心霊下請け業者の憂鬱 - 寺生まれの【治験】さんと闇バイトの【担当】さん

黄鱗きいろ

一つ目 洒落怖雑誌は蛇を語る

 殺風景な事務所に、男が三人いた。


 一人はスーツ姿のこの事務所の管理者、もう一人はこの事務所を訪ねてきた不審な客人、そして最後の一人は――来客用のソファで眠りこけるよくわからない男だ。


「お二人は、洒落怖しゃれこわってご存じですか?」


 ソファに腰を下ろして早々、話を切り出した客人を前に、事務所の管理者である【担当】は眼鏡の位置をかちゃりと直した。


 目の前の男は中肉中背。着ているのは皺だらけのスーツ。風貌の善し悪しで言えば可も無く不可も無くだが、小綺麗というよりは小汚い寄りだ。年齢は青臭さが抜けきらない三十代前半といったところか。


 直前に受け取っていた名刺を改めて確認し、【担当】は彼に胡乱な視線を向ける。


「月刊アトランティスの笹中琢也さん、ですか。うちは雑誌に関わるような大層なことはしていないただの下請けクリーニング業者ですが、一体何のご用です?」


 暗にただのセールスや冷やかしであるならば帰れという冷たい視線であったが、笹中は身を乗り出して饒舌に語り始めた。


「実はですね! 今回ご依頼したいのは先程も申し上げた洒落怖についてなんです。で、お二人は洒落怖ってご存じですか? ご存じではないのなら説明しますが」


「いえ結構です。一般的な定義については存じ上げております」


 ぴしゃりと拒絶すると、笹中はわざとらしいほどの媚びた笑顔になった。


「さっすがオカルト専門家は話が早い! とても助かります」


 専門家、などとお世辞を言われても嬉しくも何ともない。だが文句を言われるよりはマシなので、一応話は聞いてやろうと【担当】は名刺を懐に入れた。


 洒落怖とは、インターネット掲示板が発祥の創作怪談の総称だ。元々は単純に掲示板のスレッド名の略称であったが、有名な怪談の内容が一人歩きするうちに、その怪談自体を指して洒落怖と呼ばれる例も出てきたという経緯がある。


 しかしこの洒落怖を始めとする創作怪談というやつは、有名になればなるほど厄介なことになる性質を持っていた。


「こちらの『なんでもきらきらクリーニング店』さんは心霊絡みの下請け業もされているとお聞きしました。そこで! 今私が追っている洒落怖について心霊スペシャリストのお二人の見解をお聞きしたいのです」


「スペシャリストというほどのものではありませんが……ええ、まあ、聞いて差し上げてもいいですよ」


「ありがとうございます!」


 大げさに煽ててくる笹中に、【担当】はらしくもなく良い気分になる。了承を得たと判断した笹中はくたびれたビジネスバッグを漁り、何かを取り出そうとした。しかし――




「――ダメだよ」




 小さく、だというのに場を切り裂くような端的な一言。それは、今の今まで眠りこけていた青年――【治験】の声だった。


 ハッとするほど長身の男である【治験】はいつのまにか立ち上がり、左手では【担当】が『それ』を直視しないよう彼の目元を覆いながら、今まさに『何か』が取り出されそうになっていたビジネスバッグをきつく睨みつけている。


「ダメ。出さないで。それ、危ないから」


 よくわからないことを言う【治験】の気迫に、笹中は戸惑いつつもビジネスバッグから手を引き抜く。途端に【治験】はどこからともなく取り出した除菌消臭剤を二人の身体中に吹きかけた。


「うわっ、な、何するんですか!」


「消毒。ばっちいからね」


 一分ほどかけて満足がいくまで除菌消臭剤シュシュリーズを二人に噴射し終わると、【治験】は手を除菌シートで拭いながら言い放った。


「ん。ほんとは煮沸消毒したいけど、これで勘弁したげるね」


「そんなことされたら死にますが!?」


「んーそうだねー」


「そうだねーじゃなくてですね!?」


 危うく熱湯風呂に入れさせられるところだった笹中は抗議する。しかし、そんな貴重なご意見なんて気にする必要ないでーすとでも言わんばかりに、【治験】は再びソファに体を沈めて大あくびをした。


