第13話 脳筋もたまには悪知恵を働かせる話




 ──2020年8月15日深夜、東京中野区の自宅。


 今日は海の向こうから訪ねてきたアンジェと友達になれたし、お婆ちゃんも元気になったし最高の一日だったはずだ。

 お婆ちゃんの快癒を祝う祝賀会こそとんでもなく忙しかったけれども、夜は久しぶりに家族全員勢揃いして愛犬みんなも嬉しそうだったし……エルミタージュの配信も爆死に定評のある莉音ちゃんが新たな伝説を築き、モモさん主催のUNO大会も抱腹絶倒の面白さだったのに、まさか最後の最後でケチがつくなんてね。


「はぁ……?」


 一日の締めにSNSトゥギャザーを確認してとあるDMダイレクトメールを発見したわたしの心境たるや、まさに絶句の一言である。


「よりにもよってトゥルー・ワールドの社長がわたしに何の用だってのよ」


 実のところわたしにはこの会社に言いたいことが山脈ひとつ分くらいはあったが、心中穏やかならざる差出人から送られてきたDMに目を通し終えた今や、ブラックホールひとつ分くらいに増大したと言っても過言ではあるまい。


「ふふっ、うふふふふ……」


 久しぶりだよね、ここまではらわたが煮えくり返ったのは……地元の不良グループに目を付けられて交際を強要されたとき以来かな?

 一応誤解されたくないので言っておくが、わたしはトゥルー・ワールドの所属ライバーには何の悪感情も持ち合わせていない。

 例の騒動で最終的にるるにゃんの契約が打ち切られて向こうで再出発になったけれども、彼女をトゥルー・ワールドに誘ったとされる男性VTuber諸氏も、その後の反省ぶりを目にした今はあの人たちなりの好意でそうしたのだと納得している。

 るるにゃんを特に可愛がっていたモモさんには申し訳ないけれども、銃でゾンビをブッ殺すゲームが大好きだった彼女はエルミタージュの水と合わなかったんだよ。

 だから彼女がより幸福と思える道を選択したんだったら、わたしはエルミタージュの箱推し勢として素直に祝福したい。


「だがトゥルー・ワールドの社長……テメーはダメだ」


 そのときに最初っから最後まで余計なことをしでかしてくれたのがこの社長だ。

 好きなゲームがあまりできないというるるにゃんの不満は、同じ趣味のゲーマーが多いトゥルー・ワールドとのコラボを増やすことで解消されるはずだったのに、引き抜きの芽があると見るや、SNSでさもそんな話があったかのように「トゥルー・ワールドは東雲しののめあるるさんの移籍をいつでも歓迎しますよ」なんて発言しちゃってさ。あれで一気に退きならない事態になったんだよね。

 ネット世論も荒れに荒れ、何の落ち度もない人たちまで誹謗中傷され、多くの関係者が傷つくことになったというのに……この男ときたら「色々ありましたが彼女がうちに移籍したのは正しい判断だと思いますよ」とうそぶく始末。

 ……その男がエルミタージュ入りを熱望していると明かしたわたしを呼び出して、いったい何の話をするつもりだというのか。

 DMには「Live2Aや3Dモデルの開発はお任せください」だの「将来的なエルミタージュへの移籍交渉に責任を持ちます」といった魅力的な文面が踊っているけど、そんな甘言に飛びつけばどうなるか、脳筋と揶揄されるわたしにだって容易に想像できる。

 薄い本が厚くなるような展開になるなら、むしろ大義名分を得られるので望むところだけど、流石にそれはないか……。

 でも確実に何らかの打算はあるだろうね。

 わたしの野望ユメのお手伝いをしたと宣伝材料にされるならまだマシで、最悪ぶ厚い契約書で騙くらかしたわたしを食い物にする意図があったとしてもおかしくはない。

 もしそんなことになったら情報漏洩を避けるためとの名目でぶい⭐︎ちゅう部の活動を制限されかねないし、わたし自身もリオ&レオとのコラボを餌に不本意な企業案件をやらされかねない。

