第50話

 緋山さんは両肘をテーブルについて、手を組んだ。

「水無瀬がいるだろう。彼には、どんな印象を抱いてる?」

「水無瀬君…ですか?」

 緋山さんは頷く。

「えっと…そうですね……最初は、内気な子だなと思いました。挙動不審で、自信無さ気で。一流のハッカーって聞いた時はびっくりしました。でも、話す内に、年相応な男の子らしさと可愛らしさのある、どこにでもいる子なんだなって、思いました」

 あの喫茶店で、ブラックコーヒーの苦さに耐えつつ作った彼の笑顔が思い出される。

「彼は、あの学校では誰もが恐れる喧嘩屋だよ。彼に病院送りにされた生徒は数知れない」

 聞き間違いかと思った。確かに、水無瀬君の事だと言ったはず。あの、水無瀬君が? 俄かには信じられなかった。でも、そうか、水無瀬君と会った時のイカつい男の子の挨拶も、それで筋が通る。会う度に傷だらけの顔も、喧嘩によるものだったのか。怪我の理由を聞いても答えてくれなかったのは、喧嘩ばかりする自分を、心のどこかで恥じていたからかもしれない。

「水無瀬君って…あの水無瀬君ですよね? 喧嘩って、どういうことですか」

「文字通り、殴り合いだよ。彼は体格には恵まれてないけど、それを補ってあまりある格闘技術がある。少林寺拳法の達者だ」

「き、きっと、何か理由があるんですよね? 虐められたとか…」

「確か、発端はノートPCを奪われたのが悔しくて、拳法を習い始めたらしい。そして、喧嘩が喧嘩を呼び、今に至ったとか」

 昔読んだ不良漫画を思い出した。そんな事ってあるんだ…。全然、人の事は言えないけど、なんだか現実感が湧かないエピソードだった。

「燻木は、どんな印象だった?」

 先の例からして、燻木さんにも、知らない顔が潜んでいるのかもしれない。

「えっと…燻木さんは、非常に紳士的で、社交的で、優しい印象でした。事件の話を聞きにいった時も、私を怖がらせないように、気を遣ってくれて。あ、あと、車好きです」

「その通り。そして彼は、人体収集家だ」

「人体…収集…?」

「文字通りの意味で、人体の色んな部位を集めることに没頭している。手首とか指とか、眼球とか。彼の家には遊びに行かない方がいい。きっと、トラウマになるだろうから」

 棚に並ぶホルマリン漬けの様々な人体の部品を想像するだけで、身の毛がよだった。

「嘘…ですよね?」

「本当だよ」

「そもそも、そんなの、どうやって集めるんですか?」

「合法から違法なものまで、臓器提供や売買を行うルートがあるらしい。そもそも、彼の情報系の技術は、それを探す過程で身に付いた部分もあるとか」

 燻木さんのあの紳士的な笑みが、一気に狂気に満ちたものに思えて来た。知らなかったとは言え、よく2人きりで会ったりしたものだ。

 燻木さんが話したアイディアの一つを思い返す。指紋認証の登録に、切断した指を使用するアイディアだ。あれはもしかして、自分がそういったパーツを集めているから出て来た発想だったのかもしれない。いや、むしろ、彼は本当にアイディアを実行していたんじゃないのか。燻木さんも、監視や管理されることを好まないと言った。指をポケットに入れて出歩く燻木さんを想像して、寒気がした。

「今回は、理由を聞かないの?」

「ど、どんな理由なんですか…?」

「彼の妻は、猟奇殺人者に攫われたんだ。妻の安否を気にするあまり、気が狂いそうな彼の元へ、1つの小包が届いた。中には、彼の妻の左手が入っていた。添えられた手紙には、こう書いてあった。

 

『残りを探せるかな?』

 

 ってね。それ以来、狂ったように…いや、本当に狂ってしまったからこそかもしれない、彼は探し続けた。ありとあらゆる手段で人体パーツを集め、妻のモノを探した。今は、両腕と右足と胴体が集まってるらしい。全ての要素を揃えたところで、もう妻はいないのだと、誰よりもわかってるはずなのにね」

