人生の再生

タイムリープがしたいというよりは時間をスキップしたいという感覚の方が近いかもしれない。上手く笑えない日々。悔しさに涙も出ない瞬間の連続。僕には死んでしまいたいと思う時間が笑えるほどあるのに、世の中の人々はなんて楽しそうに生きているんだろうと滲んだ視界の端で思う。三十代、四十代になれば僕もあんな風に楽しく生きられるのだろうか。少しは心の余裕ってものが持てるようになるのかい?もしそうなら今この瞬間に四十代になってしまいたい。そう思うんだ僕は。動画を再生する時、面白くない部分はスキップして興味のあるシーンだけ選んで見られるように。早送りのマーク、三十秒スキップ。何回押したら十年後にたどり着けるかな。成長しない心のまま時だけ過ぎてしまえばきっと失くした時間を嘆いて、もう一度時間を戻したいと思うんだろうことは想像できるけれど。

 でもそのシーンもスキップしたらいいか。楽しい所だけを切り取って楽しめたらいいじゃん、人生なんて。つらい、苦しいシーンなんてスキップ、てか編集でカットしちゃえばいいんだよ。今の時代、編集技術が優れた動画なんてゴロゴロある。そういうのに対抗できるようにしていかなきゃ。人生をエンタメ化していこう。あれ、結構いいこと言った?

 つまんないな、面白くないなってシーンは全部スキップ&カット。あ、飛ばし続けて切り取り続けたらそのまま人生終わっちゃったりして。僕の人生、つらいシーンもつまんないシーンもふんだんにあったから。あんなのも全部消せるならまあ別に人生終わるのもありかも。だって結局は楽しい時間だけを過ごせているんだから。人生楽しいに越したことはない。もう少し楽しい時間が長ければいいのにと思わなくもないけれど。でもカットしたシーンは僕にとっては要らない場面だったから。だからカットしたのに寂しい気持ちになるのはなぜだろう。

 もしかしたらあのシーンは消さなくてもよかったかな。高校生活最後の試合、二回戦敗退。弱小校だったけど毎日チームメイトと必死に練習したっけ。練習はきつかったし試合も全然勝てなくて。そんなシーン要らないか、と思って勢いで消しちゃったけど。よくよく思い返してみればあの頃は今よりも楽しかった気がする。決して毎日が楽しかったわけじゃない。友達と喧嘩したり、家に帰るのが遅くなって親に怒られたりしたら気分は最悪だった。それでも毎日つまらないことに真剣になって、面白くもない話で爆笑していた。きつくて苦しい練習も下校の時には笑い話になっていたよな。そういう思い出も込みでなら、あのシーンだけはとっておこう。

 そうやって思い返していたら、とっておきたいシーンは少し増えた。喧嘩の後の仲直り。怒られた次の日の朝ごはん。今思い返してもつらかったり悲しかったりするけど、でもそういう思いがあったから仲直りできた時は心底嬉しかったし、いつも当たり前に食べていた朝ごはんの美味しさに気づけた気もする。つらいだけとか苦しいだけのシーンって案外少ないのかもしれない。いわゆる喜怒哀楽、そういうの全部込みで思い出って呼ぶのかも。でもそうやって取捨選択をやり直していたらふとある疑問が浮かんだ。

 あの頃はつらいことも苦しいことも笑って過ごせていて、時間なんて止まればいいなんて思っていたのに、今はなぜ時をスキップしたいなんて思うほど自分の人生が嫌になったんだろう。なんで笑い話にできていたことを忘れて嫌な思い出として消してしまおうとしていたんだろう。

 これが大人になるってことなんだろうか。もしそうならなんて夢のない話なんだ。子どもの頃夢見たネバーランドはないってこと?僕はプリンセスをかっこよく迎えに行くプリンスにも、まだ見ぬ宝に心踊らせる海賊にもなれないってことか。いや、そんなことはとっくにわかっていたけど。と子どもの頃の自分に現実を伝えに行く途中でふと思った。いつからあの頃の本気を鼻で笑うようになってしまったのか。本気でなりたいと思っていたことを恥ずかしく思うようになったのはいつから?

