死者の日の朝に

ただのネコ

死者の日の朝に

 死者の日が来た。


 長い夜が終わりかけていても鳥の声一つ聞くことが出来ない。


 ――鳥たちにも帰ってくる仲間がいるのだろうか。


 そんな言葉を日誌に書き付ける。何でも日誌に書き付ける習慣が出来たのはこの仕事に就いてからだ。


 死者の日には神々の御元から死者の魂が現世に帰って来るという。

 生きている者はその一日を死者のための祈りに捧げるのが習わしだ。

 日が昇りきってしばらくすれば神殿では厳かに祭儀が執り行われ、それが終われば人々はここにやってくる。

 墓守である私は、人々が墓参りに来る前に清掃を済ませておかなければならない。

 だから、神殿の祭儀に出席は出来ない。私にも帰ってくる人はいるのだが……まあ、祈るのはどこでだって出来る。


 私は棚にある別の日誌に目をやり、一旦ペンを置いて手を合わせる。

 それを使っていたのは私の叔父、ここの墓守としての前任者だ。

 そして、彼も今年からは帰ってくる側である。


 そろそろ清掃を始めるべきだろうか。

 朝はずいぶん冷え込む季節になった。

 最近は埋葬の数も少なかったので、清掃は十分できている。

 もう少し日が高くなってからでも間に合うだろう。

 叔父の日誌でも、寒い時期はゆっくりと仕事に取り掛かっていたことが読み取れる。


 シャン、シャシャン


 そんな言い訳をしている私の耳を、鈴の音が叩く。

 しばらく聞くとも無しに聞いていて、私はそれが何かの旋律の一部であることに気がついた。


 神殿で練習でもしているのだろうか。

 神殿の祭儀には荘厳な音楽と聖歌がつきものだ。本番前に誰かが練習をしていてもおかしくはない。

 聞きなれた聖歌らしい旋律とは少し違う気もするが。


 ともかく、他に起き出している人がいるのは確かだ。

 そうなると、私もそろそろ清掃にかからねば体面に関わる。

 私は重い腰を上げ、箒を手に取ると扉を開けた。



 外に出れば東の空もまだ微かに白んだ程度であり、夜に冷やされた空気が容赦なく私を責め立てた。

 小屋に戻りたい気持ちもあったが、そこを何とか奮起する。

 今の寒さでくじけてしまうと、冬の間職務が果たせなくなりそうだ。

 だが、外套は早めに冬用を出そう。

 そんな決意を固めつつ、墓地の入り口に向かう。

 この墓地は全体がヒイラギの生垣で囲われていて、入り口だけが細工鉄の門になっている。

 門扉につけられた裁きの神アル=アスの紋章を見ながら、鍵を開けて門を開く。


 門の外、墓地の外に一歩踏み出し、振り返る。

 自分が墓参りの訪問者になった気分で、気になる所が無いかを確認するのだ。

 叔父もこうしていたと日誌に書いてあった。


 入り口をくぐると、まず植木で作ったアーチが出迎えてくれる。

 六神の紋章が描かれたプレートは、昨日固定した位置から動いていない。よし。

 特別な祭日だけの装いなので、手を抜くわけにはいかない。


 そのまま生垣で囲われた道を真っ直ぐ進むと、教会関係者と高位貴族らのエリア。

 曲がって右奥に向かう道が下位貴族や教会貢献者のエリア行き。

 掃除の優先度合いもこの順で、

 左奥の道の先にある一般信者用エリアは一番広いのだが、多少掃除に手落ちがあってもうるさく言われることはない。


 そもそも、先祖の墓は子孫が自分たちで綺麗に保つべきだとされている。

 墓守は教会に雇われ、墓地の共有部分と教会関係者の墓を清掃するのが仕事だ。

 しかし、汚いままの墓があっては全体の美観にもよろしくない。また、身分の高い方々が自ら汗を流して墓を掃除するのはふさわしくない。

 そのため、墓守は『自主的に』多くの墓を清掃し、人々はその善意に『感謝』するのが慣習となっている。

 ……建前としては。

 本音を言えば、『感謝』の証である金銭や食品なしには墓守が生活していくことは難しい。


 そういう意味では、あちらの方を掃除する意味は薄い。

 私はアーチのすぐの左に曲がる道に目をやる。

