第12話 幕間『関係者の反応』
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インターネットの普及とそれを取り扱う
SNSの登場と一般への浸透により、既存のメディアは不要になったとは言わないまでも厳し立場に立たされたこともその一つ。
なんの裏付けこそないものの鮮度の高い情報が常に飛び交い、それを目にした人々により多くの判断材料が与えられたこともそうだ。
悪意ある情報に踊らさぬ用心こそ必要になったが、極一部の人間にとって都合のいい情報ばかり垂れ流され、鵜呑みにするより他にない事態が終焉したのは素直に喜ばしい。
だが、何気ない一言であってもそれを知覚した人々を刺激したことは忘れないほうがいいだろう。
善悪の意思とは無関係にインターネットで発信された情報は否応なしに何かしらの反応を引き出す。
この点に無頓着な少女は意識すらしてないだろうが、今や内閣総理大臣賞の受賞すら検討されるほどの著名人の発言ともなると無視することは難しい。
特に彼女が特大の爆弾を投げ込んだここエルミタージュの事務所では、多くの関係者が事実確認に奔走することとなり、錯綜する情報は所属ライバーをも巻き込んで加熱した。
「ところでたぬちゃんはもう観た? 玲央ちゃんの言ってた梨花ちゃんの動画?」
「もちろん観ましたよ梨花さんの新作。いやぁー、見事なほどデレンデレンでしたね。やっぱり梨花さん、星海さんに応援されて嬉しいんだろうなぁ……」
「ねぇー、それ古い、古いって。もうついさっき新作の動画が投稿されて、なんか強烈なお嬢様が登場してるよ」
「マジですか……うわっ、本当だ! 梨花さんが相変わらず初手から無茶振りをしてますよモモさん!?」
狭い更衣室でニンマリと笑った女性の指摘に、まだ少女と言ってもいい年代の寺山たぬきは慌てて確認した動画を目にするや楽しそうに笑った。
「あはは、なに言ってんだ梨花さん! まだ妄想の世界にいるんですか!?」
「そこはわたしも笑ったわ。もう梨花ちゃんってばテレビの中ではお澄しさんだったのに、実際の素顔はとんでもないなって」
「そうですよね! でもありのままの自分をさらけ出した梨花さんの学園生活……いいですよねぇ?」
「そうだよねぇ? わたしは学生時代ずっと帰宅部だったからさ。ピッチピチの女子中学生が
「寺山も現役の頃は帰宅部でしたけど、これを観ちゃうと自分も何かやっとけば良かったって思いますよ」
大事な収録を前にした着替えの途中であることも忘れて、二人のVTuberは他愛のない思い出話に熱中する。
もしこの光景をぶい⭐︎ちゅう部の参謀役である椎名なつきが見ていたら、「計画通り」と頷くかもしれない。
彗星の如くメディアに登場して日本中を熱狂させた柔道少女・小嵐梨花を主演に据えた動画は、彼女の業績とは無関係なところで視聴者に愛されつつあった。
「でもさぁ、ウチの事務所も白状だと思わない? 梨花ちゃんの動画を見ればさ、あの子が本気でウチの子になりたがってるのは分かるでしょうに、ウンともスンとも言わないなんてね……」
「それ寺山もマネちゃんに訊いてみたんですけど難しいみたいですよ? なんでもまだ梨花さんがメディアに注目される前にVTuberになりたいって、ここに押しかけて来たことがあるらしくって……そのときに門前払いしちゃったらしいんですよ」
「あらら……それで気まずくって今さら声を掛けられないんだ?」
「それもあるかもしれないですけど、一応ルールとしてオーディションに応募してもらうってのがありますからね。ここで梨花さんを特別扱いしちゃうと自分も自分もって人が続出して収拾がつかなくなるのを警戒してるんじゃないですか?」
「んー、たぬちゃんの言ってることも分かるけどさぁ……梨花ちゃんってばSNSのフォロワーだって100万人以上いるし、YourTubeのチャンネル登録者数だって動画を投稿し出してから間もないのにもう20万を超えてるでしょ? 特別扱いでも何でもいいからとにかくこっちに引き込まないと……それでどっかの事務所に声を掛けられてもうそっちでもいいやってなったら大損じゃない?」
「そうですよねぇ……その人たちの全員がVTuberとしての梨花さんに興味があるわけじゃないでしょうが、最近ウチは押されっぱなしだし、あそこは特に放っておかないでしょうから早く手を打ったほうがいいと思いますが……」