 リラックスした表情で眠そうにしている【治験】に不審者を見る目を向けた後、笹中は【担当】に囁いた。


「……何なんですか、彼は?」


「アルバイトの【治験】くんです。寺生まれでそれなりに便利なので雇っています」


 【担当】がしれっと言うと、【治験】は身を乗り出して、やけに幼い表情でムッと唇を尖らせた。


「そーなんだよ。【担当】くんったら、いつまでたっても正社員にしてくんないの。フルタイム勤務で残業もしてんのにさー」


「残業代はちゃんと出してるじゃないですか。労働基準法は守っています」


「うげー、闇バイトの元締めのくせに労働基準法とか言っちゃうんだ。こわー」


 口では怖がりながらも、【治験】はケタケタと笑う。そのどこか不気味な雰囲気に笹中は気圧されたようで、怯えを含んだ目でちらちらと彼をうかがいながらも【担当】に尋ねてきた。


「本当なんですね、こちらで闇バイトを斡旋しているという噂」


「闇バイトだなんて失敬な。法律を遵守したちゃんとした契約書を交わしていますよ。ただ、法律の庇護範囲にない怪奇現象によって、バイトくんたちが死ぬこともあるだけで」


 不穏極まりない【担当】の発言に、笹中はぞわっと身震いをして、化け物でも見るかのような目を、目の前の二人に向ける。【担当】は少しの間意味深に沈黙した後、唐突ににこりと笑った。


「……冗談です。真に受けないでください」


「え、ええ? はあ……」


「それよりも話を進めましょう。あなたは、僕たちに何を聞きたいんですか?」


 強引に話を切り替えた【担当】に笹中は釈然としない顔をした後、一度咳払いをして気を取り直したようだった。


「【担当】さんは、『蛇子箱へびこばこ』って怪談をご存じですか?」


 やけに得意げな表情で切り出した笹中に気付かないふりをしながら、【担当】は無表情のまま否定する。


「いえ、初めて聞きましたね。それも洒落怖なんですか?」


 すると、その反応が不満だったのか、笹中は憮然とした顔で続けた。


「ええ、まあ。マイナーすぎてあまり知られていない話なんです。スレッドへの書き込みも、7年前のこの一件だけで」


 そう言うと、笹中はA4コピー用紙に印刷された文章を手渡してきた。どうやら、スレッドの書き込みをコピーしたもののようだ。







 これは、俺がガキのころに実際に体験したことだ。


 20年も前のことだったか。俺は父さんと母さんに連れられて、ド田舎の村に帰省することになった。


 父さんと母さんはその村の出身だったが、田舎が嫌になって上京したクチの人間だったらしい。


 俺から見てひい爺さんにあたる人が亡くなったとかで、しぶしぶ村に戻ってきたっていう経緯だった。


 当然、村の連中は、村を捨てた父さんたちのことをあまりよく思っていなかったみたいだが、ガキだった俺が気づけるわけもない。控えめに言ってバカだったしな、俺。


 父さんの実家はクソでかいお屋敷だった。


 お屋敷に着くと、すげー怖い爺さんたちが出迎えてくれた。爺さんたちは俺のことをちらっと見て、父さんに何か言ったみたいだった。


「父さんたちは大人の話があるからな。お前は庭で遊んでなさい。でも、絶対に床下だけは覗くんじゃないぞ」


 なんでそんなことを言うのかって父さんに聞いたが、父さんはそれ以上なんにも教えてくれなかった。


 まあ、バカなガキだった俺がその言いつけを聞くわけないよな。


 俺は庭で遊んでるふりをして、屋敷の床下をのぞき込んだ。


 すると、そこにはものすごい量の蛇の抜け殻が散乱していたんだ。


 子供ながらにこれはヤバいやつだ、と一目で分かったが、俺はその奥に転がる小さくて綺麗な箱に気付いちまったんだ。


 俺は吸い込まれるように床下にもぐりこむと、その箱を開けてしまった。


 はっきりとした俺の記憶はそこで途切れている。


 ただ、もうろうとする意識の中で、偉そうな爺さんが父さんたちに怒鳴っているのは分かった。


「このアホタレ! 蛇子箱へびこばこを開けたんか! なんでそんなことした!!」


 父さんたちは泣き崩れて、俺のことを抱きしめているみたいだった。そんな父さんたちを見下ろして、偉そうな爺さんは言った。


「もうおしまいじゃ。この子を助けたきゃ、お前らのどっちかが犠牲にならにゃいけん。▲▲▲村にある■■神社に行け。トラックだけは貸したる。それが終わったらもう二度とうちに帰ってくるな!」


