私は主役なんかじゃないっ!

@Kel_GRAD

幽霊少女は首を吊る

「自分の人生の主役は自分だ」


そんな言葉をどこかで聞いたことがある。

でもあれは正直嘘だと思う。

私の人生は、青春真っ盛りの高校一年生の割にはちっとも輝いてなんていないから。

部活動に入ってないから、汗水垂らす熱血展開とかはない。そばかすだらけの垢抜けない顔だし、そもそも人と話すのが苦手だから、彼氏なんかも当然いない。

ないない尽くしのひどい青春だ。ちょっとでいいからリア充の血肉をむしりとらせてほしい。

こんなつまらない人間には、つまらないストーリーがお似合いだ。無作為に日々を過ごして、特に意味もなく死ぬ。人生ってそういうものだと思ってた。今日もきっと、そんな人生の一部を淡々と過ごすんだと思ってた。


教室の端に吊るされた、彼女の死体を見つけるまでは。


彼女とはほとんど関わった事が無かった。名前は確か、狭山 雫さやま しずく、だっけ。

いつもボソボソした陰気な喋り方と、長く縮れた髪の毛のせいで気がつかなかったけど…こんなにも、美しい顔をしていたんだ。

元から白かった肌は、まるで全ての生気を絞り出したかのように青白くなってしまっている。陶器のように滑らかなまぶたは、もうきっと開かれる事はない。

彼女の首と窓枠を繋ぐーーー荒々しいロープによって。

「…うわあああぁぁっっっ!!!」

ようやく我にかえった私は、弾かれたようにその教室から飛び出した。

死体を見た。しかも一時間ほど前には会話していた人間の。

たまらず、私は走り出す。何か意味があっての行動じゃない。死体を目撃してしまった恐怖に駆られて、ただただ逃げ出しているだけだ。

「なんで…なんで…!なんでこんなことにっ!」

突き当たりの階段まで走ったところで、私はようやく立ち止まる。しかしいくら落ち着こうと試みても、彼女の姿がまぶたの裏側に焼きついて離れなかった。

それでも、頭だけはどうにか動かそうと試みる。

おかしい。どうしてこんなことになっている?あんな教室の端っこに、何でクラスメイトの死体が吊るされている?誰がやった?まさか自殺?

一気に考えても仕方がない。とりあえず、こんな事になったきっかけを思い出さなきゃ。

集中して、一から記憶を辿っていく。この事件が起こるまでに何があったのか。誰と関わったのか。糸を辿るように、一つずつ思い出していく。

思い出せ、今日の日のーーー何にもなくて、平和だった時間を。


私が通う遠宮高校には、キラキラした人間がいっぱいいる。制服は地味だしメイクも禁止されてるけど、そのかわりに眩しすぎるほどの「リア充っぽさ」が学校中に満ち溢れていた。

「ねぇタクミくん、来週の文化祭の出し物なんだけどさ。もしよかったら大食い競争とかにしてみない?わたし、自信あるんだ~!」

「あはは…ミモトはいっつも食いもんのことばっかだな。そんなに食ったらすぐ太っちまうぞ?」

キリっとした目つきの男子と、少しぽっちゃりとした女子が楽しげに笑いながら話していた。腕を組んでいる所を見るにカップルか何かだろうか。

彼らだけではない。他の生徒達も、もうすぐ始まる文化祭の準備などで盛り上がっているようだ。放課後になったというのに、誰一人帰る様子がない。

そりゃそうだ。高校生活最初にして最大のイベントなんだから楽しくなって当然だろう。

今の時期に盛り上がっていない人間なんて…

ーーー私達くらいしか、いない。

「はぁ~っ…なーんでこんなお祭り程度で騒ぐんだか…。こんな田舎町の文化祭なんかどうせ大したことないでしょ?」

忙しなく歩き回る生徒達をぼーっと眺めながら、この私…八坂 葵やさか あおいは何度目かも分からない悪態をついた。

「まぁまぁ葵ちゃん、そんなに言わないであげて?もしかしたら文化祭もけっこう楽しいかもよ?」

おどおどとした口調で私を窘めるのは、友達の柊 茉子ひいらぎ まこだ。彼女はおしとやかで優しい性格なのに、内向的な性格が災いしてか、私たちと同じような「パッとしない系女子」の一員になっている。クラスカーストとはつくづく理不尽なものだ。

