第2話 巡り巡って

 寂れた商店街のはずれにある古びた喫茶店。扉には『岳GUKU』と書かれてある。

 申し訳程度の駐車スペースには、外装が傷み塗装もあせたスクーターが停められている。見る人が見ればイタリア製だとわかるだろう。

 ツタが絡まる枯れた雰囲気の喫茶店に、くたびれたクラシカルなスクーターはよく馴染んでいた。

 店内へと目をやれば、五席しかないカウンターと四人掛けテーブルが三つあるだけ。

 壁や柱には世界各国の名峰ポスターが張られており、入り口横のマガジンラックに納まっているのも山岳系の書籍が多く、化粧室扉横の書棚には登山をテーマにした名作漫画が揃えられている。

 元・山男だったという店長マスターの趣味が色濃く出ている内装だ。

 春も終わりな気怠い平日の午後、小さな店を埋める客層もそれにふさわしい陣容。

 店の主面ぬしづらしてカウンターの奥を定席にしている、いつ仕事しているのやらな私立探偵くろー。ちなみに表に停めてあるスクーターは彼の乗車だ。

 四人掛けテーブルのひとつには、どこか所帯じみた空気をまとっているという共通項がある妙齢の女性がふたり。

「それにしても困りましたよネー」

 ひとりは天然のふわふわ金髪に緑の瞳をした異邦人エトランジェ

 イントネーションにお国のものが混じるが、日本語での会話に不自由さを感じさせてはいない。

「ほんと。何とかならないものかしらねぇ……」

 相槌を打つのは気苦労が傍目にもよくわかる雰囲気の、熟れた肉体を持つ四十絡みの女。腰回りの豊かさを鑑みると経産婦なのは確かだろう。

「このままじゃ、うちつぶれちゃうよ」

「Woo、困りましたネー」

 注文済みの飲み物に少し口を付けただけで、向かい合って盛大なため息をつき合う。悩みがあるのが見え見えのふたり。

 商店街近くで子ども食堂を営んでいる後藤ごとう りんと、同食堂にて住み込みで働くフランス人シャルロット・デュボアである。

 ふたりのため息の原因、それは食堂の経営難。

 運営費と食材の調達がままならないことにあった。

 行政からの助成金は下りてはいるが、全てを埋め合わせるほどにはならず。

 食材についても商店街が支援してくれてはいるが、当の商店街そのものが斜陽でありとても無理を言える状況ではない。

「あーぁ、どっかに助けに来てくれる白馬の騎士はいないものかねぇ?」 

「マスター、なにかいい話、無いデすか?」

 眉間に皺寄せて天を仰ぐ凛、シャルロットはカウンターに向かって助けを乞うが、マスターは少し困ったような表情を浮かべて首を横に振るだけ。

「ンー。ワタシ、お店無くなったら行くとこないデす。夜の街、立たないといけなくなりますゥ」

 母国で日本人男性と恋に落ち、駆け落ち同然で日本にやって来て結婚したはいいが、生活習慣や伴侶実家での折り合いが悪く離婚。着の身着のままに近い状態で追い出されたため帰国しようにも航空券を買う金の持ち合わせもなく、彷徨っていたところを凜に拾われそのまま住み込みで働くようになったシャルロットである。

 どこまで本気か? 彼女の故郷・花の都では夜の街角に街娼があふれているとの風聞を耳にするのであながち冗談とも言えない。

 "彼女シャルロットが夜の街に立つようなことがありゃ、客は引く手あまたになるんじゃない? いや、むしろそっちの方が今より儲かるような……あ、いやいや"

 と、カウンターで聞き耳を立て、コーヒーを飲みつつ思ったりするくろー。もちろん口に出したりはしないけど。

「シャルくらい綺麗で若きゃそうやって生きていけるでしょうけど、あたしみたいにとうが経ってちゃ……」

「Oh、そんなことありません、凛さんきれいデすからモテモテ間違いなしネ」

 何か方向性のズレた不毛なことを口走りながら慰め合うふたりをよそに、

 "……凛さんは凜さんで熟女枠として十分に需要あるんだよね"

 と、再び不謹慎な思いを巡らせるくろーである。

 若くして夫と死別した後、娘ふたりを立派な社会人に育て上げた凛。本人に自覚はないが生活感に満ちた熟した肉体は、好事家にはたまらない女の魅力にあふれていた。

 商店街のむくつけオヤジどもの下心丸出しの会話をいくつも知っている身としては、つい突っ込んでしまいそうになるのをこらえる。

 仕事の関係で知り合った、大人向け映像作品製作業者たちから、

「子ども食堂の凜さんとシャルロット嬢、ふたり一緒で撮ってみたいもんだね。日仏美女の濃厚な絡み、こりゃ売れるぜぇ。その気がないか、くろーちゃんそれとなく訊いてみてくんない?」

