【てんとれ祭】 爪に渋皮

ぱのすけ

【てんとれ祭】 爪に渋皮

 キリエは小女の淹れて行ったお茶をすっと一口、口に含んだ。鼻に抜けて行く馥郁とした香りはヤトが好んで飲んでいるいつもの茶葉の香りだ。


 ここドゥール=ヴェルテシアは帝国最大の歓楽街。美の女神・ミスティアの御膝元に広がるいわゆる“色街”である。

 キリエが娼妓のヤトと相対しているのは、目抜き通り中1本の通りにある“小鳥亭”という妓楼の一角だ。


「ふぅん」


 艶っぽい吐息を洩らして、囲炉裏台の向こうからヤトがキリエを見つめる。下から掬い上げるような目つきは並みの男であれば、一発で陥落してしまう程に情感の籠った傾城の眼差しである。


 だが生憎とキリエには通じない。娼妓を神殿の“禊”から選び抜く彼等、“札引き”が女の手練手管に転ぶことはまずもってない。


「相変わらず腹立つ程に細やかなこと」


 2人の視線が真正面から、かちりと重なる。

 ヤトと初めて出会ったのはお互いに15の頃。勝気さと無鉄砲さだけは大人並みに持ち合せた2人だった。

 その回の“禊”で、一番の高評価を得ていたヤトに前代未聞の『0円』の値をつけたキリエを彼女は思いっきり殴りつけて来た。拳で。

 

 それで終わりかと観念した彼に、ヤトはぐいと顎を突き出して居丈高に言い放った。

「0円の心意気を見せてやろうじゃないのさ!」


 あの時から10年。

 両輪となってこの小鳥亭を場末から、目抜き通り中1本に店を構える所まで押し上げて来た。


 ヤトは傍らの小卓に置いてある煙草盆を引き寄せて、ちらりとキリエに示した。キリエが首を振ると彼女は見事な螺鈿細工の煙管を取り出して、自分だけ吸い始める。


「これがあんたの答えかい」

「そうだ」

 何度目かの紫煙と共にヤトが呟く。キリエはしっかりと頷いた。

「俺が選び抜いたお前の夫だ」

 色の抜けた唇をぺろりと湿らしてヤトは優しい手つきで、釣り書きの縁をそうっとなぞった。


「そうかい」

 ふっと最後の煙を吐き出して、彼女は煙草盆に煙管を戻した。それから居ずまいを正して優美な動作で頭を下げる。

「謹んでお請け致します。不束ながら誠心誠意を以て生涯お側に」

「分かった。先様にはそのように伝えておく」

「頼んだよ」


 どちらからともなく笑みがこぼれる。

「せっかくだからゆっくりして行きなさいよ、キリエ」 

 

 ヤトは急に砕けた調子で、火箸を取り上げると囲炉裏の灰の中をつつき回す。

「ほら、手を出して」

 言われるがままに手を出すと、彼女は灰の中から拾い上げた焼栗をコロンと、乗っけて来た。


「って! あっちぃなっ、おい!」

「おや、ごめんごめん」


 ころころと笑うヤトを睨みつけながら、灰に落ちた焼栗を用心しいしい爪先で拾い上げる。

「絶対わざとだろ」

「あら、いい頃合いだねぇ」

 ヤトは澄まし顔で自分の分を拾い上げる。そのまま剥こうとする彼女の手からキリエは焼栗をひったくった。

「剥くよ。爪に渋皮の詰まった娼妓なんてザマァねぇや」

「あらご親切に。じゃあ、後3個ばかり頼むよ」

「図々しいな」

「お互い様」


 ぽんぽんと言い合いつつも皮を剥くキリエを頬杖をついて眺める。

「懐かしいねぇ。昔、よく一緒に食ったね」

「そうさな。客が中々来なくて暇な時にな」

「あの頃もお前が剥いてくれたね」


 今よりもあどけない顔をしたキリエがヤトの脳裏に甦る。

 彼は形の良い唇を引き結んでよく焼栗と格闘していた。

「下手くそだね! お貸しよ」と手を伸ばすと体ごとそれを拒否して「渋皮を指先につけた娼妓なんか誰が買うか!」と怒ったものだった。


 ヤトはニンマリと笑った。

「何だ、気味の悪い」

「ま、失礼な奴だね。昔を思い出してたのさ。ホラ、あれ何だったけか? 旦那様が作った小唄。 アホ面ばかり、で始まるの」

「違うよ、あれは奥様が作ったんだよ。何だっけ? ……アホ面ばかり 切っても出てくる アホゥ飴」

「よく見りゃあ自分によく似てる」


 最後の部分を仲良く唱和して、キリエとヤトは一斉に吹き出した。

「アレ奥様かぁ! 妙に流行っちまってね。あんまりみんなして歌うもんだから番頭さんに禁止令だされたっけね」

「あの時は奥様も一緒に叱られたな」

「そうそう。そうだった」

「ほら、剥けたぜ」


 ヤトは軽く身を乗り出して口を開けた。

「面倒くせぇな」

 眉をひそめつつもキリエは栗を一粒放り込んでやる。そんな彼の手首をヤトが不意にがっちりと掴んだ。


「何?」

 

 ヤトは妖艶に微笑んで、キリエの手にそっと口づけする。


「ねぇ、あんた。あたしのおかげで随分と稼いだよねぇ?」

「まぁな」

「少しは返そうと思わないかい?」


 キリエは表情ひとつ変えずにヤトを見つめる。固く閉ざした瞳からは何の感情も読み取れない。

 色街で生き、やり抜いていく。札引きの鉄の瞳だ。


「あたしが身請けされる前に一度買いにおいでよ」


 ようやく手を離して、ぐっと胸を反らす。

「この体に幾ら詰める?」


 キリエは何も言わない。

 夜着の上からでもよく分かる煽情的なその肢体を前に、彼は燃え盛るヤトの双眸を黙って見つめ続ける。

 ややあって、遣り手の札引きはニヤリと口元を歪めた。


「0円だ」


 目を伏せて、栗を口に放り込み噛み締めながら彼は言う。


「今も昔も。お前は俺にとって0円だ。値なんかつけられねぇ」


 ヤトは静かに微笑んで、そっと拳を握りしめた。




【引用/蜂蜜ひみつ様/てんとれないうらない/第45話 アホ面ばかり 切っても出てくる アホ飴 よく見りゃあ 自分によく似てる 1点】


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