 あの腹黒い男ならば確実にその程度の計算はしているだろう。


「おのれ、どうしてくれようか……」


 ここまでコケにされて黙っていたら武道家の面子に関わるけど、さすがにリアルで殴るのはまずかろう。

 ファンは喝采を叫ぶかもしれないけどもキッパリと犯罪だし、せいぜい空想の中で組み手に付き合わせるぐらいか。


「はぁ……おかげで最悪の気分だよ」


 腹の虫は治らないけど、わたしにできる報復は何もないのが実情だ。わたしはスマホを机に置いて不貞寝を決め込もうとしたが胸のむかつきはどうしようもなく、なかなか寝付けなかった。

 ……たが、はたしてこの最悪の気分は不快な勧誘によるものだろか?

 いや、そうではない。この件はわたしが「お断りします」とケチをつけられないように毅然の拒否すればそれで終わる話だ。

 だというのにわたしは口も利きたくないという理由で無視しようとしているが、それは逃げの発想ではないのか。

 そもそもトゥルー・ワールドの社長に目を付けられたのも、わたしがぶい⭐︎ちゅう部を設立して動画投稿を始めたのがきっかけであることは間違いない。

 いわば自分で蒔いた種だ。ならば自分で刈り取らなくてどうするのか。

 男なら(女だが)いかなる困難からも逃げてはならない。闘え、小嵐梨花。汚い大人から逃げるな……!!

 そう心を決めると嫌な気分はきれいに消え去って、わたしはいつものように楽しい煩悩が待つ夢の中へと突撃するのだった。




「みんなおはよう! 今日も楽しくやっていこうね!?」


 そんな出来事があった翌日──警視庁に出勤する前のお父さんを捕まえて昨夜のことを相談し、意気揚々と駆け込んだ部室で元気いっぱいに挨拶したわたしはみんなの様子がおかしいことにすぐ気がついた。


「お、おう、梨花……」

「え、ええ、梨花さん……」


 そう言うなりさり気なく背後の入り口に移動してわたしの退路を断つ健太郎とアンジェに、座布団を盾のように持つ秀治くんと、丸めた新聞紙を棍棒のように構える淳司。

 まどかちゃんも変身こそ解いていないものの、えない杖のようなものを手にしてゴクリと喉を鳴らしてるし、みんなは何と闘おうとしているのかな……?


「うむ、梨花……大事な話がある。悪いがソファーに座って……できれば咄嗟に暴れないように飼い犬を抱いていてくれ」


 そう疑問に思ったのは一瞬のこと。さすがにここまで言われれば何があったか判るというものだ。


「もしかしてこっちぶい⭐︎ちゅう部にもトゥルー・ワールドの社長からのDMがあった? それでその話を聞かせたわたしが途中で暴れるんじゃないかって警戒してるってこと?」


 わたしが直感の中身を開示すると効果は覿面てきめんであった。

 今の発言で大凡の事情を察した妹までもが信じられないような顔付きでわたしを見つめてくる。


「トゥルー・ワールドの社長って、あのトゥルー・ワールドの社長だよね? お姉ちゃんよくそんな人からメールをもらって我慢できたね……」

「まぁね。わたしも成長してるってことよ」


 実は欠片も我慢してないんだけど、とりあえずわたしが考え無しに暴れる気がないことは伝わったのだろう。なつきさんが珍しくもホッとしたように胸を撫でおろし、いつもの無表情は何だったのかと言いたくなるほど優しい表情で訊いてくるのだった。