「ああ、トゥルー・ワールドの連中か」
そして小嵐梨花の加入を歓迎する話がこれ以上ないほど下火となったところで、エルミタージュのトップVTuber・
「まさか未成年の梨花ちゃんにるるにゃんを引き抜いたときのような真似はしないと思うけど、どうかな……」
「梨花さんのお父さんが警視庁のお偉いさんって話は有名ですから、あまり強引な手は使わないと思いますが……」
もはや完全に身内のような心境で半裸の二人は知恵を絞るが、不意に更衣室の扉が開いて担当マネージャーが駆け込んでくるとその話を頭の中から追い出した。
「ちょっ、二人ともいつまで着替えてるんですか! もう収録が始まっちゃいますよ!?」
「『すみません! すぐ着替えますんで!!』」
異口同音に叫んだ二人の懸念は、しかし偶然にも的中した。
祖母の復活を喜ぶ当事者以下数名が不在の部室で、YourTubeを経由してぶい⭐︎ちゅう部宛に送られてきた
「なっちゃんでも分からないことがあるんだね?」
「梨花の行動はカオス理論の数式では割り切れない。よって彼女の関わる事柄には大雑把な予想しか立てられない」
「それでなんて書かれていたんですか?」
自身の漏らした呟きに反応して集まる仲間たちに顔だけ振り返って、この手の情報精査を一任されている少女は端的に説明した。
「一言に纏めてしまえば引き抜き工作だな」
「引き抜き工作? もしかして梨花さんをぶい⭐︎ちゅう部から引き抜こうって話ですか?」
「そうだ。業界の先駆者であるトゥルー・ワールドの社長自ら、業界最大手のエルミタージュより先に梨花と話をしたいと言ってきた」
「社長自らかぉ? そりゃなっちゃんが驚くのも無理はないけど……」
梨花がエルミタージュへの想いを明かしたこのタイミングで、まさかのライバル企業からのアプローチ。
椎名なつきの報告に開いた口が塞がらない様子の新島淳司は、たっぷり数秒かけて口を閉じると今度は首を傾げるのだった。
「あれ? でも梨花のヤツはエルミタージュじゃなきゃ嫌だって言ってるよね? プロ野球なら意中の球団を明かした高校球児もドラフト会議の結果次第で他の球団が獲得することも許されるけど、この場合どうなの……?」
「僕もこの界隈にはあまり詳しくありませんが、梨花さんの希望はハッキリしてるんだし、さすがに強引に口説いたりはしないんじゃないですか?」
「いや、トゥルー・ワールドならやりかねない。現に実例がある。今年の2月にエルミタージュに所属する
仲間の質問に答えた少年の楽観論を否定した少女は、微かに目元を曇らせてこう続ける。
「もともと人気はあったものの、好きなゲームが海外製のハードなものであったために、カジュアルなゲームが主体のエルミタージュの箱内で浮きがちだった彼女は、FPSの配信でコラボしたトゥルー・ワールドの男性VTuberと親しくなり、長く続けるなら気の合う仲間が多いところがいいと移籍したが……そのあとエルミタージュとトゥルー・ワールド間のコラボがパッタリと途絶えたことから、相当なしこりを生み出すような経緯があったことは想像に難くない」
「あっ、梨花がトゥルー・ワールドぶっ殺すって騒いでたときの子ね! 自分もそのときのエピソードをええちに描いた薄い本をオカズにしたことがあるから思い出したぉ!!」
「新島さんらしいなぁ……。でもそんなコトがあったんでしたら、なおさら梨花さんはトゥルー・ワールドの勧誘には乗らないんじゃないですか?」
「うむ。だが、その代わりに梨花は本気で殴るかもしれん。それこそ怨敵を目にして、全力でな……」
ゾッとするような低い声で発せられた警告に、二人の少年が同時に身震いする。
素手で抉ったコンクリを砂になるまで握り潰せる小嵐梨花が、本気で人間を殴ったらどうなるか……実は心優しい戦闘力53万の
「……まぁ梨花さんには申し訳ありませんけども、この誰も幸せになれそうにないDMは破棄するしかありませんね」
「賛成だぉ。あんな脳筋でも一応はダチだからね。ゴリラの道を踏み外すのを知ってて放置するのはちょっと……」
珍しく天敵を気遣う新島淳司の言葉に、これまた珍しくクスリと微笑した椎名なつきだったが、ため息と思しき吐息とともに漏らした言葉はなかなかに深刻だった。
「それで済む話なら二人に相談しない。……二人とも、このDMが梨花本人にも送られていないと思うか?」
「『あっ!?』」
