二つ目 アルバイターは伝説を見る
闇バイト。
多くの場合、結果的に犯罪に悪用される、法律ギリギリセーフ、もしくはギリギリアウトの単発アルバイト。
そのリスクと引き換えに一日で多額の報酬を得られることから、怠惰な学生や、借金等で追い詰められた人間が集まるクズの掃き溜め。
そんな人生のゴミ箱のような場所に、今、僕は流れ着いていた。
「えー、畑野智也さん。志望動機は、最近付き合いはじめた恋人の母親が難病で高額の手術費用が必要になったため――で間違いありませんか?」
「はい……」
夕方の繁華街。恋人に指定された場所に行くと、薄汚れた白のバンが路肩に止まっていた。そしてその横に謎の看板を持って立っていた女性に声をかけたところ、履歴書の提出を求められたというわけだ。
闇バイトの仲介人らしき彼女は、僕の履歴書を再度まじまじと確認した後、一枚の紙が挟まったバインダーとボールペンを手渡してきた。
「そちらが契約書です。よく確認してからサインをお願いします」
「は、はい」
闇バイトにも契約書があるのかと少し驚きつつも、その内容に目を通す。
業務内容:清掃
勤務時間:21時~05時
報酬:日給20万円
制服:貸与
備考:いかなる事故が起きたとしても当社は責任を負いかねます
要約するとそのような内容が、小難しい文章で書かれていた。
「あのー……質問してもいいですか?」
「何でしょう」
「この清掃ってもしかして、死体を片付けるとかじゃ……」
こんな深夜限定の仕事、それも清掃としか書かれていないものなら、何らかの訳ありな場所の清掃であることは間違いない。例えば、アウトローな方々が暴力的なインタビューを行った部屋の後片付けだとか――
そんな懸念を口にすると、彼女は表情を一切変えずに言った。
「ああ、そういった案件をご希望ですか」
「えっ」
「冗談ですよ。そのような法に触れるようなものではありません。我々はクリーンなアルバイト仲介業者なので」
「はあ……」
こんな怪しい場所で書類をやりとりしておいて何を言っているのかとも思ったが、これから雇い主にあたる人物なので口答えはできない。
「清掃の内容ですが、公共物の壁に書かれた落書き消しですよ。ちゃんとお役所の方から依頼されたものですのでご安心を」
「そうなんですか……?」
当然納得できず猜疑の目を向けたが、彼女は涼しい顔だ。
「あなたはすぐに大金がほしいのでしょう? であれば多少の危険は覚悟していただかないと」
「やっぱり危ないんですね……」
「ええまあ。規則に従っていただければ命だけは保障しますが」
次々に飛び出る不穏なワードに、ここに来るまでに固めてきた覚悟が揺らぐ。
しかしそんな僕の都合なんか知ったこっちゃないと、彼女はこちらに険しい目を向ける。
「で、契約するんですか? しないんですか?」
「……します。恋人のためなので」
僕は頷くと、決意が鈍らないうちに書類にサインをした。それをしっかりと確認し、女性はバンのドアを開ける。
「私のことはどうぞ【托卵】とお呼びください」
「た、たくらん?」
「偽名です。名前を取られると厄介な業界なので。車に乗ったらこちらのアイマスクをつけてください。目的地に着くまで決して外さないように」
「はあ……」
事務的に話を進める【托卵】に戸惑いつつも、僕はアイマスクを受け取ってバンに乗り込む。
バンの中にはすでに若い男女が三名乗っていた。どうやら僕と同じく闇バイト参加者のようで、彼らはアイマスクをすでにつけている。
続いて【托卵】も運転席に乗り込み、バックミラーごしに僕に視線を寄越した。
「アイマスクを」
「は、はい!」
指示に従い、アイマスクを装着すると、滑るようにバンは走り出した。視界を封じられているせいで、真っ暗闇の中、エンジン音と清掃道具がトランクで揺れる音しか聞こえてこない。そんな緊張がありつつも退屈な時間を過ごしているうちに、いつしか押し寄せてきた眠気に負けて、僕は眠り込んでしまったようだった。
