第四章

四章


「そもそも、能力者たちは天雨についてどれぐらいの知識を持っている」

 再び向かい合い、話を始める。綾波は肩辺りで切り揃えられた髪を耳にかけた。聞いてやろう、と言った合図だろう。華夜は耳にかけたことで露になった、綾波の輪郭に魅入られながらも自分の持っている知識を話す。

「能力者の家系のみ、生まれた時に宿るとしか……。それと、一度消費したらそれは回復しない」

「まあそうだな。ほぼあっている。生まれた時に宿る、としか認識していないようだが、天雨自体は何かしらの神が人間に授けている。授けている、というより能力者が生まれるとその時に吸い取られると言った方が正解かもしれないな」

「す、吸い取っていたのですね……」

「そうだ。その吸い取れる量なども個体差があるし、どの神から吸い取るかも、正直無作為だ。とにかく、神は能力者に天雨を吸い取られる。消費した天雨が回復しないのは、神から吸い取れるのは一度だけだからだ」

「だから、普通は回復しない」

「そうだ。神が自ら、今度は分け与えない限り」

 昨日の行為を思い出す。首筋に唇を当てられ、身体が満たされる感覚。あれが、神自ら分け与える行為。

「そして、能力者の天雨を逆に吸い取る事も出来る。その天雨を体内で増幅させ、能力者へ分け与える。この一連の行為が共有だ」

「そうであるなら天雨は無限に増える……」

「良い気付きだ。こんな事を全員にしていたら、とんでもない事になってしまう。能力者とはいえ人間だ。力を付けすぎてしまう。そこで、共有を出来るのは神一人に対して人間一人となっている。加え、お互いの天雨を共有し続けないと生きていけなくなる」

 自分の知らない世界の話ばかりで、華夜は少し混乱をしてしまう。これを知っている能力者はいったいどれほど居るだろうか。

「まあ正直、神としても面倒な事であって。だからそもそも、共有はめったに起こらない」

 まあわたしは君に対してしたんだけどね、と綾波はへらりと笑った。綾波は驚く華夜を、笑ったまままじまじと見つめる。

 やけに上機嫌な綾波の姿を見て、華夜は頭に疑問を浮かべるばかりだ。

「さて、もう運命を共にする関係だ。わたしから話さなければいけないことは話した。君の話を聞かせて貰おう」

 ──なぜ、死のうとしていたのだ。

 先程の笑みが消える。瞳の輝きも消え、一瞬にして圧がかかる。外から、激しい水の音が聞こえた。



「とある妖怪の、討伐を任されました。けれど……」

 華夜は今までの経緯を語る。親に、死んでもよいと、見放されたこと。

 今頃、家の者達はどうしているだろうか。そして、この森の外の世界は、いつも通りの賑わいになっているのだろうか。

「私は単に失望したのです。私に全てを押し付けた者達の望みを叶えるために、苦しんで死にたくない。だから、一人でひっそりと死んでしまおうと」

 華夜は唇を噛む。いくら失望したからと言って、自分の行動がどれほど身勝手であったかを、話していて痛感する。

 西の者は動かない。華夜が何もしなければ、山本五郎左衛門によってこの国が滅んでしまう。この国全員の命を見捨てたようなものだ。

 自分への嫌悪感に、華夜は嗚咽を漏らす。瞬きをすれば涙が宙を舞う。こうやって、泣く事しか出来ないのも嫌だ。

 華夜はどっと襲ってきた様々な感情に身を丸くする。こんな事しか出来ない自分に対して、もう一度、強く唇を噛んだ。

「華夜」

 俯く華夜の元へ、綾波の手が伸びる。ふと唇が綾波の指によってなぞられ、その冷たさに華夜は驚き、口を開いた。

「強く噛んでしまったら、ケガをしてしまう」

 布が擦れる音。綾波が身体を起こした華夜の隣へと座り、華夜の肩へ頭を預けた。

「そんなに深く、考えなくていい。今は、わたしが隣に居る。まず、それだけを考えて欲しい」

「綾波さま……」

 シンと静まり返る。響くのは、二人の呼吸音のみだ。

 綾波によって冷静さを取り戻していく。ぽたりと零れる涙を拭い、華夜は綾波の呼吸音に耳を傾ける。

 華夜の意識は薄らいでいく。ふふ、と最後に笑みを零した音が聞こえた。



 ──なんだ、まだ生きていたのか。

 ──お前のお陰で柳沢家は復興した。しかし、お前よりも優秀な子が生まれてな。私と同じ雷の能力だ。こうなった以上、柳沢家に貴様の席は無い。大人しく何処かで野垂れ死んでいろ。



