番外編3 アーリンの気づき
アーリン・ナッシュは、公爵子息。……だった。2年ほど前までは。
プラーテンス王国で、王族を除けば最高位ともいえる公爵家の嫡男として、そして有望な火魔法使いとして、明るい将来を疑ってもいなかった。そして、下位の貴族を暇つぶしにいたぶることに何の抵抗も感じておらず、幾人もからかっていたのだが、その中でも特に踏みつけ甲斐のなかった生徒がコーディ・タルコットだった。
普通、いくらアーリンが最高位の公爵家で口ごたえができないとしても、酷い言葉を浴びせて尊厳を傷つければ、視線や態度にどこか歯向かうような空気を感じるものだ。
人によっては、こちらにわからないように小声で言い返しているらしいこともあった。そういうときは、きちんと見とがめてもっと酷いことをした記憶がある。そうして、相手の心を少しずつ折っていくのが何もかも順調なアーリンの暇つぶしだった。
その中でも、特に何の反応も返さなかったのがコーディ・タルコットというオモチャだった。
「ほとんど平民のような貧乏男爵家」「情けない家の、しかも魔法がろくに使えないお荷物」と蔑んでも、そのプライドはまったく傷ついていないようだった。
どんどんエスカレートして髪を引っ張ったり叩いたり、ぬかるんだ地面に向かって蹴り飛ばしたりしても、コーディ・タルコットは激昂するどころか、ただひたすらじっと静かに耐えていた。
どんなにアーリンが酷いことをしても反応がほとんどなかったため、半分意地になっていたのだと、今なら思う。
ついには、魔法が下手くそだとわかっていながらコーディ・タルコットを無理やりダンジョン行きのパーティに参加させ、そして魔獣が一体しか出ないという簡単なトラップ部屋に閉じ込めた。
アーリン達だけが外に出て扉を閉じる瞬間すら、コーディ・タルコットは救いを求めなかった。アーリンは思い通りに奴を閉じ込めて勝利したはずなのに、なぜか負けたような気分になったのを覚えている。
ダンジョンでは死ぬこともあるなどと言われるが、実は学園のダンジョンには管理人の教師がいて、定期的に巡回して生徒の無事を確認して回っている。
あの日は4階層に教師が行くと聞いていたので、わざとそこに置いてきた。トラップ部屋は、クリアしないと中からは開けられないが、外からはいつでも開けられるのだ。
コーディ・タルコットは次の日には通学していたし、何も問題はないはずだった。
アーリンの人生が崩れていったのは、コーディ・タルコットに決闘を挑んで負けたところからだろう。あのときは、何をされたのか全く分からなかった。
人が変わったように感じてあまりに不気味で、しばらく近寄らずに観察していたが、どうやら突然魔法が使えるようになったらしかった。もしかすると、モンスター部屋で危機的状況になり、魔法に目覚めたのかもしれない。
そして真正面からは無理だと考えて、公爵家の力を使ってコーディ・タルコットを潰そうとした。途中までは順調に進んでいたはずだが、気づけば潰されたのはこちらだった。
アーリンが裏の家業として学んでいた取引について、違法なものだとは知っていた。どの貴族も大なり小なりやっていることのはずだ。しかし、公爵家はその罪で摘発され、父とアーリンは身分を取り上げられてブリンク行き、母は厳しい修道院行き、そしてナッシュ公爵家は伯爵家にまで下げられ、弟のグレンが監視付きで跡を継ぐことになった。
あっという間のできごとだった。
詳しくは聞けなかったのだが、どうやら王弟のルウェリンが動いたらしかった。
大きなしっぺ返しを食らって、アーリンはブリンクへ追いやられた。
ブリンクに来て、父は変わってしまった。息子であるアーリンにたかろうとし、ルールによってそれができないとわかると罵倒するようになった。
母も変わった。手紙を毎日のように寄こし、危険な場所にいる息子の心配など一切せず、自分の不満をぶつけ続けるだけ。
アーリンはとびぬけて魔力の器が大きく、ルールによってブリンクに収監されている貴族とパーティを組むことができなかったので、ひたすら毎日一人で魔獣狩りをしてきた。背も伸びたが、体つきもかなり変わった。
ブリンクにいる冒険者の中には、アーリンと組めるだろうレベルの者も幾人かはいるようだ。
しかし、平民とパーティを組むなどアーリンのプライドが許さなかった。
受刑者には、全員わかるように魔法で刺青を入れられる。それを見られるのも嫌だったので、一人を選んだ。
少しずつではあるが、確実に魔獣を屠ってきたので、この調子ならば30年ほどでブリンクを出られると聞いた。
30年は、あまりにも遠い。それに、それまで耐えて生きていられるかわからない。
だからアーリンは、悔しかったが引き出しの奥に突っ込んだコーディ・タルコットからの手紙を引っ張り出し、数か月かけて必死に訓練して同時発動の魔法を習得した。
