嫌に美しい

中且中

第1話

 嫌に美しい女と目が合った。電車に乗っていて、満員だった。つり革につかまりながら、ふと横を見ると、女が少し離れた場所にいた。ふと目が合う。私はぞっと寒気がした。なぜだかわからない。

 女は白い服を着ていた。それがスーツ姿の男女や寒色の色を着た人の多い車内では目立った。

 目を離そうにも離せなくてじっとお互いに見ていると、ふと相手が微笑んだ。私はどきりとした。ちょうど、電車が停まった。振動があり、減速し、ちらほらと乗客がドアに向け動き始める。ドアが開いて、一斉に人々が降車を始めた。女の姿を、スーツの男が前を通って、遮った。スーツの男が通りすぎると、もうそこに女の姿はなかった。私は視線をさまよわせた。すいよせられるように、ドア前を見る。女がいた。電車を降りようとしている。ちらりと女がこちらを見て、また微笑む。私は針で胸を刺されたような感じがした。わけもなく焦燥を覚える。扉が閉まりますとアナウンスが流れる。女はもうホームに降りている。

 私は咄嗟に人をかきわけ、ドアに向かった。閉まりかけのドアとホームドアの間に体を滑り込ませ、なんとか降車する。あたりを見ると、女はちょうどエスカレーターに乗って降っていった。あわてて階段まで走り、駆けおりる。

 階段の下まで降りると、ちょうど女もエスカレーターを降りたところであった。また、目が合う。また微笑む。女は人の流れに乗って、歩いていく。あとを追う。

 降りたことのない駅だった。見慣れない構内に少しとまどう。女を見失わないように、なんとか歩く。女ばかり見ているから、何度か人とぶつかってしまい、その度に謝る。やがて女は改札を抜け、出口に出た。外はロータリーである。周囲はよくある繁華街だ。女は通りを歩いていく。私は駆けた。

 少し走ると女に追いついた。声をかければ聞こえるぐらいの距離になって、私は女になんて声をかければいいのか、そもそも自分がなぜ女をおいかけていたのかわからなくなった。声をかけることもできずに私は呆然と女の背中を見つめた。しかしかといって引き返すこともできなかった。なぜかそれはしてはならないような気がした。

 秋の、日暮れであった。西に沈む夕陽が、街を、通行人を、車列を、繁華街の看板を、女を照らしていた。暮色の景色の中に、夜の寒気と闇がすでに姿を見せていた。薄暗く、寒かった。ぽつぽつと燈火が灯り始めている。あたりの喧噪が潮騒のようである。女は一人、黙々と歩いている。

 ふと気がつくと、繁華街の外れに来ていた。あたりの人は少ない。ふと、女が立ち止まった。私も立ち止まる。それから女がくるりと踊るようにこちらを振り向いた。それから艶然と微笑んだ。女は夕陽を背にして立っていた。ふっと風が吹いて、女の髪が、服が靡いた。顔は影になって見えなかった。なにか女が口を開いたような気がした。だがその言葉は聞き取れなかった。

 突然、あたりに影が差した。轟音と、地響きがして、前方に突如、壁が出現したように思えた。その壁がトラックの側面であることに気づいたと同時に、また凄まじい衝突の音がした。やけにスローにトラックが見えた。トラックは弾丸のように車道から、歩道に突っ込んできて、それから雑居ビルの一階部分に突っ込んで、停まった。

 なにもかもが一瞬の出来事であった。あの白い服を着た嫌に美しい女が、トラックと衝突して、おもちゃの人形のようにぐにゃりと曲がって吹き飛んだのが見えた。トラックの前面はひしゃげて、ビルの瓦礫に埋まっている。私はあの女がどうなったかを思って慄然とした。

 足の力が抜けて私は地面にへなへなと座り込んだ。あたりから声が聞こえて、ざわめきが波のように意味を成さない環境音として聞こえた。誰かが私の近くに駆け寄って、私の肩を揺さぶった。なにか言っている。中年の男だ。青い作業着を着ている。顔面を蒼白にして、私になにか怒鳴っている。

 やがて、遠くからサイレンの音が聞こえた。パトカーや救急車が集まってきて、気がついたら私は警察官になにか声をかけられていた。女の警察官であった。そのころには少し落ち着いていて、私は彼女に、しどろもどろになりながらも、トラックが女をひとり轢いたことを伝えた。警察官は顔色をかえて、べつの警察官のもとに走っていった。

 私はよろよろと立ち上がった。そしてその場を離れ、駅に向かった。落ち着かなかった。衝撃と混乱で思考がまとまらない。今見たものが現実なのか夢のなのか、わからなかった。私は電車に乗って家に帰った。だが帰っている時の記憶はない。気がつけばベッドの上にいて、朝だった。

 なんだかなにもかもが夢だったような気がして、寝ぼけた頭で朝食をとりながら、ぼうっとテレビで朝のニュースを見ていると、どこか見覚えのある景色が映された。ぎょっとする。水でもかけられたように目が覚める。あの繁華街であった。トラックが雑居ビルの一階に突っ込んだ映像が見える。怪我人はありませんでした、とアナウンサーが言った。それから次のニュースに移った。私は耳を疑った。

 ネットで事故を調べてみても、どれも怪我人はなかったとだけ書いてあった。トラックは無人で、運転席には誰もいなかった。ビルの一階も空き店舗であったそうである。どのサイトを見ても、女のことはなにひとつ書いていなかった。

 その日の昼、私は事故現場に赴いた。すでにトラックは撤去され、ビルの周りは封鎖されていた。周囲の人に訊くと、ただ驚いたとの話をするばかりで、女のことを尋ねても皆、首を傾げるだけであった。

 状況証拠から考えると、あの女は存在しない、ということになる。だが、確かに私はあの女を見たし、あの女は確かに轢かれたのだ。ただ私以外がそれを見ていないだけなのだ。

 あの女がなんだったのか、それはわからなかった。

 それから私はあの女を見たことがない。電車の中を探したり、あの駅のあたりを探してみたりもしたが、なんの手がかりも得られなかった。けれど、ときおり、似たような事故が沿線上の駅前の街で起こることがあった。似たような事故、それはつまり、車が突っ込んできたり、看板が落ちてきたり、工事用の足場が崩落したり、ガス爆発がおこったり、などの事故である。それらの事故は、決まって死者はひとりきりで、それ以外にはまったく怪我人すらも出ていない。その死者は、その駅の利用者ではなくて、事故当日になぜかその駅で降車している。死者の属性には関連性がない。ひと月に一度ほど事故は起きる。

 そして事故のおきるのは、決まって夕刻である。

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