 燻木さんのエピソードが、あまりにも現実離れしていて、思わず聞き入ってしまった。燻木さんが言っていた、妻を探しているとは、こういうことだったんだ。

「もしかして、王生さんもですか?」

「何が?」

「王生さんも、何か普通じゃない一面を持ってるんですか?」

「彼は、医者だよ」

「お医者さん…ですか? え、でも、ハッカーなんじゃ」

「正確には、元医者だ。心臓外科医だったらしい。元から情報工学にも精通していたこともあって、ハッカーに転職した」

「どうして、ハッカーに転職したんですか?」

「世の中には、まだまだ発展途上国が多い。紛争地帯は絶えず、多くの人がいまこの瞬間にも亡くなっている。彼は、一人の医師として出来ることに限界を感じたそうだ。そこで、まず情報インフラの整備と拡大を以て、医療の発展と浸透に貢献しようと考えた。だから今も、彼は世界中を飛び回ってる」

「でも、ハッカーって、犯罪をする人達なんじゃ…」

「それはクラッカーと言う。王生の場合、正しい意味でのハッカーだ。ハッカーとは、その高度な技術と知性で創造と貢献に従事するエンジニアのことを指す」

 そうだった、ハッカーとクラッカーの違いは、燻木さんに教えてもらったんだった。緋山さんの仲間の中で、一番得体が知れなくて不気味だった王生さんだけど、すごく立派な人だった。やっぱり、態度や見かけで人を判断しちゃいけないんだ…。

「どうかな、少しは気が紛れかな?」

 確かに、みんな思っていた以上に、普通じゃないエピソードを持っていた。思えば、結衣や由香里にだって、変わった一面はある。実は、〝普通〟なんて幻想で、そんなものに拘るだけ無駄なのかもしれない。私は、少しの沈黙を返した後、口を開いた。

「…でも、どんなに変わってたって、水無瀬君も燻木さんも、王生さんも、結衣も由香里も……家族は殺してはいませんよね」

「僕がいるじゃないか」

 緋山さんの即答だった。その言葉を聞いた瞬間、私の身体に体温が戻ったような気がした。とても、暖かい言葉だった。もしかしたら、私は、ずっとそう言ってくれる人を探していたのかもしれない。そんな風に思えた。

「……まるで、傷の舐め合いですね」

 私は制服越しに、胸の傷を撫でる。

「それでいいじゃないか。そうしてれば、傷はいつか癒えるんだから。いつか気にならなくなる日が、きっと来てくれる」

 緋山さんのセリフは、自分に言い聞かせているようでもあった。祈りのようにも聞こえた。

「そうですね」

 私は、笑顔で返す。憑き物が落ちたみたいに、自然と出て来た笑顔だった。2人で微笑み合っているのが、なんだか気恥ずかしくなってきた。

「ちょっと、お手洗いにいってきます」

 席を立つと、足元が少し、ふらつくのがわかった。妙に気分が良かった。酔うって、こんな感じなんだ。いや、お酒のせいだけじゃない。緋山さんと話せて、心が軽くなった自分がいた。酔うと、その日の記憶を忘れてしまう性質の人もいるらしい。私はどうなんだろう。忘れたくない。今夜の出来事を、絶対に忘れたくないと思った。トイレを出て、この酔いを覚まそうと、洗面台で顔をばしゃばしゃと洗うと、少しだけ頭がスッキリした。

 リビングに戻ると、緋山さんは机に突っ伏して寝ていた。クラスで昼休みに、暇を持て余した生徒が机で寝る時によく見る、あの体勢だ。どうやら、緋山さんは眠り上戸だったらしい。その姿を見て、再び笑みがこぼれる。緋山さんの部屋から毛布を持ってきて、その肩にかけてあげる。そして机の上に、クリスマスプレゼントのコーヒーカップを置いた。この歳でサンタさん役をやることになるなんて、思いもしなかったな。

「……緋山さん」

 念のために、耳元で声をかけてみたけど、帰ってきたのは静かな寝息だけだった。私はその無防備な頬に、そっとキスをして、眠ることにした。

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