「……おい、起きろ、起きろって!」
「うわっ!」
隣から揺り起こされ、慌てて僕は目を覚ます。アイマスクを取ると、チャラそうな雰囲気の男がこちらをにらみつけていた。
「お前がどかねえと、俺が降りられねえだろうが!」
「す、すみませんー……!」
ほとんど蹴り出されるように車外に出ると、そこは鬱蒼と生い茂る森の中だった。一応アスファルトで道は舗装されているようだが、適切な整備はされていないようでひび割れている箇所が多い。そして道の先、そびえ立つ山腹にはぽっかりと空いた穴があった。
それは、どこからどう見ても遠い昔に放棄された廃トンネルだった。
【托卵】に指示されるまま清掃員の制服に着替えると、僕を含めたアルバイト四名は廃トンネルに向かい合う。
「今回の仕事は、トンネル内の落書きの清掃業務です。注意事項は一点。――赤色の線を踏み越えないこと」
重々しく言われた【托卵】の言葉に、隣に座っていたチャラい印象を受ける男がひらひらと手を上げる。
「すんませーん、赤色の線ってなんすか?」
「そうですね、危険性の周知のためにも伝えておきましょう。一言で言うと、黒魔術の魔方陣です」
「はああ?」
アルバイト全員の感情はその瞬間、一致していた。
何を言ってるんだ、このイカレ女、だ。
しかしそんな罵倒を内心抱かれていることなんて一切気にせず、【托卵】は淡々と続ける。
「このトンネルは元々心霊スポットとして知られていたのですが、そこに目をつけたカルト教団が異界の扉となる魔方陣をこのトンネルに描いたのです。それ以降、このトンネルは異界への入口になってしまった……という次第です」
アルバイトたちは目を見合わせると失笑した。馬鹿馬鹿しいという感情の共有だ。もしかしたら、ほんの少し浮かんだ恐怖をかき消すための強がりも含まれていたのかもしれない。
当然、僕も彼らと同じような反応をしたかったのだが、なんだか嫌な感じがして茶化した態度を取ることができずにいた。
あの吸い込まれるほど真っ暗なトンネルから、異様な「何か」の視線を感じる気がして。
「信じるも信じないもあなた方の自由です。あなた方の仕事は、指示のあった場所の落書きを指示の通りの順番で消していくこと。それだけです」
気が強そうな【托卵】によってぎろりとにらみつけられ、僕たちは沈黙する。
「他に質問はありませんね? では行きましょう」
【托卵】の号令によって、僕たちは清掃道具をそれぞれ持ってトンネルへと足を踏み入れた。
トンネル内の壁には、隙間がないほどびっしりと落書きが残されていた。卑猥な図柄から、ラブラブカップルらしき書き残しから、一種のアートかと思わせる見事なものまで。
「ケッ。こういうとこにラブラブアピール残すような奴なんて長続きしねーよ!」
「同感だな。気持ち悪い」
「私はどうでもいいですかね……」
僕以外の三人がそんな雑談を始めている中、僕は押しつぶされそうな「何か」の圧力を確かに感じ始めていた。まるでひどい日焼けの後のように肌がぴりぴりと痛み、体の底から震えがこみ上げてくる。ここには、絶対に「何か」がいる。
結果的に一人だけビクビク怯えながらトンネルを歩くことになった僕を見て、他の三人はゲラゲラと笑っていた。彼らは本当に、この「何か」の気配に気づいていないのだろう。
「止まってください。……これが、今回消してもらう落書きです」
彼女が指さす先には、赤黒い三本の線が引かれていた。線はトンネルの壁と天井と床をぐるりと一周して円の形になっており、確かに言われてみれば異界につながる通路の印のようにも見える。
「カルトの人たちは、何のために異界の扉なんて……」