 そして、次に俺が意識を取り戻したのは、古びた神社の中だった。







 おや、と【担当】はそこで目を瞬かせる。コピー用紙には、それ以降の文章が印刷されていなかったのだ。


「失礼、文章が途中で終わっているようですが」


「はい。実はこれ、未完の怪談なんです」


 何が楽しいのかニコニコと上機嫌に笑いながら笹中は言う。


「掲示板に書き込まれた元の怪談はここまで。ですが、この数ヶ月になってちょっとずつインターネット上にこの怪談の続きにあたる噂が広まりつつあるんです」


「はあ、噂ですか」


 漠然とした話をする笹中に、【担当】はあまり興味のなさそうな相づちを打つ。笹中は声を潜めて身を乗り出した。


蛇子箱へびこばこの実物が見つかり、持ち主が次々に変死している――という噂がね」


 笹中は文字通り階段を語るような溜めを駆使してそう言ったが、対する【担当】の反応はあっさりとしたものだった。


「へえ、そうなんですね」


 真面目にとってもらえていないと思ったのだろう。笹中はムッと顔をしかめながら、再びビジネスバッグの中に手を突っ込んだ。


「それでですね、その蛇子箱へびこばこの実物がここにあるんですよ。すごいですよね? 見たいですよね? 出してもいいですよね?」


 先ほど止められたばかりだというのに、どうやらこの男はその蛇子箱へびこばことやらを見せたくて仕方がないらしい。


 【担当】はため息をひとつ吐くと、隣に座る【治験】に合図をした。


「【治験】くん、結界をお願いします」


「ええー、やーだーやだやだ」


 子供っぽく駄々をこねる【治験】。【担当】は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。


「【治験】くん」


「やだぷー」


「仕事ですよ」


「ぷいぷいっ、ぷっぷくぷー」


 どれだけ諭しても返ってくるのはかわいこぶった返事ばかりだ。【担当】はしばらく沈黙すると、苦々しい声色で言った。


「……一階のカフェの日曜限定スペシャルサンデーを奢ります」


「え!」


 途端にぱあっと目を輝かせ、【治験】は一枚の紙を取り出した。


「しょーがないなあー! 俺、最強で天才の寺生まれだし、やってあげようかなー!」


「はいはい、よろしくお願いします」


 彼の機嫌は山の天気よりも乱高下が激しい。気が変わらないようにと適当におだてると、【治験】は鼻歌交じりでマジックペンを取り出し、紙に文様を書き込んだ。


 中央に正方形。その四辺を守るように書かれた不動明王の梵字。


 四方を不動明王が塞いでいるだなんて、封じられる側からすれば四面楚歌を通り越してオーバーキルもいいところだが、これぐらいやっておくと「それっぽい」と評判だ。


 現に、目の前の笹中は流れるように行われようとしているオカルティックな儀式を食い入るように見つめていた。


 【治験】は手で印相をむすぶと、コンセプトカフェの店員のようなキュートなポーズを取って呪文を唱えた。


「寺生まれパワー充填! てらてらきゅーん!」


 そこは真言じゃないのかよ! もっとそれっぽいことしてくれないと取材にならないだろ! と顔面に書いてある笹中を前に、【担当】は密かに笑いを堪える。


 そういう真面目な除霊だとか儀式だとかは【治験】の専門外だ。なぜなら彼は「寺生まれの【治験】さん」。馬鹿馬鹿しい力づくな方法で数多の怪異の後処理をしてきた男なのだから。


「では。この紙の上に呪物を置いてください」


「えっ? あ、ああ、はい」


 しれっと話を先に進めると、馬鹿げた儀式に意識が行っていた笹中は慌てて自分のビジネスバッグから、古新聞で包まれた何かを取り出した。


 新聞紙には内側からじっとりと何かの液体がしみ出しており、その中に隠されているものが邪悪な物体らしいということを見事に演出している。


 わざとらしいほど慎重な手つきで、結界の中央にそれは置かれる。そして、果実の皮を剥くかのようにゆっくりと、新聞紙は取り払われていった。


「――これが、蛇子箱へびこばこです」


 古新聞にくるまれていたのは、手のひらに乗るほどの小さな木箱だった。


 色は沈んだ風合いの茶色。側面を一周するように継ぎ目があり、単純に上に引っ張れば蓋が開く仕組みになっているようだ。そして、その継ぎ目には、かつて何らかのお札が貼られていたであろう痕跡が、まるで剥がすのに失敗したシールの跡のように張り付いている。