異口同音に口を開いた二人がこれまた同時に青ざめる。梨花の性格を思えばDMの中身を確認した瞬間にトゥルー・ワールドの事務所に突撃してもおかしくない。
「まあ、いま梨花の傍には外付けの常識回路である健太郎と沙耶もいるし、何なら梨花の祖母にして柔道十段の人間国宝である小嵐陶子氏もいるから、たぶん……おそらく大丈夫だと思うが」
二人の反応に危機感を煽りすぎたことを反省したのか、そう取り繕った少女はぎこちない笑みを浮かべた。
「それはともかく、二人はそういうDMがあったことだけは憶えていてくれ。善後策はこちらで検討する」
「うん……。でもこう言っちゃなんだけど、まだVTuberとしてデビューすらしていないアイツにそこまでする価値があるのかぉ? なっちゃんには申し訳ないけど、自分はどうにもそうは思えないんだけど……」
「いや、価値はある。VTuberの人気は年々高まっているが、その人気は日本製のコンテンツに造詣の深い……言ってみれば私たちのようなオタクに限られている。だが、今や世界的な知名度を誇る梨花を広告塔に押し立てれば、一般層への普及の足掛かりとなり得る」
「客寄せパンダというワケですか。これはますます梨花さんには聞かせられませんが……アンチ対策の防壁にするつもりなんじゃないかっていうのは、さすがに穿ちすぎですかね?」
「いや、その意図も十分に考えられる。VTuberは顔出しを躊躇うほど容姿に自信のない配信者の逃げ道……そんなアンチの誹謗中傷も梨花を前面に押し出せば説得力を失う。それでもしつこく炎上させようとする手合いには、警視庁の高官である梨花の父親に相談することも出来るのだからな」
「なるほど……さすがはVTuberの新境地を切り拓いたトゥルー・ワールドの社長ですね。一石で鳥の群れを丸ごと撃ち落とす計算ですか」
「でもさぁ……どんな算段を立てようが梨花に通じなきゃ意味はないよね? よく分からん理由でトゥルー・ワールドを逆恨みしてる梨花をさ、どんな条件で転がすつもりなんだか……」
「ふむ?」
敗戦処理じみた議論の末に、椎名なつきはごく短時間だけ瞑目した。彼女がそうした意味は彼女にしか解らなかったが、再び目を開けたときに結論は出ていたようだ。
「難航しているLive2Aや3Dモデルの制作支援。そして将来的なエルミタージュへの移籍交渉に責任を持つ。トゥルー・ワールドの社長が提示する条件はたぶんこれだろう」
そう言って椎名なつきは自らの思索を
小嵐梨花の敬愛する
むろん梨花本人も今の時点でエルミタージュから声が掛かるとは思っていない。何かしらのアプローチがあるにしても、それは自前のぶい⭐︎ちゅう部からデビューして、相応の人気を獲得してからの話だと思っているからだ。
だがその段階になっても、所属ライバーは公募によるオーディションの原則をエルミタージュが曲げなかった場合、梨花は別の抜け道を探さなければならない。
「その抜け道を先んじて提示する。この誘惑に梨花が屈しない保証は私には出来ない」
「まぁそうなるよね。でもそうなったらぶい⭐︎ちゅう部はどうなるんだぉ? なんとか解散だけは避けたいよね……」
「おや? 意外と愛着あるんですね?」
「茶化すなぉ。自分たちはもともと健太郎の部屋を溜まり場にして色々やってたじゃんか。あのクッソ狭い上に今どきクーラーもない小汚い部屋を思えば、こんな上等な部室で好きなことをやらせてもらってるんだから、まあ、あの女も偶には役立つよねって言うか……」
「ぶい⭐︎ちゅう部存続の危機か……」
こればかりは自分にもどうなるか判らない。梨花の関与が強まるほど自分の未来予測は精度を失う。自分たちが支援せずともVTuberになる道が生じたとき、彼女がどんな選択をするのか……瞑目した椎名なつきの脳裏に浮かんだのは、呆れるほど脳天気に笑う梨花の顔だけだったが、この笑顔に信じる価値はあるとも思うのだ。
「二人ともあまり悲観するな。あのDMは梨花本人に宛てられたものではなく、私たちぶい⭐︎ちゅう部に送られたものだ。よって交渉の席には私も同席できるように努める。だから淳司たちは笑っていろ。それだけが私の願いだ」
正直なところ信じるに足る演算結果はまるで出揃っていない。しかし善性などという弱者の戯言を何千年も根絶せずに遺した奇特な生命体だ。信じる価値はなくとも意味はある。そう信じる椎名なつきだった。
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