「その線の向こう側にいる「神」に、生贄を捧げるためだそうですよ」
僕の独り言に、彼女は平然と答える。周囲はまた失笑したが、僕は震え上がってトンネルの奥を見た。
この奥に「何か」がいる。そんな直感がびりびりと体に警鐘を鳴らしていた。
「こちらから見て一番奥の線から消してください。ただし、決して三本の赤線を踏み越えないように」
「い、一番奥から?」
「はい、一番奥からです。手分けして天井もよろしくお願いします」
三本の線は決して太くはなかったが、それでも一番奥の線となるとかなり無理な姿勢ではないと掃除道具が届きそうにない。腰を痛めそうだ。
「説明はここまでです。では私は少し戻って、遅刻組を迎えに行くので」
そう言い残すと、【托卵】はさっさと元来た道を戻っていってしまった。残されたアルバイトたちに、僕はなんとか笑顔を作って話しかける。
「あ、はは……じゃあ、掃除始めます?」
「チッ」
「めんどくさ……」
「やりますかあ……」
いまいちやる気の感じられない面々だが、仕事は仕事だ。ただ掃除をするだけで二十万円がもらえる仕事なんて他にはない。疑問や不満を報酬というメリットで押さえ込み、僕たちは掃除道具を手にして作業に入った。
支給された洗剤とブラシでこすると、少しずつではあるが赤黒い線は消えていった。だがそれとともに、徐々に洗剤に混じって鉄の匂いが漂い始める。
全員の頭に嫌な予想が浮かんだあたりで、耐えきれなくなった僕はぽつりと言った。
「あの……これ、もしかして血で描かれたんじゃ……」
「……バッカじゃねえの!? お前ら、本気であの女の言うこと信じてんの? なあ?」
「ああ、ただのたちの悪い悪戯だろ」
「ですね……絶対そうです」
そうは言っても不安は払拭できず、しかも無理な姿勢で掃除をさせられているせいでフラストレーションがたまっていく。雇い主の【托卵】が不在にしていることもあって、数十分経ったころにそれは爆発してしまった。
「あああー! めんどくせえ! なんでこんな面倒な消し方しなきゃいけねえんだよ!」
声を荒げたのはチャラい雰囲気の男だった。アルバイトたちはそんな彼を見て、口には出さないが同意する。周囲の反応を見たチャラ男は、にやりと笑うと僕たちに提案した。
「なあ、みんな。一緒に線を越えて向こう側から消しちまおうぜ。どうせあの女は見てないんだからバレねえって」
「ああいいな、そうしよう」
「バレませんよね……」
僕同様にじっとりとした疲労を感じているであろう彼らは、あっさりと楽な方法へと飛びつく。最後に残された僕は、ちらりとトンネルの奥を見ると、支給されたデッキブラシを握りしめて答えた。
「僕は……止めておきます」
「チッ、ビビり野郎がよ。おら、みんなやるぞー」
僕を罵倒しながらも、チャラ男は平然と線を踏み越える。続いて残りの二人も線を越えた。
「ほら見ろ、何にも起きねえじゃねえか。あんなイカレ女の言うことなんてデタ――らラ?」
ごう、と空気を薙ぐ音が聞こえ、次の瞬間、チャラ男の上半身は消し飛んでいた。シャワーのように血を吹き出しながら崩れ落ちていく彼の下半身を見て、アルバイト二人が悲鳴を上げる。
「きゃあああああ――ああ、あがあ!?」
「や、やめ、やだやだやだっ、あああ……ぎっ!?」
目の前で残り二人の体の一部が欠損し、中途半端に悲鳴を途切れさせて体が倒れる。彼らという食べ残しは舐めとられるようにさらに捕食され、僕は腰を抜かしてそれを為した「何か」を凝視する。
うねうね、うねうね、と。
波打ちながら押し寄せる名状しがたき輪郭が蠢いてこちらを見て触手が獲物を生贄を探して浮かび上がる正気と狂気の狭間の光り輝く御身が星の外側から降臨する神々しくくく悍まししい肉塊がねね粘液がぼぼ僕を僕を、ああ、壁に! 壁に――!