「お待ちください……っ」

「どうした、華夜」

 心臓がまだ五月蠅い。伸ばした手は空気を掴んでいる。

 握った拳を、綾波の冷たい手が包む。徐々に落ち着く心臓を、華夜は実感してゆく。

「悪い夢でも見ていたようだな」

「そ、そうですね……」

 華夜がゆっくり身体を起こすと綾波は心配そうに肩に手を伸ばした。急に身体を触れられたことに華夜は驚いたが、受け入れ、ほんの少し身を委ねた。それが嬉しかったのか、綾波の顔には笑みが浮かんでおり、その輝かしさに華夜は目を細める。

「数日間、華夜は眠っていたわけだが」

「も、申し訳ありません、」

「いや、いいよ。わたしが数日間寝かせていたのだから」

 綾波の手が華夜の頭へ延びる。寝起きでぼさぼさとした髪を、綾波の手によって整えられる。華夜は一度頬を染めたが、話の途中であった綾波の声へ耳を傾ける。

「その眠っている間に、街へ一度出た。どうやら今、妖怪によるものだろう、という事件が増えているようだ」

「──! やはり」

「まあわたしはもう心に決めているから、街へ出て話を聞いてきたわけだが。華夜の決断もしっかり聞こうと思う」

「決断……?」

「華夜はとある妖怪の討伐を命じられた。しかし、一度は放棄をして死を選んだ。そこでわたしが勝手ではあるが助け、運命を共にすることになった。君が受けた命は、まだ達成されていない。そして、わたし達は運命を共にする」

 換気の為か、小屋が開いている。ざあっと風が吹き込み、覆われがちな綾波の顔が露になる。

 碧色の瞳が一瞬にして光を取り込み、宝石のように輝く。ただ、美だけでなく、力強さが込められていた。

 ──これが、きっと、決断。

 綾波は、今後どうやって華夜と運命を共にするか決めている。だから、華夜も決めなければならない。

 そんなの決まっている。本来、人を助けるための、大切な、高貴な能力者。今であれば、あの日のような決断はしない。

「私は、綾波さまと共に、救いたい」

 声は少し震えていたかもしれない。身勝手だ、と。怖いくせに、と。華夜は自分に対して、死ぬまでそう語り続けるのだろう。そうだとしても。

「綾波さま。私と共に、居てくださいますか?」

 綾波の唇が緩く弧を描く。よく言った、とばかりに身体を抱きしめられ、心臓が跳ねる。この、人との距離が近い神の行動に、未だ慣れない。

「そうであるなら、やはりこんな所で暮らしてはいけないな。早速、街へ出ようか……と、言いたいのだが」

「?」

「わたしは神とは言っても、力が弱いからな。もうしばらく、ここで華夜と天雨の共有に時間を費やしたい」

「な、なるほど」

「だが急いだほうが良いことに変わりはない。華夜、寝起きで申し訳ないが、失礼する」

 綾波の顔が首筋へ近づく。二度されたことだ。慣れないが、華夜は頬を染めるだけで驚きはしない。

「⁉」

 はずだったのだが、予想外の痛みが身体中を走り、華夜は肩を跳ねさせた。視界の端で、ほんの少しではあるが、黒っぽさが薄れていく自分の髪を捉える。

 ──今、吸い取られてる……?

 身体中がピリピリとする。華夜はふいに綾波の首へ爪を立てた。一度綾波が軽いうめき声を上げたが、行為は続く。

 視界が徐々に暗くなる。綾波の首へ添えていた指が離れる。それを感じた綾波がようやく華夜の首筋から離れた。

「これが、一番手っ取り早いんだ……。大丈夫か?」

「え、ええ……なん、とか」

 力が入らない華夜の身体を、綾波は優しく抱き留める。いつもより綾波の身体が脈打っているのが分かる。きっと、天雨を取り込んで、それを体内で増幅させているのであろう。

「今日の夜頃にはある程度華夜へ戻せるはずだ。勿論、わたしの力も多少強まった状態で、だ」

 未だずきずきと痛む首筋を手で覆い、華夜はされるがまま、身体を綾波によって倒された。

「えっと……?」

「しんどいであろう。わたしはここに居るよりもう少し川の近くに居た方が、効率が良くなる。だから、ここで休んでいろ」

「えっと、」

「おっと」

 場を離れようとする綾波の着物の袖を無意識に掴んでいた。弱い力ではあるが、袖に違和感を覚えた綾波は立ち上がろうとしていた身体をそこで停止させる。

「どうした。甘えたいのか」

「え? いや、そうではなく……?」

 どうしてこんな事をしてしまったのだろう。華夜は身体を横に向け、自然と落ちてくる髪で顔を隠す。

「ふふ、まあいい」

 楽しそうな綾波の声が近づき、華夜はあっという間に彼に抱き上げられるかたちとなった。

「一緒に、川でも眺めようか」

 綾波に笑顔を向けられたら、断れるはずがない。華夜は自分の行動に対しての疑問が晴れぬまま、綾波に身を委ねることになった。



 森の中を流れる川は、木々の緑を吸いこみ映し出す。万緑。辺り一面が緑色だ。

 しんどいだろう、と綾波は胡坐をかいた膝の上に華夜を乗せた。華夜は妙な居心地の悪さを感じながら、辺りの緑に心を落ち着かせていた。

 川のせせらぎと、鳥の鳴き声。自然しかないこの中で、綾波の呼吸も静かに響く。何度も抱き留められたことはあるが、今の綾波は身体中が熱い。熱いといっても、普段が陶器のように冷たいから熱く感じるだけであり、通常の、人と同じぐらいの体温だ。これが人肌のぬくもりか、と華夜はぼうっと川を眺める。人肌を、神に教えてもらうだなんて変な話だが。