「そうか……私は梨花の成長を認める。宇宙の危機が遠ざかったのは素直に喜ばしい」

「うん、ありがとう。そういうワケで二日連続でこっちを空けて申し訳ないんだけど、わたしはトゥルー・ワールドの本社に行ってくるからお昼は好きなものを頼んでね」

「待て待て待て! お前やっぱり暴れる気だろ!?」


 わたしがなつきさんに答えて今後の予定を説明すると健太郎がはなはだしく狼狽したが、こいつはわたしを何だと思ってんのかな……。

 いや、おかしいのは健太郎だけじゃない。みんなの表情もわたしの登場直後に逆戻りしたため、わたしは謂れのない誤解を解くところから始めることになった。


「暴れないよ。みんなもいい? 目には目を、歯には歯をって言うでしょ?」

「で、気に入らない相手には暴力かぉ?」

「だから違うって。汚い大人には汚い大人をぶつけりゃいいじゃんってことに気付いたのよ」

「……汚い大人とは言ってくれますね。まぁそう見られたとしたら私の不徳の致すところですが」


 そうして会心のプランについて説明しようと思ったら淳司が茶々を挿れたので唇を尖らせると、入口のほうから聞き覚えのある声がするのだった。


「失礼ですがアナタは? ここは一応部外者の立ち入りをお断りしているのですが……」

「いえ、私は部外者ではありませんよ。お父さんの誠志郎君を介して、梨花さんに呼ばれた者ですから」


 そちらに一番近いアンジェが誰何すいかの声をあげるが、その人物は臆することなく答えてこちらに顔を出すのだった。


「どうも、昨日ぶりですね。まったく、貴女のおかげで地元の選挙区から二日連続で呼び出されましたよ、梨花さん」

「すみません、面倒なことを頼んじゃって」


 わたしがお父さんに相談して内緒で呼び出してもらった40代後半の男性に頭を下げると、その人の正体に察しがついたのだろうか。背後の野次馬がにわかに騒がしくなった。


「あれ? このオッサン、どっかで見たような気も……?」

「馬鹿っ! この方は梨花のお父さんである誠志郎さんのご学友で、俺の道場の先輩でもある上村法務大臣だぞ!! 俺も昨日、師範せんせいの祝賀会で挨拶したから間違いない……」

「梨花……これはどういう事なのか説明を求める」

「だから助っ人だよ。実は朝一番でトゥルー・ワールドの社長に勧誘されたことをお父さんに相談してね。紹介してもらったんだ」


 そうなのである。わたしがお父さんに頼んだのは、この手の揉め事に最適の助っ人の手配なのだ。


「無視するのは逃げてるみたいで嫌だったし、かといってわたしが出向いても上手いこと丸め込まれるか、うっかり投げ飛ばして事件になるだけでしょ? だからね、お父さんに相談して法律も専門家を紹介してもらったんだ」

「いや、だからって現職の法務大臣を呼びつけますか? そこはせめて弁護士を紹介してもらいましょうよ……」

「いいじゃねぇか、梨花らしくって。アタシは気に入ったよ。未成年の梨花にこんな話を持ち込むなんざ、端から気に入らないところがあったからね。これなら相手もギャフンと言うだろ」


 そうしてみんなに非暴力の解決策を提示すると秀治くんが苦笑し、まどかちゃんが爆笑した。


「まぁそういうことです。任期中のため弁護士のバッジをチラつかせることは出来ませんが、梨花さんのお父様である誠志郎君の代理人として先方との話し合いに同席して、梨花さんにアドバイスをするくらいはできますので、ぶい⭐︎ちゅう部の皆様がたにおかれましてはどうかご安心を」


 そしてわたしの紹介と説明が終わると上村さんは自信ありげな笑みを閃かせ、今度こそ本当に安心したのだろう。なつきさんが丁寧に頭を下げた。


「そういうことなら梨花をお任せする。どうかエルミタージュへの加入を熱望する梨花の不利益にならないように頼みたい」

「承りました。それでは梨花さん。先方には梨花さんの代理人として10時の面会を取り付けたので、そろそろ向かいましょうか」

「はいっ、よろしくお願いします」


 こうしてわたしは上村さんと敵地へ乗り込むことになった。意気揚々と出陣して上村さんのベンツに乗り込む直前に、見送りにきた妹がぼやいた。


「今回は自慢の筋肉に頼らなかったからあたしも感心してるけど、そんなに楽しそうにしちゃって……お姉ちゃんってホンット揉め事が大好きなんだね」

「仮にそうだとしてもケンカを売らなきゃ無害なんだから、何があっても自業自得だよ」


 笑顔で手を振ると妹はため息をこぼしたが、わたしだって何でもかんでも力ずくで解決しようとはしないのである。類人猿ゴリラだって道具を使う。使えるものなら何でも使うのがわたしのポリシーである。

 ……まして今回は相手が相手だ。

 敵だと見なすのは、DMに高らかと謳われた無償の開発援助や、今後も自由な部活動の文面が嘘だと判明してからでも遅くはないだろう。




 さて、そんなわけでやって参りました。東京都港区の赤坂にあるトゥルー・ワールドの本社ビル。

 さすがは所属ライバーが50人を超える業界最大手(No. 1とは言っていない)。

 いいところに事務所を構えてやがんなって乗り込むと、写真で何度か見たことのある社長さんは顔面蒼白だった。なんでだろうね?