そうやってダラダラと非生産的な会話をしている私達の元へ…ボサボサの黒髪を垂らした女子生徒が、ゆっくり近づいてきた。

ちょっと俯いてるのもあって、長髪に隠れて顔がほとんど見えない。某ホラー映画の井戸から出てくるあの人にそっくりだな、と思ってしまった。

「…あの…八坂さん…だよね?ちょっといい、かな?」

聞こえるかどうかギリギリのラインの声量で、彼女はぶつぶつと話しかけてきた。

「な、なに?何か用?文化祭の仕事か何かあったっけ?」

スルーしたくなるのをなんとか堪え、ちょっとぶっきらぼうになりつつもどうにか返事できた。陽キャに話しかけられるのも緊張するけど、この子と話すのはまた別のベクトルで緊張させられる。

隣を見ると、いつもゆるふわな茉子の笑顔もどこかぎこちなく固まってしまっていた。

幽霊女子が再び口を開く。

「そう、文化祭のこと…なんだけど。教室の飾り付けに使うリボンが、だいぶ減ってきてるの…良かったら、買ってきてくれないかしら?」

おどろおどろしい外見に反して、思いの外普通の事を聞いてきた。「私を殺した人を知りませんか?」とでも言ってくる妄想をしていた私は、ちょっと拍子抜けに感じてしまう。

なんとなく緊張も解けて、恐怖よりも頼み事に対するダルさの方が上回ってきた。

「あー…それ、私が買いに行かなきゃダメ?なんていうか、ちょっと…めんどくさい。」

「…ずいぶん言いきったわね…でもいいのかしら?あなた達、ずっと教室の隅っこで縮こまってるから…みんなからあまり良く見られてないわよ…?」

確かに、私達以外のクラスメイトはみんな何かしらの作業で忙しそうにしている。そろそろリーダー的な女子グループから文句の一つくらい言われそうだ。

「じゃあ、私が買いに行こうか?雑貨屋さんならすぐそこだし…」

言い合いになってきた空気を察してか、茉子がおどおどと間に入ってきた。

是非お願い、と言いたいところだけど残念ながら茉子に買いにいかせるわけにはいかない。

「待って、アンタまだ左腕の調子悪かったんでしょ?流石に怪我してる友達をパシリにするわけにはいかないよ」

私に言われてようやく気がついたのか、茉子はハッとした顔をした。この子は優しいんだけどどうも抜けてる所がある。

茉子は半年くらい前に、旅行先で交通事故に遭った。歩道を歩いていたにも関わらず、突然車が突っ込んできたらしい。運転していた男が重度のアルコール中毒だったというのが後の警察の調べで判明した。

奇跡的にも茉子の身体に大きなケガは無かった。しいて言うなら左腕を少し痛めたくらいだ。ところがその左腕がなかなか完治せず、今でも大きく動かすと痛むらしい。

「茉子も行けないことだし…もうあんたが買ってくるしかないみたいね。」

「…自分が買いに行くっていう考えはないのね…私は後で用事があるから、八坂さんが行ってちょうだい。頼んだわよ。」

私に向かって冷たく言い放った彼女は、そのまま教室の外へ出ていった。あんな幽霊みたいな奴でも、ちゃんと文化祭に参加しているのだろうか。

「…あいつ、きっとお化け屋敷のお化け役だよ。間違いない。」

「こらこら、そんな事言ったら失礼でしょ。それに、"あいつ"じゃなくって…『狭山 雫さやま しずく』さんだよ。きれいなお名前なんだから、ちゃんと覚えてあげて?」

幼稚園の先生みたいに優しく叱る茉子をよそに、私は胸の中でその名前を反芻していた。

狭山雫か。確かに、あんな見た目に反して綺麗な印象の名前だ。

ぼんやりとそんな事を考えながら、私は財布をポケットに突っ込んで立ち上がった。

「んじゃ、狭山さんの為にも…ひとっ走り、行ってきますか。」

「ごめんね、葵ちゃん…気をつけて行ってきてね!」

あぁ、と返事を返しつつ、私は教室を出た。

ここから雑貨屋までは自転車で10分ほど走れば着く。文化祭を手伝う気なんてさらさらないけど、面倒事はとっとと終わらせた方がいいだろう。


「はぁ!?閉まってる!?嘘でしょ…」

雑貨屋にたどり着いた私を待っていたのは、『定休日』と書かれた張り紙だった。そういえば、一週間のうち確かに今日は休みの日だった。なぜちゃんと調べておかなかったのか。行き先のないイライラと後悔が込み上げてくる。