 …やっぱり時間をスキップするんじゃなくてスタート地点に戻したいのかも。ううん、違うか。あの頃の何にでも夢中になれた自分を取り戻したいだけなんだ、きっと。嫌なシーンをスキップしたところできっとまた嫌なことは出てくるし、巻き戻してやり直しても上手くいかないことはあるだろうし。ただ、そういう風に人生が上手くいかない場面に直面した時、立ち向かう勇気が今の僕にはないんだ。

 じゃああの頃の自分には勇気があった?いや、昔からそんな勇気なんてなかった気がする。めんどくさいことは後回しにするタイプだったし。僕の性格はあの頃ときっとあまり変わっていない。成長しないな、なんて自分でも思うけれど、だとしたらやっぱり自分の心の変化は疑問に思う。変わらないはずの毎日に変わった所があるとするなら、そうだな…。

 思い当たる節は、ある。あるけれどそれは自分が変わったとかじゃなくて、むしろ僕が変わっていないからこそ感じる変化なのかもしれないと思う。そういう変化を自分の心の言い訳に使うのはあまり格好良くはないんだろうけど。学生の頃の自分と今の自分。性格は特段変わっていなくて、心も成長していなくて、それでも変わった所があるとしたら。それは周りに誰がいるか、じゃあないのか。あの頃は毎日友達と過ごしていた。親に怒られてさー、なんて愚痴も、テストやばいかもなんてドキドキも全部共有できて笑い合えるやつがすぐ近くにいた。今はどうだ。仕事で失敗して気分が落ち込んでもそれを吐き出すということをしていない。同僚の女性といい雰囲気になっていてもそのドキドキをからかってくれる人がいない。だからこんなにも日々が単調でつまらなくて、嫌なことが嫌なだけの毎日に感じてしまうんだ。きっとそうだ。こうやって自分の人生のつまらなさを環境のせいにするのはやっぱり格好悪いな。もういい歳なんだから、嫌なことを誰かに聞いてもらいたい、愚痴を吐くことでストレス発散したいなんて思うのは甘えなんだろうか。なんて、答えは誰に聞かなくてもわかっている。わかっているけど思い出整理をしていたら懐かしさと共にあの頃の自分に対する嫉妬も湧き上がってきてしまったんだ。何だよお前、随分楽しそうじゃん。友達に囲まれて、毎日一回は笑えることがあって。こっちは日々をただ過ごすだけで精一杯だよ。みんな大人になって、それなりに楽しくやってるみたいだけど。僕の心だけそっちに取り残されててさ。おんなじように毎日過ごしてたのになんだろうねこの差。寂しく感じてるのって僕だけなのかな。変わらず友達でいられるって、会いたい時に会えるって思ってたの僕だけなのかな。


「なんてこと思ってたんだよね」

「わかるわー。みんなのSNSとか見ると仕事順調そうだし顔つきも大人っぽくなってるし、俺だけ学生気分が抜けないままなのかと思って毎日焦ってたわ」

「何言ってんだよ。毎日同じことの繰り返しでクソつまんないっつーの。毎日あの頃に戻りてえ!って思ってるし。俺たちはみんな心を教室に置きっぱだよ」

「間違いない(笑)」

「…じゃあ、その教室に心取り戻しに行ってみる?」

「あっはは!いいね!あの頃の気持ちを取り戻しに夜の校舎へ!みたいな?」

「学校行くのとか何年ぶり?やばい、ワクワクするかも(笑)」

「よし!行こう!」

 

 この日僕らは思いつきで夜の母校に忍び込み、教室で爆笑しながら思い出話に花を咲かせてそれぞれ帰路に就いた。誰にもバレず、怒られなかったからこれは僕たちだけの秘密の思い出ってことでお互い顔を見合わせてニヤニヤしながら。

 毎日の嫌なことはなくならなくても、毎日馬鹿話はできなくても、仕事の愚痴を笑い飛ばしてくれる仲間がいるなら、今はまだ等速再生の人生でもいいかな。帰り道、通学路を辿りながらそう思った。

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僕の中の短編集 cor. @SHiKi-ARS

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