火蝶の導
「──ふむ。一度要点を纏めます。抜けている部分があれば御指摘を」
店主はそう言ってボールペンに指を絡める。表の看板には「縁転堂」という名前のみが掲げられた看板が立てかけられていて、中には出自のわからない人形や古めかしい文具など、統一感のない品物が並んでいる。
しかし最も奇異なのは店主その人の風貌だろう。紅の羽織が目を惹く和装に、室内にも関わらず黒いシルクハット。耳にぶら下がるドリームキャッチャーは枝と糸で作られた原始的なもののようで、首元の十字架は精巧な金属加工から生まれたのが分かる。
ナンセンスを人の鋳型に詰め込んだかのような男が、ちらりと客の方を向いて話し始める。
「この頃疲れが溜まっていた。仕事でトラブルがあって、それが今も解決していないのがストレスになっている。会社で只管働き続け、自宅は仮眠所扱い。そんな中で『視える』ようになった。これが丁度二週間前」
客は眉間に皺を寄せながらも頷く。本人が未だに信じられていない様子だが、店主は話を続けた。
「視えるようになったのは蝶──しかも、真っ赤に燃えている(rb)。それが視界の端から現れては消える。何度か追いかけてみたが、曲がり角なんかで見失った瞬間に居なくなる。もう一度思い出して下さい。見たのは赤い蝶ですね?」
ええ、と男は呟いた。その顔は余りにも疲弊している。スーツ姿と少し老け始めた顔が相俟って、まるで死期を目前とした患者のような雰囲気を纏っていた。
店主はそれを確認してから立ち上がり、店の棚に手を伸ばした。数個の小瓶を手に取った彼は、それを客の前に一つずつ並べた。
中身は様々だ。青色の粉末や無色透明の液体、果ては虫のような何かのオイル漬けまでもが眼前に置かれる。
「ところで」店主が耳元からぶら下がる魔除けに触れながらソファに座り直した。
「この店に入ってから、蝶は視えていますか。それか、外に蝶が飛んでいますか?」
いいえ、と男が答えたのを確かめてから店主は瓶を摘み、日光に透かしてみせる。その視線が瓶に向けられていたのか、その向こうの外の風景に向けられていたのかは男にとって判別し難いものだった。
全ての瓶で同じことを繰り返し、最後に店主は灰色の粉が入ったものを男に差し出した。そして、真っ直ぐ目を合わせる。
「持っていて下さい。それだけで良い……ああ、昼間に耐え難い程の眠気に襲われた時だけは瓶を開けて飲んで下さい。一気に全部、です。お金は効果が有ったらで構わないので──また一週間後にもう一度。どちらにせよ結果を確かめねばならないので」
では、と店主は席を立ち、元々のカウンターに戻って新聞を広げ始める。男は最後まで首を傾げながら、しかし雰囲気に気圧されて店を出た。
ちりん、と退店を知らせるベルの最後の一音が鳴り終わると、店主は机下から携帯を取り出し通知を確認した。一件だけ届いていたメッセージに少し迷いながらも返信を送り、大きく息を吐いた。
「厄介ごとが増えたな」
深夜、男はいつものように帰路についていた。相変わらずその顔には疲労が浮かんでいたが、悪化だけはしていない。途切れ途切れの街路灯に照らされながら下を向いて歩いていた彼は、前方からする声に驚いて足を止めた。
「調子は如何です」
「相変わらずですが……確か、一週間後というお話でしたよね。まだ三日しか経っていませんが」
彼の指摘に店主は軽く謝罪の言葉を口にする。特徴的なその恰好は街路灯の真下といういかにも恐ろしげな場所との相性もあり、より一層違和感の際立つものとなっていた。
「少し事情が変わりました。ここで解決させますのでそのまま。小瓶をお渡し下さい」
言わるがままに男は「持っていろ」と言われていた瓶を店主に渡す。その手が瓶から離れた瞬間に、彼は気を失いかける。
視界がぼやけ、耳は遠くなる。そんな中でも、男の視界には蝶が舞っていた。視界の端から現れて、どこかへと飛んで行く。周囲の状況も見えない眼に、蝶の炎だけがはっきりと映った。
そして、瓶を受け取った店主も、倒れた男を見て納得の表情を浮かべる。
「此処までか。文句の付けようも無い」
そこには、巨大な蛹が有った。男の背丈より少し短い程度のそれを背負っていることを、本人は恐らく気付いていない。彼が視ていた燃える蝶は、他でもない彼自身の背から生まれていたのだ──しかし、それらはまだ前兆に過ぎなかったということを、蛹はその巨躯で以て示している。
そして、罅割れる音が響いた。羽化が始まろうとしている。徐々に亀裂が広がり、中からこの時を待ち望んでいたであろう蛹の主が姿を見せる。全身が仄かに白く光るそれは、やがて濡れていた羽を伸ばす。
そして、ぴんと張った羽に、火が灯った。小さな同種たちのような赤い炎ではなく、神秘的ですらある蒼い炎だ。それを見届けた店主が、何を思ったか膝を付く。
「良い」
彼の指先が地面に伸びる影に触れ、そのまま沈んだ。手首まで沈めたところで腕を引き抜くと、そこには大鎌と鳥籠が握られている。その姿は、伝承で語られる死神そのものだった。
悠々と羽を広げる怪異を前に、彼は只々感心していた。男から生まれたそれは、美しい形をしている。本来の蝶は卵から孵り幼虫として生を受ける。そして時が来ると蛹を作り、羽を手に入れるのだ。その大きな変化の前後で共通しているのは、中枢神経のみである。
即ち、幼虫の体は一度完全に溶けて消える。それを素材にして作られた成虫は、食性から違うまるで別の生き物かのように振舞うのだ。
「お前を捕まえれば、頭の固い裁判官共も黙らざるを得ないだろう」
まるで転変した生を受けるかのようなその生態と、今まさに眼前で燃えている炎はよく似ている──これは、男の魂が吸われた結果生まれたものだ。つまり、彼を新しい形に作り替えた姿と言える。
「閻魔殿に、宜しく」
死神が鳥籠を開けた。蝶はそれに吸い寄せられるように飛んでいく。大きさの差が嘘であるかのように、そのまま籠に入っていった。
全ての蝶が消え、再び元の時々途切れる街路灯だけが照らし出す道が戻って来た。そこには一人、男が倒れているだけだった。
来客を知らせる鈴が鳴る。新聞を読んでいた店主が、ちらりと目線だけを遣った。今日の装束は現代的なカジュアルファッションに片眼鏡と、これまた奇怪な組み合わせだ。
「用事は何ですか。買い物なら御自由に、探偵業なら紹介状を。それ以外なら名前をどうぞ」
店の棚には、不可思議なものが並んでいる。手に取りやすい高さの位置には、蝶の鱗粉が飾られていた。
縁転堂蒐集録 綯々交々 霜月ヱニシ @Enishi_nov
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。縁転堂蒐集録 綯々交々の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます