エピローグ

 僧は念仏を唱えて数珠は叩かれる。読経。

 清水区の寺院。その境内にある寺院葬専用会館の一室で、二階堂は過去を振り返っていた。

 沓谷の霊園。果たして背子との統合は叶わず、成り行きで人生の始発点を迎えてしまった。

 腿に乗せた両の拳を握る。口裂け女はこの手で直接、葬るつもりだった。結局は最後まで背子を頼る結果に終わってしまい、彼女は楔の世界に留まったまま。何もかもが計画通りにいかなかった。

 その結果は胸中で濁った染みを残して、二階堂を蝕んだ。

 椎倉には悪いことをした。

 利己的な因果、過去の亡霊に巻き込まれた彼女は酷い最期を迎えた。別れを告げて陽炎に消えていく彼女の顔が、網膜に焼き付いて離れない。

 イブにも申し訳が立たなかった。契約の一日さえ提供できず、まともな別れすら言えぬまま。心の本音も聞けず仕舞いに終わってしまった。

 読経に歯軋りが混ざる。

 警察に通報した二階堂は大いに疑われた。現場には椎倉の頭部が転がり、成長した行方不明者を抱いて泣く片腕を失った女が一人。気の違った女が被害者と争った後、殺人を犯したと思われても仕様がない有様だった。

 取調室で詳らかに話しても埒が明かず。数日に及ぶ捜査を経て、やはり心神喪失者が犯した事件だと結論が下されようとした時。

 二人の刑事が割って入り、驚くことに二階堂の突飛な話を聞き入れた。彼らはサノバで触手の怪物に発砲した刑事だった。二人はどうやら怪異や霊能者に対して造詣が深いらしく、最終的に証拠不十分として解放された。

 その後も重要参考人として取り調べに応じることはあっても、再び容疑をかけられることはなかった。能田と名乗った刑事曰く、事件は怪異対策室と呼ばれる組織に引き継ぎされるらしい。

 捜査が真っ当な終着点に辿り着くことはないだろう。霊能者ではない人間が集まっても超常現象を紐解くことはできない。藤原と名乗った刑事も同じ意見らしく、対策室とは名ばかりのハリボテなのだという。

 真の遺族にも二人の刑事が説明をしたらしい。怪異の認知はある程度世間に浸透しているが、十分な理解は得られていない。

 刑事は二階堂の供述をよほどうまく切り貼りして説明をしたのだろう。

 果たして、真の遺族から奇異の目を向けられることはなかった。どんな姿だろうと遺体を葬れてよかった。と、真の父に感謝されたくらいだった。

 読経が終わり、参列者は次々に御焼香おしょうこうを焚いていった。

 やがて二階堂にも順番が回ってきた。

 遺族と僧に一礼。焼香台の前に立ち一礼。左腕を失っているから右手に数珠をかけて抹香を摘んだ。それを額に押しつけてから香炉に焚べる。合掌。

 遺影の真は屈託のない笑顔で笑い、幼い姿のままだった。


 通夜ぶるまいでは、浴びるように酒を飲んだ。

 自らの手で怨讐との決着をつけられなかった心残り。酷い別れ方をした椎倉。怨讐に喰われ最後まで救われなかったイブ。真への想い。全てを洗い流すかのようにして、ひたすらに飲んだ。子供の頃の思い出を真の父と語り明かした。

 酒は強い方ではなかった。案の定ひどい吐き気を催し、外の風を浴びに出た。

 夏の熱気は未だに健在で、生暖かい風が肌を撫でた。

 月は雲で隠され、鈴虫の鳴き声がしんしんと夜風に溶けている。境内は暗い。

 そうしてしばらくの間、ひどい酩酊感に身を任せて鬱々とした思考を忘却の彼方へ追いやろうとした。

 ふと背後の障子が開く。

 小さな子が隣に立った。

 まだ中学年くらいの女児は、二階堂の裾を掴み言った。

「お姉ちゃん」

 酩酊した頭で記憶を探る。親族の挨拶で彼女も紹介された筈だ。

 真の従姉妹に当たる、その子の名前は。

 確か。

あかしちゃんだっけ」

「うん。あのね、お姉ちゃん」

「おう、どうした」

 証と目線を合わせる。円な瞳が真によく似ていた。

「くるよ」

「えっと、何が」

 証は答えなかった。その代わり小さな人差し指を境内へと向けた。

 その先には──

「真を送り出す夜くらい、静かにしてろよ」

 ──怪異が佇んでいた。

 会館の明かりを受けて闇夜の中でぼんやりと浮かぶ怪異が鋭く歯を剥き、這いずるように迫った。

 背子に呼びかけて紫電を纏う。

 狭い境内を駆けた。

 湧き出る怒りを指先に乗せて、怪異の頭部に触れた。

 そのまま貫いても構わなかったが、どうやら視えるらしい証の手前で、酷い光景を晒すわけにはいかなかった。

 背子の世界へ怪異を送り、踵を返す。

「っておい、拙いな」

 紫電の煽りを受けたのか、証が側臥位に倒れていた。

 側に寄って肩を起こす。

「すまない。大丈夫か、証ちゃん」

 冷や汗を感じながら証を揺すると、彼女は目を開けた。

「ああ、よかった。痛いところはないか?」

「うん、僕は大丈夫」

「そうか」

 安堵して吐息を漏らした。

 証が立ち上がる。

「それにしても。今時珍しい一人称を使うんだな」

 偏見はなかった。ジェンダーレスなんて呼ばれる現代だ。女の人称が僕だろうが俺だろうが個人の自由だろう。

「ああ、一人称なんて言ってもまだわからないか」

 頭を掻いた。

「わかるよ。自分を指す人称のことだよね」

「おお、賢いな。ずっと同じ人称なの?」

 なんとはなしに訊いて笑いかける。

 証は口角を上げて答えた。

「ううん、今、変えたの」

 その言葉の意味は酩酊した頭では上手く咀嚼できなかった。まだ幼い子が言うことだから、深い意味はないのだろう。そう思うことにした。

 証の幼い顔は障子から漏れる淡い光に照らされて、半月のように薄闇で浮かんでいた。

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異色膾炙 殊更司 @Boin

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