうしよう。あたし恥ずかしい……」


 その後の話し合いも慎重論こそ目立ったものの最終的に全員が京都行きを承諾。特に今回が初めての京都観光となるアンジェの鼻息は荒かった。


「よろしいのではなくて? ワタクシも柔道と梨花さんを通して日本文化を学んだ身として、日本の千年王都には興味がありましたの。……ウフフ。フジヤマ、ハラキリ、ゲイシャ、スキヤキ。たっぷりと堪能させてもらいますわよ」

「ま、どっちにしろ梨花のお供で京都観光がタダで楽しめるんだ。アタシもいい話だと思うぜ」


 うん、わたしもそう思うよ。

 そんなこんなで開幕となる京都観光&任展堂社内見学編だったが、はたして彼の地で待ち受ける強敵の力量は如何ばかりか?

 最後に笑って帰れりゃ何でもいいやと、愛犬のリードを繋いだわたしはまだ見ぬ明日に微笑むのだった。



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