「上村法務大臣……これは政治的圧力と受け取っても?」

「まさか。私は国会議員、政府与党の大臣としての責務を全うするために御社を訪問したのではありません。あくまで梨花さんのお父様である小嵐誠志郎君の……共に東京大学法務部で学び、少年時代から今日に至るまで人間国宝である小嵐陶子師範の道場で切磋琢磨した友人に頼まれ、梨花さんに法律の専門家としてアドバイスをするために同席したまでです」

「ですが……」

「そもそも! 未成年に持ちかけた契約は、保護者の同意がなければ全て無効。貴方もその事はご存知でしょうに、今回梨花さんにこのような文面の勧誘を行ったのは何故か、お伺いしても……?」


 トゥルー・ワールドの社長さんは何が気に食わないかさっそく噛みついてきたが、開幕一ラウンドのレスバに勝利したのはやはり上村さんだった。


「そ、それは、その……」

「トゥルー・ワールドの社長さんにお尋ねします。こちらのダイレクトメールには、わたしがVTuberとして活動するために必要なLive2Aライブ・トゥ・アニメーションや3Dモデルの開発を援助するとありますが、わたしが支払うべき対価のほうが書かれていないことから事実上の無償援助なのでしょうか?」

「い、いや、それは今から話し合おうと……」

「上村さんにお尋ねします。ダイレクトメールの文面からは好意的な解釈しかできませんが、後から代金なり別途契約を持ちかけることはできるのでしょうか?」

「できません。契約書に書かれている事が全てであり、契約締結後、その内容を遵守する必要はありますが、消費者保護の観点から一定期間内なら契約を一方的に破棄できるクーリング・オフの制度もありますし、梨花さんは未成年ですから契約締結からの時間に関係なくいつでも破棄することが可能です」

「なるほど……もしその場合、動画やSNSで事の経緯を明らかにするのは違法なのでしょうか?」

「いいえ。当事者が事実を事実として語るのであれば名誉毀損には当たりません。仮にそれで損なわれる名誉があっても自業自得です」


 大坂冬の陣の後に内堀まで埋められた豊臣秀頼と淀殿はきっとこんな顔をしていたんだろうな。

 DMの内容がただの甘言でないのなら無償援助は避けられず、後からあれこれ注文するなら動画のネタにすると言われた社長さんの顔色ときたらいっそ気の毒なほどだった。

 だが同時に痛快でもある。もはやこの人にはあちらに書かれた内容を遵守するしかないのだから。

 でも安心して?

 わたしだって鬼じゃない。わたしに協力して何も得られないわけじゃないからね。


「しかし今や時の人となった梨花さんがVTuberに成りたがっているの知るや、いち早く手助けを申し出られたセンスは見事ですね。さすがは配信業界のパイオニアと言われるトゥルー・ワールドだと感心しますよ」

「いや、はは……そんなことは……」

「今回の申し出によりトゥルー・ワールドは実利ばかり追い求めるのではなく、若者の夢を応援する健全な企業だと業界の内外に宣伝できる。御社の評判は知名度とともにうなぎ登り。まったく、よいこと尽くめですな」

「…………」


 最後に上村さん渾身のストレートが決め手となった。

 こうしてトゥルー・ワールドの社長さんがどんな腹積もりだったのかは有耶無耶になったが、代わりに数名のエンジニアがぶい⭐︎ちゅう部に派遣される運びとなり、わたしにとってもまず満足のいく結果となったのであった。

 ……ここで一句。

 るるにゃんを、泣かせたことは、忘れない(季語無し)。



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