 その見た目に【担当】と【治験】は思うところがあったが、その時点では何も言わなかった。なぜなら、自分たちはプロはプロでも商売のプロだからだ。


「中を開けますね」


 そう言うと、笹中はゆっくりと蓋を持ち上げて、その中身を二人に見せつけた。


 箱の中に詰め込まれていたのは、小さな白蛇の死骸だった。じっとりと濡れた質感のそれは――奇妙なことに自分で自分の尻尾を飲み込んでいる。


「……尾を食む蛇ですか」


「ええ、ええ! 実はこの蛇子箱へびこばこの作り方もネット上に広まっていましてね!」


 自慢げに語り始める笹中を、【担当】と【治験】は凪いだ目で見る。


「なんでも、蛇の尻尾に餌を縫い付けて狭い箱に閉じ込めるんだそうです。飢えた蛇は自分の尾についた餌に気付いてそれを丸呑みにする。しかし餌と尻尾は縫い付けられているので、自分で自分を飲み込み続けるしか無い、とそういうことらしいです」


 笹中はペラペラと語り、最後にやけに挑戦的な目で二人を見てきた。


「で、お二人はこれ、本物だと思いますか?」


 【担当】と【治験】はそれを正面から受け止め――同時に大きなため息をついた。


「ばーかばーかばーーか。おじさんホントばか」


「は? ええ?」


 子供っぽい語彙で【治験】に詰られ、笹中は目を白黒とさせる。【担当】はうんざりとした雰囲気を隠しもせずに、眼鏡を押し上げた。


「そもそもですね、怪異というやつは素人の皆さんが想像している以上に厄介なものでして」


 まるでろくでもないことを繰り返す生徒を叱る教師のような、怒りと諦めが入り交じった【担当】の眼差しが笹中を射貫く。


「創作怪談や都市伝説というものは、最初はフィクションでしかありません。ですが、それが集団に伝播することによって、存在の在り方を補強され、いつしか怪異として【本物】になってしまう」


「【本物】、ですか」


「大多数が【有る】といえば【有る】ことになる。たとえ、その始まりがただの作り話である洒落怖だとしてもね。不特定多数に伝染し、一定の概念を獲得した情報ミームこそが怪異である……と言えば、少し科学的に聞こえますか?」


 科学と常識を子守歌にして育ってきた一般的な現代人でも分かるように、それっぽい語彙で【担当】は言う。しかし、笹中の反応は困惑の表情でしかなかった。


 【担当】は不快であるということを見せつけるように大きく舌打ちをすると、目の前の男をにらみつけた。


「伝わりませんでしたか? 面白半分で余計な仕事を増やさないでくださいと言ったんですよ。この洒落怖をでっちあげた張本人の笹中琢也さん」


 笹中は目を見開いて、息を呑んだ。


 自白しているも同然のその様子に、【担当】はうんざりと顔を歪めながる。 


「気付かれないと思いましたか? 残念ながら洒落怖は我々の業界では義務教育レベルの基礎知識なんです。過去のスレッドは全て確認していますし、現行のスレッドも定期的にチェックしています」


「そーそー。そのログ取るのもバイトの俺の仕事なんだよねー」


 関係がありそうでない茶々を入れてくる【治験】をしっしっと追い払い、【担当】は据わった目で笹中を見つめる。笹中は口の端を引きつらせた。


「……最初から、気付いていたんですか」


「おおむねは。ですが笹中さん。あなた、とんでもないことをしましたね?」


「え?」


 意表を突かれた笹中は間抜けな表情で声を上げる。【担当】は、わざとらしいほど深刻な空気を纏ってゆっくりと語りかける。


「あなたは怪談を創作し、そこに登場するアイテムまで作ってしまった。ご丁寧にも、本物の蛇を使って。……残念ながら、これは立派な呪物です。持つ者に害を及ぼしますし、最悪の場合――命まで奪うことになるでしょうね」


