第49話

 …。

 ……。

 …………。

 ………………。

「なんの、話ですか?」

「君の話」

「奈々原 藍って誰ですか。私は、香月 藍ですけど」

「君の、前の名前」

「そんな人はいません。もう、亡くなってますから」

「でも、こうして僕の目の前にいる」

「私は奈々原なんかじゃありません!」

「じゃあ、教えて欲しい。奈々原 藍は、どうやって亡くなったのかを」

 息が荒くなっていた。心臓の鼓動も速い。眩暈がする。お酒のせい? いや、それだけじゃない。落ち着くように、自分に言い聞かせる。

「どうして、知ってるんですか」

「家に居候させる相手の事は、当然調べた」

 はぁ、と溜息をつく。もはや、観念するしかないみたいだった。

「ご存じの通り。私の前の名前は、奈々原 藍です」

「3年前の、奈々原一家強盗殺人事件の生き残りだね」

「そうです。一体、どうやって知ったんですか?」

「僕は友人が多い方でね。その中には刑事や役所の人間もいる」

「へぇ、意外ですね」

 同居させる相手の素性を調べるのは当然だけれども、知られたくない過去を知られていた私は、無意識に嫌味を口にしてしまった。緋山さんって、友達が少なそうだから。

「システムの突破口は、現実の人間関係が原因となるパターンが、実は多い。ソーシャル・エンジニアリングってやつだ。そのためにも、現実世界でのネットワークを構築しておくに越したことは無い」

 私の嫌味を知ってか知らずか、聞いても無い知識を返された。

「それで、調べていて、その強盗事件は気になることがあったんだ」

 私の鼓動が速くなっている。

「両親と一人娘の3人家族。ある日強盗に入られ、全員包丁で刺された。救急車で運ばれるも、両親は死亡。君だけが一命を取り留めた。強盗は未だに捕まっていない」

 私の心臓が高鳴る。どんどん加速していく。

「両親には腹部を複数回刺された後があったらしい。対して、君の体の刺し傷は、左胸の一か所だけだった」

「刺した場所まで、記録に残るものなんですね」

「それもあるけど、君の傷はこの目で見たからね」

「ちょ、え? いつの間に見たんですか!」

 身に覚えがない私は狼狽する。

「いつかだか、僕が寝ぼけて、お風呂上りの君がいる脱衣所に入ってしまった時だよ」

 そう言えば、そんなこともあった。裸を見られた焦りと羞恥で、傷跡を見られた自覚なんてまるでなかった。と言うか、寝ぼけてたくせに、意外としっかり見てたんだ。

「けれど、不幸中の幸いだったね。心臓を狙ったんだろうけど、骨に守られた。心臓にちゃんと刃を届かせるには、肋骨の隙間を通すように、刃を横にして刺すべきだ」

「………………」

「しかし、やや奇妙だ。両親に対しては腹部を刺しておいて、どうして君だけは心臓を狙ったんだろう?」

 緋山さんはまっすぐに私を見つめる。私の目の奥にある真実を覗こうとしているかのように、見つめていた。

「単なる偶然で片づけることも出来る。だけど、もしかして真実は違うんじゃないのか。君の口から、聞かせて欲しい」

「………私が真実を言うとは、限りませんよ」

「それでいい」

 緋山さんの真っ直ぐの視線を見つめ返す。私も、目を逸らさない。

「あの日、強盗なんて来ていませんでした。両親を殺したのは、ご想像の通り、私です」

 彼の目は変わることなく私の瞳を覗き続ける。頷きも瞬きもしない。ただ私の言葉の続きを待っていた。

「私は、緋山さん達が羨ましいです。同じ家族殺しでも、中身は全く違います。あの日、私は両親に殺されかけました。私の両親はギャンブル狂で、暴力なんて日常茶飯事でした。私をサンドバッグにする毎日で、生命保険もしっかりかけてました。筋書は、留守番中に押し入った強盗に殺される娘、ってところだったんでしょうね。生命保険の額も、しっかり溜まった頃でした。私を殺そうとする両親から、暴れて、必死に逃げた先は、台所でした。そこに置いてあった包丁を見た時、それが、唯一の生き残る希望に見えたんです。生き残ろうとする、生物としての本能が爆発したんでしょうか。私は葛藤も無くその包丁を手に取り、まずは目の前にいる母を刺し殺しました。次に、目を見開いて固まる父を。

 両親の苦悶の声が途絶えた血だまりの中で、ようやく、自分がしたことを理解できました。私は、それに耐えられませんでした」

「そして、自分を刺した」

 私は頷く。

「咄嗟の事で、両親を刺す時は無我夢中でした。身長差のせいもあって、腹部を刺していたようです。静かになるまで時間のかかった両親を思い出して、ゾッとしました。だから、心臓を刺せば一瞬で死ねるかなって思ったんです。でも、緋山さんが言った通り、逆にそれで生き延びちゃいました。痛くて、苦しくて、気付いたら救急車を呼んでいました。

 病院で目が覚めた時、最初、ここは天国かなって思ったんです。ははは…おかしいですよね。両親を殺しておいて、自分を刺しておいて、天国にいけるつもりだったんですから」

「だけど、一命を取り留めた君は、両親を亡くした身として、里親に引き取られることになった」

 私は頷く。

「そうやって、戸籍が変わり、名前が変わり、奈々原 藍から香月 藍になったんです。両親を殺してしまった私は、あの時、一緒に死んだんです。そう思い込みたかった…。それが、未だに私が警察に真実を話せてない理由でもあります。アレを、無かった事にしたかった…生まれ変わりたかった。緋山さん風に言うなら、アカウントを切り替えるようにって感じですか。でも、ダメだったみたいです。やっぱり、人間は機械ほど簡単じゃないですね」

 私の身体には、過去の罪からは逃げられないと言わんばかりに、あの時の傷が今も残っている。緋山さんは、無言で頬杖をついて、机に目を落としていた。

「緋山さん」

「ん?」

「私は、どうすればいいのでしょうか」

「どうって?」

「私は、普通に戻りたいです」

「普通って、なに?」

「普通は、普通です」

「どうして、普通になりたいの?」

「……………」

「親を…人を殺してしまった。一線を超えてしまった。もう、自分は普通の人じゃない。その疎外感に耐えられない?」

「はい、そうです」

「藍が最初、結衣さんの事件や、僕の事件の解決に乗り気だったのは、そのコンプレックスが原因なんだろう? 普通じゃない事件に触れて、普通じゃない人間に触れて、普通じゃないのは自分だけじゃなかったんだって、そんな安心感を得たかったんだ」

 どうして、そんなにわかるんだろう。その通りだった。こうやって内面を暴かれるのは、嬉しいような、恥ずかしいような、悔しいような、複雑な気分だった。もしも、緋山さん達がハッキングするサーバに自我があるとしたら、きっとこんな気分なのかもしれない。

「はい、その通りです」

「じゃあ、面白い話をしてあげよう」

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