 なんて言葉を、具体的な出演料込みで何度かかけられたことがあったりする。

 "……この様子じゃ、ギャラの提示されたらあっさり受けてしまうんじゃないかい? 半年に一本くらいビデオに出るだけで充分食堂の運営賄えそうだし……本当の本当にやばくなったら勧めるのもありかもしれんなぁ"

 と、ギャラの額を知っているだけに妙な考えを巡らせてしまうくろーである。

 カウンターに顎をのせてブツブツとくろーが妄想に走っている最中、やれやれといった風にマスターが動く。

「……陽菜乃ひなのちゃん、悪いけどひとつてやってもらえないかい?」

 マスターが声をかけた先、出入り口側のカウンター席の端にしゃなりと腰掛ける年齢不詳な絶世の美女あり。

 いつの間に来店していたのか? いや、いつから店に居たのか? 

 不思議な存在感を放つ黒ワンピースの女は、室内だというのに被ったままの黒レースを施したハットの下で紅を引いた唇で妖しく微笑むと、

「他ならぬマスターのお願いですもの、聴かない訳にはいかないわね」

 言うや、耳にしている真珠のピアスに軽く触れたあと、懐から小さな水晶球を取り出してなにやら小さくつぶやき、じっとクリスタルの輝きを見つめる。

 かけい陽菜乃ひなの

 知らぬ間に商店街に現れ居ついた、されど住所不定な年齢不詳の女占い師。

 よく当たると評判だが気が向いた時にしか占うことはなく、なおかつ神出鬼没なため依頼することすらまれな存在。

 耳に大きめの真珠のピアスをしていることと、くろーも斯くやな黒ずくめの古風なファッションに醸し出すどこか妖し気な雰囲気から、誰が呼んだか『真珠の魔女』

 そんな彼女にお願いしただけであっさり占ってもらえるマスター、一体何者か……?

 長い付き合いながら、マスターのうかがい知れない底の深さを改めて思うくろーである。

「――見えたわ」

 どれくらい時間が経ったのか? ほんの数分のような何時間もかかったような、そんな不思議な体感ののち陽菜乃が口を開いた。

「……安心してください。事態は良き方向に転がります」

 椅子を回転させテーブル席の方へ向き、心配そうなふたりへと柔らかな声音で告げる陽菜乃。

 よく当たるとはいえ具体的な指針もない占いの結果なのに、凛とシャルロットは心に巣食っていた不安が消え、よくわからない安心感が湧き上がるのを感じていた。

 なんだか絶対大丈夫。根拠なくそんな確信を抱いたふたり、どちらからともなく顔を合わせ、

「ン~なにか」

「上手く行きそうな感じ!」

 そして浮かべる満面の笑みに、先ほどまでの不安感は微塵も見受けられない。

「こうしちゃいられないわっ、バシバシ動かないとね」

「マスター、お代ここに置いときますネ」

 放置していた飲み物を手に取るやガバッと飲み干し、身の内側からの衝動に突き動かされバタバタと店から出ていくふたり。

 あっけに取られつつ去っていくふたりの背を見送ってから、視線を陽菜乃へと向け直すくろー。

「……た~いしたもんだわぁ~」

 くろーの賛辞に陽菜乃はふわっと微笑み返し、

「陽菜乃ちゃん、ありがとね」

 マスターの感謝には淡く頬を染めた。


 後日。

 凛とシャルロットが営む子ども食堂に運営資金の援助を申し出る企業白馬の騎士が現れ、当座の心配がなくなったことが商店街中に広まった。

 支援を請け負った企業の社長・花村はなむら りつは若いながら立身出世の人物で、児童養護施設の出身だという。

 援助の理由を問われた彼は、

「自分に似た境遇の子供たちを支えてくれる場所が困っていて、今の自分には助けることができる力がある。だから手を差し伸べた、それだけですよ」

 と、さわやかに答えたとか。

 彼の支援は凜たちのところだけにとどまらず、近隣の同じような施設に広げられたという。

 ちなみに花村氏に子ども食堂の件を伝えたのは、彼の会社に勤めている凜さんの上の娘さんで、母親の窮地を社会貢献に熱心な社長にダメもとで働きかけたのがきっかけだとか。

 また駅前のスーパーから、廃棄処分扱いになる食材の格安提供の申し出があった。

 プランを推し進めたのはパートから正社員となり、今は副店長を務める旧姓・秋野あきの あかりで、

スーパーうちは商材を無駄にしなくて済む、食堂さんは食材が手に入る。Win-Winじゃないですか」

 と言って朗らかに笑う顔には、かつての思いつめたような陰りはなかった。


 てな話を聞き、世の中案外と上手く巡るもんだなと、喫茶店の隅でコーヒーを啜りながら物思うくろーであった。

えんだねぇ……」


   ――完――

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世は巡る シンカー・ワン @sinker

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