 墓守の小屋に続く右の道同様、アーチに隠れて分かりにくくしてある。そんな道があること自体気づいていない人も多いはずだ。

 左の道の奥は無縁墓地。真っ当な者が葬られるところではない。身寄りのない者や犯罪者、そして異端。

 教会としても、喜んで埋葬したいわけではないが、放置も出来ないので仕方なく場所を割いている。

 だが、叔父はそこも丁寧に掃除を続けていたようだ。参るものなどいないだろうに。


 そんな私の感想を、弦楽器の旋律が裏切る。踊りたくなるような享楽的な旋律は、無縁墓地の方から聞こえていた。

 芸人の練習だろうか、と私は予想する。

 死者の日が終われば翌日は祭だ。人々は反動のように娯楽を求める。芸人達にはかき入れ時だ。

 しかし、それはあくまで明日のこと。練習だとしても、死者の日のうちは少し遠慮してもらわなければ。

 ましてや、無縁墓地でそうした楽曲の練習というのはあまりに不謹慎である。

 私は顔をしかめつつ左の道を行く。


 近づくほどに楽曲の音量は増していくが煩わしく感じるほど大きくはなかった。

 鈴が拍子を取り、何かの弦楽器と笛の類が陽気な旋律を奏でる。

 どうやら一人ではない様なので私は墓標の陰に隠れる様にして無縁墓地をのぞき込んだ。



 そこには少女がいた。

 日焼けとは明らかに違う生来の褐色の肌。

 それを包むのは黄色く染められ短衣とズボン。

 いささか寒そうに見えるが、気にする様子はない。

 手には鈴のついた棒が握られていた。

 少女が踊りながら棒を振ったり叩いたりすることで、基調となる拍子が作られる。

 それに合わせる楽器を扱っているのは二匹の妖精。

 広げた掌ぐらいの身長で、それに見合ったサイズの弦楽器と笛を持っている。

 演奏しながら少女の回りをくるくると踊るように飛び回る。

 その蝶の様な羽が羽ばたくたび、星明かりの残滓がきらきらと輝いていた。


 私はしばし異人の踊り子とそれと共に踊る妖精達に見とれた。

 そのうち少女が何か歌を口ずさんでいるのに気づく。

 聞いたことのない言葉でつづられる、奇妙な韻律だった。

 それを心地よいと思いかけ、私は慌てて首を左右に振る。

 惑わされてはいけない。あの少女はおそらく異端だ。

 墓場と異端、それは私が知る限りでは最悪の組み合わせだ。

 八年前、異端の術師が屍を操ってこの街を襲ったことがあったのだ。

 神官らと領主様の兵が協力して早期に討伐したため、けが人は多くとも死者は少なかった。

 しかし、動く屍の恐ろしさは未だ私の胸の底にこびりついている。

 叔父もかなり多方面から絞られたようで、当時の日誌には色々消した跡や、ページを破り取った跡が残っていた。

 今度もまた、同じ事をしようというのだろうか。

 少女が踊っているのも、ちょうど異端墓標の前である。

 異端墓標は石の台座に剣が突き立った形をしている。

 八年前の騒ぎの後、二度と死した異端が迷い出ないようにと、異端排除に最も熱心な従神"裁きの剣"の司祭らによって作られたそうだ。


 私は、その剣の墓標が地下から砕かれ、動く屍があふれ出す様すら幻視した。

 それを、幻視に止めなければいけない。

 だが、少女の姿とは言え異端。

 私が取り押さえようとしても相手になるまい。

 ここは素早くこっそり墓地から逃げ、教会の聖職者に討伐を懇願するしかあるまい。


 そう思った時、生垣に立てかけておいた箒が倒れた。

 割り込んだ異音に演奏は止まり、妖精は弾けるような光を残して消える。少女は最後に鈴を一振り鳴らしてから舞うのを止めた。

 私は思わず隠れようと身を縮めたが、間に合わない。

「ヒューワードか」

 苦笑を含んで問いかけつつ、少女がこちらを振り向く。

 しかし、その瞳が私を捕らえた瞬間、少女は面白いほどに引きつった。

 たちまちのうちに身を翻し、脱兎のごとく駆け出す。

 握られたままの鈴が不快な音を立てる。

 一瞬前まで逃げる事ばかり考えていた私は、躊躇もなく少女の後を追った。

 ヒューワードは、私の叔父の名前だ。



