04


 とても静かな世界に私はいた。いつものことであるような気がした。刺激のない世界というものを私は知っている。見慣れた光景でもある。それをどう思うのか、自分自身で考えてみる。そこに自身の感情は存在しなかった。


 静かな世界、言い換えると、何もない世界。寂しい世界だと思っていたのは、何万年前のことだっただろうか。思い出すことは億劫だった。面倒くささを反芻した。


 周囲を見ることもしなくなった。そこに何もないことをとうに認識しているのに、周囲を確認する必要性を感じなかった。そこにはむしか存在しない。存在しないが存在するだけ。


 私はそれに身を浸しながら生きていく。いや、生きていくしかできないのだ。


 私は死ぬことができない。生物としてそれは欠陥でしかない。死ぬことができないのなら、生きているという定義さえ狂ってくる。


 生物は死ぬから生きるということができている。それなら、死ぬことのできない私は生物として生きていると定義することができないだろう。私は不良品だ、故障品だ。


 そして、それを選択したのは私自身だ。何も救えない、何とも救えない。


 救われるはずなど、ない。救われていいはずがない。


 こんな世界で私は生きているということはできない。それはどこか、私という姿さえ存在しないような感覚。


 だめだ、それはだめだ。そうでなければ、ここで生きることをあきらめてしまう事につながってしまう。それは許されない。償わなければいけない。生きることを諦めることは許されない。


 自分を想像しろ、自分の姿を何度も想像して、そうして自分の姿を固定しろ。自分の姿を肯定して、それを自分だと定義しろ。定義を繰り返せ。私は誰だ、私は誰なのか、私は私だ、存在しないから名前も存在しない私だ。私は私だ。私は私なのか? 私は私なのだろうか。


 目を開けた。暗い影が私のすべてを覆いつくす。這いよりつづける背中の影が、私を投影している。虚像が存在する。醜く見難い。それが私の姿だと定義することの恐怖血がちらつく。


 目を逸らさなければいけない。瞼を閉じてしまいたい。瞼を閉じたい、閉じることはできない。意識さえ逸らせない。


 声が聞こえる。悲鳴に似た声が聞こえる。いや、悲鳴が聞こえる。どこまでも悲鳴だ、私を呪う声が背中に伝ってくる。私を生かす全ての魂が反響し続けている。身体を明け渡せと繰り返している。耳を塞ぎたい。でも、そのための手がない。手があっても、彼らの声をせき止めることはできない。


 これは呪いだ、もしくは不死の祝福だ。これを償いつづけて、そうして生きるしか私にはないんだ。





 とても近いところから叫び声が聞こえてきた。それで目を覚ましたのは私だった。誰が叫び声をあげたのかを理解することができない。私を目覚めさせたのは誰だっただろうか。それを考えていた時、自身の喉が焼けるような痛みを伴っていることに気づく。私を目覚めさせたのは自分自身でしかなかった。


 ──途端に聞こえる、床下からドタドタと騒がしい音。


 階段を駆け上る音、ドタドタは繰り返されていく。


「ど、ど、どうしましたかっ」


 慌ただしい様子、焦燥感を匂わせる顔をしている、一人の幼女のお人形。ビスクドールのような雰囲気を持ち合わせているものの、人間らしい動きをしている。機械仕掛けのはずなのに、そこに機械の要素は感じさせない。


「……おはよう、エルレンテ」


「……えっ? あ、えっと、お、おはようございます?」


 彼女は戸惑った様子をしながら、しぶしぶというように会釈をする。疑問を浮かべている彼女の表情を可愛らしいと思う傍らで、彼女の右手にぶら下がっているものを認識する。


「……それは、なにごと?」


 私が彼女の右手に指を指す。……錆びついて腐食している金属バット。


「え、ええと、叫び声がしたので、なにかよからぬことがあったのかと!」


「……まあ、悪夢を見ていたんだと思うけどね」


 私は、今になって思い出すことのできない夢の内容に憶測をつけて彼女に語る。彼女は「……悪夢?」と、よくわからない顔をしている。そういえば、という程ではないけれど、彼女は眠らないのだから、そりゃあ夢という概念がわかるわけもない。


「やっぱりなんでもない。でも、私は大丈夫だからさ」


 私は彼女にそう言って、彼女が抱いている焦燥を落ち着かせることにする。彼女はそれでも訝る雰囲気を覚えていたようだけれど、私の言葉を呑み込むしかなかったので、仕方ないというような顔をした。


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名無しの森 無機的世界 @mukitekisekai

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