「はっ、はあ!?」


 素っ頓狂な声を上げ、笹中は慌てて立ち上がる。そんな彼を二人は冷めた目で見上げた。


「そ、そんなのおかしいだろう! だって、蛇子箱へびこばこは俺が作ったただのフィクションで……!」


「言ったでしょう。フィクションが伝播すると本物になると。この怪談はネット上に広まりつつあると、あなたは先ほど言っていたじゃあないですか」


「そ、それは……」


 徐々に青ざめていく笹中の顔色に、あと少しだと【担当】は真面目な顔を作る。まるで、淡々と事実を告げる裁判長のように、残酷に。


「いいですか。多くの人間に語られた怪談は、本物の怪異になる。これは――本物の呪物です」


 窓も開けていないのに風がぶわりと吹き、三人の髪を揺らす。蛇子箱へびこばこを包んでいた新聞紙が風を受けて、かさかさと音を立てる。壁にかけられた時計の秒針がやけにうるさい。――その雰囲気に飲まれた笹中は狼狽しはじめた。


「じ、じゃあ、本当にこれを持ってたら俺は……!?」


 その問いへの答えのように、二人の唇は薄く笑みの形を作る。


 それが最後の一押しだったのか、笹中は半狂乱になって、床に土下座した。


「た、頼む! なんとかしてくれ! 面白半分でやっただけなんだ! 死にたくない!」


 ほとんど悲鳴のようにまくしたてる笹中の後頭部を【担当】は無言で見下ろしていたが、ふと片手を挙げて【治験】に合図をした。


「【治験】くん」


「はぁい」


 間延びした返事とともに【治験】が事務所の奥に引っ込んでいき、書類ラックから一枚のラミネートされた用紙を持ってくる。


「こちら、当店の料金表になりまーす」


 笹中に差し出されたのは、法外な値段の書かれたメニュー表だった。やけにポップな字体で並べられたコース名に、笹中は食い入るように目を通す。


「おきがる厄除けコース、じっくりお祓いコース等々ありますがぁ……お客様にはこちらの徹底お焚き上げコースがオススメかと?」


 妖艶な響きを含んだ【治験】の声が耳元で響き、もう訳が分からなくなった笹中は泣きながら何度も首を縦に振る。


「そ、それでいい! それでいいから、さっさとこれを処分してくれぇ!」


 パニックになった笹中の懇願が事務所に響く。


 【担当】と【治験】は、それまでの不穏な雰囲気が嘘だったかのように、にこりと嬉しそうに笑った。


「はーい、徹底お焚き上げコース十万円、ご契約ありがとうございまーす!」






 数時間後。


 規定の料金を支払った笹中は、青白い顔で逃げるように去っていった。もし、霊障があるようであればまた来るようにと言ったので、リピート客になることを願うばかりだ。


 一方、くだんの呪物はというと――【治験】によって、殺菌漂白剤を溶かしたバケツの中に沈められていた。俗に言う、浸け置き洗いというやつである。


「しつこい汚れケガレにはこれが一番なんよねー」


「全くです」


 分厚いビニール手袋をした【治験】がぼちゃぼちゃと漂白剤を追加し、バケツの中から壊れた玩具が発するようなノイズ混じりの呻きがか細く聞こえてくる。


「でも【担当】くんも性格悪いよねー。これ、一般的な耐性の人間ならびくともしないザコザコ呪物じゃん」


「あなたが最初に大げさに反応してくれたおかげですよ。そこは感謝してます」


「いや、あれはマジの反応」


「え?」


 バケツから顔を上げ、【治験】はあきれた表情になった。


「【担当】くんさあ、自分が何に憑かれてるか忘れちゃったわけ? ザコザコ呪物とはいえ、同類が目の前に来たせいで、朽ち縄くちなわちゃん全身の鱗逆立ててたんだけど」


 ひょいっとバケツを混ぜていた棒で、【担当】の背後を【治験】は指し示す。言われてみれば、首の後ろにぴりぴりとした視線が注がれているような気がした。


「……今度のお供え物、奮発すべきですかね」


「ん、そうしたほうがいいよ。俺にもプリン追加ね」


 バケツの中の呪物が、最後の抵抗のようにどす黒い靄を吐き出す。しかしそれは、市販の漂白剤によって一瞬で浄化されたのだった。



一つ目 おしまい

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