 追いかけっこの決着まで、それほど時間はかからなかった。

 墓地を囲う生垣は咄嗟に乗り越えられるほど低くもなく、楽にくぐり抜けられるほど薄くもない。

 私が少女の腕を掴むと、彼女は半分生垣に埋めていた身体を引き抜いた。

 しかし、おとなしくなったわけではない。私の手を振り払らおうと暴れ、青い瞳で睨みつける。

「殺すなら殺せ」

 殺せ、と言われたところで私が持っているのは何となく手放さなかった箒だけだ。

 これで人を殴り殺すのはずいぶん骨だろう。


 私は少し思案する。

 少女の言動から考えて彼女が異端であることはほぼ間違いない。

 しかし、彼女に私に反抗するだけの力はない。

 あるならそもそも逃げ出す必要なんて無い。

 多少奇抜な服装ではあるが、ただの小娘としか見えなかった。

 邪悪な魔術を使い、人々を害する恐ろしい異端のイメージからはかけ離れている。


「いや、弾圧者の手にかかって死ぬぐらいならいっそ」

 しびれを切らしたか、少女はそう叫んで手に握っていた物を自身の喉元に突きつける。

「その鈴では死なないと思うが……」

 私はとりあえず箒を背後に投げ捨て、少女の腕も放して両手を広げる。

 敵意がないことを示した、つもりだ。

 どこまで伝わったかはわからないが、少女の方も逃げようとはしない。


「異端墓標の前で、何をしていた?」

「踊っていた。見ていたならわかるだろう」

 にべもない返答に一瞬ひるむ。

 それでも、気を取り直して質問を続ける。

「何のために?」

「帰ってきた死者を楽しませるためだ」

「楽しませる?」

 思っても見なかった言葉だった。

 死者は我々生者が神に従い正しく生活しているかを確認しに来るものだ。

 だから、その間は特に気をつけて折り目正しくするべきだ、と教えられてきた。


 私が呆気にとられているうちに、少女は蕩々と言葉を続ける。

「そうだ。死者はわざわざこちらへと帰ってきてくれるのだぞ。それをもてなさないなど、罰が当たる。もちろん、お前達が違う考えだということは知っている。だからヒュー……」

 少女の顔から怒りが消える。

 眉尻が下がり、瞳が震え、唇を二度わななかせる。

 肌の色がなければ、青ざめているのかもしれない。

「ヒューワードは、ここの墓守はどうした」

「死んだ」

 簡潔に答える。

 叔父が死んで、私はここの墓守となった。

 なぜ、この異端の少女は叔父を知っているのか。

 私が一番知りたかったのはそれだ。


 疑問を言葉にする前に、私の胸ぐらを少女が掴む。

「何故殺した」

 瞳の中に怒りが戻っていた。

「何故殺した! あたしのせいか! あたしが死者のために踊るのを認めただけで、お前達はヒューワードも異端だと断じたのか!」

「違う」

 反射的に少女の手を払いそうになったが、思いとどまる。

 少し息苦しいのだが、叔父のための怒りを無下にしたくなかった。

「春の祭りの頃に暴れ牛に当たられただけだ。純粋な事故だよ」

 叔父は、運が悪かったのだ。

 祭りの最中だと街中に牛が連れてこられることはままある。

 それが突然暴れ出すことなどそうはないし、被害が出ることもめったにない、のだが。


 少女は私から手を放し、かくんと肩を落とした。

「そうか……お前が新しい墓守か?」

「ああ。ヒューワードは私の叔父だよ」

「そういえば、甥っ子がいると言っていたな」

 叔父は家庭を持っていなかったし、三男坊の私は決まった身の振り先がなかった。

 叔父が亡くなる前から、墓守を継ぐ気は無いかと聞かれたことはあったし、それも悪くないと思っていたのだ。

「ヒューワードの甥なら、まあいいか」

 少女は鈴の棒を腰に差して私に両手を差し出す。

 ちょうど、縄で手首を縛りやすい様な形で。

「異端は神殿に突き出すのが筋なのだろう?」


 私は唾を飲み込む。

 神殿に突き出された異端の行く末など決まっている。

 人に害を為す様な者にはしかるべき裁きが下るだけだ。

 しかし、これは人に害を為す異端だろうか?