「――頭、下げてーっ!」
その言葉を認識できたのは奇跡と言っていい。慌てて仰向けに倒れることによって僕は頭の位置を下げる。その上を駆け抜けていった人影は――バケツに入った液体を「何か」にぶちまけた。
「殺菌漂白柔軟剤! 洗濯水使い回しアターック!」
正気に戻った僕の視界で堂々と立つのは背が高い金髪の若者だった。いや、若者だろうか? 姿形は間違いなく若いのだが、どこか妖艶な色を含んだ瞳としなやかな体躯のせいか、百年を生きる魔物のようにも見える。いやいや、そんなはずはないのだが。
対する異形の「何か」は、ただの洗剤をぶちまけられただけだというのに、まるでフィクションでよくある「聖水をかけられた魔物」のようにもがき苦しんでいた。何なんだ。
「ふはははは! お掃除の星からやってきた聖戦士、寺生まれの【治験】さん、ここに参上!」
「適当な口上をしないでください、恥ずかしい」
のろのろと後ろから現れたのは冴えない印象を受ける眼鏡をかけた男性だ。その手には小型の高圧洗浄機が握られている。
「やっぴ、新規バイトくん! 遅れてごめんねっ! こっちの【担当】くんが気持ちよく昼寝してたから起こすのもどうかなって思ってさー」
「は、はあ」
こちらに向かってバチンとウインクをしてくる【治験】に生返事しか返せない。【担当】は気まずそうにごほんと咳払いをした。
「無駄口を叩いている暇があるならさっさと仕事を終わらせてください。助太刀は必要ですか?」
「要ーらねっ! あ、でも朽ち縄ちゃんはどう? オヤツに食べとく?」
【治験】がひょいと視線を上げると、【担当】の背後に巨大な大蛇が姿を現した。複雑な紋様やしめ縄を身に纏っており、時間や場所が違えば神々しい存在に思えたのだろうが、今はパニックを引き起こす要因にしかならない。
「ひ、ひぃいい!」
悲鳴を上げながら這いずって逃げようとする僕のことなんか一切気にせず、大蛇はシューシューと音を立てて【治験】に何かを話しているようだった。
「彼女は何と?」
「天日干しにしたら、いい酒のつまみになりそうだって」
「はあ、天日干しにできそうなサイズなんですか?」
「ゲソの先っちょだけならなんとか?」
「では持って帰りましょう。……車が生臭くなりそうですが」
まるで釣りの成果を持ち帰るか否かを話し合うかのようなほのぼのとしたやりとりの後、【治験】は高圧洗浄機を構えてキリッとした。
「うおおお食らえ! 寺生まれ必殺、聖なる高圧洗浄機ィ!」
明らかに正規の製品では出ないであろう猛烈な勢いで、洗剤まじりの水が噴射される。それを正面から食らった「何か」は悲鳴を上げた。
洗剤って邪神にも効くんだー。なんか、あれだ。こういうゲームあるよ。人気の対戦ゲームで。
そんな現実逃避をしているうちに「何か」のHPは順調に削れたらしい。悲鳴を上げながら触手が次々にトンネルの奥に引っ込んでいく。
「よっし、じゃあそろそろドロップアイテム剥ぎ取りますかっと」
そんな独り言を言うと、【治験】はズボンのポケットから龍が巻き付いた剣のキーホルダーを取り出した。観光地の土産物屋によくある、小学生男子が修学旅行で絶対にほしがるあれだ。
「いでよ、梵字丸、省エネモード! 化け蛸退治だ!」
【治験】のかけ声に反応してキーホルダーは神々しい光を纏う。とはいえ形はパチモンキーホルダーのままなので間抜けな見た目であるという事実は変わらない。
「寺生まれパワー、バフバフエンチャント! オンバサラヤキシュウン! 破ァ!」
――ずばん。
【治験】の振り下ろした一撃によって、「何か」の触手が一本切り落とされる。トンネルの奥からけたたましい悲鳴がとどろき、「何か」は逃げるように姿を消す。残されたびちびちと跳ね回る触手にさらに「えいっ」と一撃を入れてとどめを刺し、【治験】は一仕事終えた顔で爽やかに息を吐いた。
――寺生まれってすごい。僕はそう思った。
「いやー、終わった終わった。【担当】くーん、俺の八面六臂の大活躍、見ててくれたー?」