木々の隙間から柔く光が差し込む。水面を照らし、波の綾を生み出す。

「華夜、少しだけだが天雨を戻そう」

「もう、ですか」

「嫌か?」

「いえ……」

 心地良さにぼうっとする中、華夜は緩い返答だけをする。肯定と受け取った綾波はすぐ目の前にある華夜の首筋へと口付けを落とす。

 少しだけ。目の前に居るのだから、少し、触れたいだけだから。

 腕の中で身体を硬くする華夜が愛おしい。つい、離れたくなく、綾波は思っているよりも多く華夜へ天雨を戻してしまった。

 これではいつまで経ってもここを出ることが出来ない。いや、本当は出たくない。  しかし、促したとは言え華夜は受けた命を全うすると決断した。

 きっと、その姿の華夜の方が美しいから、促した。

 いくら神とは言え綾波は力が弱い。華夜の力を借りて、天雨を増幅させても、力が弱い事に変わりはない。

 この先、彼女の事を守れるであろうか。二度も見た身を投げようとした姿を思い出し、綾波は珍しく背筋が凍った。

 ざあっと川の水温が激しくなる。それに気付いた華夜が僅かに綾波の方を向いた。

 先程よりも顔色は良くなっている。髪もいつもの黒色へと近づいている。濃色の瞳が不安げにこちらを見ている。

 彼女の力強い瞳。あの美しさを引き出すためには、自分が弱気ではいけない。

 綾波は頬の内側を緩く噛み、気を引き締める。

 彼女との穏やかな暮らしをするために──。

「はは、華夜。申し訳ない。少し戻しすぎてしまった。失礼」

「へあ⁉」

 頬を噛んでいた歯を、華夜の首筋へと当てる。ぷつり、と歯が沈み、多く戻してしまった分だけ吸い取る。

「あ、あやなみ、さま……。いくら神とはいえ、少し、み、身勝手なのでは……」

 急な出来事に華夜は涙目で訴える。

 川の水音。鳥の鳴き声。綾波の高らかな笑い声が響いた。



「さあ、これで一応お互い万全に近い状態になった」

 数度目の天雨の受け渡しが終わり、華夜は軽く息を吐いた。とうとう、この場所を出る時が来た。

 街へ出て暫くは情報集めとなるだろうが、華夜は一度拳を強く握る。

「大丈夫だ、華夜。わたしが居る」

「そう、ですね。神ほど心強い味方はおりません」

「ああ、そうであろう」

 一度外に出るから。綾波はそう言って小屋を後にする。長襦袢しか身に纏っていない華夜へ、準備の時間を作ってくれたのだろう。

 綺麗に畳んでいた着物へ袖を通す。せっかくならもう一着ほど欲しいな、と贅沢なことを考えながら、華夜は慣れた手つきで着付けていく。帯を結び、普通であればそこで着替えは終了だ。しかし袖が邪魔であるから。たすき掛けをし、細く白い腕が覗く。帯の上に紐を巻きつけ帯刀する。再びしたこの恰好に、華夜は一度胸を締め付けられる。けれど、今回は、逃げ出さない。

 小屋の入り口付近へ置いてあった草履へ足を通し、外へと出る。

「準備は出来たか?」

「はい」

 お互い、表情を確認する。運命を共にするから、二人の意識が違っていたら困る。互いを見つめる瞳を確認し、二人で頬を緩ませた。

「行きましょう」

「おっと、その前に」

 華夜の耳元へ、綾波の手が伸びる。ふと髪を触れられ、離れた時には、耳横に多少の重さを感じた。

「十二単だ。さっき、偶然咲いていてな。華夜という名前なのだから、やはり、花が似合うだろう? 花に力を込めてある。付けておけ」

「あ、ありがとうございます」

「よし、では気を取り直して。行こう」

 ギュッと目を瞑る。今までの事は、一度、忘れよう。綾波の指が華夜の指と絡んだ。

 今は、救わなければならない人々の為に。

「はい。参りましょう」

 目を開ければ、柔く差し込む光によって、華夜の濃色が深く輝く。

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本日から一緒に討伐の旅へ出ます 錦鏡花 @nishikikyo2

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