「雑貨屋はもう一ヶ所あるけど…遠いんだよな~。ここからだと20分くらいかかるし…あの幽霊女、とんでもなく面倒な事頼んできたじゃない。」

途方に暮れてため息を吐いてみても、状況は何も変わらない。チャットアプリで茉子に『ごめん、遠い方の雑貨屋に行くから先帰ってて』とメッセージを送って再び自転車を走らせた。

学校に戻る頃には五時くらいになってるかな。

そう考えたら、また口からため息が漏れた。


結局、学校に戻ってきたのは五時半になった。ここを出たのが四時だったから、一時間半くらいかかった事になる。ずいぶんな追加労働をさせられたものだ。リボンが入った紙袋を揺らしながら、私は教室に向かって廊下を歩いていった。

流石にこんな時間には校内には誰もいないようだ。文化祭に向けて作られた色とりどりの紙飾りが、夕焼けに照らされて寂し気に佇んでいる。

多分、茉子も狭山も既に帰っている。リボンは狭山の机の上にでも置いておけばいいだろう。

教室には私のカバンがあるから、それを回収したら私もさっさと帰ろう。

のんびりとそう考えながら私は教室の前までやってきた。

何の気なしに扉を開いて、中に足を踏み入れる。

そこにはやっぱり誰もいなかった。

がらんとした教室の中をよく観察してみると、前来た時よりもだいぶ装飾が増えている気がする。

「なんか目が痛くなってくる配色だな…陽キャのセンスってのはよくわかんないや。」

壁に貼り付けられたシールやらテープやらに毒を吐きつつ、狭山の机の上に雑貨屋で買ってきた袋をドサッと置いた。

その時、冷たい風が頬を撫でた。

風の方を見ると、窓がほんの少しだけ開いている。誰かが閉め忘れたんだろうか?

このままにしておくのは戸締りの問題上よくないだろう。私は窓を閉めようと近づく。

ーーーそのせいで、”それ”に気が付いてしまった。

教室の端に垂らされた『遠宮祭へようこそ!』と書かれた大きな幕。その幕の下側から…二本の足が、飛び出していたのだ。

長いスカートを履いた、女子生徒の足。垂れ幕が膝から上を隠しており、誰なのかは判別できない。

私は思わず飛び退いた。

「びっ…くりした…だ、誰!?そんなところで何してんの?」

裏返った声で問いかけるも、返事は返ってこない。それどころか、その足はピクリとも動く気配が無かった。

何か様子が変だ。ただ隠れているだけにしては、あまりに動きが無さすぎる。

恐る恐る近寄って、垂れ幕の端を少しつまんでみる。ここまでしてもやはり反応は無かった。

怖いけど、確かめなきゃスッキリしない。

私は意を決して垂れ幕を思いっきり横にずらした。


ーーーそして、吊るされた彼女の死体を見つけてしまったのだ。




「そうだ、たしか死ん…首吊ってたのてあの幽霊女だったよね…うえぇ、思い出したら気持ち悪くなってきた…」

全てを思い出した私は、ようやく落ち着きを取り戻した。しかし、意味不明な状況は何も変わらない。

首をくくっていたのを見るに、恐らく自殺だろうか。しかし彼女は私にリボンを買ってくるよう頼んでいたハズだ。自殺する前に頼み事なんてするだろうか?

ーーーそれとも、彼女はクラスメイトの誰かに殺されたのか?