「まだ終わっていませんよ。ついでにここの清掃業務も手伝ってほしいとのことです」
「ええー。契約外じゃないの?」
「【托卵】さんが業務委託してくださるそうです。本来この仕事を行うはずだった人員が減ってしまったようなので」
「ふーん?」
とんでも能力バトルが繰り広げられている間に、いつの間にか戻ってきていた【托卵】が【担当】と大人の話をまとめていたらしい。短時間の間に非常識的なことが起こりすぎて現実逃避をしていた僕だったが、本来自分の仕事である清掃の話が出てきて慌てて立ち上がった。
「あ、あの! 僕はどうすればいいでしょうか!?」
うわずった声で尋ねると、【托卵】と【担当】は今僕に気づいたという様子できょとんとすると、顔を見合わせてひそひそと話し始めた。
一方、【治験】はとことこと近づいてきて僕の顔を覗き込んでくる。
「ん? んー……?」
「ひえ……」
近くで改めて見るととんでもない美形の青年だ。睫毛はバサバサだし、一挙一動が色っぽい。ドキドキと跳ね回る鼓動を押し隠して硬直していると、不意に【治験】は僕から離れて二人に振り向いた。
「この子、大丈夫だよ。禁を犯してない」
「そうですか。運が良かったですね」
「記憶を飛ばしておきますか? 妖精の粉を使って」
「んー……でも俺、勤勉な子は報われるべきって思うんよねー」
あーでもないこーでもないと不穏なワードが入り交じる会議が行われ、数分後に結論は出た。
「じゃ、一緒に落書き消そっか! 俺、寺生まれの【治験】! おにーさんの名前は?」
「えっ、は、畑野です、畑野智也」
「ふーん、普通の名前だね! はい、清掃道具! 高圧洗浄機の使い方分かる?」
もうどうにでもなれという投げやりな気分で僕は清掃業務に励むことにした。意外にも【治験】はバイトの先輩としてかなり面倒見が良いほうであるらしく、教え方は丁寧だし、ちゃんと出来たら褒めてくれた。
後々から考えればきっと吊り橋効果というやつだったのだが、一時間も経つころには僕はすっかり【治験】に心を許していた。
「あの……いつもこんなことをしてるんですか?」
「まーねっ。色々あってこの業界でしか生きられなくなっちゃってさー」
「大変なんですね……」
手を動かしながらの雑談に、月並みな感想を返す。【治験】は気分を害した様子もなく、ケラケラと笑った。
「畑野くんも大変そうだよね。だまされやすいってよく言われない?」
「え?」
きょとんと目を丸くすると、【治験】は急に難しい顔になって、んーと唸った。
「そうだなー。ちゃんとお仕事してくれる子珍しいから特別におまじないかけてあげんね。手出して」
「え、ああ、はい……」
素直に右手を差し出すと、【治験】は僕の手のひらに指で何かの模様を描いた。もしかしたら梵字というやつかもしれない。
「寺生まれパワーテラテラー。畑野くんの悪縁が切れますようにっ」
パチッと何かがはじける感覚がして、指先がじんわりと温かくなる。自分の手を見て疑問符を飛ばす僕に、【治験】は悪戯っぽく笑った。
「これからは悪い女に捕まっちゃダメだよー?」
こうして僕の、初めての闇バイトは終わりを迎えた。
来た時と同じように【托卵】の運転するバンに揺られているうちに、疲れと徹夜の眠気によって寝落ちをして――気がつくと、出発地点である繁華街に到着していたのだ。
「こちらが今回の報酬です。どうぞ、今後ともごひいきに」
それだけを言うと【托卵】はバンに乗り込んで朝方の街に消えていく。僕は二十万円が入った茶封筒を握りしめて、消えゆくその姿を見送っていた。
後日談としては、僕の恋人だと思っていた人が実は詐欺師で警察に捕まったということと、ネット掲示板でまことしやかに囁かれている「寺生まれのTさん」という存在に既視感を抱いたということがあるが――それはまた別の話である。
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