魔法を複数同時に発現できるようになったアーリンは、これまでよりも多くの強い魔獣を倒せるようになった。
父は、同じレベルの人たちのパーティに潜り込み、なんとか魔獣を倒しては報酬を得ているようだった。
漏れ聞いたところによると、ただ指示をして何もしないことがほとんどなので、次々にパーティから追い出されては別のパーティに入っていた。
パーティには、戦闘経験のないメンバーがいれば教育していると見なされてちょっとした報酬上乗せがあったので、その制度を利用したいパーティはアーリンの父を入れていたようだ。
そんなある日、父が死んだ。
その魔獣は、アーリンにとってはほかのパーティの稼ぎを取らないために見逃してやる程度の雑魚だった。
まわりには誰もおらず、父はどうやらパーティから追い出されて置き去りにされたところを魔獣に襲われたらしかった。
まだ父を攻撃している魔獣を片手で屠ると、少しだけ迷ってから血まみれで倒れる父に近寄った。
息こそしていたが、左足が食われ、右腕も肘から下が潰され、腹も裂かれてどんどん血が流れ出ていた。これはもう、助けられない。かろうじて目だけを動かした父は、息の漏れる声で言った。
「私は、死ぬ、のか」
アーリンは、黙ってうなずいた。
死んだ受刑者を見つけたら、町に報告する決まりである。危険な場所なので、死にかけた人を見かけても助ける義務はなかった。アーリン自身、何度か受刑者の遺体を見たことがあったし、報告をしたこともある。
まだ生きているなら死に際くらいは見守ってやるべきだろう、とアーリンは膝をついた。昔の優しく頼りがいのあった父は、こんなに小さくはなかったな、とふと思った。父は、とぎれとぎれに言葉を発した。
「なぜ、こんな目に。なにを、間違え、た?……息子は、魔法の、才能が、あった。金を、使って、伸ばして、やったんだ」
そういえば、色々と甘い父であったが、魔法の訓練だけは絶対にさぼらせなかった。もっとも、アーリン自身も魔法を鍛えたかったので何も問題はなかった。
「息子の、ように、魔法が、使え、たら……認め、られたん、だろうか」
どこか遠くを見た父は、アーリンがその息子だと気づくことなく、そのまま息を引き取った。
悲しいとも悔しいとも思わないアーリンは、どこかおかしいのかもしれない。ただ、自分もいつかどこかで死ぬときは、誰かに看取られたいと思った。
遺体は、無理に連れ帰る必要はない。魔獣の森は危険なので、生きている人をまず優先すべきなのだ。余裕があればブリンクの町まで連れて帰り、町の外の墓地に埋めても良い。
アーリンは、特に迷うこともなく父の遺体を父のローブでくるんだ。
力の入らない遺体はズシリと重く、背負うのも一苦労だった。
町の外にある墓地まで歩くと、管理人が気づいてこちらに来てくれた。
背中の遺体が父であることを告げ、用意されていたスペースに埋めた。墓標はあってもなくても良いと言われたため、父の杖を墓標代わりに立てた。
ブリンクの町に戻ると役場のようなところに向かい、父が亡くなり墓地に埋めたことを報告した。受刑者の管理をしているらしい男性は、魔道具らしいものを確認してうなずき、手続きを行った。
「ご愁傷様でした。息子さんに見守られて、安心して旅立たれたことでしょう。どうか気を落とさず、これからも務め上げてください」
そう言われたときに、ふと気づいた。
自分の世界はまだこれからも続く。しかし、父の世界はあれで終わってしまった。
死とは、自分の世界の終わりなのである。
アーリンは、父の世界が終わるのを見たのだ。
ブリンクに来てから、何度も受刑者や冒険者の遺体を見たが、そんな風に感じたことなどなかった。見送ったのが初めてということもあるだろうが、血を分けた親だからかもしれない。
振り返ってみれば、人の死を目にしたのはブリンクに来てからのことだった。あまり現実感はなかったが、父の遺体を見て初めて人生の終わりというものを具体的に感じたのである。
自分の罪と刑を言い渡されたとき、アーリンが密輸にかかわった麻薬は、人の命を奪えるものだと聞いた。広まり始めたところだったために、まだ犠牲者が出ていなかったことだけが救いだと。
つまり、アーリンは未遂とはいえ人の死を運んでいたのだ。
自分の利益のために他人の世界を奪うことが、罪でなくてなんだというのだろうか。
―― あぁ、だから僕は、ここで。
魔獣を狩って国と人を守るという命をかけた労働によって、罪を償っているのだ。
魔法少年になった仙人じいちゃんの驀進譚(ばくしんたん) 相有 枝緖 @aiu_ewo
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