砂糖菓子の現実

高黄森哉

砂糖菓子の現実


 歩いていた。どうして、そんなことを、宣言しなければいけないのかわからない。でも、そういわないと、歩いていないような気がする。でも、今までにそんな風に感じたことは一度もなかった。だけど現在、俺はそうやって、まるで言い訳みたいに、歩いていることを宣言しないと、むしろ、嘘みたいに思える。


 それで、俺が歩く場所は道だ。当然じゃないか。でも、そうやって意識しないと、道でない場所を歩いてしまう、予感がしてならない。でも、常識的に考えると、そう考えずとも、もちろん、俺は道を歩いているはずなのに。


 植木があった。さて、植木があるにあたって、もう、あの思考はいいだろう。この変な感触は、受け入れるしかない。きっと一時的な精神病なのだ。そうに違いない。なら、かまってやる必要はない。


 植木の傍には、ブロックがあり、そのブロックは長方形に植木を囲んでいた。その、つまり、花壇のようなものだ。花壇に木が植わっているのは不思議だが、でも、そうとしか言いようがない。実際、こういうことは、良くあるのだから。


 そして、そのブロックは角砂糖のような表面だった。ブロック一つ一つが、爬虫類の肌のようであり、だから、それは長方形の爬虫類といっても、差し支えないのではないか。だからして、長方形の鈍器は、まさに怪物であり、人を殺すことが出来るのかもしれない。ブロックを触るとひんやりとしていて、やはり、それが、爬虫類であることが肌身に感じた。


 目線を上げると、電柱があった。電柱は空に突き刺さっていた。遠近感というのはいい加減なもので、それは、ただの思い込みでしかなく、その思い込みはずれこむことがある。俺にとって、世界はあまりにも小さく窮屈で、かつ、非常識に大きく、頭をぶつけてしまうものなのである。


 人が通りすがる。人はコンパスのように歩いている。前に足を振り出して、その反動で、もう片方の足を振り出しているんじゃないか、と思える。そう思うと、通行人という存在に、意思を見いだせなくなる。そう考えても、差し支えない。言い換えると、解釈という名の一側飛ばしを、自明の名のもとに、実行したくなる。


 分かってる。これは、明らかにおかしい。


 現実の均衡が乱れているのか、俺の中の虚構が先鋭化しているのか。世界は明らかに解釈を拒み始めていた。正しく見ようとすればするほど、世界が俺を無視して回っていることに、気づかされる。例えば、星を理解するために本を読み続け、視力を悪くして星が瞬かなくなった、少年みたいに。だから、すべての意味付けは困難と化している。


 頭の理解が、まるで、文学の比喩のように、現実感覚を欠いてしまっているのだ。すべてを分解して、意味を見つけるまで、狂気のように記述される、禅問答のように。嗚呼、ここ周辺は現実失調症を抱えている。それは、カリカチュアだ。世界の一部が拡大されて、そのままにされているカリカチュア。


 血走った目が血走った。血管が虹彩からひび割れのように四方へと延びる。瞳孔は散瞳してしまっている。白目は青く陶磁器のようで濁っている。俺はそれを意識で、見ている。そして、こうして、心に書き留めている。これぞ、リアリスムの極北だと叫びながら。


 ブロックの裏側が見える。そんなわけないのに。でも、見えてしまう。それは、物語で、ある人物の心が透けてしまうように。そして、そのブロックの構造が見える。角砂糖に似た繰り返し(そして、その繰り返し)。見える、己の心を拡大するように、見えないものに手が届く。


 植木と電柱が空に触れる。触れてはいけないはずの二つが、奇妙な接合を見せる。それは、わざとらしく行われる。でも、誰も気に留めることはない。人々は皆、それが現実だと信じているのである。


 コンパスは依然として弧を描きながら歩いている。しかし、完全な円を作ることは出来ない。なぜならば、彼らがコンパスである限り、それは、必ずしも、現実であり、現実に真円は描き出すことは出来ない。それなのに、彼はコンパスであることをやめず、くるくると、踊るように円を書いて見せる。それこそが現実なのだと嘯きながら。


 どうすればいい。そこが、問題だった。どうすれば、世界をもと道理に戻すことが出来るのか。真逆の向きに歩き出せばいい。どちらが前か、どちらが後ろか、目星をつけることは出来ないが、俺は、斜め縦に走り出した。


 それは、電柱の指さす方向だ。青空の奥の星々が、反転して、宇宙は星になり、星のところにだけ、ぽっかりと宇宙が作られた。その裏側が激しく明滅する。まるで、もともとの星みたいに。


 蟹歩きで、バスが歩いていく。彼らは窮屈な都市の隙間を縫って、さらに、その隙間を縫っていく。人々はバスから降りて井戸をくむ。でも、その井戸は空っぽで、なにも出てきやしない。ただ、空っぽの空気をくみ取るのみだ。


 どうすればいい、そこが問題だった。ここまでに、分解された世界を、俺はどう取りまとめればいい。虚構に毒されたとして、どうやって、逃げればいい。世界の意味を斜に切り込んで、その隙間から抜けられなくなったとき、どうやって、脱出すればいい。


 みてくれ。綿あめの電柱、夜の青空、カッターのクッキー、コンパスの毒針、墜落の飴玉、憂鬱な幸せ、自殺のザラメ、苦みの甘さ、殺人の水蜜桃。こうやって、世界は、僕を無視している。無視して別の意味を織り込んでしまう。それは虚構みたいに。比喩みたいに。そしてまるで、現実みたいに。


 それはむしろ、僕が世界を無視するからなのか。世界の檻は、逆向きの檻で、今いる僕の檻は、真実の大地なのか。世界は虚構の中か、それとも、虚構は世界の外側か。本を読み過ぎた。だが、わからない。世界はどうして、僕の周りだけ、虚構染みているのか。どうして、僕の周りにだけ、ご都合主義は存在せず、言い換えると物語が発生せず、不都合な展開ばかりが襲うのか。嘘だ。そんなもの虚構じゃないか。徹底的に虚構じゃなさ過ぎて、むしろ、現実性の原則を見失っている。


 とにかく、無視できない、現実への違和感が、今もこの体内で膨らみ続けて、俺の俺だけの、この世界を侵食している。これは糖蜜災害だ。虚構という砂糖菓子の糖蜜災害だ。心地よさに出したために、舟をこいでいたら、取り返しがつかなくなった。猫は木に登り降りられなくなった。搭は空へ向かい、逆さまになった。さあ、蛇口はどこだ。


 空を見上げると、己が、自分を見下ろしていた。四角い空がぽっかりと開いて、ここが、箱庭だと主張していた。荒廃したうつろな瞳が惑星のように浮かんでいる。そうだ、ここは箱庭だったのである。嗚呼、ここは、俺の俺自身の箱庭だ。俺の俺自身の箱庭。

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砂糖菓子の現実 高黄森哉 @kamikawa2001

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