 黙り込む私に、少女は言葉を重ねる。

「大丈夫だ。ヒューワードのことを話したりはしない。恩人に泥を塗るほど落ちぶれてはいない」

 なるほど、その問題もあるか。

 確かに、叔父が異端を知りながら黙認していたとなれば神殿はそれを問題視するかもしれない。

 異端本人の証言がどこまで重視されるかはわからないけれど。


 だが、私の迷いはそこではない。

「叔父さんは、お前に何をしたんだ」

 私の問いに、少女は穏やかな笑みを浮かべて答える。

「ヒューワードはあたしが母のために踊るのを許してくれた」

「母親か」

「そうだ。八年前に異端狩りで処刑されて、今はあの中にいる」

 八年前、この街では屍騒ぎの後で大規模な異端狩りが行われている。

 彼女の母もそれで捕まって処罰された口なのだろう。

「本当はもてなしの舞は昼にやるのだが、ばれない様に夜にやるといいって教えてくれた。終わった後は、色々話もしていたな」

「話?」

「そうだ。 墓守というのは寂しい仕事だと言っていた。誰かがやらねばならない仕事なのに、誰もが嫌うと」

 墓守は死に深く関わる仕事であり、多くの人はあまり死と関わりたがらない。

 仕方がない事だ。

 実の兄弟である父はともかくとして、母はあまり叔父のことを良く思っていなかったふしがある。

 私が墓守を継いでからずいぶんとよそよそしくなった知り合いもいる。

 叔父もまたそうした孤独の中で話し合える相手が欲しかったのだろうか。


「そうだ。ヒューワードにも頼んでいたんだが、ひとついいか?」

 薄く笑みを浮かべて、私の答えも待たずに言葉が続く。

「できたら、あたしの灰は母の隣に置いて欲しい」

 不可能な話だ。

 普通の人はなくなると棺に入れられ、土に埋められる。

 しかし、異端者や重罪人は焼いて灰にした上で聖別された壺に入れることになっている。

 埋葬というより、迷い出てこないための封印だ。

 確かに一人一人別の壺に入れられるので、彼女の母の灰が入った壺というのはある。

 だが、同じ形の壺が並ぶ中から、彼女の母の壺を見つけられるはずがない。

 叔父は、この願いになんと答えたのだろう。


「お前はただ、死者のために踊っていただけなんだな」

「そうだ。あたしも母も、屍を起き上がらせたりは出来ないぞ。ヒューワードにも疑われたが」

 答えた少女の目を、ひと呼吸の間のぞき込む。

 空の色の瞳の中に、朝焼けが映りこんでいた。


 一息ついて、私はきびすを返す。

「……捕まえなくて、いいのか?」

「今日は死者の日だぞ。叔父さんも帰ってきている」

 異端を野放しにするなんて実にばかげた話だ。

 だが、叔父の遺志を無視出来るほど落ちぶれているつもりはない。

 どんな遺志か、話したわけでもなく書き記されていたわけでもない。

 でも。

「私は、異端など見なかった。そして、死者の弔いのために来た者を、墓守が拒絶する理由はない」

 彼女と共に踊りはしない。だが踊りを止めさせることもない。

「終わったら、小屋に寄れ。茶ぐらい出してやる」

 きっと、叔父もそうしていたはずだ。


 歩き始める私の背に、少女の声がかかる。

「ヒューワードのためにも、踊っていいか」

「好きにしろ。ただ、そろそろ起きてくる人もいるからな」

 東の空がずいぶん明るくなり始めている。

 そろそろ清掃をはじめないといけない。

 鈴の音が鳴るのを聞きながら、私は箒を拾い上げた。

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