そこまで考えたところで、私は一旦思考を中断した。これ以上私が一人で考えていても仕方がない。ここから先は大人達に任せよう。

教員を探すべく、職員室を目指して歩き出す。

平静を装いつつも、不安と恐怖がじわじわと胸の中に広がっていた。

私はもっと、普通の人生の中で暮らしていたはずだ。日常の変化や事件なんかとは無関係の、平穏で退屈な人生。主役なんていう危険なものからは程遠い、無味無臭のストーリー。

そんな私の脇役としての人生はーーー音を立てて、崩れ始めていた。




「ねぇ、火持ってない?ライター切らしちゃってさ…」

風が吹きすさぶビルの屋上にて、その男はぽつりと呟いた。隣にいた部下らしき男が、すかさず彼が咥えているタバコに火をつける。

黒のトレンチコートをはおった彼は、その硬派な服装とは裏腹に、まるで高校生のような童顔だ。見ようによっては、高校生がコスプレしているようにも見えるだろう。

だが、彼はれっきとした大人である。その証拠としてーーー彼の胸には、金色のバッジが輝いていた。警察が身分を証明するために着けるであろう、鈍い光沢を帯びた小さな金属の塊。少しだけ錆びたそれは、彼が決して短くはない年月をこの道に捧げてきたことを教えてくれる。

山岸やまぎし警部、事件現場の資料が届きました。被害者は…遠宮高等学校の一年生、狭山雫という女子生徒です。」

「あそこの高校か…あんなのどかな場所で人死にが出るなんて、世の中物騒だねぇ。」

「そうですね。それに、今回はどうも首吊り自殺みたいですよ。ホント、怖いですよね…」

「…首吊り自殺?」

「はい、教室の中で首を吊っていたそうで…文化祭の前だってのに気の毒な…」

さめざめとした様子で語る部下をよそに、山岸はじっと黙って考え込んだ。

そして、ふと何かを思いついたように顔を上げる。

「教室のどの辺りで首を吊ってたの?」

「え?どの辺りって…確か、端の方の垂れ幕の裏で首を吊ってたと聞きましたが。それがどうかしましたか?」

「垂れ幕の裏ね…なんか、おかしくないかい?」

「おかしいとは…一体、何のことでしょう?」

山岸は吸っていたタバコを口から離すと…黒く静かな目で、部下の男をちらりと見やった。彼は集中する時、決して相手から目線を外さない。

「自室じゃなくてわざわざ教室で、しかもよりによってもうすぐ文化祭だって時期にやったんだよ?もし自殺だとしたら普通じゃないね…誰かに何かを伝えたくてこういう事をした、と考えるべきじゃないかな?」

「確かに、見せつけるという意味も兼ねての行動かもしれませんね。あれ?しかし…」

「そう、そこなんだよ。誰かに見せるための自殺だとすれば、どうして垂れ幕の裏に死体が隠れていたのか。…これが"他殺"なら話は別だけどね。」

一通り話した山岸は、再び黙ってタバコを吸い始めた。風の音だけが聴こえる中…部下の男は、山岸の推理に息を飲んでいた。

山岸警部はこの役職になって間もない頃から、人並み以上に目が利くと言われていた。普通なら分からないような痕跡や違和感にすぐに気がつく。それだけではなく、頭の回転も速い。断片的な情報から犯人の行動を推測し、迷宮入りになりかけていた連続殺人事件を解決したことさえある。

田舎町に降り立った若手の名探偵。それこそが山岸警部だった。

そんな彼は今…一枚の写真を、じっと見つめている。事件現場に取り組む時と同じ、真剣で鋭い眼だ。

「…その写真に写っているのって、遠宮高校の生徒ですよね?」

部下の男が気になって尋ねると、山岸は少し考える素振りをしてから、手に持っていた写真をひらりと見せた。

写真には女子生徒の顔が大きく載っており、そのすぐ下には彼女のものであろう名前が書いてある。その質素なデザインは、どこか指名手配書を彷彿とさせた。

部下の男が、彼女の名前を読み上げる。

「ーーー確か、柊茉子さんでしたっけ?彼女がどうかしましたか?」

「いや、別に…でも一応調べといて。ひょっとしたら…」


「…事件について、核心を握ってるかもしれないからね。」


嵐のように荒ぶる風の中、探偵が一人。

そして、何の変哲も無いのどかな学校にて、殺人が一つ。


もう間もなくーーー物語は始まろうとしていた。

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