第51話(最終話)

「……………頭が痛いです」

「水をしっかりと飲んで寝ないからだ」

 そんなこと、生まれて初めて飲酒した私が知るはずがない。教えてくれてもいいのに。

 自分のベッドで目覚めた時、頭痛と喉の渇きを覚えて、気怠い体に鞭を打ってリビングに行くと、緋山さんはいつも通りブラックコーヒーを傾けつつ、ノートPCを叩いていた。そして、起きて来た私を見るなり、朝食を用意してくれた。牛乳を入れるだけで完成するフレークとオレンジジュースという簡素なラインナップだ。食欲の湧かない私にはそれくらいのがありがたかったし、緋山さんのその気遣いだけで、二日酔いの大部分が和らぐ程に嬉しかった。なにより、緋山さんが使っているコーヒーカップが、昨晩に私があげたプレゼントだと気付いて、一気に私の気分は良いものに変わった。

 相変わらず頭は痛かったけど、二日酔いで学校を休むなんてもっと嫌だった私は、鞄に教科書を詰めて、制服に袖を通して、半ば無理矢理にジュースとフレークを喉に流し込んだ。もうすぐ、終業式だ。

 緋山さんは、頬杖をついて、指でトントンと机を叩きながらPCを見つめている。朝食を口に運びつつ、そんな緋山さんを私は見つめる。TVからは芸能人の、電撃結婚ニュースが流れている。22Fの窓から見える空は、これ以上ないほどの快晴だった。体調を除けば、あまりにも何も変わらない、いつも通りの朝だった。幸い、昨日のことはハッキリと覚えている。どうやら、私は忘れ上戸では無かったみたいだ。

「そうそう、これを渡そうと思ってたんだ」

 緋山さんがジーンズのポケットから手を出すと、そこには鍵が握られていた。

「なんですか? これ」

「君の部屋の鍵だよ。鍵の取り付け作業は、これからだけど」

 緋山さんはコーヒーカップを傾けながら答える。

「え、でも、どうして今更…」

「年頃の女の子が異性と住む上で、当然の配慮だよ。いらないなら、返してもらうけど」

 今更、の答えにはなっていなかったけれど、なんとなく察した。これは、今までは妹の影を重ねて見ていた私を、一人の他人として扱おうとする意思の表れだと受け取った。

「いえ、ありがたくいただきます」

 私はそれをポケットに仕舞おうとしたけれど、何かの拍子に落としたら嫌なので、鞄の内ポケットに大事に仕舞った。

「ところで、時間はいいの?」

 TVの時間を確認する。画面には今日のお天気を告げるお姉さんが映っていた。

「え、ええ。まだ大丈夫ですけど」

「確か、前回の日直から32日目だ。今日は日直じゃないの? 早く行かないといけないんじゃなかったっけ」

 言われて思い出した。よくそんなことを覚えているなと思った。当の本人ですら忘れていたのに。緋山さんの言う通りなので、隣の鞄を引っ張り上げて、急いで玄関に向かう。

「すみません、洗い物はお願いします! 行ってきます!」

「いってらっしゃい、藍さん」

 一瞬、耳を疑った。緋山さんに、初めてさん付けで呼ばれた。結衣や由香里を呼ぶのと同じように、さん付けで。思わず立ち止まって、緋山さんを振り返る。彼はもう既に、ノートPCに夢中になっていた。

 部屋の鍵と、さん付け。

 可笑しな話だけれど、緋山さんと私との間に出来たこの新しい壁が嬉しくて、私は緩む顔を抑えられないまま、学校に向かって走りだした。

 

【END】

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